第2話 思わぬ届け物 ①

 固い拳が立てる鈍く暴力的な音が辺りに響き渡る。とっさに伸ばした腕の向こうで、宙に投げ出されたレイの体が地面に叩きつけられるのが見えた。あまりにも唐突な場面の転換に、メルはただ呆然と立ち尽くしてしまう。


「良いか!! もう二度とこの辺りをうろつくんじゃねぇぞ!?」


 ろくに受け身も取れないまま地面を転がり倒れ伏したレイに対し、店主は尚も言い募り、


「何やってんだ、分かったらとっとと消えろクソガキが!!」


うつ伏せに倒れたまま動かない彼にさらい追い打ちをかけようと前に出た。


「……分かった」


が、店主が再び手を出すよりも先に、レイはゆっくりと体を起こして口から伝わる血を無造作に拭う。そのままゆるりと立ち上がると、メルたちがいる方を見ることもなく中心街とは反対の方向へと去っていった。

 その痛々しい後ろ姿に、固まっていたメルの体がようやく動くようになった。


「ーーちょ、ちょっと待って…レイ!」


 後を追うために駈け出そうとした彼女の体を、店主が後ろから掴む。


「やめとけ。“札付き”と関わってもろくなことになんねぇぞ」


「でも…」


「それとも、お前も同類なのか?」


「っ…!?」


 背後から浴びせられた冷たい声に、僅かに首をもたげた反発が一瞬で萎んでいくのを感じる。


「そうだ。嬢ちゃんもアレのことはとっとと忘れろ」


 一瞬で温度を取り戻した声に弱々しく頷いて、小さくなりつつある少年の姿を見送る。

 すれ違う通行人から距離を開けられ罵られても、ひたすら黙って痛む体を引きずる彼の姿に、メルの心はジクリと痛んだ。



             ☆

 


 レイは俯き加減で独り、石畳が敷かれた道を進んでいく。

 あちこちに穴が空いた古い道の両側には廃屋同然の家や草木がポツリポツリと立ち並んでおり、長い間人の手が加えられていないことが窺えた。 

 果たして、彼の他に住んでいる人間がいるのかも分からないほどの静けさの中、ひたすら黙って歩いていた少年が一軒の小屋の前で立ち止まった。周囲は建物もまばらになり木立が目立つようになってきた薄暗い森の中に、ボツンと建つ一軒の掘っ建て小屋。

 レイは迷うことなくだいぶガタが来ている様子の扉を押して中へと踏み込んだ。


「…まだ帰ってないか」


 踏み込んだ小屋の中は暗く、廃墟とは言わないまでもどこか朽ちるに任せているような様子だった。

 戸口に立って室内を見回していたレイだったが、自分の他に誰もいないことを独り言ちて再び歩き出す。有り合わせの木材を使った粗末なテーブルを通り過ぎ、食卓の奥に続く扉を開いた。

 部屋の中には、その大部分を占めるようにして古いベッドが置いてある。レイは腰につけていたポーチを外してそばの机に投げ出すと、脱力したようにベッドの隅に腰掛けた。

 

「…何なんだ。昨日といい今日といい」


 街の連中と揉めるなんて、実に数年ぶりのことだったと思う。どうにも例の少女、メルと遭遇するたびに物事が上手く運ばなくなる。

 昨日の任務だって、普段であれば失敗することなどまず無かっただろうーーー。



             ☆



 目標を取り逃がしたレイは、霧の中から現れた兵士らに見つからぬよう即座に撤退を決断した。偶然居合わせたと思しき少女にこの場を離れるよう伝え、彼自身も夜の闇に包まれ始めた森の中を走り出したのだ。


 どれだけ走っただろうか。自身の進行方向数十メートル先に気配を感じ取ったレイは立ち止まり、ナイフを構えた。

 数は一人。相手もついさっきまで走っていたのか、肩を上下させながらこちらへと歩いてくる。

 

「(仕掛けるか?)」


 そう考え踏み出そうとしたところで、


「待って待って。私よ」


聞き馴染みのある声で呼び掛けられ、レイは武器を下ろした。

 草を踏み分けながら近づいてきた人物が、月明かりの中に姿を現す。


「やっと追いついたっていうのに随分な挨拶ね。私が声を掛けなかったらどうするつもりだったのよ」


「なんだクリスか」


 鼠色のマントに先端に龍脈水晶を付けた木製の杖といういかにも魔術師然とした少女、クリスは不機嫌さを滲ませながらレイに問うてくる。当のレイは、そんな彼女に関心を向ける事も無く手にしていた武器をホルスターへと戻していた。


「たぁーもー、なんだって何よ! 人がせっかく敵の半分引き受けてあげたって言うのに! ていうか、あんたはちゃんと目標を仕留めたんでしょうね?」 


「あー…」


「『あー』って、まさか失敗したの!?」


怒った拍子に白髪の混じる赤毛のポニーテールを跳ねさせるクリスに対し、レイは言いずらそうに言葉を濁した。


「いや、ちょっと予想外のこと色々があって。悪いとは思ってる」


「悪いとは思ってる、じゃないわよぉ…。明日からどうやってご飯食べるのよぉ…!?」


 クリスは情けない声を出してその場に座り込んでしまう。この様子では自分の謝罪は届いていないだろうな、とレイは密かに溜息を吐いた。


 こんな醜態を晒している彼女だが、レイとの砕けたやり取りから分かる通りかなり長い付き合いのある冒険者の一人だ。

 彼女も自分も、一般の冒険者たちからはあまり歓迎される立場にない。だからこそ、同類として駆け出しの頃から交流があり、現在では背中を預けられる数少ない存在だ。

 今回の任務も、困窮していた者同士共同で受諾したものだったのだが…。


「大体何よ…予想外のことって。対象の殺害なんて、私たちが普段受けさせられてる任務なんかよりもよっぽど簡単じゃない」


「突然変異体の魔獣が乱入してきたんだ。あとは対象を捜索してるらしい軍隊が現れたり…」


「そんなの全部片付ければ良い話じゃない。いつもみたいに」


「それは…そうかもしれないけど」


 断片的に当時の様子を語るレイに対して、クリスの返事は容赦が無い。レイはしばらく黙って色々と考えていた様子だったが、観念したように口を開いた。


「現場に、無関係そうな女の子がいたんだ…多分、冒険者の。巻き込みたくは無かった」


「ーー! …そう。………ま、それなら仕方ない、か…。対象は聖アウロラの反ギルド派筆頭神官って話だったし。深入りしないで済んだのは、良かったのかもね」


「………あ、ああ。そうだな」


「何よ、そんな意外そうな顔して」


 思いの外クリスからの反応が良心的だったために、レイの態度にも驚きが混ざってしまったらしい。


「良いわよ別に。諦めるなら諦めるでとっとと帰りましょ。これ以上無駄なカロリー消費したくないし」


 そう言って、クリスはさっさと踵を返してしまった。レイは彼女の切り替えの速さに感謝しつつ、どんどんと茂みをかき分けて進んでいく彼女の背中を追った。



             ☆



「―――っ…?」


 玄関の方から聞こえてきた物音で目が覚める。昨夜のことを思い返しているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。


「ただいまー」


 居間の方から聞こえてくるクリスの声から察するに、彼女が帰ってきた気配で意識が覚醒したのだろう。


「なによ、寝てたの?」


 隣室でガタガタやっている気配を感じながら身を起こし、戸口に顔を出したレイにクリスは呆れたように言う。


「ー? それよりも何よその顔。また面倒事?」


「顔…?ああ、これか」


 小首をかしげるクリスに回り始めたレイはの頭ははじめ、何を言われているのかが分からなかったが、今朝の出来事を思い出して合点がいった。


「ちょっとトラブルで上着が無くなったんだ。それでこれが」


自身の首にかかる冒険者証ドックタグを摘み上げると、クリスは納得したように視線をよそへと投げた。


「そう。レイにしては珍しいわね。昨日のことでも考えてたの?」


そう言いながら、指を鳴らしてまだ血痕の残るレイの頬にその指先を向ける。

 すると殴られた辺りが暖かい光に包まれ、その傷を癒し始めたのが分かった。


「もう治りかけてたから別に要らなかったんだけど」


「知らないわよ。私は淀んだ魔力を発散しただけ」


「そう。…ありがとう」


「別に良いわ」


 クリスは何でもなさそうに小さく首を振ると、腰に手を当ててさらに言葉を重ねる。


「それで、何があったわけ?昨日の失敗をギルドに報告に行ってたのよね?」


「そっちは問題なく済んだんだ。まあ予想通り対した報酬は出なかったけど」


 そう言って、懐から出した物をクリスへ放った。


「すごい、携帯食じゃない!パクったの?」


「受付の人から急な依頼だったからって。ただその帰り道にーーー」


 その続きを口にしようとしたその時、




「いやっ! 離してっ!!」


外から、どことなく聞き覚えのある幼さの残る少女の悲鳴が飛び込んできた。

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