第52話 アトラス1

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私は強烈なイラ立ちとともに、そんなことを考えた。


 私の視線の先では人の好さそうなお爺さんが豪勢な椅子に座り、こちらを眺めている。


 ニコニコと優しく微笑み、細めた目をただこちらに向けているだけだ。


 しかし私はその様子に、神経を引っかかれているのではないかと思うほどのイラ立ちを覚えていた。


 例えるならば、プロレスの試合で相手が『来いよ』と言わんばかりに挑発ポーズを取っているような印象を受けるのだ。


(オーケー……そっちがその気なら、やってやろうじゃないか)


 私は心の中でお爺さんの挑発に応じ、ドラゴンハンズのカクさんを飛ばした。


 爪を真っ直ぐ向けた形で進ませる。狙いはお爺さんの首だ。


 このまま当たればドラゴンの地獄突きが決まり、喉が潰れるどころかお爺さんの首と胴は泣き別れになることだろう。


「…………っ!!」


 実際にそうなる直前、私は自分で自分の腕を強く掴んだ。心の中の私が私自身を止めたのだ。


 カクさんは少しだけ横に逸れ、その爪は豪勢な椅子の背もたれに突き立った。


「……なぜ攻撃を止めたんじゃ?」


 お爺さんは己の命を奪いそうだったカクさんを完全に無視し、静かな声でそう聞いてきた。


 私は私でお爺さんの質問を無視し、反対に問い返した。


「お爺さん……私に何かしてますよね?何か、催眠魔法のようなことを」


 お爺さんの笑顔は少し人の悪そうなものになった。


「どうしてそう思う?」


「だって私、お爺さんお婆さんには優しいタイプなんですよ。席とか譲りますし」


「それで『まだそんな年寄じゃない!』って怒られるタイプじゃな」


「いえ、そういうことがないように何も言わないで席を離れるタイプです」


「それで空気の読めない若者がサッとその席を取っちゃうんじゃな」


「まぁたまにはそういう事も……っていうか、お爺さんの一言一言がめっちゃイライラするんですけど。ホントに地獄突き食らわしちゃいそうなんで、早くこれ解いてください」


「やれやれ……仕方ないか。まぁこのままではまともに話も出来なさそうじゃしな」


 お爺さんはため息をついてから私に向かって腕を振った。


 すると、私の心はスッと軽くなった。


 やはり何かされていたらしい。


「私に何をしてたんですか?」


「お嬢さんの推測通り、催眠魔法のようなものじゃよ。ワシへの攻撃衝動を持つよう仕向けておった。異世界から喚んだ人間には全てにそうすることにしておる」


「それは……何のために?」


「世界を救うためじゃ」


 以前にも聞いたそのセリフを耳にして、私は自分の中にまだお爺さんへのイライラが多量に残っていることに気がついた。


 当たり前だろう。私はこのお爺さんからイライラさせられるような事しかされていない。


 その最たるものは、この『世界を救え』だろう。


 事情も話さずにそんなことを言われても無茶振りが過ぎる。


「あの……色々言いたいことはあるんですけど、まず確認させてください。この間みたいに時間制限はあります?」


「ある。ワシが自由に動ける時間は限られており、しかもその時々で長さが違う。今回もあとどれくらい話せるか分からん」


 なんてこったい。


 じゃあ、とりあえず要点をかいつまんで聞かないと。


 私は脳みそをフル回転させて、聞いておくべき事項を整理した。


「ええっと……あなたは誰で、世界はどんな危機で、どうしたら救えるんですか?あと私の体質の治し方」


 早口に尋ねた私とは対照的に、お爺さんはのんびりとした口調で答えてきた。


 しかも私の質問とは違うことを。


「珍しいお嬢さんじゃのぉ。普通はまず元の世界に帰る方法を聞くもんじゃが……さてはこの異世界ライフをエンジョイしとるな?」


「……それじゃ帰る方法も教えて下さい。時間が無いなら早く」


「まぁまぁ、そんなに生き急ぐな。そんな事ではエンジョイ異世界ライフがハーフエンジョイになっちゃうぞ?」


 ヤバい。このお爺さん、催眠魔法とかなくてもマジで真正にイライラする。


 空気読まないし。普通に楽しみ半減って言えばいいのに、なぜわざわざ間違った適当英語を使う。


「お爺さん、いいから……」


「帰る方法は、無い」


 お爺さんは急にきっぱり教えてくれた。


「すまんが元の世界に帰る方法は無いんじゃよ。少なくともワシにも思いつかん。お嬢さんには新しい世界を作って、そこで幸せを見つけてほしい」


「そう……ですか……」


 私はかろうじてそれだけ答えた。


 ショックでないと言えば嘘になる。が、今はそれよりも時間内に聞くべきことを聞かねば。


「じゃあ、残りの質問に答えてください」


「心の強いお嬢さんじゃのぉ。ただその前に、ワシからもお嬢さんの質問に対して質問させてくれ。『体質の治し方』とは、どんな体質のことじゃ?」


 何だこのお爺さん。しらばっくれる気か。


 お爺さんのせいで私がどれだけドキドキムラムラハァハァしてきたと思ってるんだ。


「それは……知ってるでしょう?初めにお爺さんが私に付与した発情体質のことですよ」


 お爺さんは私の回答を聞いて、怪訝そうに眉根を寄せた。


「ワシはそんなもん付与しとらんぞ。付与しとらんのだから、さっきの催眠魔法みたいに消すこともできん」


「え?でも確かに転生前と違ってて……」


「確かにワシはお嬢さんを強化したが、それは言ってみれば才能の開花のようなものなんじゃよ。それで変わったということは、そもそもお嬢さんにはそういう素質があったということじゃ」


 私はハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚えた。


 まさか、そんなはずはない。


 私は間違いなく清純派女子のはずであり、発情娘の才能など微塵もないはずだ。


「いや……でも……」


「ワシの見込んだ通り、お嬢さんは相当な『むっつりすけべ』じゃったということじゃな」


 お爺さんはそう言って満足そうにうなずいた。


 いや、そんな良いことみたいに言われても。


「あの……そもそも何でむっつりすけべだからって異世界に喚ばれたんですか?」


 私はまだそれを認めてはいないものの、一応確認した。


 私はむっつりすけべではないが、一応取れる情報は取っておかねば。


「もちろん、それが召喚士として重要な才能だからじゃ」


「いやいやいやいや、何の関係もないでしょう」


「お嬢さんは他人から好感を持ってもらうために一番必要なものは何じゃと思う?」


 お爺さんは突然話題を変えてきた。少なくとも、私にはそう思えた。


 ただ聞かれたので一応は答えることにする。


「……え?えーっと、笑顔、とかですか?」


「イイ線いっとるが、惜しいな。答えは『相手への好意』じゃよ」


 お爺さんの話は唐突だったが、その主張自体には納得できた。


 確かに自分のことを好きだと分かる相手には、自分も好感を抱きやすいのが人情だろう。


 人に好きになってもらいたければ、その人を好きになるのが一番の早道かもしれない。


「言われてみれば、確かに」


「じゃろう?」


「でもそれと今の話と、どう関係しているんです?」


「お嬢さんは恐らく、見境なく誰にでもドキドキムラムラハァハァしちゃうんじゃな?」


 そう言われると非常に肯定しづらいのだが、話が進まないのも困るので小さく小さくうなずいた。


「つまりお嬢さんは、誰かれ構わず好意を抱けるという才能があるんじゃよ。そしてそういう好意は言葉に出さずとも、意外と相手に伝わるもんじゃ。そうすれば相手からも好意を抱いてもらえる。すると、召喚契約を結びやすくなるわけじゃな」


 お爺さんの論理はあまりにぶっ飛んでいるようで、筋自体は通っている。


 召喚魔法は魔法の中でも相手の同意が要るという特殊なものだ。


 だから自分の好意によって相手にも好意を抱いてもらえるなら、それは確かに召喚士としてプラスになることだろう。


「いや……でもそれならむっつりすけべじゃなくて、大っぴらどすけべさんの方がいいのでは?」


「それじゃと嫌う人間も距離を取る人間も多いじゃろ。人が自然に感じる好意とはまた違うところに入るな」


「まぁ……そうですね」


「お嬢さんの知人たちはきっと、皆こう思っておるはずじゃよ。『あの娘は不思議な魅力のある娘だ』と。多くの人間にそういう無意識の好感を抱かせるのがお嬢さんの持つ発情体質であり、それによって召喚士としての利益が得られておるというわけじゃな」


 お爺さんがごく当たり前のようにそう言ってくるので、私もこれは自分の才能なのかな、という気がしてきた。


(…………いやいやいや!!駄目だ!!騙されるな私!!っていうか、私は紛うことなき清純派女子だから!!お爺さんの詭弁に惑わされちゃ駄目だ!!)


 私は心の中で必死に自分にそう言い聞かせた。


(清純派女子、清純派女子、清純派女子、清純派女子……)


 私は心の中で念仏のようにそう唱え続けたが、お爺さんから見れば納得して黙ったように見えたのかもしれない。


 ごく自然な様子で次の話に移っていった。


「それでは残りの質問に答えようか。まずワシが誰かということじゃが……多くの人間たちからは『アトラス』と呼ばれておる」


(……やっぱりか)


 私は念仏をやめ、心の中でうなずいた。お爺さんの回答を初めから推察していた自分がいる。


 ここはアトラス神殿で、お爺さんはその隠し部屋に据えられた玉座のような椅子に座っている。


 勘の悪い人間でも、そうではないかと思うだろう。


 しかも『多くの人間からは』と言っていた。ということは、お爺さん自身は人間ではないのだろう。


「アトラス様ってことは、神様なんですよね?」


 アトラス様はうなずいて肯定した。


「神の定義が曖昧ではあるが、概ねその通りと思ってもらって構わんじゃろう」


「その神様が人間に頼らないといけないような世界の危機って、何なんです?」


 アトラス様はあらためてそれを尋ねられ、憂鬱そうに眉を曇らせた。


 そして悲しげな視線を遠くに飛ばしながら、けだるげに答える。


「……なんかもぅ……神様やるのに飽きちゃって」


「…………は?」


「だからぁ、神様やるの飽きちゃったって言っとるんじゃよ。ワシもう神様辞めたいわけ。でもワシが神様辞めると世界は崩壊しちゃうんじゃ。それが世界の危機」


「…………はぁ?」


 私はアトラス様の言うことがよく理解できず、いや、実際には理解していたかもしれないが、精神がついていかなくて変な声を上げてしまった。


(な……なんだこの神様……っていうか、神様ってこんな?)


 もうどこから突っ込んでいいか分からなくなりそうだったが、とりあえず当たり前のことを言ってみる。


「それは……何ていうか……こう……なんとかやる気出したりとか出来ないもんですかね?ほら、上手に気分転換とかしてして」


「え〜ムリ〜」


 そんなイヤイヤ体をくねらせられても。


 ただのお爺さんの可愛いワガママならともかく、世界終わっちゃうし。


「例えばですけど……誰か茶飲み友達でも作っておしゃべりするとか、ゲートボールとかグラウンドゴルフとかして体動かすとか」


「お嬢さん……老人のイメージがテンプレ過ぎんか?言われたらちょっとイラッとしちゃう老人もきっとおるよ?」


「ご、ごめんなさい……じゃあ、サーフィンとか?」


「なんか無理やり若者っぽいのぶっ込まれても逆にイラッとするのぉ」


(イラッとしてるのはこっちじゃい!!)


 私はさすがに腹が立ったが、相手は神様だ。しかも下手に機嫌を損ねて世界を崩壊させられても困る。


「うーん……じゃあ……」


「お嬢さんの元いた世界は、できてからどのくらい経っとる?」


 と、アトラス様は急に真面目な口調になってそう尋ねてきた。


 世界ができてから?


 地球誕生とか宇宙誕生とかからだろうか。


「えっと……確かテレビで、地球は45億歳、宇宙は138億歳とか言ってた気がします。もちろん推定ってことでしょうけど」


「そうか。ワシはこう見えて神様じゃからな。そのくらいの時間を過ごしていると思ってもらえればいい」


 それを聞いた私は絶句した。


 億単位の歳月など、人間の感覚ではもはや想像もつかない。


 それだけの時間を生きるということが心にどんな状況を作り出すかなど、分かるはずもなかった。


「ワシはさっき簡単に『飽きた』と言ったが、それはもう自分でなんとかできるレベルを遥かに超えとるんじゃよ」


 そう言うアトラス様の瞳は、私が今までの人生で見てきたどの瞳とも違っていた。


 そこに浮かぶのは悲しみでも苦しみでもない。諦めや達観ですらない。


 なにか抗えない、大きな自然法則が瞳に映し出されているようだった。


「この世界にはワシの他にもたくさんの神々がおったが、その誰もがもうワシのような形では存在しておらん。悠久とも言えるような時の中で、自ら消えて無くなったり、世界の自然法則としてその身を溶かしたりしてな」


 『悠久』と書いてしまうとたった二文字だが、それはとても重いものなのだろう。


 億どころか二十一年しか生きてない自分にはやはり想像もできない。


 ただ、永遠に続く時を変わらず過ごすというのが生半可なことではないということは、何となくだが想像できた。


 というか、アトラス様が言っていた通り、きっと無理なのだ。


 そしてそれが世界の寿命なのだと言われれば、そうなのかもしれないとも思う。


 私はやたらこちらをイラッとさせてきたアトラス様がなんだか可哀そうに見えてきた。


「アトラス様は……何で他の神様たちみたいにしなかったんですか?」


「ワシもそうなりたかったんじゃが、ワシだけは特別な役割を背負わされておるからな……」


 アトラス様は笑ったが、それがひどく疲れた笑顔だったので、私の胸はズキリと痛んだ。


 そして私はガイドのメロウさんから聞いた話を思い出した。


「天を背負うって役割ですか?」


「おお、知っておったか。まぁ本当に天を背負っとるわけではないが、同じようなもんじゃな。ワシが背負わされてるのは、言ってみれば世界のバランスを保つシステムなんじゃよ」


「バランスを保つシステム?」


「そうじゃ。お嬢さんは世界というものがやけに『絶妙なバランス』を保って存在していると感じたことはないかの?」


「はぁ……」


 考えたこともなかったが、確かに世界というものはやけに上手くできているような気もする。


 作為的なものだと言われれば納得してしまうかもしれない。


「言われてみれば、そんな気もします」


「実際そうなんじゃよ。ワシがそれを背負うのを辞めてしまえば、世界はさしたる時間もかからず崩壊してしまう。生物の生きられる環境などすぐ壊れ、全てが死に絶える」


「だから頑張って神様を続けてるんですか?」


「そうじゃが、これがかなりキツイ仕事でな。もう限界じゃ。お嬢さんの手で死なせてくれ」


「そんなこと言われても……」


 アトラス様がしんどいことはよく分かったが、殺せば世界が崩壊するのだ。できるわけがない。


「……私はアトラス様を殺すことも、世界を終わらせることもできません」


 当たり前の回答だろう。


 そう思ったのはアトラス様も同じだったようで、特に失望した様子もなくうなずいた。


「まぁそうじゃろうな。ワシも少し喋りすぎたし、お嬢さんに利益のない話じゃ」


 ご理解いただきありがたい。


「すいませんけど今後も頑張って……」


「ではちょっとしたゲームにしてみよう」


「えっ?」


 アトラス様は言うが早いか、立ち上がりつつ腕を横に振った。


 するとその前の空間が歪み、スライムの女の子が現れた。


 リンちゃんだ。


「リ、リンちゃん!?」


 突然の展開に私の頭は追いつかず、ただ驚きの声を上げた。


 リンちゃんはアトラス様の前で仰向けになって浮いている。


 どうやら意識を失っているようで、目を閉じたままピクリとも動かなかった。


「ゲームって、どういうことですか?リンちゃんをどうする気です?」


 私は嫌な予感マックスで尋ねたが、その嫌な予感は見事に的中した。


「なに、ルールは難しくはない。今からワシは死ぬまでこの娘を殺そうとするから、それを止められたらお嬢さんの勝ちじゃ」


 アトラス様は悪びれた様子もなく答えた。


 しかし、あまりにも無茶が過ぎる。


「そんな!アトラス様を殺しても世界が崩壊するわけですし、結局はリンちゃん死んじゃうじゃないですか!」


「仮にシステムが止まったとしても即座に世界が崩壊するわけではない。この娘の寿命くらいは大丈夫じゃろうよ」


「でも、だからって未来の世界のとどめなんて私には……」


「ワシがその気でいる以上、もはや早いか遅いかだけなんじゃよ。ほれ、決心がつかんならもう一人」


 と、アトラス様はもう一度腕を振った。


 すると、今度はカリクローさんが現れる。


 リンちゃんと並べて宙に寝かされた。


「そんなっ!!私の仲良しを人質にするなんてひどいですよ!!」


「そういう友人でなければ人質の意味はないじゃろう?ワシのこの前の自由時間に、三人で女子会やっとるのを見たんじゃよ。ほれ、こんな揃いのブローチまで着けて」


 二人とも私のあげた三姉妹の女神のブローチを身につけてくれている。


 リンちゃんのパレオにはスクルドが。カリクローさんのシャツにはウルドが。


 そして私の格納筒の紐にはベルダンディが留めてある。


 アトラス様は私たちの大切な絆を指で軽く弾いた。


 それを見た私の頭にはカッと血が上った。


(この人……神様のくせにやることがいやらし過ぎる!覗きなんかして、人質まで取って!)


 神様相手に不敬この上ないが、やっぱりこのお爺さんめっちゃムカつく。


 しかしそれを噴出させる前に二人の上に大きな氷柱が現れた。


 その先端は鋭く、落ちれば二人の命はないことは明らかだ。


「モフー!!」


 私は即座にハイランドアルミラージのモフーを召喚し、額の角を氷柱に向かって伸ばさせた。


 超振動した鋭利な角は氷を粉々に砕き、二人の危機を救う。


「おお、なかなか良い反応じゃな。この世界に来て随分と戦い慣れたと見える」


 アトラス様は感心してくれたようだが、容赦はしてくれなかった。


 手を軽く掲げ、さらに数十本の氷柱を創る。その先は全てリンちゃんとカリクローさんに向いていた。


「みんな!お願い!」


 私は手持ちの使役モンスターを次々と召喚した。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817330649401718819


 五色のスライム戦隊、トレントのレント、ガルーダのガル、ハンズのスケさんカクさん、ヤテベオのベオ、カーバンクルのバンクル、ガーゴイルのガー子ちゃん、ユニコーンのユニコとバイコーンのバイコ、シーサーペントのシーサー。


 全員に全力で氷柱を攻撃させた。


 氷柱の数は多かったものの、こちらも総力戦だ。


 全ての氷柱は破壊され、破片が床に散らばった。


 アトラス様もキラキラした氷を浴びながら、嬉しげな笑い声を上げた。


「ホッホッホ、見事見事」


 なんでそんなに楽しそうなんだ。


 っていうか、アトラス様の言動はどう考えても矛盾している。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!なんかおかしくありませんか!?私は世界を救うために喚ばれたんですよね!?」


 そう、これではむしろ世界を崩壊させるスイッチを押さされているようなものだ。


 アトラス様は言われてようやくそれに気づいたようで、ポンと手を打った。


 しかし、相変わらずの笑顔でいる。


「そう言えばそうじゃったな。まぁ、とりあえず殺してみることじゃ」


「なんですかそれ!!」


「こういうゲームもいいかなと思ったんじゃよ」


「ゲームって言ったって、勝ち筋がないのはゲームじゃありません!!」


「何を言う。ワシを殺せばお嬢さんの勝ちじゃぞ。攻撃されても防御せんしな」


「だからそんなの勝ちじゃありませんって!!っていうか神様相手になんのハンデもなしってひどくありません!?」


「ハンデ?じゃが……このゲームでハンデって言われてものぉ」


 アトラス様はただ自分を殺されたいだけなので、ハンデといっても普通は成立しないだろう。


 私が殺そうと思うかどうかと、それまでの時間の問題だ。


 それでも私は必死になって考えた。


「……じゃあ、使役モンスター勝負にしましょう」


「使役モンスター勝負?」


「そうです。アトラス様も使役モンスターを召喚して、それで戦いましょう。神様なんだからそれくらい出来ますよね?」


「ははぁ」


 アトラス様はあごを撫でながらまた笑った。


「なるほどのぉ。使役モンスター同士の戦いなら攻撃対象がワシじゃないから、攻撃しても殺さんで済むと思ったか。いいじゃろう、そのハンデくれてやる」


 そう言って腕を振ると、私たちのいる部屋が急に広くなった。


 面積も天井の高さも一瞬で十倍以上になっている。


(一体なにを?)


 私にはその行動の意味が分からなかったが、直後に理解できた。


 アトラス様が再び手を振ると、元の部屋にはどうやっても入らないサイズの超巨大モンスターが現れたのだ。


「イ……イカ!?」


「そうじゃ。最強のイカモンスター、クラーケンじゃよ」


 クラーケンはイカの容姿をしたモンスターだったが、そのサイズは高さだけで何十メートルもある。


 足の長さを加えるとゆうに百メートルオーバーだろう。しかも普通のイカは十本足だが、太いのから細いのまで何百本もの触手が生えていた。


「そしてお嬢さんには悪いが、このまま戦いはせんぞ。ワシと同化する」


「同化!?」


 アトラス様の姿は急に溶けたようになり、クラーケンの体に沈んでいった。


 そしてクラーケンからアトラス様の声が響いてくる。


「これでワシとクラーケンは一心同体じゃ。クラーケンを殺せばワシも死ぬ。友人を助けたければワシごとクラーケンを殺すんじゃな」


 そう言われても、クラーケンはビルサイズのモンスターだ。


 無理ゲー具合はひどくなった気がする。


「いや……これって殺しようあります?」


「心配するな。イカは目と目の間が急所じゃから、ここを狙え。何度も言うが防御はせんぞ」


 クラーケンと化したアトラス様は長い触腕でそこをツンツンと示した。


 そう言われても、やはりそこへアタックを繰り出す気になれない。


 アトラス様は動かない私に発破をかけるべく、さらなる行動を取った。


「せっかくこんな姿になったんじゃし、もう少しゲーム性を上げてみるか。ほれ」


 と、クラーケンの口から墨のような黒い煙が吹き出された。


 煙幕が部屋の半分を覆い、その先が見通せなくなる。


「な……何をする気です?」


「ゲームじゃよ。ここに友人たちをランダムに飛ばせてじゃな……」


 アトラス様は二人をジグザクに飛ばしながら煙幕の中へ放り込んだ。


 そして見えなくなったところでイカの腕を突き入れる。


 腕の速度は凄まじく、当たれば命がないことは一目で分かった。


「ああっ!!」


「ほれほれ。ワシも煙幕の中は見通せんからな。完全に運任せじゃが、そういうゲームも悪くなかろう」


(ふざけるな!!)


 と思いながら、私はさらなる使役モンスターを召喚した。


「ヤタ!!」


 八咫烏やたがらすのヤタは戦闘力としてはあまり期待できないが、一度見た人は移動してもその場所が分かる。


 煙幕内の二人の場所を探知してもらおうと思ったのだ。


 が、ヤタから予想外の念話が送られてきた。


「……えっ!?二人の位置が分からないの!?」


 まるでジャミングでも受けているかのように、ぼんやりとしたものしか感じられないらしい。


 位置の特定までできないようだ。


「よく考えた対処じゃが、無駄じゃよ。その煙幕は光だけでなく感知系の魔法も遮断する。ワシでも見通せんと言ったろう」


 そう教えてくれながら、また高速の触手を突き入れた。


 無数の触手で何度も何度も死の刺突を繰り出してくる。


 私は慌てて使役モンスターたちにそれを防がせた。強烈な攻撃だが、威力的にはうちの子たちの攻撃なら十分相殺できる。


 しかしあまりに手数が多く、全てを捉えきることはできなかった。たまに防御網を抜けてしまう触手がある。


 その一発ごとに、私の背中には冷たい汗が伝ってきた。


(と、とにかく二人の安全を確保しないと!)


 私はそう判断し、煙幕へ向かってダッシュした。そしてその中に突入する。


 それを見たアトラス様が軽い口調で警告してきた。


「怖いもの知らずじゃなぁ。そんなことをしたらお嬢さん自身が危ないぞ?」


 そんなことは当然分かっている。


 っていうか、怖いに決まっているだろう。当たれば体に風穴が開く攻撃が繰り出されている所にあえて行くのだ。


 しかし、そんなところへ大切な友人たちだけを置く方がよっぽど怖い。だから私は少しでも怖くない方を選んだつもりだ。


(なんとか手探りで二人を見つけて……)


 私は両手をあちこちに振りながら煙幕の中を駆けた。


 完全な暗闇で視界は一切利かないものの、動くのには支障ない。ほとんど運任せの行動だが、他にできることはないのだ。


(お願い、二人に触れて……)


 私は祈るように手探りを続けた。


 しかし、その手は空振るばかりだ。


「……ヤタ、近くまで来ても分からない?」


 肩に乗せたヤタに尋ねたが、やはりダメとの返事だ。


 そうこうしている間にも触手は煙幕の闇を貫いてくる。


(うぅ……どうすれば……)


 私は焦燥にかられ、思わず腰のブローチを握りしめた。


 こうなると、もはや本当に祈ることしかできない。


 祈る対象であるはずの神様がやっていることとはいえ、それ以外にできることがないのだ。


 ヴヴヴ……


 と、その時私の手が突然小さな振動に揺られた。


 ブローチが震えているのだ。


「……え?これって、共振?」


 どうやら私の魔素に反応してブローチが振動を始めたらしい。


 そこでまたヤタから念話が届いた。


「なに?二人の場所が……分かったの?二人のブローチも共振してる!?」


 ヤタはそのかすかな共振の振動音を感じ取って位置を把握できたらしい。


 私たちのブローチはもともと同じ一つの魔石から作られている。


 製作者のドヴェルグさんも何かしらの効果が現れる可能性を口にしていたが、離れていても共振を起こしているということだろう。


「ヤタ、私を二人のところまで導いて!」


 相変わらず視界はゼロだが、ヤタから先導の念話が送られてくるので頭にははっきりと位置関係が描ける。


 そして私は目的のものを掴むことができた。


 カリクローさんのシャツだ。


(やった!!)


 さらにそこからさして離れていない所でリンちゃんのパレオに手が届いた。


 二人を両脇に抱え、全力で煙幕から脱出する。


 出て来てすぐにレントへ命じ、二人を枝でグルグル巻きにさせた。もう離さない。


「おお、やるじゃないかお嬢さん!あの状況から友人たちを救うとはな!しかもこれで守りやすくなったか!」


 アトラス様の言う通り、二人をレントのそばに固定したことでかなり守りやすくなった。


 その周りに使役モンスターを並べて触手を防がせる。


 うちの子たちは大奮闘してくれて、全ての攻撃を弾き返してくれた。


「やるのぉ、やるのぉ。ワシはこれまでに何人も転生させてきたが、お嬢さんほどセンスのある人間は見なんだよ」


 そう言うアトラス様は愉快そうだった。上機嫌に笑っている。


 それはそうだろう。いったんは危機を脱したとはいえ、どうなったところでこちらにとっては無理ゲーなのだ。


 アトラス様の優位は変わらず、余裕の中でゲームを楽しんでいる。


「モンスター捌きも大したもんじゃが、いつまでもつかの?」


 実際のところ、これからの展開はもう目に見えている。


 私の魔素は徐々に減り、攻撃を防げなくなるだろう。


 そこでゲームセットだ。


 そしてその時はさしたる時間もかからずやってきた。


 触手の一本がレントの枝を貫いて千切り、二人の体は床に落とされた。


 そしてアトラス様はひときわ大きな触手を二本構える。


「お嬢さんも頑張ったが、これまでじゃよ。大切な友人たちを殺され、その怒りでワシを殺してくれるといい」


 そう言って、その触手に殺気と神らしい膨大な魔素を込めた。


 あまりに強い魔素だからか、触手の先端は光を放っている。


 私は二人を守るように立ちはだかった。


 それが意味のないことであったとしても、姉と妹を守らなければならないのだ。


 そしてアトラス様の触手はいとも簡単に私を避け、二人を貫いた……


 ……という場面を頭の中に浮かべていただろう。


 しかし、実際には触手は攻撃に移らなかった。


 なぜか二本の触手がハート型になり、踊るように振られ始めた。


「……は?な、なんじゃこれは!?」


 触手はどうやらアトラス様の意思と関係なく動いているらしい。


 言葉に困惑が滲んでいる。


「どういうことじゃ!?クラーケン、なぜ勝手に動く!?しかも何じゃこの動きは!?」


 ハート型の触手はしばらくすると細長い形にされ、また同じようにフリフリと振られた。


 そして体のあちこちがほのかに発光し始める。


 そのよく分からない行動に困惑するアトラス様へ、私は解説してあげた。


「多分ですけど、これはイカの求愛行動だと思います」


「……お、お嬢さん!?」


 アトラス様の声は驚きに裏返っていた。


 私の説明にではない。


 私の声が真後ろから聞こえたからだ。


「お嬢さんが、二人?……そうか、正面のこのお嬢さんは!」


「そう、ドッペルゲンガーのドッペルです。煙幕に入った時に入れ替わりました」 


 私は煙幕の中でドッペルを召喚し、二人を抱えさせて煙幕から出したのだ。


 そして私の方は煙幕の中に残り、頃合いを見てこっそり出て来た。


「なるほどのぉ……本物のお嬢さんはワシの後ろに回り込んでおったのか。しかし、一体何をしたんじゃ?」


「これです」


 私は右手に掴んだものを上げた。


 そこにはクラーケンの小さな触手がある。特に小さなものなので、その先端は人の指ほどの太さになっていた。


 そして、そこに私のはめていた指輪が通されている。


「それは……属性付与の指輪か?」


「そうです。この指輪とカーバンクルを使って、クラーケンに私の属性を付与したんです」


 指輪には魔石状態になったバンクルがセットされている。


 こうすることで私の属性が付与されるのだ。


「転生の時にアトラス様が私に付与した発情体質ですよ」


「……いや、さっきも言ったがワシはそんなもの付与してな……」


「アトラス様が無理やり押し付けた体質です異議は認めませんいいですか」


 早口でまくし立てる私に、アトラス様は困ったような声を返してきた。


「……あぁ……じゃあ、まぁ……それはいいとして、なぜそんなことを?」


「だってほら、アトラス様と融合したクラーケンの様子を見てたら分かるじゃないですか」


「と、言われてものぉ……」


「前にテレビで見たんですけど、イカって発情すると腕を振って求愛したり、発光してメスを誘ったりするらしいですよ」


「つまり、お嬢さんはイカの発情状態を見たくてこうしたと?」


「そうじゃなくて、クラーケンを通して感じて欲しかったんです。生きるための力を」


「生きるための……力?」


「そうです。生物はみんな当たり前に生きてるみたいに見えますけど、実は生きるのって結構な力がいることだと思うんです。そのための力って人によって違いますけど、こういうのもその一つになるんじゃないかと思って」


 そう言われ、アトラス様は勝手に動いてしまうクラーケンの体をまじまじと見た。


 どこか生殖に絡む執念のようなものを感じる動きだ。


 それを見つめながら、何か考えるようにしばらく黙っていた。


「どうです?何か、湧き上がるものを感じませんか?」


「……感じる。確かに力を感じるし、これが生きるための力なんじゃと言われればそんな気もする。こんなものはもう随分と感じていなかったように思うが……」


 アトラス様は悠久とも言えるほどの時間を生きている。


 だから逆にそういうものを忘れてしまったのではないかと思ったのだ。


 だから私はアトラス様に生への衝動を感じて欲しかった。


 人によっては下劣だなんだと言われるような欲求でも、それは生きるための力になりうると思うから。


「確かにワシの中から湧き上がるエネルギーを感じるぞ……ワシは今……猛烈に……交接したい!!」


「交……接?」


 突然叫び声を上げたアトラス様だったが、私は最後の聞き慣れない言葉が理解できずオウム返しにした。


「交接じゃ!!イカの子作りは脊椎動物などと違い、精子の入ったカプセルを腕で受け渡すから『交尾』ではなく『交接』と呼ぶのじゃ!!」


「はぁ……そうなんですか」


 腕で受け渡し。


 人間とはかなり違うが、今のアトラス様はイカとしての性衝動に駆られているのだろう。


「ワシは今、美しいメスのクラーケンとよろしくヤリたいのじゃああああ!!」


 興奮を隠しもせず、アトラス様は大声で叫んだ。


 そして私に向かってシュタッと触手を一本上げる。


「そんなわけで、ちょっと行ってくる!!」


 その言葉を残し、クラーケン・アトラス様の姿は忽然と消えた。


 どこか美人のクラーケンさんがいそうな深海へでもテレポートしたのだろう。


「……とりあえず……助かった?」


 本当にとりあえずだが、当面の危機が去った私は脱力してその場にへたり込んだ。


 それからリンちゃんとカリクローさんの方へ目を向けた。


 二人はまだ眠ったままで、静かな寝息を立てている。


 私はそれを聞きながらブローチを再び握った。


 広い部屋に三つの小さな振動音が響き、私はその中で姉と妹を守れた安堵に浸っていた。

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