第33話 ワイバーンロード討伐戦3

【ヒューマン カリクローの記録】



(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私は目の前にフワフワ浮いている真綿のような雲を見て、そんなことを考えた。


 とても柔らかそうだし、気持ち良さそうだ。


 そこへ顔をうずめて枕にすれば、すぐにでも眠りにつけるだろう。


 このα波がだだ漏れの安眠フワフワ雲は、絶賛睡魔と戦い中の私を誘っているとしか思えない。


「カリクロー!起きてるか!?」


 私は夫の声にハッと目を覚ました。


 完全に寝てはいなかったが、あと少しで眠りに落ちてしまうところだったようだ。


「だ、大丈夫」


 頭を振って答えながら、魔法に集中し直した。


 私は今、夫であるケイロンの背に揺られながら広範囲に魔法をかけ続けている。


 私の得意とする幻術魔法の一種だが、少し特殊な魔法だ。


 簡単に言うと、この魔法は光を屈折させる魔法の膜を発生させる。


 ただその扱いは針の穴を矢で射るほどに繊細で難しい。ただ屈折させるだけではなく、膜に当たった光を真反対まで屈折させて再び放出するよう調整しなければならないからだ。


 つまるところ、この魔法の膜にあたった光は見かけ上、膜を透過したのと同じことになる。周りから見れば透明になって見えるわけだ。


 非常に便利といえば便利な魔法だが、それを四六時中、地面も含めた全方位に向けてやらなければならないのはかなり神経がすり減る作業だった。


 単純な魔素の消耗も眠くはなるが、この魔法はそれに加えて過度の集中を強いられる。


 疲弊した私の精神は猛烈な睡魔に襲われていた。


「集中、集中……」


 夫が声をかけてきたということは、どこかに光の歪みが生じていたのだろう。


 私は魔素の補充薬を飲み、自分の顔を叩いた。


「大変だと思うが、予定の時間まであと少しだ。カリクローの幻術が今回の作戦の要だからね。それまで頑張ってくれ」


 優しい夫は背中に乗った私をそう励ましてくれた。


 私は眠気を覚ますためにも、夫との会話を続けることにした。


「向こうの主戦場は上手くやってるかしら?モンスターの数が多いはずだから大変でしょうね」


 主戦場、というのは唯一の山道がある方の斜面のことで、フレイさんが率いる主力部隊が戦っている。


 そしていま私たちが登っている獣道は、その反対側の斜面だった。


「そうだね。だが、あくまで囮なのだから無理はしていないはずだ。派手に仕掛けることはあっても、危なくなったらすぐに引く手筈になっているから」


 そう、最大の戦力を持ったフレイさんたちは、実は囮なのだ。


 ワイバーロードは山一つのモンスターほぼ全てを動かせる。


 しかもかなり頭が良いので、こちらの戦力の分散具合を見て必要な箇所に必要な量のモンスター集めてくるはずだ。


 それを突破してワイバーロードまでたどり着くのは相当な大仕事になるだろう。そして何より、犠牲も多くなるはずだ。


(モンスターが戦術的な視点まで持っているんだからすごいわよね)


 そこには人間としてほとほと感心してしまうが、犠牲のことを考えると感心してばかりもいられない。


 そこで私の夫、ケンタウロスの賢者とフレイさんが話し合って一計を案じ、囮を使う作戦を実行することにしたのだった。


 まず山道のある正面から派手に攻めて見せて、そこにモンスターが集まったところで別ルートからワイバーロードに奇襲をかける。


 戦術的な視点すら持っているワイバーンロードの頭脳を逆手に取ろうというのだ。


 ただし、いくら山の反対側で派手に暴れてくれているからといって、全モンスターを向かわせはしないだろう。


 奇襲部隊が普通に登ったのでは残ったモンスターにバレて、すぐにワイバーンの知るところになるはずだ。


 そこで私が別働隊の全体に姿を見えなくする幻術をかけて、隠密で行軍しているのだった。


 私が神経をすり減らして頑張っているかいもあり、今のところモンスターには見つかっていなかった。


 しかし、それにしても眠い。


「あなたの背中が快適だから眠くなるんじゃないかしら?」


 私はもちろん冗談でそう言ったのだが、真面目な夫は真剣に答えてくれた。


「鞍の振動緩和を切ろうか?悪路だから、それはそれで辛いかもしれないが」


 私は思わず苦笑した。


 男はどうしてこうなのだろう?女がただ軽い相槌を期待して話したことに、具体的な解決案を提示してくる。


 私は夫のこういう真面目なところも好きだが、たまには苦笑の一つも出てしまう。


「このままでいいわよ。それに、そろそろ時間でしょう?戦闘が始まって振動とG緩和が切れてたら、私落馬で死んじゃうかもしれないわ」


「私もそれは勘弁だな」


 夫はそう言い、胸のポケットから懐中時計を取り出した。


 そしてうなずく。


「予定の時間になったようだ。そろそろカリクローの幻術を解いて、しっかりと動けるようにしよう」


 私の魔法に入っている間はあまり大きな動きが取れない。


 というのも、周囲の光は中に届かず真反対から出るため、魔法の内側から見た外側は真っ暗だからだ。


 ちなみに外からの光が入ってこないので小さな灯火を持って行軍しているが、その光は魔法の内側へ反射するようになっている。


 ほんの僅かな範囲しか視界がなくても山を登ってこられているのは、クウちゃんの使役する八咫烏が導いてくれているからだ。


 うちの校庭で捕まえた八咫烏が、今は夫の肩に乗ってクチバシで進むべき道を示してくれていた。


 夫は周囲の人たちに魔法を解く旨を伝え、それが別働隊全員に伝わっていく。


 この魔法では音は遮れないため、みんな小声で話していた。


 だが、それももう終わりだ。全員に連絡が行った旨の返事が帰ってきた。


 そして夫が私を振り返る。


 私は一つうなずいて、それから幻術魔法を解いた。


 私たちを囲っていた黒い膜が晴れ、周囲に木々や青空が現れる。


 それと同時に、全員が緊張に身を固くした。なぜなら木々の合間合間に、結構な数のモンスターが見て取れたからだ。


(……多い!!)


 私は心の中だけで叫んだ。


 明らかにモンスターが多すぎる。


 もしワイバーンロードが囮になっている山の反対側だけにモンスターを集中させているならば、こちら側にこれほど多くのモンスターはいないはずだ。


 つまり、ワイバーンロードは囮が囮であるということに気がついているのだ。だからこちら側にもモンスターをまいて、警戒させている。


「……ワイバーンロードって、本当に頭の良いモンスターね。うちの学校で教鞭を取ってくれないかしら?」


 私は軽口を叩いたものの、内心は舌を巻く気持ちだった。


 そしてすぐに一体のオルトロスが私たちに気づき、仲間たちに向けて高い遠吠えを上げた。



****************



【ハーピー ハルの記録】



「よっしゃ!気合入れていくか!」


 オルトロスが遠吠えを上げた直後、俺は右手の拳を左手の平にぶつけて音を鳴らした。


 それから羽根を広げ、空高く飛び上がる。


 風が心地いい。空もよく晴れている。のんびり飛ぶには悪くない日だった。


 だが、今日ばかりはのんびりなんてしていられない。俺の働き一つが仲間の生死を分ける可能性もあるからだ。


「来やがったな」


 オルトロスの遠吠えに反応したワイバーンたちがあちこちから飛び上がり、こちらへと向かってくる。


 別働隊の人数はそう多くはない。ワイバーンの群れに囲まれたらさすがに危険だった。


 俺はその場で小さく旋回し、全体を見回した。そして最も近いワイバーンに向かって羽ばたく。


 飛竜とも呼ばれるワイバーンは、ドラゴンの中でも特に空での活動に特化したモンスターだ。だから当然飛ぶのは下手ではない。


 下手ではないのだが、俺たちハーピーから見たら『下手ではない』レベル止まりだ。


「素人じゃねぇけどよ、玄人って呼ばれるには飛行時間が足んねぇんじゃねぇか?」


 飛ぶことを仕事にしている俺はそう感じながら、ワイバーンへ向けて風魔法を放った。


 突風を塊にしたような魔法で、並のモンスターなら当たれば吹き飛ぶ。


 ただし、ワイバーンの重い体なら直撃しても大したダメージにはならないだろう。


 だが、それでいいのだ。


 風魔法はワイバーンの体ではなく、翼の下辺りをかすめた。


 そしてその直後、ワイバーンは空中で大きくバランスを崩した。


「ほらな、風魔法の精度が甘いからそういうことになるんだよ」


 ワイバーンも俺たちハーピーもそうだが、翼だけでは空を飛ぶことなどできない。飛ぶには体が重すぎるからだ。


 それでも空へ舞い上がれているのは魔法で風を発生させて翼に当てているからで、それがなければ良くて滑空する程度の力しか持ち合わせていない。


 俺たちハーピーの多くは風魔法が得意なのだが、ワイバーンはやはり『下手ではない』程度だった。


(多分、肉体の方が強ぇから風魔法の精度を上げる必要がねぇんだろうな)


 俺はそうだろうと考えていた。


 実際、普通のワイバーンは飛行に風魔法を使用しているものの、攻撃には滅多に用いないと聞く。


 今も翼周りの気流を急激に崩されると、簡単に平衡を失った。


「オラオラ!!そんな飛び方じゃ格好の的だぜ!!」


 俺は魔法で真空波を発生させた。カマイタチがワイバーンに襲いかかる。


 体勢を崩したワイバーンは避けようがない。翼をズタズタに切り裂かれた。


 飛行能力の大部分を失ったワイバーンは、傷ついた翼であがきながら落下していく。


「よっしゃ!これですぐに集りゃしねぇだろ」


 俺に与えられた仕事はこういうことだった。


 翼をやられたワイバーンはそれで死ぬわけではないが、少なくとも別働隊の所に来るのはかなり遅らせられる。


 今回の作戦では敵が短時間で殺到するのを避けるのが最も重要だと言われていた。


「それが仲間を守るために一番大切ってこった。じゃあ、気合入れねぇわけにはいかねぇよな!!」


 俺は大きく羽根を打ち、次のワイバーンへと向かった。


 どのワイバーン相手でも、基本的な戦法は同じだ。翼周りの気流を乱してやり、バランスを崩したところにカマイタチを食らわせる。


 それを二度、三度、四度と繰り返して、次々にワイバーンを落としていった。


 しかしそれが五度目になった時、少し困った事態になった。


 一体でも強いワイバーンが、三体並んで飛んできたからだ。これだけの数を同時に相手にできるだろうか。


「……やらなきゃ仲間がやられる。やるっきゃねぇんだよ!!」


 俺は気合を入れ直し、ワイバーンたちへと突っ込んだ。


 まずは右端の一体に突風を当ててバランスを崩させる。


 定石通りにそこを真空波で攻めようとしたが、その時には残りの二体が俺に食らいつこうとしていた。


 俺は真空波を放つのを諦め、大きく羽ばたくのと同時に、もう二体に向けて突風を放った。


 それで二体の牙はかわせたものの、次の瞬間には体勢を整え直したもう一体が俺を襲ってくる。


 また風魔法でその一体のバランスを崩させたが、やはり仕留める前に残りの二体が襲いかかって来た。


 こうなると防戦一方だ。


 俺は大きく旋回しながら三体のワイバーンから逃げた。するとその間に他のワイバーンも集まってきて、四体、五体、六体と増えていく。


 最終的には十体のワイバーンを引き連れて、大きく円を描きながら飛び回った。


 俺は首だけで背後を振り返り、後ろについてくるワイバーンたちを眺めた。


「おお、こりゃいい眺めだな!ワイバーンが俺の舎弟になったみたいだぜ!」


 傍目には絶体絶命なのだろうが、ドラゴンを従えて飛んでいるようで、やたらと愉快な気分になる。


 笑い声を上げ、大きく円を描きながら何度も回った。


 そしていい加減疲れたと感じるほどに回りまくった上で、俺はスピードを上げて円の中心へと急降下した。


 そして地面すれすれまで降りてから、上空に向かって思い切り風を起こした。俺の出せる最大出力の突風だ。


 瞬間的に強い上昇気流が発生する。


 ワイバーンたちはそれで空へと押し上げられ、俺は危険な舎弟たちと距離を取ることができた。


 が、それだけでは終わらない。少しの間をおいて、俺が突風を放ったところを中心に大規模な竜巻が発生した。


「覚えときな。風が回転してるところに上昇気流が重なると、竜巻が起こるんだぜ」


 俺は竜巻から急いで離れながら舎弟たちに教えてやった。ただし奴らは竜巻でもみくちゃにされているので、多分聞こえはしなかっただろうが。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817330647738316315


 俺はワイバーン十体を利用して大きな回転気流を作り上げた上で、そこに風魔法の上昇気流を重ねたのだ。


 竜巻は風魔法でも起こせるが、ワイバーンたちを翻弄できるほどの竜巻は簡単には作れない。


「それと、竜巻は中心に近いほど風が速いから気をつけろよ」


 聞こえないと分かっていながら教えてやりつつ、俺はさらに離れた。


 そしてほど良い距離を保ちながら、竜巻から弾き出されたワイバーンを一体一体仕留めていく。


 我ながら策が上手くハマったものだと思った。


 以前はどんなことも気合だけで何とかなると思っていたものだが、それだけじゃどうにもならない事もあるということをガルーダとクウから学んだ。


「でもまぁ……最後の最後に一番必要なのは、気合だけどな!!」


 そう叫びながら、また気合の入ったカマイタチをワイバーンに食らわせてやった。



****************



【スキアポデス モノコリの記録】



「師匠、競争しようよ。どっちが多くのモンスターを倒せるか、勝負だ」


 サスケ君が私にそう提案してきた。


 彼はクウ君が紹介してくれたスライムの青年で、共に速さを極めんとする同志だ。


 ただ、この業界では私に一日の長があるため、こちらが教え諭すことが多い。


 気づけば彼は私のことを『師匠』と呼ぶようになっていた。


「君は走れるようになってから勝負事が好きになったな。いいだろう」


 私の返事にサスケ君は好戦的な笑みを浮かべた。


 そしてその横で、イエロースライムのイエロー君も同じような雰囲気を醸し出しながらプルプルと震える。


 私たち三人は別働隊としてワイバーンロードの山を裏側から攻めている。ただし、人数が少ないため敵が一度に集中してしまうと危ない。


 そこで私たちはスピードを駆使して走り回り、敵を撹乱することを依頼されていた。


 空中はハーピーの青年が担当してくれており、地上は私たちだ。


 ハル君といったか、彼も気合いの入ったいい青年で、スピードもかなりのものだった。しかし、やはり私は地を走るスピードに魅せられている。


 私はサスケ君の提案を受け入れたが、こちらからも一つ提案することにした。


「勝負はいいが、ルールを少し変えよう。我々はケイロンさんたちのいる場所を中心に、半径二百メートルほどの円周上を繰り返し走る。作戦終了までに何周回れるかを競おう。そしてモンスターを一体倒すごとに、二十分の一周を加算する」


 つまり、スピード勝負とモンスター討伐勝負とのミックスだ。速く走り、なおかつたくさん倒した方が勝つ。


「この方が我々の好みだろう?それに討伐作戦上もプラスだ」


 速く走れば多くのモンスターを撹乱できるし、多く倒せば敵の集中を防げる。


 サスケ君は好戦的な笑みをいっそう深めてうなずいた。


「いいね、さすが師匠だ。やっぱり分かってる」


 プルプルと震えるイエロー君もサスケ君に同意のようだ。


 我々三人は中毒者ジャンキーだ。スピード中毒者だ。


 速さが絡むと、急に楽しくなってしまう。


「でも、さすがに普通には『音速の左足』に勝てる気がしないよ。ちょっとはハンデくれるんでしょ?」


 『音速の左足』というのはレースの連覇者である私につけられた二つ名だ。


 誰が言い始めたものかは知らないが、嫌いではない。


「ああ、元よりそのつもりだ。君とイエロー君は二人一チームでいい。それならばモンスターを倒しやすくなるから速く回れるだろう」


 イエロー君は私たちと本人の希望で、クウ君が貸し出してくれている。


 しかしクウ君の方も大変だから、あまり多くの魔素は割けないということだった。このくらいのハンデでちょうどいいように思える。


 イエロー君は体を変形させてサスケ君の方に伸ばし、サスケ君も手を伸ばしてハイタッチした。


「OK。それでいいよ」


「よし。では君たちは時計回りに走り、私は反時計回りに走ろう。この辺りの地形は頭に入っているね?」


「大丈夫。しっかり予習したから」


「最後の確認だが、モンスターを完全に仕留め切る必要はない。しばらくの間、まともに戦えないようにすればそれでいいということを忘れずに」


「了解だよ。無理はしないし、撹乱が目的だってちゃんと理解してる」


「よし、では……On your marks」


「Set……」


「「Go!!」」


 スピードに魅せられた中毒者たちは、弾かれたように真反対の方向へと走り出した。


 半径二百メートルの円周はおよそ一・二キロ。作戦終了の時間は定かでないが、あまり飛ばしすぎるとバテてしまうだろう。


 私はペース配分を考えながら足に込める魔素を調節した。


 我々スキアポデスは片足だけの種族だが、この片足はだけあれば何だってできる。


「……いるな。やはり結構な数だ」


 私の進行方向にモンスターたちが見えてきた。


 キラービー三体、キラーマンティス二体が揃ってケイロンさんたちのいる場所へと向かっている。


「やはり正面の攻撃が囮だと気づいていたか……ワイバーンロードとは恐ろしいモンスターだ」


 私はつぶやきつつ地を蹴った。そしてジャンプ一つでキラービーたちに一瞬で迫る。


 キラービーはこんな速度で接近されるとは思わなかったらしい。


 全く反応できず、スピードの乗った蹴りが一体を弾き飛ばした。


「遅い!!」


 私はさらに空中で体を横回転させ、残り二体を蹴り飛ばした。


 キラービーたちは木に激突して動かなくなる。


「まだまだ!!」


 私はそのまま着地せず、今度は体を縦回転させた。


 回転した踵が落ちる先にはキラーマンティスの頭がある。


 頭は潰れ、首は折れ、キラーマンティスは絶命した。


 残った一体のキラーマンティスは、ジャンプ一回で全ての仲間がやられるとは思っていなかったようだ。明らかに動揺している。


 私はほとんど無防備になっている胴に向け、鋭い蹴りを放った。


 そのキラーマンティスも先ほどのキラービーたちと同様に、木にぶつかって動かなくなった。


「戦いは速さだ。ボサッとしていたら、こうやってすぐに全滅するぞ」


 私は死骸にそう言い残し、すぐにまた走り始めた。


(サスケ君とイエロー君は大丈夫だろうか)


 少し心配にはなったが、おそらく大丈夫だろう。


 イエロー君の魔素は抑えられているとはいえ、いざとなれば念話でクウ君に危機を知らせて魔素を増やしてもらえるはずだ。


 以前に見たイエロー君の最大出力は信じがたいほどのものだった。


 それを思い出しつつ、目につくモンスターを蹴り飛ばしながら私は走り続けた。


 ちょうど半周程度を走ったところで、木々の向こうにサスケ君とイエロー君が見えた。


(何体倒した?)


 私はそう問うつもりで口を開きかけたが、すぐに閉じた。サスケ君とイエロー君の後ろからワイバーンが追いかけて来ていたからだ。


「師匠!!厄介なのがいたよ!!」


 確かに厄介だ。サスケ君の攻撃力ではワイバーンは倒しきれないだろう。


 ハル君が空から牽制してくれているとはいえ、全てのワイバーンを止めることなどできない。


 それに、今追いかけて来ている個体のようにワイバーンはそれなりに走れもする。


 だが、我々に比べれば遅い。


 逃げ続ければやられることはないし、撹乱が目的の我々は倒す必要もない。


 サスケ君とイエロー君が無理して倒そうとせず、逃げているのは正解だろう。


(しかし……私たちの競争の邪魔にはなるな)


 私はそのことを不快に思った。


 私は競争の邪魔をされるのが大嫌いだ。ちょっとしたイレギュラーならば勝負が盛り上がって良いこともあるが、これは少々やりすぎだ。


 多少気分を害した私は、ちょっと本気を出すことにした。


「サスケ君、イエロー君、少し横によけておきなさい!!」


 そう警告しつつ、足に込める魔素を増やす。すると私の体は急加速し、景色が変わって見えた。


 空気の抵抗が大きくなり、まるで水の中を走っているような感覚を覚える。


 しかし、ここを超えればさらなる世界が広がっているのだ。


 私はサスケ君とイエロー君があけた道の真ん中をトップスピードで走り抜け、そして水平方向にジャンプした。


 その瞬間、何かが爆発したような大音が周囲に轟いた。それとともに、強い衝撃波が発生する。


 物体が音速を超えるときに生じる衝撃波、ソニックブームだ。


 私の体は音波の壁を超えていた。


 音速を超えた私は足裏をワイバーンに向けつつ、その胴体の真ん中に突っ込んだ。


 超音速のドロップキックだ。


 さすがのドラゴンもこの攻撃を食らっては生きていられない。体に私をめり込ませ、泡を吹いて絶命した。


 私はワイバーンから体を抜き、サスケ君とイエロー君を振り返った。


「よし、では勝負の続きと行こうか。私は今のも含めて十八体倒したぞ。君たちは何体だね?」


 目を丸くしたサスケ君は質問には答えず、代わりに別のつぶやきを漏らした。


「師匠……『音速の左足』じゃなくて、『超音速の左足』じゃん」



****************



【サテュロス パーンの記録】



 僕はこの別働隊にいるべき人間じゃない。だってこの別働隊は少数精鋭で組織されていて、皆それなり以上の戦闘力がある人たちだ。


 しかし、僕は違う。足には多少の自信があるが、主に逃げ足だ。


 それでも僕がこの場にいるのは報酬が目的だった。多くの民間人が金銭やレア素材を求めて参加している。


 といっても、多分僕だけは他の人と期待している報酬が違うはずだ。


 僕はモンスター由来のレア素材にはあまり興味がないし、金銭目的では討伐のような仕事はあまり受けない。


 僕を惹きつけた報酬は、役所からとは別にアステリオスさんからもらえる予定になっているのだ。


「パーン。とっておきの丸秘映像魔石をやるから、今度のワイバーンロード討伐戦に参加しろ」


 映像魔石とは、映像が記録されている魔石のことだ。加工に手間がかかるためあまり出回っていないが、本では得られない体験を得ることができる。


 しかもアステリオスさんが丸秘と言うほどなのだから、かなり期待していいだろう。どんなムフフだろうか?


 あんなムフフだろうか。こんなムフフだろうか。もしかしたらそんなムフフかもしれない。


 そしてアステリオスさんご推薦のムフフは、いつも想像と期待のやや斜め上を行く。これは乗らない手はないと思った。


(でも、ちょっと危なすぎる気が……)


 僕は迫り来るモンスターたちを眺めながら、正直すごく不安を感じていた。


 そもそもの作戦が、こちらの人数に対してかなり多くのモンスターに襲われる可能性が高いものなのだ。


 そして、それが僕の呼ばれた理由でもあるのだが。


「パーン君!笛をお願い!」


 幻術士のカリクローさんが僕の方を振り向いて鋭く指示を出した。


 僕は片目ウインク、片手グッドのポーズでそれに応える。


「任せといて☆カリクローさんみたいな美人にお願いされたらアガっちゃう〜♪」


 僕は努めて陽気な声を上げ、自分自身のテンションを上げた。


 そうでなければ音楽に暗い気分に乗ってしまい、魔法のキレが悪くなるのだ。


 僕は横笛に口を当て、音楽を奏でた。それはモンスターにしか分からない特殊な音色で、音に乗せられた魔素が様々な効果を紡ぎ出す。


 いま演奏しているのは睡眠の音曲魔法だ。聞こえる範囲にいるモンスターたちが眠りに落ち、バタバタと倒れていく。


 アステリオスさんが僕に声をかけたのはこれが理由だ。


 つまり僕は広範囲に作用する魔法を使えるので、少数が多数を相手にする今回のような作戦にはうってつけというわけだ。


「すごい!パーン君、えらいわ!」


「ウェ〜イ☆」


 僕はカリクローさんに褒められて、本当にテンションが上がった。


 カリクローさんは美人でスタイルが良くて、声が綺麗でしかも人妻だ。


 さらに言うと、笑顔が素敵でお胸も豊満で、お洒落でしかも人妻だ。


(なんか、すごくムフフな感じ……)


 失礼だと思いながら、ついそう思ってしまう。


 仕方ない。自然に感じてしまうことは、仕方がない。


 そのカリクローさんは夫であるケンタウロスのケイロンさんの背に乗り、周囲に素早く目を配っていた。


 そして必要な箇所に幻術で人間の兵士を作り出す。そうやって敵の目を欺いて囲まれるのを避けているのだ。


 その隙にケイロンさんが弓矢でモンスターを倒していく。


(カリクローさん、ここに来るまでかなりキツイ魔法を使い続けてたのに……すごい人だな。僕も頑張らないと)


 あらためてそう思い、また別の曲を吹き始めた。


 僕の魔法は広範囲に効果を及ぼす代わりに、必ずしも効くとは限らない。


 感性に訴えかける魔法だから個体差が大きいのだ。人にもそれぞれ好みの曲があるようなものだろう。


 ただし、ある程度は種族的な傾向が出る。例えば先ほどの睡眠魔法は動物系のモンスターには効きやすく、虫系のモンスターには効きにくい。


 だからアルミラージやオルトロスは多くが眠りについていたが、キラービーやキラーマンティスたちはほとんど起きたままだった。


(あっちの水は甘いぞ〜♪)


 僕はそんな気持ちを込めながら笛を吹いた。


 すると、虫系のモンスターは急にフラフラし始める。そしてくるりと向きを変え、山の斜面を下っていった。


 理性を抑え、ある方向へと誘導する音曲魔法だ。もちろん全ての個体に効くわけではないが、それでも数はかなり減らせられた。


(よし、ちゃんと働けてる。これならアステリオスさんも約束通り……)


 そんな事を考えながら笛を吹き続けていると、ふと妙な違和感に襲われた。


(なんだろう?今、視界に入った何かがおかしかったような……)


 目を凝らしてみたが、僕の視界にあるのは眠りこけるモンスターやフラフラと山を下るモンスター、そして魔法にかからなかった個体を射止めるケイロンさんと、それにまたがるカリクローさんだけだ。


(なんだ…………ん?あっ、アレだ!!)


 僕はようやく見つけた。


 ケイロンさんとカリクローさんのそばの木の枝が、ゆっくりと下りてきている。明らかに普通の木ではない。


「トレントだ!!ケイロンさん、カリクローさん!!」


 それは木に擬態できるモンスター、トレントだった。こうやって気づかずに近づいてきた獲物に枝を巻きつけて拘束するのだ。


 僕が声を上げた瞬間、トレントの枝はスピードを上げた。そして馬上のカリクローさんを襲う。


 しかし、僕が声を上げたおかげかカリクローさんは身をよじって枝に掴まれることはなかった。


 ただし、そのかわりに予想もしなかった事態が起こった。


「キャアッ!!」


 カリクローさんは悲鳴を上げた。


 それはそうだろう。トレントの枝は体を空振ったものの、シャツに引っかかってその裾を思い切りめくり上げていた。


 そしてカリクローさんの黒いブラジャーが露出され、僕の目にモロに入ってきた。


(す、すごくセクシーな下着!!それに谷間!!谷間!!人妻の谷間!!)


 僕の頭は瞬時に爆発しそうになった。よもや生きている内にこんなムフフな体験ができようとは。


 しかし、実際にはこんな事を喜んでいる場合ではない。


 トレントの枝はいくつもあり、一本を避けられたとしても即座に追加の数十本が襲いかかってくる。


 そもそもトレントにここまで近づいてしまった時点で、どうやっても逃げるのは無理だったろう。


 実際、ケンタウロスの俊足をもってしても枝をかわせはしなかった。


「ケイロンさん!カリクローさん!」


 二人は枝に絡みつかれ、身動きが取れない状態で吊り上げられた。


「しまった!!」


「ま、マズイわよこれ!!」


 逆さになった二人が苦渋の声を上げる。


 そしてさらに悪いことに、枝がカリクローさんのズボンのウエストに引っかかった。


 その枝はさらに激しく引かれ、ズボンが膝下まで一気に引き下げられる。


 セクシーな下半身の下着があらわになった。


(ガ、ガーターベルト!!人妻の、黒のガーターベルト!!)


 あまりのムフフさに僕はお腹いっぱいになり、アステリオスさんの報酬はもういいかなと思い始めた。


 が、それもこれも無事に帰ってからの話だ。とりあえず今は二人を救わねば。


(で、でも僕には物理的な攻撃力がほぼ無いし……)


 しかも他の戦闘員の人たちとは少し距離があり、すぐには助けてくれそうもない。


 その間に二人は攻撃されるだろう。


(どどど、どうしよう……僕の笛でできること)


 僕は脳みそを高速回転させながら周囲を見回した。そして僅かな可能性にかけ、笛を吹き始める。


 先ほどまでの二曲とは全く異なり、激しいテンポの曲を吹いた。


 聴く者の心を昂ぶらせ、理性を飛ばすほどに興奮させる曲だ。


 すると、今まで寝ていたり、坂を下っていたりしたモンスターたちが急に暴れ始めた。


 暴れると言っても人間を見て襲いかかるというわけではなく、言葉通りその場その場で無茶苦茶に暴れ始めたのだ。


(上手くいってくれ!!)


 僕は祈りつつ、モンスターたちと距離を取った。近くにいるだけで大怪我になってしまう。


 トレントの一番近くにいたモンスターは大型カマキリのモンスター、キラーマンティスだった。


 それが幸いなことに、鎌を振り回してトレントの枝や幹を斬りまくった。


 それはトレントが死ぬほどの攻撃ではなかったものの、ダメージを受けて枝の拘束が緩んだようだ。


 ケイロンさんがぶら下がったまま弓に矢をつがえ、弦を引き絞った。


 そして矢が放たれる。


 魔素の乗った矢はほとんど抵抗なくトレントの体を貫通し、地面に突き刺さった。


 その矢は一撃で急所を貫いたらしい。トレントの枝は力を失い、二人は音を立てて地面に落ちた。


 ケイロンさんは急いで起き上がりながら僕に向かって叫んだ。


「パーン君、しばらくそのままの曲で!近場の敵を倒したらまた睡眠、誘導の曲にしてください!」


 ケンタウロスの賢者は的確な指示を出しつつ、暴れる一方で理性的に襲いかかってこないモンスターたちを射ち始めた。


 その間にカリクローさんは衣服を整えながら、こちらに素敵な笑顔を向けてくれた。


「ありがとう、パーン君のおかげで助かったわ」


 お礼を言われた僕は何も言えず、顔を赤くして小さくうなずいた。


 僕は目の前にムフフがあると、どうしても気が縮こまってしまう。


 やはりチェリーなことが原因なのだろうか?


 しかしこれが原因でチェリーのままになっている気がする。もはや悪循環だ。


 僕の様子を見たカリクローさんが今度は心配してくれた。


「なんだか元気がなくなっちゃったように見えるけど、大丈夫?どこか怪我した?」


 下から上目遣いに僕の顔を覗き込んでくるカリクローさんの胸元に、また谷間がチラ見えした。


 目を逸らそうと下を見ると、今度はふとももがやたらと肉感的に見える。


 もはやカリクローさんのどこを見てもムフフしか感じられなくなってしまった。


(やっぱり僕、一生チェリーのままかも……)


 言葉を出せなくなった僕は、耳まで赤くして小さく首を横に振ることしかできなかった。



****************



【ギルタブルル オブトの記録】



「これが俺の仕事だってことは分かってる。分かってるが……なかなかハードだな」


 俺は目の前のドラゴンをあらためて眺めながら、一人そうつぶやいた。


 愚痴をこぼしたつもりはない。そのハードな仕事に対して充足感を覚える程度には、戦いの中に身を置いてきた。


 親指で頬の傷を撫で、それから鋭い爪の一撃をバックステップでかわす。


 喰らえば簡単に内臓まで裂けることが分かる一撃に、本能が勝手に鳥肌を立てた。


「ハイワイバーンか……普通のワイバーンとはまるで違う生き物だな」


 俺が対峙しているのは、ハイワイバーンというワイバーンの進化形のモンスターだ。


 中位種に属するドラゴンで、ワイバーンロードの手前とも言われている。


 しかしその実力はワイバーンとワイバーンロードの中間ではなく、完全にワイバーンロードよりだ。


 パワー、スピード、タフネス、スキル、そのどれもがワイバーンとは段違いだった。


 そのハイワイバーンは大きく息を吸い、こちらを睨みつけた。


(来る!!)


 俺は全力で地面を蹴り、真横に飛んだ。


 そして次の瞬間、つい先ほどまで俺がいた場所を火柱が通過した。ハイワイバーンが火炎のブレスを吐いたのだ。


 このブレス一つとっても普通のワイバーンには使えないもので、やはり同列には認識できない。


(普通の人間が相手をするのは、まぁ無理だな。俺が別働隊に回されていて良かった)


 俺は別に自画自賛するわけではなく、客観的な判断としてそう思った。


 モンスターには数でどうにかなる奴と、そうでない奴とがいる。


 目の前のハイワイバーンは明らかに後者で、数で押さえようとするのは危険だ。


 束でかかったところで厚い鱗を抜けないから倒せないし、今のような一撃でこちらは大量に兵力を失う。


 だからこちらもそういった強個体に備えて戦闘力の高い者を配置しておかねばならず、それがこの別働隊に俺が選ばれている理由だ。


 つまり俺は強い個体がいれば自動的に回されるという、損といえば損な役回りなのだ。


 が、正直なところ嫌ではない。


「いいぞ、この感じ……嫌いじゃない」


 俺は肌がヒリつくような感覚を覚えたが、それはブレスによる熱さのせいばかりではなかった。


 強敵を前にして、俺の闘争本能が昂ぶっているのだ。


 俺は横飛びから着地するのと同時に、足の鉤爪で地面をしっかりと掴んだ。


 そしてそれを思い切り蹴り、ハイワイバーンへと駆け出す。


 火炎のブレスという大技後の隙を攻めないのはあまりにもったいない。


 俺は一瞬でハイワイバーンとの距離を詰め、そのドテッ腹にサソリの尾の毒針を突き立ててやった。


「っ!?……硬い!!」


 針がハイワイバーンの鱗に弾かれた。


 普通のワイバーンならこんなことはないが、もはや別物なので仕方がないか。


 しかもこの鱗はほぼ全身を覆っている。やはり一筋縄ではいかないようだ。


 俺は上から襲いかかってきた牙をかわしつつ、今までの戦いの経験からいくつかの攻略パターンを頭に思い浮かべた。


 人が難局に直面した時の能力は、結局のところ今までにどれだけの困難を乗り越えてきたかによるところが大きい。


 体で覚えたノウハウこそが、いざという時に役立つのだ。


 俺はすぐそばを通り過ぎたハイワイバーンの頭部に注目した。


 鱗は無理でも、目や口の中なら針が通るだろう。粘膜にまで鱗は張れない。


 そう判断した時には、近くの木に向かって走っていた。


 ハイワイバーンは大きいので、地面からジャンプしたのではキレイに狙った所に攻撃できない可能性がある。


 ギルタブルルの足は鳥の足であるため、幸い鉤爪がついている。木の肌をしっかりと掴み、木を駆け上がった。


 そして十分な高さに到達してから、ハイワイバーンの頭に向かって跳ぶ。


 しかし、ハイワイバーンの反応は早かった。


 すぐに小さく息を吸い、飛んでくる俺に向かって火炎のブレスを吐いてくる。


「……器用だな!!」


 多くのモンスターにとってブレスは必殺技のようなもので、普通はその予備動作が大きい。


 しかしこのハイワイバーンは牽制目的程度の小さいブレスも素早く吐いてみせたのだ。


 俺は空中で体を回転させて、何とか炎をかわした。運良く重心の位置的にかわせたが、喰らっていれば結構なダメージだったろう。


(練り直すか)


 地面に降りた俺は目や口の中を狙うのをいったん中止し、他の手立てを二つ頭に浮かべた。


 一つは全てのドラゴンが持っているという弱点の急所、逆鱗を探す。


 そしてもう一つは何とかして鉤爪で鱗を剥ぎ、そこに毒針を突き刺す。


(逆鱗はそう簡単に見つからんからな……)


 即座にそう判断し、まずは鉤爪で鱗を剥いでみることにする。


 実際に剥げるかどうかは分からないが、こちらの威力にもかなりの自信はあった。


(攻撃されにくい方向から仕掛けるべきだ)


 俺はそう考え、牙や爪、ブレスの届きにくい後ろに向かった。


 真後ろまで行けば尻尾があるので、斜め後ろくらいがベストだろう。


 しかしハイワイバーンはまたすぐに反応し、体を回転させながら尻尾を振り回してきた。


(下がっても当たる!)


 直感的にそれを理解した俺は、むしろハイワイバーンの胴体に肉薄する形で尻尾の直撃を避けた。


 ちょうど尻の下辺りに潜り込むようにしてかわす。


 そして、それを見つけた。ちょっとシワのある、妙に可愛らしい穴を。


(……ん?そういえば、肛門から直腸にかけても粘膜だな)


 鱗にはサソリの尾の毒針が通らない。しかし、粘膜には鱗がない。


(と、いうことは……)


 俺は悩んだ。


 実際には戦闘中だったので、懊悩していた時間は一瞬だったかもしれない。


 しかし、大いに悩みはしたのだ。


「……俺は、俺のなすべき事をなす!!」


 俺の仕事はこの突出して強いモンスターを確実に倒すことだ。仲間のためにもそれをせねばならない。


 俺はサソリの尾を、ハイワイバーンの肛門へと挿入した。ズルリと入った尾の先を、奇妙な感触が包み込む。


 突然肛門に異物を挿入されたハイワイバーンは、何とも言えない微妙な声を上げた。


 それは驚くような、力が抜けるような、それでいてどこか甘ったるいような声だった。


 俺は内部から直腸粘膜に毒針を刺し、思い切り毒を注入した。


 腸には多くの血管が集まっている上、俺の毒には毒魔法が加えてある。


 その効果はすぐに現れて、ハイワイバーンは横向きに倒れて痙攣し始めた。


(……もういいだろう)


 俺はそう判断し、肛門からサソリの尾を引き抜いた。


 そして妙に暖かくて柔らかい感触に包まれていた尾の先を見て、なんとも言いようのない気持ちに包まれた。


「でもまぁ……サソリの毒が効いてくれて良かったよな。もし効かなかったら、蛇の毒を使わないといけなかったし……」


 ギルタブルルの体にはサソリの尾だけではなく、蛇の頭も付いている。


 ただし、その蛇は男が股間からぶら下げているアレなのだ。


 モンスター相手とはいえ、男のシンボルを肛門に挿入するのは気が引ける。


「不幸中の幸い、か……」


 俺はつぶやき、周囲に尾を拭けるものがないか探した。



****************



【ケンタウロス ケイロンの記録】



「……ハイワイバーンも片付けられたみたいだな」


 私は遠くから聞こえてくる物音でそれを察知し、安堵の息を吐いた。


 隣りで妻のカリクローも同じようにしている。


「すごいわね、オブトさん。本来ならあれ一体で勲章ものよ」


「それを言えば、カリクローだってそうだよ。これだけのモンスターを引きつけているんだから」


 カリクローはかなりの広範囲に幻術の兵士を作り出しており、敵を集めていた。


 ここまで来る間にもかなり消耗しているはずなのに、我が妻ながら本当に素晴らしい幻術士だと思う。


「この討伐戦に君を誘うべきか、かなり悩んだが……来てくれて助かった。ありがとう」


 私はあらためて感謝を伝えた。


 身近すぎる妻だからこそ、できるだけそういった気持ちは口にするようにしている。


 カリクローはさすがに疲れた顔をしているものの、それでも気丈に笑いかけてくれた。


 本当に私にはもったいない妻だ。


「まぁ……夫であるあなたが考えた作戦なんだから、妻としては協力しないわけにもいかないわよね。でも今のところ、上手くいってるじゃない」


「そうだね。上手くモンスターたちを引きつけられている。反対側の主戦場と同じように、私たちも囮としての責任を果たせているよ」


 軍では初め、山道のある正面の主戦場を囮にして、こちらの別働隊を本命に攻め上がるという作戦を立てていた。


 しかし、ワイバーンロードの生態研究の文献を読み漁った私はこれに反対した。


 この上位龍は、その程度のことならば『読んでくる』と思ったのだ。


(実際、正面が囮なのは気づかれていた。もし元の作戦通りだったとしたら、仮に別働隊が山頂までたどり着いてもワイバーンロードの周囲は多くのモンスターが固めていただろう)


 そうなれば討伐が困難なものになるのは目に見えていた。だから別働隊を本命と見せかけた囮にすることを提案したのだった。


 長く生きたドラゴンの中には、人間以上の知能を身に着けているものもいる。


 獣に毛が生えた程度のモンスターを相手にしているなどと、夢にも思わない方がいい。


「でも残念だったわね。自分の目でワイバーンロードが見られなくて」


 カリクローは別に残念そうでもなく笑った。


 しかし、私としては本当に残念だ。めったに見られない、生きた上位種のドラゴン。


 本音としては自分の目で見たかった。今でも知的好奇心が騒ぐ。


「まぁ……それはもう仕方ない。作戦の成功が一番大切だからね。無事終わったら、本命部隊の人にどんなだったか聞いてみるよ」


 私は山頂の、さらに上の空に浮かぶ白い雲に目を向けた。


 そして願い込めて、不思議な魅力のある大切な友人の名前をつぶやいた。


「クウさん……無事でいてくださいよ」



***************



☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈竜巻とつむじ風〉


 『竜巻』と『台風』の違いは?と言うと、多くの方がなんとなく分かると思います。


 規模が全然違いますし、台風は暖められた海水の上昇気流で発生するから海上でしか生まれません。


 では『竜巻』と『つむじ風(塵旋風じんせんぷう)』の違いはどうでしょう?


 この両者はよく似ていますが、一番の違いは『雲』です。


 竜巻は基本的に積乱雲などの分厚い雲から下へ伸びるような、漏斗状の外見をしています。


 その発生原理には雲が大きく関わっていて、積乱雲が発生するような強い上昇気流が一つのポイントになります。


 一方のつむじ風は晴天時に起こることが多く、雲とは繋がっていません。


 太陽光で暖められた地面からの上昇気流が、たまたま発生した回転気流に重なるなどして起こりします。


 『竜巻』『つむじ風』『台風』はそれぞれ上昇気流の発生源や周囲の状況が違うわけですね。


 ここまで書くと、『あれ?』と思った方もいると思います。


 そう、本編中でハーピーが発生させたのは『竜巻』ではなく、実は『つむじ風』なのです。


 でも『竜巻』って言った方が強そうじゃないですか(笑)


 世のほとんどの作品では風が巻いてたら『竜巻』ということになっていますし、まぁその辺はご勘弁いただければと思います。



〈坐薬〉


 せっかくお尻から薬物を注入する話が出たので(笑)、薬剤師らしい雑学を一つ。


 薬は基本的に『内服薬』と『外用薬』、そして『注射薬』に分けられます。


 内服薬は錠剤やカプセル、外用薬は塗り薬や貼り薬、注射薬はそのままですね。


 では『坐薬』は内服薬に分類されるのか?それとも外用薬に分類されるのか?


 答えは『外用薬』です。


 熱冷ましの坐薬のように、飲み薬と同じく消化管から吸収されて全身に効く薬であっても、坐薬は全て外用薬に分類されます。


 つまり内服薬は経口摂取を基本的な用法とするお薬、ということになりますね。



***************



お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

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