第51話 人魚の街

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私は海底で柔らかな光を放つ街を眺めて、そんなことを考えた。


 その街とはまだ距離があったが、それでも幻想的な美しさに見とれてしまう。


 光もあまり届かないような暗い海の底に、大きな街が一つあるのだ。


 しかも街全体がぼんやり発光しており、周囲の薄暗さも相まって別世界のような雰囲気を醸し出している。


 ここが竜宮だと言われれば信じてしまうような人魚の街は、地上の人間全てを誘っているとしか思えない。


「見えてきたね。あれが人魚の街、『アトランティス』だよ」


 私の横を泳ぐ人魚のメロウさんがそう教えてくれた。


「すごい!きれい!これはテンション上がりますね!クウさんホントありがとう!」


 リンちゃんが明るい声を上げながら、私を後ろから抱きしめてきた。


 リンちゃんと私はシーサーペントのシーサーに乗って海中を移動している。


 リンちゃん自身はかなり速く泳げるようになったのだが、やはり人魚や水中モンスターほどのスピードは出ない。だから私の使役モンスターに乗せてあげているのだ。


 私の後ろにまたがったリンちゃんはシーサーから落ちないようにと、ちょいちょいしがみついてくる。リンちゃんのピチピチで柔らかい体が私に押し付けられてきた。


 しかも心なしか、こちらの体をまさぐられている感もある。


(なんだかデジャヴが……そういえば私もこの間メロウさんに同じようなことをしてた気が……)


 そんなことをちょっと思い出していたが、その思考もアトランティスの美しさの前に消し飛んだ。


 海の底で優しく光る街は、全てを忘れてしまうほどに美しかった。


「これは……ちょっと言葉にできないほどすごいね。こんなの見たことない」


 私は目の前の光景をどうにか言葉にしたかったが、うまく表現できる自信がなくてそれくらいしか言えなかった。


 単純に語彙力がないというのもあるが、もう突き抜けて上等なものには『すごい』しか正しい表現が無い気がする。


 インストラクター兼ガイドのメロウさんは私たちの様子を見て、嬉しそうな、誇らしげな顔になった。


「アトランティスは遠くから見てもいいけど、中に入ってからも最高だからね。期待しててよ」


 私たちは言われた通り期待しながら街に近づいていった。


 アトランティスは海底の山脈に囲まれた長方形の街で、街部分はほぼ平地だった。


 地上であれば盆地というところなのだが、山脈までキレイな長方形なのでただの盆地とは言えないかもしれない。


(……なんだか不思議な土地だな。海底だからって、こんなかっちり長方形になるかな?)


 私は別に地学には詳しくないものの、まるで人為的に作られたかのようなその地形に多少の引っ掛かりを覚えた。


「あっ、あれ!あの街の中心にある大きな建物はなんですか!?」


 リンちゃんが街を指さしながらメロウさんに尋ねた。


「あれはアトラス神殿だよ」


「アトラス?」


「アトラス様は天を支えてくれている神様なんだ。人魚の街では多くの人が信仰してるんだよ」


「へぇ……天を支える神様の神殿が海底にあるんですね」


「ハハハ、確かに不思議な感じもするね。でも街に入ったら納得できるかもしれないよ」


「え?」


「まぁ、とにかく行ってみよう」


 私たちは街の端にある門のところへ降り着いた。


 水中なので上部のどこからでも街へは入れるのだが、ちゃんと門から出入りしないといけないという決まりらしい。


 横着をする人がいないように、見張りの兵もトライデントを持って街の上を泳ぎ回っていた。


 石造りの門には扉はなく、アーチ状の構造物があるだけだ。


 そもそも上からも通れるわけだし、一応形としてあるだけという感じだった。


「シーサーはもういいよ。ありがとう。あとはスケさんお願いね」


 私はシーサーを格納筒に戻し、代わりにスライムハンズのスケさんを出した。


 シーサーペントは街中で乗るには大きすぎる。ここからはスケさんに引っ張ってもらいながら移動することにした。


 門をくぐるとその先には街が広がっている。


 通りに並んだ建物は、私の知っているプティアの街のものとはかなり違う雰囲気だった。


 プティアではレンガや木が多く使われた中世ヨーロッパ風の家が多かったが、アトランティスの建物はまったく法則性のない自由な形になっている。


 柱がグネグネと波打っていたり、完全な球形の家にドアと窓がついていたり、逆に直線だけで構成されていたり、といったような具合だ。


 現代アートだと言われれば納得してしまったかもしれない。


 建材も違う。一見するとコンクリートのような建材が多く使われているが、表面はなめらかでやや艶がある。


 タイルともまた違う質感だった。


「不思議な建物ですね。なんだか別の世界に来たみたいで素敵……」


 リンちゃんがため息混じりにつぶやいた。旅行における非日常感の楽しさとはこういうことだろう。


 本当に別の世界から来た私にとってもそれは同じで、街並みを眺めるだけで楽しかった。


「そうだね。街中をぶらぶらするだけでも……あれ?」


 建物を見ていた私はふと違和感を感じて言葉を止めた。


「どうかしました?」


「いや……あそこの屋根についてるのが、雨樋あまどいに見えて」


 私が指さした先には、半円型の長い筒が屋根の縁に沿って固定されていた。それは地面まで伸びた垂直の筒へとつながっている。


 あれは元いた世界でよく見た形の雨樋だ。


 ちなみにプティアでは雨樋が動物などの形をした彫刻につながっているものが多い。その彫刻に空けられた穴から水が出てくるようになっている。


 モンスターの名前としても使われる『ガーゴイル』とは、本来その彫刻のことを指す。


 確か元の世界のヨーロッパでも屋根にガーゴイルが据え付けられた建築物が多かったはずだ。


「確かに雨樋みたいですけど……でもここは海の中ですし、雨樋じゃありませんよね」


 そりゃそうだ。海底に雨が降ったらおかしい。


 私とリンちゃんはそう思ったのだが、意外にもメロウさんはそれを否定してきた。


「いいや、雨樋だよ」


「「ええっ?」」


 私たちは声をハモらせて驚いた。


「二人とも反応が良くて本当に嬉しいよ。ガイド冥利に尽きる」


 メロウさんは嬉しそうに笑いながら説明してくれた。


「実はこのアトランティスの街、元々は地上の島だったと言われているんだ」


「「えええっ!?」」


「……君たちはホントいいお客さんだね。アトランティスは地殻変動で海底に沈んだ古代文明の街だという説があるんだよ。実際にそれを立証するようなものが多いんだ。あの雨樋だってそうだし、多くの建物にはなぜか階段もある」


 なるほど。確かに水中であれば泳いで上がれるはずだから、階段は不要だ。


 そこでリンちゃんふと気づいて質問を挟んだ。


「……ってことは、歴史もはっきりしないような古代の建築物がまだそのまま残ってるんですか?」


「お、いいところに気がついたね。実はそうなんだ。この街の半分以上の建物は古代からずっとあるものなんだけど、そのどれもが今の技術では作れない建材で建てられているんだ。そしてそれは長い年月を経ても劣化しない。それこそ神々の御業とも言われているよ」


「「へぇ〜……」」


 女子二人はまたメロウさんの喜ぶ感嘆の息をついた。


「じゃあ、街全体が発光しているのもそれが理由なんですか?」


「その通り。古代からの建物はなぜか昼間発光して、夜になるとその光が暗くなるんだ。それもいまだに原理が分かっていない」


「古代文明ってすごいんですね」


「ビックリすることが多いよ。そんなわけで、ここアトランティスの観光は古代文明に触れられるようなものも多いんだ。そういうロマンが嫌いじゃなかったらそれ関連も回るけど、どうしよう?」


「嫌いじゃないです」


「私も」


「オッケー。じゃあ明日はアトラス様の神殿に行ってみようか。あれもアトランティスが地上にあった時からの建築物だし、アトランティス観光の目玉だから」


 私はそれを聞いて、ここへの道中にメロウさんが言っていたことが理解できた。


「そっか……天を支える神様の神殿が海底にあるのは、こういう理由だったんですね」


「そうそう。元々は天の下、地上にあったってこと」


 なるほど。と、納得していた私のお腹が、急に低い音を立てた。


 グゥ〜


 恥ずかしいことに、私の腹の虫が鳴ったのだ。感動しっぱなしでお腹空いちゃった。


 それを聞いたメロウさんは優秀なガイドらしく、素晴らしい提案をしてくれた。


「とりあえずは腹ごしらえにしようか。絶品の海底料理のお店に案内するよ」



***************



 その後、私たちは人魚ガイドご推薦のレストランを訪れた。


 海底レストラン『ノーチラス』というお店なのだが、潜水艦のような形をした建物だった。


 こんなの入るだけでテンションが上がってしまう。


 そしてガイドが推薦してくれたお店だけあって、確かに料理も絶品だった。


 魚や貝、海藻、イカやエビなど、やはり海で取れるものが中心だ。


 それらにソースを付けて食べるのだが、ソースは粘度が高くて周囲の海水と混じり合わないようになっていた。


 人魚やサハギンなどの水棲種族は生で食べるのを好むらしいのだが、地上の種族向けに加熱した料理も出してくれる。


 刺し身に慣れた国民としては生は生で美味しいのだが、やはり加熱したものがあるのは嬉しかった。


 海の中で食事をするのは地上と違って少し難しい。


 まず第一に、食べ物と水を一緒に飲むことになる。その量を少なくできないと、すぐ水でお腹いっぱいになってしまう。


 それと、地上の感覚で食べ物を噛んでいると一部が鼻から出てくるのだ。これは噛みながらつい鼻呼吸をしてしまうからだが、それを止めなければならない。


 ただし口と鼻の間にある口蓋を完全に閉じると香りが分からなくなるので、感じる味が半減してしまう。この辺りの加減には慣れが必要だ。


 普通の地上種族がいきなり来たら、まずまともに生活できないだろう。


(しっかり訓練してから来てよかった)


 メロウさんの水中活動の訓練では泳ぎ方だけではなく、そういった生活のアレコレも教えてもらっていた。おかげさまで美味しい食事を思う存分楽しめた。


 ちなみに水中活動で厄介なことがもう一つある。それはトイレだ。


 水の中で地上のように用を足してしまうと、周囲の水に排泄物が広がってしまう。これは大変恐ろしい。


 だからアトランティスの全てのトイレには魔法で常に陰圧がかかっている管がある。


 管の先には蓋付きのカップがあり、蓋を開けると周囲の海水ごと吸い込んでくれるようになっていて、そこに用を足す。


 吸い込まれた排泄物は下水管を通り、遠い海底へ排出されるという話だった。


 こんな風に慣れの必要な水中生活だが、私とリンちゃんは割とすんなり適応できた。


「二人とも、水の中で生活する才能があるよ。なんなら人魚と結婚してアトランティスで暮せばいい」


 メロウさんはそう言って私たちを褒めてくれた。


 それはメロウさんにとってただの褒め言葉だったのだろうが、私としてはかなり思うところがあった。


「そういう地上種族も多いんですか?」


「結構いるね。ちゃんと水の魔石を持って、魔素さえ切らさなければ水中で生きていくことは可能なんだ。男女問わず、子供を作って幸せに暮らしてる人が多いよ」


(なるほど……ということは、人魚の下半身はイルカやシャチのタイプだ!!)


 メロウさんの返答で、私がずっと気になっていたことが解決した。


 魚は基本的に卵生で、メスの生んだ卵にオスが精子をかけて受精するものが多い。


 ただし哺乳類であるイルカやシャチはまた別で、地上の哺乳類と同じように交尾で子供を作るのだ。


 イルカやシャチなどの持つ男性のアレは、普段は体の中に収納されていて見えない。使う時だけ大きくして出すのだ。


 しかもかなりのビッグサイズ。


(メロウさんのアレもどっかから出てくるはずだ……)


 私は必死に下半身の魚部分を凝視したが、どこがその部分かは分からなかった。


 しかし間違いなくニュルリと出てくるはずではある。


(セクシーなのを見せたら大きくなったりしないかな……)


 私が本気でポロリでもしてやろうかと考えていた時、ふと視界の隅をある物が横切った。


 それは本当に一瞬のことではあったのだが、次の瞬間私の脳みそには電気のような強い衝撃が走った。


「…………っ!!」


 あまりに神経が緊張して体を強張らせてしまう。それほどの衝撃だった。


 見えた物自体はなんのことはない、ただの人の顔だ。


 しかし私にとって絶対に忘れられない人の顔だった。


 反射的に首をそちらへ向けたが、すぐに背を向けられたので十分に顔を確認できなかった。


「スケさん、追って!!」


 急いでスケさんに命じ、自分の手を引かせて後を追う。


 その人の後ろ姿は街の角を曲がって路地に入っていった。


 ……はずなのだが、私がその角を曲がった先には人っ子一人見当たらない。


「あれ?おかしいな、絶対こっちに行ったのに……」


 水中なので上も含めて周囲を見回したが、その人の姿はどこにも無かった。


「クウさん、どうしたんですか?」


「大丈夫?何かあった?」


 リンちゃんとメロウさんが私のことを心配して追いかけて来てくれた。


「あの……知ってる人がいた気がして……」


「知り合い?人魚の?」


「いや、人魚じゃないんですけど……っていうか、知り合いっていうか……」


 私は歯切れの悪い言葉を返した。どうもアレは何と表現したらいいのか悩む。


 メロウさんが気を利かせて、路地の先をサッと泳いで確認してきてくれた。


「……この向こうには誰もいなかったよ。本当にこっちに行ったの?」


「うーん……私の勘違いかもしれません。お騒がせしました」


 どうにもスッキリしない気持ちだったが、視界の隅に映ったという程度の認識だ。


 本当にその人かどうかなど分からないし、見つからないのだから気にしても仕方ない。


 私はそう結論づけて、再び人魚の街観光へと意識を向けた。



***************



「あ〜楽しかったぁ〜」


 リンちゃんはベッドに体を投げ出しながら、満足げな声を上げた。


 ベッドに体を投げ出し、と言ってもここは水中だから地上のようにバウンドしたりはしない。リンちゃんの体はゆっくりゆっくりベッドへと降りていった。


 私たちは一日目の人魚の街観光を終え、宿に入っていた。


 古代からの建物を改修してあるという宿はクジラを模した形になっている。口から中にはいると鼻の長い操り人形とお爺さんの置物が迎えてくれた。


 部屋はリンちゃんと同室のツインだ。思った以上に広く、天上がガラス張りになっているのが素敵だった。


 ベッドで横になると天井の向こうに綺麗な魚が泳いでいるのが目に入る。


「ホント楽しかったね。リンちゃんは何が一番良かった?」


「私は人魚のショーが良かったですね。ダンスも音楽も最高でした」


「私もあれ感動した!水中のショーって空間を三次元フルに使えるから、地上では絶対に見られないようなパフォーマンスだったよね!」


「そうなんですよ!それに音楽も水中だと響きが違ってて面白かったです!」


「そうだねぇ。あ、あれはどうだった?広場に色んな魚が集まってるやつ」


「あれも面白かったです。広場の中心にあった古代のオブジェに魚が引き寄せられるんでしたっけ?魚ってこんなにたくさんの色とか形があるんだってビックリしました」


「熱帯魚っぽいのとかカラフルで綺麗だし、深海魚っぽいのはキモカワだったよね」


「そうそう。私、自分が意外とキモカワ好きなんだって初めて知りました」


「ははは。でも私、正直美味しそうとか思ってた」


「クウさん食い意地張り過ぎ〜」


「だってアトランティスの料理すごく美味しいんだもん。晩御飯も最高だったし」


「私も食事は大満足です。食べるのに慣れたら水中料理ってかなりイケますよね」


「私、あの甘辛いソースが好きだったな」


「甘辛は間違いありませんよね」


「うん。甘辛は正義」


 楽しい。


 私はそう思った。仲良し女子の二人旅で、思いっきり観光を満喫した後に宿でそれについておしゃべりをしている。


 これほど楽しいことが他にあるだろうか。


(ただ……一つだけ困ったことが……)


 そう。こんな楽しい状況なのだが、一つだけ悩ましいことがあるのだ。


(……めっちゃムラムラしてるのに、二人部屋じゃセルフケアできない!!)


 これは私にとって由々しき事態だ。


 この異世界に来て発情体質を得てしまった私にとって、この人魚の街はムラムラトリガーが多すぎる。


 人魚は基本、男の人は裸で女の人は水着だ。


 しかもいい体をしている人が多いし、潤いとかありまくりの環境だからか、みんな肌や髪がキレイだった。


 さらに言うと、人魚ショーではその中でも特に素敵な人たちがパフォーマンスしてくれるわけだから私のムラムラ琴線は触れられまくりだった。


 あと料理もウナギとかスッポンとかあったし、妙に精がつく感じだった。


 正直もう辛抱たまらん。


(どうしよう……トイレでいたそうかな……)


 私は股をモジモジさせながらそんな事も考えていたが、リンちゃんはごく普通に今日の思い出話を続けてきた。


「食べるのも良かったですけど、私はこっちも好きでした」


 リンちゃんはそう言って、スポイトの付いた瓶に入った液体をカバンから取り出した。


「あ、それ買ってたんだ。それが水中のお酒だって聞いた時は驚いたよね。しかもお酒を吸うなんて」


 ここアトランティスでは基本、『飲み物』という概念がない。


 当たり前だ。周り全部が水なのだから。


 しかし、アルコールと類似の嗜好品はある。それがリンちゃんの取り出した液体で、人魚にとってお酒といえばこれを指すという話だった。


 この液体は普通の水や海水とは混じり合わず、スポイトで水中に出すと色の付いた水玉になる。


 それを適量だけ吸い込むというのが摂取方法だ。


「初めは驚きましたけど、お酒と同じようにフワフワいい気分になって楽しいですし、すごく香りがいいんですよね。もしかしたら普通のお酒よりも好きかもしれないと思いました」


「なんかアルコールよりも依存性が低いって話だったしね」


「そうなんですよ。地上でも使えればいいのに。そしたら中毒で困る人も減りますよね」


「でも吸い過ぎると地上のお酒と同じように泥酔しちゃうらしいし、記憶が飛んじゃうこともあるって話だったから気をつけないと」


「確かに。でも寝る前にちょっと吸っておくといいかなと思って買っといたんです。水中のベッドでぐっすり眠れる自信がなくて……」


 リンちゃんはちょっと不安そうに寝台を叩いた。


 私もその気持ちはよく分かる。水中で寝るのは地上で寝るのとは体の状態があまりに違うのだ。


 肺の空気が抜けた人間の体は基本的に沈むから、動かなければ寝台にちゃんと乗っている。


 しかし軽い寝返りでもフワフワ浮き上がってしまうからどうにも落ち着かない。


 水中訓練でも軽くうたた寝をしようとしたのだが、結局二人とも眠れなかった。


 しかも今の私はかなりのムラムラ状態にある。このまま寝ようと思ったら、確かにお酒の力でも借りるしかないだろう。


「リンちゃんナイスアイデアだよ。私にもちょっとちょうだい」


「もちろんそのつもりです。開けちゃいますね」


 リンちゃんはスポイトの蓋を取って、さっそく中の液体を出そうとした。


 が、なぜか液体が出てこない。スポイトを押しても押し返されるだけで、中身はそのままだった。


「あれ?ちゃんと蓋を開けてるのに……」


「出ない?私にもちょっと見せて」


 私たちは瓶を振ったり叩いたりしてみたが、やはり出てこない。


「なんでだろう?」


「なんででしょうね?」


 おかしいなと思いながら、最終的には二人でスポイトを思いっきり押してみた。


 こういったケースでは多くの場合、中に内蓋があったりする。


 しかしこの時の私たちはそれを思いつかず、力任せに圧を加えるという方法を取ってしまった。


 結果、爆発するように内蓋が外れて中のお酒全部が私たちの顔へ向かって飛び出してきた。


「キャア!!」


「わぁ!!……ゴホッ、ゴホッ……」


 二人の肺に、一気に大量のお酒が入る。胸が熱くなって、すぐに過量摂取になっていることが分かった。


「ヤ、ヤバイよコレ……しかもこのお酒、夕食の時に吸ったやつよりもだいぶ強くない?」


「そ、そうかもしれません……胸がカァーっとして……」


 私たちは焦ったが、お酒は周囲の空間に広がっている。


 しかも胸がひどく熱くなった私たちは、それを何とかしようと必死に息を吸い吐きしてしまった。そうすればそうするほど、お酒は余計に入ってくる。


 完全に悪循環だった。


「あー……ホントにヤバイです……何だかフワフワしてきました……」


 しばらくすると、リンちゃんはトロンとした目つきになってきた。


(リンちゃん……もう結構な泥酔なんじゃないかな?)


 そう思った私自身もかなり意識に霧がかかっていた。多分同じような目をしているだろう。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817330649323731279


 水の中なので転倒するようなことはなかったが、完全にフラフラになってしまった。


 そんな私にリンちゃんがもたれかかってきた。


 体を擦り寄せ、なぜか指と指を絡ませてくる。


「ふぅー……二人とも、酔っ払っちゃいましたね……」


 しなだれるようになりながら、私の耳元でそうささやく。


 そのとろけるような甘い声に私の背筋はゾクリとした。


「リ、リンちゃん……?」


「何ですか?私の可愛い、ク・ウ・さ・ん」


「え?」


「えい〜」


 リンちゃんは私に体重をかけ、寝台へ押し倒してきた。自分はその上に覆いかぶさるように乗る。


「え?え?え?」


「ふふふ……」


 リンちゃんは妖しげな笑みを浮かべながら、私の頬を撫でた。


 その手が髪の毛をかき分けながら耳に触れ、さらに首筋をツツツと伝って下りる。


「やぁあ……」


 私の口からは思わずそんな声が漏れた。


 そしてリンちゃんの膝が私の股を割ってスルリと入ってきた。


 足で股間を押さえつけられながら、頬に手を添えられる。


「ああ……クウさんってホント可愛い……」


 そうつぶやくリンちゃんの唇の動きは、やけにゆっくりに感じられた。


 酔いで正常な認知能力を失っていたからだろうか。私はその唇を見て、あまりにごく単純な感想しか持てなかった。


(…………柔らかそう)


 この夜の私の記憶は、そう思ったところでプッツリと途切れている。



***************



「んんん……」


 周囲が明るくなってきて、私はぼんやりと目を覚ました。


 うっすら目を開けるとガラス張りの天井の向こうに綺麗なクラゲが漂っているのが見えた。


 それ自体は素敵な光景ではあったのだが、私の脳はひどい頭重感にさいなまれていた。とても爽やかな目覚めとは言えない。


(二日酔いか……)


 私は不快感マックスの頭を押さえるために腕を上げようとしたが、なぜか左腕だけ抵抗を受けて上げられない。


 左腕に何かが乗っていたからだ。


「うーん……お姉様……あと少し……」


 その何か、リンちゃんは完全に寝ぼけた声でそうつぶやいた。


 私は二日酔いが全て消し飛ぶほどの衝撃を受けながら、自分の今の状況を認識した。


 私はリンちゃんにくっつかれた状態で、寝台の上に横たわっている。


 しかも、二人とも全裸で。


(これは……どういうことだろう?)


 一体何が起こってこうなっているのだろうか?


 思い出そうとするが、お酒のせいで完全に記憶が飛んでいた。


 首だけ回して周囲を確認すると、部屋の中には脱ぎ散らかした水着が浮いていた。


(リンちゃん……さっき『お姉様』って言ってなかった?)


 どうか聞き間違いであって欲しいが、ハッキリとそう聞こえたようにも思う。


(いや、空耳だ。とりあえずこの状況を脱しよう)


 私は自分にそう言い聞かせ、体を動かし始めた。


 ただし、リンちゃんを起こしてはいけない。ゆっくりゆっくりとリンちゃんの下から腕を抜き、そっと離れて寝台から降りた。


 そして音を立てないように水着を着てから、リンちゃんの肩を揺すった。


「リンちゃん、リンちゃん、そんな格好で寝てたらダメだよ」


「……え?……あれ?……なんで私、裸なんだろう?」


(よ、よかった……リンちゃんも記憶が飛んでる!!)


 どうやら人魚のお酒は摂り過ぎるとそういう事になりやすいらしい。


 もはや何があったかは知る由もなくなったわけだが、知らない方がいいことのような気がする。


「ほら、昨日お酒をぶちまけて酔っ払っちゃったでしょ?多分それで寝てる間に脱いじゃったんだよ。私も前に泥酔して寝た時に暑くて脱いでたことあったもん」


「あぁ……なるほど。すいません、はしたない格好で」


 よかった。リンちゃん納得してくれたらしい。


「……あっ!天井のガラスがそのままになってる!カーテンカーテン!」


 リンちゃんは急いで天井まで泳ぎ、カーテンを閉めた。


(そうか。水中だから、誰か泳いでたら上からでも覗かれることがあるんだった)


 考えたら結構危ない部屋だ。


 まぁ昨日の夜も今朝も視界に入ったのは魚とかクラゲだけだったから、多分そうそう人が通る所じゃないんだろうけど。


「クウさん、昨晩のこと何か覚えてます?私、お酒を大量に吸った後の事が思い出せないんですけど……」


 リンちゃんが水着を着ながらそう尋ねてきた。


「いやぁ、実は私もほとんど記憶がないんだよ。多分二人とも泥酔してすぐ寝ちゃったんじゃないかな」


「やっぱりそうなんでしょうか?でも……うっすらした記憶なんですけど……何だかすっごく気持ち良くて、すっごく幸せなことがあったような……」


「……よ、酔っ払って寝るのって気持ち良くて幸せだからね!」


「そう……ですね。きっと、そういう事なんでしょうね」


 リンちゃんはどことなく要領を得ない様子ではあったが、とりあえずそれで納得してくれたようだった。


 ただ、私の方は私の方で非常に気になる事が一点だけあった。


(昨晩はあんなにムラムラしてたのに……今朝はめっちゃスッキリしてる……)


 でも、それはきっとアレだ。ただのそういうバイオリズムだ。


 私は一生懸命自分にそう言い聞かせた。



***************



「二人とも、昨晩はちゃんと眠れた?」 


 メロウさんにそう尋ねられ、私は即答できなかった。


 代わりにリンちゃんが答えてくれる。


「実は宿の部屋でお酒をぶちまけてしまって……泥酔して寝ちゃいました」


「あらら。もしかして内蓋に気づかなかったのかな?」


「そうなんですよ。でもおかげで睡眠時間は十分だったと思います」


「そっか。でも酔って眠ると睡眠が浅くなるから本当は良くないんだよ。できれば避けてね」


「はーい」


(ホント、もう絶対避けよう)


 私は改めてそう心に誓った。


「よし。じゃあ今日はアトランティス観光の目玉、アトラス神殿へ行くよ」


 メロウさんはその神殿のある方を指さした。


 アトラス神殿は何十階建てなのだろう?


 この街には大きな建物も結構あるのだが、中心に鎮座するこの神殿は群を抜いて大きい。アトランティスのどこからでもアトラス神殿だけは見えた。


 私たちはその場所だけはとても分かりやすい神殿へと泳いで行った。


 リンちゃんは水魔法の補助で泳ぐのがとても上手いし、私はスケさんに引っ張ってもらうので移動は速い。


「おっきいですね……下から見上げるだけでも観光になりますよコレ」


 神殿の入口まで来たリンちゃんは、ため息混じりにそう言った。


 私もリンちゃんの言う通りだと思う。神殿のような重厚な建築物がこのサイズだと、それだけで結構な感動だ。


 しかも神殿の周りにはたくさんの彫刻が並んでおり、周りを泳ぐだけでも壮観だった。


「この彫刻はなんの彫刻なんです?」


「古の神々だよ。ここはアトラス様の神殿だけど、元々この世界には多くの神々がいたという話なんだ」


「ああ……そういえばこの前、知り合いの織物職人さんが浮気好きな神様のタペストリーを作ってました」


「アハハ、それはきっと最高神ゼウスがモチーフだね。神話には本当に色々な神様が出てくるんだ。アトラス様はその中でも天を支えるという、とても大変な役目を請け負われている神様なんだよ」


「苦労症の神様なんですね」


「確かに」


 私たちはそんな話をしながら神殿へと入っていった。


 神殿の中は外に負けず劣らず結構な見ごたえだった。


 心洗われるような美しい装飾や、思わずひれ伏してしまいたくなるような荘厳な部屋がいくつもある。


 ガイドの話を聞きながら古代の文化に思いをはせ、美しい展示品を見て泳ぐのは楽しい時間だった。


「本当に圧巻って感じですね。観光の目玉っていうのも納得です」


 満足そうなリンちゃんの言葉にメロウさんも嬉しそうだった。


「楽しんでいただけて何よりだ。でもこの神殿は広いから見るものはまだまだたくさんあるよ」


「この大きさですもんね」


「うん。でも実は、神殿の結構な部分はいまだに未解明なんだ」


「え?未解明?」


「入り方が分からない部屋が多いんだよ。どう考えてもその部分に空間があるのに、入り口がないんだ。しかもこの神殿の建材はどんな攻撃を受けても絶対に壊れない。考古学者もお手上げらしい」


「へぇー……でも未解明の部分があるって、むしろミステリアスで素敵ですよね」


「そうそう、それもアトラス神殿の魅力の一つだね」


 私は二人の会話を聞きながら、周囲をキョロキョロと見回していた。


 優秀なガイドであるメロウさんはそれに気づき、すぐに状況を察してくれた。


「あ、トイレ?ならあっちの廊下を右に曲がった突き当りだよ」


「ありがとうございます。ちょっと失礼して……」


 私はメロウさんの指した方の廊下へ泳いでいった。


 言われた通り廊下を右に曲がってからその先へ進む。


 が、ここで不思議なことが起こった。


(あれ?さっき突き当りって言われたよね?全然付き当たらないんだけど……)


 進めど進めど廊下が続いている。緩やかな曲線の廊下なので行き着く先も見えない。


 スケさんに引っ張ってもらいながら泳いでいる私は結構な速度でかなりの距離を進んだのだが、一向にトイレは見えてこなかった。


(聞き間違いだったかな?)


 私がそう思って引き返そうとした時、急に行き当たりの壁が現れた。


 ただし、扉や入り口はない。無地の壁があるだけだった。


(……扉がないんだからトイレなはずないよね。やっぱり聞き間違いだったんだ)


 そう結論づけて回れ右しようとしたが、どことなく違和感を覚えていてもう一度壁を見直した。


(なんだろう?何かある気がする……)


 どう見てもただの壁なのに、不思議とそこに『何かある』と感じるのだ。


 そういえばこんな感覚を以前にも感じたことがある。ヴラド公の屋敷でトラップ付きの隠し扉を前にした時だ。


(もしまたトラップだったら触らない方がいいんだろうけど……何だろうこの感覚?私を誘ってるような感じがする……)


 壁から、なぜかそんな不思議な印象を受けるのだ。


 触れてみた方がいいだろうか。しかし、危険な気もする。


「どうしよう……」


 そのつぶやきを聞いたスケさんが私から手を離し、前に出てくれた。


「……え?スケさんが触ってくれるの?」


 スケさんは私の質問に肯定の念話を返してくれた。


「ありがとう。じゃあ、召喚状態にしておくね」


 召喚使役にしておけば、どれほどのダメージを受けても死ぬことはないし痛みも感じない。


 私が手をかざすと、スケさんは一度消えてまた現れた。これで召喚使役の状態になった。


「念のため、カクさんも出ておいて」


 トラップだった時の備えとして、ドラゴンハンズのカクさんも召喚しておく。


 そして私とカクさんは壁から距離を取った。これで準備オーケーだ。


「いいよ」


 スケさんが壁の中心に手のひらを付けた。私が違和感を感じている部分だ。


 すると突然、壁の表面に魔法陣が浮かび上がった。


 案の定、魔法が仕掛けられてたのだ。


 私はトラップからの攻撃に備えて気を引き締めた。何が出て来てもいいように盾を構え、魔素で身体強度の強化を行う。


 が、それは何の意味も持たなかった。その魔法陣からは何も出て来なかったからだ。


「…………あれ?」


 私は拍子抜けしたが、やはりこれで終わりではなかった。


 魔法陣は何も出しはしなかったが、逆に吸い込んできたのだ。


 周囲の水を、凄まじい勢いで。


「……うわわわわっ!!」


 急激な水流に流される私をスケさんとカクさんが必死に引っ張ってくれた。


 が、魔法陣の吸い込む力の方が圧倒的に勝っている。


 私たちは水と一緒に吸い込まれてしまった。


「キャアァァアア!!」


 魔法陣の中を通るという気味悪い感覚を受けた直後、私は広い部屋に放り出されていた。


 そこは海水の満たされていない部屋で、私は水しぶきと共に地面に叩きつけられそうになる。


 それをスケさんとカクさんが掴み、ゆっくりと着地させてくれた。


「ゴホッゴホッ……ビ、ビックリした……ゴホッ」


 空気のある部屋に出たため、私の肺からは海水が吐き出される。


 しばらく咳き込みながらそれを出し切った。


 体のあちこちを確認したが、幸いどこも怪我はしていない。本当にビックリしたが、壁を通ってその先の部屋に来ただけのようだ。


 とはいえ、部屋の中にどんな危険があるか知れたものではない。素早く部屋中を見回した。


 部屋はとにかくだだっ広く、ほとんど物がない。


 唯一奥の方に一段高くなった所があり、そこにやたらと仰々しい椅子が据え付けられていた。『玉座』という表現が似合うような椅子だ。


 その椅子に、一人の男性が鎮座してこちらを眺めていた。


「……ぇええっ!?」


 私はその人の顔を見て、魔法陣に吸い込まれた時よりもずっとずっと驚くことになった。


「お……お爺さん?」


 ただ『お爺さん』と言えば男性の老人を指すわけだが、そのお爺さんはただの老人ではない。


 その人は、私をこの異世界に飛ばした張本人のお爺さんだった。



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☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈アトランティス〉


 アトランティスは一万年以上前に海底へ沈んだと言われる伝説上の島です。


 紀元前の哲学者プラトンが著書の中でその存在について言及しています。


 資源が豊富で産業も盛んであり、強大な帝国を築いていたとされます。


 しかし次第に富と領土を求めるようになり、物質主義に走って荒廃してしまいました。


 神々はその惨状を見て神罰を下すことを決め、大地震と洪水によって島ごと海底に沈ませました。


 多くの人がこの『アトランティス』の名を聞いたことがあると思いますが、元々は『大して注目を浴びていない一寓話』という立場だったそうです。


 しかしそれが二度のブームで有名になりました。


 一度目はアメリカ大陸の発見で、その際に『あそこはアトランティスの残骸では?』という説が浮上したのです。


 アトランティスは大西洋にあったという設定なので、そこが上手くハマったのでしょう。


 そして二度目のブームは超大ヒットSF冒険小説、『海底2万マイル』に登場したことで起こりました。


 あまりに売れたこの小説はさらに多くの作品の原作にされ、結果としてアトランティスは現代人の耳にも聞き慣れたものになったのです。


 一小説がこんなふうに世の中を変えていくのだから、文章の力ってすごいですよね。



〈飲み過ぎて記憶がない〉


 世の中には飲み過ぎて記憶がなくなったことを『武勇伝』のように語る方が少なからずいます。


 しかし当然のことながら、記憶を失うほど飲むのは体に良くありません。


 医学的にはこの状態になることを『ブラックアウト』と言うのですが、ブラックアウトの経験は『アルコール依存症の兆候の一つ』とされています。


 必ずしもブラックアウト=アルコール依存症ではないのですが、医師からしたら『アルコール依存症の診断にプラス一点』という具合になるわけですね。


 だから、


『俺この間飲み過ぎて記憶が飛んじゃってさぁ〜』


とか自慢げに言う人は、


『俺アル中の可能性が少しあるんだけどさぁ〜』


って告白してるようなものです。


 良いことでも何でもないので、そうならないように適度な飲酒を心がけましょう。



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お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

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