第2話 思わぬ届け物 ②

 「離して!!」


 表から聞こえてきたのは、ここのところ何かと耳にする機会の多かった少女の声だった。


「何? 今の悲鳴――って、レイ! どこ行くの!?」


 ほとんど脊髄反射で飛び出したレイの背後で、クリスが驚いたような声を上げるのが聞こえた。

 帰宅した時はまだ昇りはじめていた太陽は、既に地平線へと沈みつつある。ほんの少し休むつもりだったはずが、かなりの時間を無為に過ごしてしまったらしい。

 強い西日にさらされた古い町並みに意識を巡らしたレイは、悲鳴の出所をすぐに突き止め再び走り出した。



             ☆



「な、何なんですかあなたたちは! それ以上近づかないで!!」 


 彼女がいたのは寂れた町でも比較的多くの建物が残っている辺りだった。外壁が剥がれた石積みがむき出しの壁を背に、メルは自身を取り囲む浮浪者然とした者たち三人と対峙している。メルは利き手に持ったメイスで威嚇しつつ、もう一方の手では革製の袋を大事そうに抱えている。

 その袋はレイにも見覚えのあるものだった。


「なんだってお前、変なおじさんたちだよ。さっきからそう言ってんだろ? それより、その荷物置いてとっとと帰れって! そうすりゃ嬢ちゃんに危害は加えねぇからよぉ」


「私もさっきから言ってるよ、諦めてって! これは大事な物だから渡せないの!」


「だあぁもう、分からねぇガキだなぁ!」


 浮浪者たちの狙いはやはりあの革袋だろう。彼らなりの勘が中身に当たりを付けているのかもしれない。

 その時、油断無く浮浪者たちを見据えていたメルの目がレイの存在を捉えて動きを止めた。なかなか良い勘をしていると内心独言ちながらも、浮浪者たちを制圧できる位置に付くために人差し指を立てて黙っているよう伝える。    


「もう良い、お前らやるーーー」


「―――そこまでだ」


「「!!?」」


 中心にいた老人の号令を遮ってレイが声を掛けると、浮浪者は驚いた様子で一斉にこちらを向いた。


「お前、いつの間に!?」


「いつからでもいいだろ、ダナンさん。彼女は俺の客だ。手を出すのならこの場で全員死んでもらう」


「…っく、死に損ないのガキがナマ言ってんじゃねぇよ」


 先程から浮浪者たちを仕切っている老人、ダナンは敵意をみなぎらせてレイを見据える。しばらくの間そうして対峙していたが、ナイフを構えたレイが一歩も引かないでいると、やがて諦めた様子で方の力を抜いた。


「ふんっ。今回はお前の顔に免じて見逃してやるが、次はねぇぞ。無知な間抜けほど癪に触ることは無いからな」


「悪かった。きちんと言い聞かせておくから」


「そうしろ。…おい、撤収だ」


「ああ」「おう」


 ダナンの言葉を受けて、取り巻き二人も彼に従う。そしてそのまま闇に包まれ始めた廃墟へと消えていった。


「助かったよレイ。まさかああいう人たちがいるところだったなんて―――」


「そういうのは良い。今はとにかく着いてきて」


「へ? ちょ、痛たたた!? 力強いって!?」


 浮浪者たちが立ち去り、メルは脱力したようにレイへと駆け寄った。そのまま気安く話しかけようとしたメルだったが、レイはそれに応じることなく彼女の腕をつかむと、引きずるようにして元来た道へと歩き出した。

 途中、灰色のマントをまとった少女が物言いたげな様子で合流したが、レイの雰囲気に何かを察したのか、口を挟むことも無いまま彼らの後に従った。

 

 

             ☆

 

 

「どういうつもりなんだ?」


 古びた小屋に通され、椅子に座らせられたメルへの第一声はそれだった。


「どうって…私はレイの物を返しに…」


「そんなことは見れば分かる」


「ひゃいっ!!」


 ただならぬ雰囲気のレイに一喝され、メルは思わず悲鳴を上げてしまう。


「君は、俺たちがどういう人間で、ここがどういう場所なのか理解しているのか?」


「ええと…レイさんが札付きだってことなら分かります。場所は、ここひょっとして入っちゃいけなかったりしました?」


「知らないできたのか…。そうでなくても俺たちの立場は分かってるのに? 信じられない…」


 恐る恐る答えていくメルに、レイは信じられないという様子で手で自身の顔を覆った。

 と、沈み込んだ空気を払拭するように明るい声が割り込んできた。 


「まあまあ。レイは新人をそんなにいじめないの。それと、良い加減私も話に混ぜてもらいたんだけど?」


 声の主はもちろん、この小屋いたもう一人の人物であるクリスだった。 

 三人が部屋に入ってからというもの、明かりを灯したり雨戸を閉めたりと忙しくしていた彼女だがようやく一区切りついたらしい。少女と言うには少し大人びた顔に満面の好奇心を覗かせながら、メルの向かいの席に座ってこちらに視線を送っている。


「私はクリス。この無愛想な男の…まあ、パーティメンバーをやってあげてる魔術師よ」


「クリス、さん。よろしくお願いします!私はメルと言います。まだ駆け出しの冒険者でーーー」


 クリスの人好きのしそうな表情に釣られて、メルも笑顔で自己紹介を始めてしまう。が、このやり取りに何を思ったのか、レイが慌ててメルの口を塞ごうと踏み出した。

 しかし一歩遅く、メルは先の台詞を口にしてしまう。


「昨日、森の中で変な人たちに襲われているところをレイさんに助けてもらったんです。それでーーんむっ!?」


最後まで言い終わるよりも前に、レイの手のひらがメルの口を塞ぐ。


「ん!んむむむん!! ………ん?」


 突然のことに固く塞がれた口を必死に動かして抵抗しようとしていたメルだったが、唐突に空気が変わったことを感じてそちらに目を向ける。


「…そう、昨日の。…じゃあ私のご飯を台無しにしたのはあなたってことね…?」


そこには、全身から殺意を漲らせた真っ赤な魔力を放ち、ただでさえ赤い髪を夜叉のように逆立てているクリスの姿があった。


「あんたたち“白札”と違ってあたしたちは日々の糧を得るのにも死ぬような思いをしなきゃいけないのよ…。のこのこ私の前に出てきた以上、無事に逃げられるとは思わないでね!」


「むーー!!」


「クリス、ちょっと落ち着いてーー」


「落ち着いてなんていられるわけないでしょ…。でも安心して、メルちゃん。まだ人は食べたことないけど、必ず美味し〜く料理してあげるからーーー? …何よ、これ?」


 身を乗り出してメルの間近にまで熱に浮かされたような顔を近づけるクリス。その時、クリスが音を立てて机に手をついた拍子に机上に置いてあった革袋が倒れて、中に入っていた物が数個こぼれ出た。


「これ…レーションじゃない。しかもこんなにたくさん! 何なのこれ。どういうこと?」


それを見たクリスの殺意が、わずかに鈍る。そして、ゆっくりと携帯食の一つを手に取ると、向かいに座るレイたちに探るような視線を送った。


「その辺りは色々複雑なんだ。ちゃんと説明するからとりあえず落ち着いてくれないか?」


「分かったわよ。…ところでこれは食べて良いの?」


「構わない」


「ならそれを先に言いなさいよ、もう! ほら、聞いてあげるから説明っていうのも早くやりなさい!」


 クリスはさっきまでの狂気が嘘だったかのように霧散させ、携帯食に飛びついて顔を綻ばせている。それを他所にドッと疲れたような目をしているレイを見て、メルは何となくこの二人の関係性を察した気がした。



             ☆



「ーーーで、俺たちの任務を台無しにしたお詫びにってことで、これを買ってもらったんだよ」


「そう言うことだったのね〜。もう、そう言うのは早く言いなさいよ」


「言う前に切れて話の腰を折ったのはクリスだろ…」


「なんか言った?」


「…何でもない。それで、ようやく話を元に戻せるんだけど…メル」


 あっさり機嫌を直したクリスを尻目に、レイは改めてメルに向き直った。


「君は俺たちが札付きであることを知った上で、こんなところまで来たんだね? 」


「っ! うん…。でも、昼間のは、いくら何でも無視できなくて…」


「そう。…そもそも君は“札付き”が何なのか本当に分かってる?」


 レイは自身の首に下がっている黒い冒険者証をメルに見えるようにつまみ上げた。


「それは…一応。冒険者登録した時に受けた初心者講習みたいなやつで勉強したよ。酷い犯罪を犯した人たちに対する刑罰の一種だって」


「そう。この特別な認識票を付けられた俺たちみたいな冒険者は、積極的に致死率の高い任務に送られる。行った奴のほとんどが帰ってこれないような任務に」


「そんな…」


 それではただの死刑だとメルの表情は物語っていたが、レイは尚も言葉を重ねる。


「メル。たぶんその部分の認識が間違ってる。札付きっていうのは、そもそもがそれくらいの罪を犯した奴らに対する刑罰なんだ。殺人鬼とか政治犯とか、普通の法じゃ裁けないような連中を罰するための。もちろん、俺やクリスだって」


  そう言われながら視線を送られたクリスは、一瞬物言いたげな表情になったものの結局何も言わず、新しい携帯食を食べ始めた。その手元には既に空になった包みがいくつも落ちている。

 …というか、あれはあれで大丈夫なのだろうか?一つあれば一日分の栄養が取れるような物をそんなペースで食べたりなんかして。


「何?」


「え?あ、違くて。クリスさんもその…札付きだったんだなって」


 メルの視線に気づいたクリスが話しかけてきたので、咄嗟に関係ないことを口にする。するとクリスは自身の襟元をまさぐり、レイの物と全く同じ黒いタグを取り出した。


「そ、私も札付き。こいつとはこの状態で放り出された時からの仲間ってわけ」


「そう、だったんですね」


 ケロッとした顔で言うクリスとは対照的に、メルは重苦しく返事をする他なかった。

 彼女の胸元から下がる札付きの証。ただ紐に通されたメルの冒険者証とは違い、彼らのそれは細い鎖で繋がれている。よく見れば、その鎖は首元にある黒い鉄製の首輪に繋がっていた。レイの話を聞いた後だと、それが罪人を捕らえておくための拘束具であることも今のメルには理解できる。


「やっと自分がかなり危険な状態にあることが理解できたみたいだね。それにしたって、君は無防備すぎる。札付きに出会ったら近づかないようにするなんてのは、それこそ子供の頃から言い聞かされてきたはずだ」


「それは! …多分私の故郷だとあまり身近な存在じゃなかったから」


 「それにーーー」と、メルはおずおずとレイの方を伺いながら言葉を続ける。


「初めて出会った札付きの人が、私の命を救ってくれたんだもん。いきなり避けるなんて私にはできないよ…」


「っ……」


 その言葉があまりにも予想とはかけ離れていたらしく、レイは気まずそうに頭をかきながら顔を背けた。


「…なんなのあなたたち。レイは照れてないでさっさと話の続きをしなさいよ」


「そう言うんじゃない。クリスは少し黙って」


「はいはい」


 そんな茶々を挟まれたことで気持ちを切り替えられたのか、レイは軽い咳払いをした後にまた話し始めた。


「で、話を戻すけど、メルはここをどういう場所だって認識してる?」


「ここって、この町のこと?町っていうにはちょっと廃墟が多い気もするけど」


 思わぬ問いかけに、目を丸くしながら部屋を見回すメル。別にここを見回したところで町の様子がわかるわけでは無いのだが、何とも彼女らしい仕草だった。


「ここは札付きを閉じ込めておく“監獄”だ」


そんなメルにレイは淡々と告げる。


「ギルド・シティに隣接して作られた町。周囲は探知結界を張り巡らせた壁で囲まれていて、出入り口はセントラル・ギルド側から伸びた地下通路一つだけ。普段から門番として強力な冒険者が配置されてるから、途中にある検問所を抜けて初めて、ギルドの裏口からギルド・シティに出られるんだ」


「そんな…」


「ちなみに、抜け出そうとした奴は結界に必ず探知される。そうしたら問答無用でこの首輪が爆発するようになってるわ」


 珍しく口を挟んできたクリスは、何でもないことのようにそう口する。


「分かっただろ、ここがどういう場所なのか。…大体君はどうやって入って来たんだ?」


「どうって、もらった地図の通りに壁の崩れたところから入っただけ…」


「地図の通り?」


 そう口走ったメルに被せるようにレイが台詞の一部を繰り返す。これまで以上にこわばった彼の表情に、メイは遅まきながら「これはまずいかも」、と口元を引き攣らせる。


「そもそも、君はどうやって俺たちの素性に辿りーーー?」


不意に聞こえたノックが、レイの疑問を遮った。


「誰だ、こんな時間に」


メルへの追及を中断するように椅子から立ち上がったレイは、訝しげに玄関へと向かった。


「誰だ?」


「夜分にすまん。メルってガキがオタクに邪魔してないか?」


「「!!」」


外から返ってきた声は、レイとクリスには全く聞き覚えのないものだった。

 そんな彼らとは対照的に、肩を跳ねさせた人物が一人。


「ごめん、レイ、クリスさん。多分…私のパーティメンバーだと思う」


 そう口にしたメルは、これまでで聞いた中で一番気まずそうな声だった。

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