第28話 イエティ

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私はその暖かそうな体を見て、そんなことを考えた。


 誰しも人肌恋しい時はある。生きていれば、心も体も寒くて仕方ない時があるものだ。


 今の私がまさにそうで、目の前の男性に今すぐ抱かれたいと思った。


 全身毛むくじゃらではあったが、その長い体毛がまた私を惹き寄せる。


 きっと私を暖めてくれるその体は、もはやメスを誘っているとしか思えなかった。


「だ、抱いてください……!!」


 その赤面するようなセリフを口にしたのは私ではない。サスケだ。


 サスケは目の前の白い毛むくじゃらの大男へと倒れ込むように抱きついた。


(先を越された!!……っていうか、何これ?どんなBL?)


 私は大男に抱いてくれるよう請うサスケの姿を目に焼き付けた。良いセルフケアのネタになりそうだ。


「おめぇら、この吹雪の中を歩いてきたのか?よく死ななかったな」


 毛むくじゃらの男性は野太い声でそう言った。


 私とサスケの後ろには猛吹雪の真っ白な世界が広がっており、前には大男さんと暖かい山小屋とがあった。


 私たちは吹雪の雪山を進んできて、奇跡的に山小屋へとたどり着いたのだ。


「とりあえず入れ入れ。イエティの体もあったけぇが、それよりも暖炉の前に行け」


 大男さんはサスケを抱きかかえるようにして暖炉のそばに連れて行ってやった。


 サスケは火に当たりながらガタガタと震えた。


 もともと水色の体ではあるが、今はそれがよりいっそう青ざめて見える。


 私も急いで隣りへ行った。これほど火がありがたいと思ったことがあっただろうか。


「ありがとうございます」


 まともにお礼も言えなさそうなサスケに代わって私が頭を下げた。


「私たち、仕事でこの山に来てて……でもこんな吹雪になるなんて思わなくて……」


 大男さんは暖炉にかかっていたヤカンを下ろし、中の暖かい飲み物をコップに入れながらうなずいた。


「この時期にこれほど吹雪くことはめったにないからなぁ」


「やっぱりそうなんですか?麓の村の人に聞いた時も、まだ大丈夫だろうって言われました」


「そりゃ必ずしも間違いじゃねぇな。悪く思わないでやってくれ。ほらよ」


 大男さんはコップを私たちに差し出してくれた。


 中身は不思議な香りがするお茶で、飲むと喉から食道が熱くなるような感じがした。


 冷えた体に染み渡るようで、ちょっと驚くほど美味しい。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139558955493960


「寒い時には特に美味いだろう?そういう茶だ」


 大男さんは長い体毛から覗くつぶらな瞳を細めた。


 そばに立つと威圧感があるほどの巨体だが、その笑顔はとても人懐っこい。


「俺の名前はズー。見ての通りイエティだよ。まぁ、ゆっくり休んでいけや」


 ズーさんの外見は、一言で言ってしまえば雪男だ。


 白くて長い体毛が全身を覆っている。それがイエティという種族なのだろう。


「ご迷惑おかけしてすいません。私はクウっていいます。こっちの弱りきってるのはサスケです」


 私はいまだに震え続けるサスケの紹介もしてあげた。サスケはかろうじて頭だけ下げる。


 ズーさんはサスケの濡れたコートを脱がして毛布をかけてやった。


「スライムは他の種族よりも凍りやすいからな。本当によくここまで来られたもんだ」


「えっ!?そんな……サスケがスライムは寒くても大丈夫だっていうから私がレッドを巻いてたのに……」


 私の服の中からレッドスライムのレッドがにゅるりと出てきた。


 寒くなってきた時点で腰回りに巻いて体を暖めていたのだ。それでもだいぶ寒かったが。


 サスケにも交代で使うよう言ったのだが、サスケは大丈夫だと言うばかりでレッドを巻こうとしなかった。


「ちょっとサスケ!そんな無理してまで頑張らないでよ!それで倒れられたら私の方がキツイよ!」


「ごめん……なんか……イケるかなって思って」


「全然イケてないじゃんか!!」


 怒る私をズーさんがなだめた。


「まぁまぁ。仲間思いでやったことだろうからな。だが、雪山で大切なのは客観的な判断と助け合いだ。褒められたことじゃねぇぞ?おめぇが危険になったらツレだって危険になるんだからな」


「……ごめんなさい」


 謝るサスケを見ても私はまだ許す気になれなかったが、それでもこれだけ辛い目に遭えば本人も身にしみてはいるだろう。


 ズーさんはサスケの肩をポンポンと叩いてやった。


「よし。ちゃんと反省してんならこれ以上責めなくてもいいだろう。しかしレッドスライムを巻いての登山は俺も初めて見た。クウって言ったな。おめぇ召喚士か?」


「はい」


「よく考えたもんだが、レッドスライムは快適だったか?」


「それが……寒いと思ってだいぶ熱くしたら、今度は汗かいてそれが冷えて寒くなって……」


 そう、意外にもレッドスライムを巻いておけば快適というわけではなく、それでもかなり寒い思いをしたのだ。


 いま言った汗もそうだし、歩きながら末端まで暖めるのも難しい。


 いないよりはいた方が絶対いいが、レッドスライムがいれば雪山は大丈夫、というレベルには程遠かった。


 ズーさんは腕を組んでうんうんとうなずいた。


「そうだろうな。雪山での体温調節は登山に慣れてる人間でも相当難しい。俺らイエティでも小さい頃は魔素の調節ミスって体調崩すことがあるくらいだ。まぁこんな天気の日は外に出ず、山小屋でじっとしてるのが一番だな」


「それがそうもいかなくて……」


 私はカバンの中から小さな包みを取り出した。


「私たちのお仕事はこの荷物をミイさんって人に届けることなんですけど、今日中に絶対届けるように言われてるんです。でもミイさんの家はもっと山奥らしくて……」


 今回私たちが受けた仕事は荷物の配達だ。


 プティアの街からここまでかなりの距離があったが、ケンタウロスのケイロンさんに乗せてもらったのでそれほどの時間はかからなかった。


 遠方でのお仕事の時にはよくお願いして運んでもらっている。


 ケイロンさんの鞍には二人までは乗れるので、今日はサスケと二人乗りだ。


(先に麓の村の荷物を配ったのが失敗だったんだよね……)


 私はここまでの道中、何度もそれを思い出して後悔していた。


 配達物のほとんどは麓の村宛だったのだ。ミイさんの家が最も遠かったため、最後にしてしまったのが運の尽きだった。


 朝からずっと快晴だったのに、登山中に急に薄暗くなり、雪が降り始め、最終的に今の猛吹雪に至る。


 山の天気は変わりやすいとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。


「詳しくは聞いてないんですけど、中身は薬みたいなんです。切らすとミイさんの体調に関わるとかで、明日の分がもう無いはずだって言われてて……」


 私たちは依頼主からそう聞いていた。だからなんとしても今日中に届けねばと思い、頑張って来たのだ。


 しかし、ズーさんの山小屋がなければ死んでいたかもしれない。


 命の恩人ズーさんは首を傾げた。


「ミイは俺の従兄妹なんだけどよ、別にそんな持病は持ってなかったけどな」


「えっ?そうなんですか?」


 すごい偶然だ。


 しかし、それなら急いで持って行かなくてもいいだろうか。


「ああ。だが……そういえばここ二、三ヶ月は会ってねぇからな。もしかしたら何ぞの病気になってるのかもしれねぇ」


「そうですか……じゃあやっぱり今日中に行かないとですね」


 私は窓の外に目を向けた。


 相変わらず猛烈に吹雪いている。


 二重ガラスになった窓がガタガタと揺れ、高音と低音の入り混じった風音が私の恐怖心をあおった。


「俺らイエティならこんな吹雪でも出られんことはないが……モンスターが出たらちょっと危ねぇな」


「こんな吹雪で活動するモンスターがいるんですか?」


 イエティなら出られるというのもビックリだったが、こんな天候ではモンスターも大人しくしてそうな気がする。


 ズーさんはそのモンスターを思い浮かべて、なぜか舌なめずりをした。


「この山には吹雪いてる時だけ群れる『ショートフェイスベア』ってモンスターがいてな。そいつらの群れに出くわすとマズイ」


「ショートフェイスベア……強いモンスターなんですね。じゃあ私だけでも一緒に……」


「僕も行くよ」


 ようやく回復してきたのか、サスケがようやくまともに口をきいた。


「ズーさん。僕も同行して戦闘になったら戦うから、ミイさんの家まで案内してくれないかな」


 責任感が強いのは結構なことだが、私はさすがにため息をついた。


「あのね、少なくともサスケには無理だって分かったでしょ?スライムがこの吹雪の中を進むのがどれだけ無謀か……そうですよね、ズーさん?」


「いや、大丈夫だぞ」


「ほら、ズーさんもこう言って……え?大丈夫?」


 予想外の返事に私はズーさんを見上げたが、その視界はすぐに暖かい体毛で白く覆われた。



****************



「ぬくい〜ぬくい〜極楽だ〜♪」


 サスケは本当に極楽浄土にでもいるかのような声を上げた。


 私たちは吹雪の中を進んでいる。にも関わらず、サスケは先ほどまでと打って変わって快適な山行を楽しんでいた。


 そしてそれは私も同じだ。寒さなどほとんど感じず、快適な温度環境の中に身を置いている。


「イエティの毛ってすごいんですね。本当にありがとうございます」


 私もぬくぬくほっこりしながらズーさんにお礼を言った。


 ズーさんは肩越しに振り返る。


「イエティの毛は保温性抜群なだけじゃねぇからな。こうやって伸ばして何かをくるむこともできるし、寒かったら魔素で熱を発して暖めることもできる」


 私とサスケはズーさんの体毛にくるまれた上で、背中に担がれていた。


 めちゃくちゃ暖かいし、ふわふわで快適だ。顔だけは呼吸のために出ているが、寒さを感じるのはその部分だけだった。


 それに、ズーさんの体毛は不思議と甘い香りがする。


 サスケも同じことを思っていたようで、それをズーさんに尋ねた。


「なんだかクッキーみたいな香りがするんだけど……もしかしてズーさんクッキー好き?」


 そうだ。この甘くて香ばしい香りはクッキーだ。


 ズーさんは吹雪に負けないような笑い声を上げた。


「ハッハッハ!すぐバレちまうな。イエティの体毛にはよく食べる物の香りが出ちまうんだ。そして寒いところに住むイエティはだいたい甘いもの好きだ。だからほとんどのイエティは甘い香りがする。今から行くミイなんかはチョコレートの香りだぞ」


 言われてみれば、確かに寒いと甘いものが食べたくなる。


 体温を維持するためにカロリーが必要だからかもしれない。


「へぇ、初耳だな。お菓子の香りがする種族なんて、なんか可愛いね」


「でも納豆食いまくったら納豆の香りになっちまうんだぞ?」


「アハハ、ズーさんがクッキー好きで良かったよ」


 私もサスケと一緒に笑った。


 ズーさんは陽気な山男という感じの人だ。私たちは出会って間もないにも関わらず、すぐに気を許していた。


 ただ、それでもこの状況はちょっと申し訳ない気持ちになる。


 私は背で揺られながら尋ねた。


「あの……ズーさん。暖かくしてもらってるだけじゃなくて、担いでもらってるじゃないですか。何だか申し訳なくて。何か出来る事とか、こうすると楽とかないですか?」


 私も初めは歩こうとしたのだが、すぐに諦めることになった。


 ズーさんのスピードに全くついていけないのだ。


 もちろん体のサイズが違うことも原因の一つではあるが、雪山を歩くスキルが全く違う。


 コツを聞くと、足裏全体をフラットにつくとか、斜面の場合はエッジを効かせるとか、急な所は雪を蹴り込むようにするとか、色々技術があるようだ。


 雪山登山というものは、事前にトレーニングが要るものなのだと痛感した。


「気にすることはねぇよ。うちの従兄妹のために吹雪の中を来てくれたんだ。むしろ礼を言わなきゃならねぇのはこっちだな」


 イエティはかなり身体能力が高い種族なようで、ズーさんは私たち二人を体毛で担いでなお、息も切らしていなかった。


「だんだん風がおさまってきたな。このままモンスターに遭わなきゃいいが……」


 言われてみれば、風は徐々に弱まっている気がする。


 雪は降り続けているが、吹雪という感じではなくなってきた。


「そういえば、ショートフェイスベアってどんなモンスターなんですか?吹雪だと群れることがあるって言ってましたよね?」


「そうだ。吹雪になると『フェンリル』っていう馬鹿みたいに強ぇモンスターが現れることがあるんだが、それに備えて集まるとか言われてる。一言で言えば『でっかいクマ』だな。力が強くて防御力も高い」


 サスケはそれを聞いて軽く身震いした。


「それは怖いね……」


 確かに強そうだが、私は昔動物園で見たクマを思い浮かべてまた別の感想を持った。


「でも、クマって実物見ると結構可愛いよね。私好きだけど」


「……クウが見たクマってどんな種類?」


「え?えーっと……なんて名前だっけ?全体的に黒いけど、胸の辺りに白い所があって……」


 ズーさんは少し特徴を聞いただけですぐに答えを教えてくれた。


「そりゃツキノワグマだな」


「あ、そうそう。それです」


「そんでもって、多分サスケが想像したのはヒグマの方じゃねえか?」


 サスケは体毛の中でうなずいた。


「うん。昔、森でヒグマにあったことがあるんだ。二本足で立ち上がって威嚇するそいつを見て、絶望しか浮かばなかった」


「あー、そりゃそうだろう。ツキノワグマとヒグマじゃ全然印象が違うわな」


「え?そうなんですか?」


 私の思い浮かべているツキノワグマは鉄柵の向こうで木の棒を器用に振り回して遊んでいる可愛いやつだった。


 体長も女の私とそう違わなかったように思う。


「犬だってチワワとボルゾイじゃ全然違うだろう?ツキノワグマとヒグマもそうで、サイズも個体によっちゃ倍以上違うな。そりゃ一般人が野生のヒグマに出遭ったら、死を覚悟するしかねぇよ」


 ば、倍も違うのか。それは確かに別生物だ。戦闘力も全然違うだろう。


「そんなに違うんですね……じゃあショートフェイスベアもそのくらい大きいんですか?」


「いや、見ての通りもっとでっかいな」


「ええ?もっと?……ん?見ての通り?」


 頭に疑問符を浮かべまくる私を、ズーさんは体毛を操って前へ向かせた。


 そして、私の目にも入ってくる。


 それは三メートルをゆうに超える高さから私を見下ろしていた。後ろ足で立ち上がって両手を広げ、こちらを威嚇している。


 ズーさんいわく『でっかいクマ』、ショートフェイスベアだ。


 五匹のショートフェイスベアが私たちの前に立ちはだかっていた。


(いや、確かにでっかいけど……でっかいのレベルが……)


 まさかこんな大きさだとは思わなかった。


 四つん這いのままの個体もいたが、その肩までの高さが私の身長よりも高い。


 ショートフェイスベアの外観は、サイズ以外は普通のクマとそれほど変わらなかった。


 ただし名前の通り顔が少し短め、というか、鼻先に向かう出っ張りが低めな感じだ。


 ズーさんは私とサスケをくるんでいた体毛を解き、雪の上に下ろした。


「風もだいぶ弱くなった。多少は動けるな?」


 私たちは緊張とともにうなずいた。


 相変わらず雪は降り続いているものの、気づけば普通の雪の日という程度にまで落ち着いている。


 ついでにショートフェイスベアの群れも解散してくれればいいのだが、どうやらそんな雰囲気ではなさそうだ。


 牙を剥き、低い唸り声を上げて今にも飛びかかってきそうだった。


「モフー、カクさん、出ておいで」


 私は盾を構えつつ、モフモフ一角ウサギのモフーと、ドラゴンの左腕カクさんを召喚した。


 ハイランドアルミラージは雪も降る高地で生活しているため、雪上での活動には慣れているだろう。


 それに、ハンズのカクさんは念動力で空を飛べる。今の環境ならこの二匹がいいのではないかと考えた。


 ズーさんが私たちの壁になるように一歩踏み出した。


 それに反応したのか、一番前にいた一頭が巨体を駆って走り出す。


 そして腕を大きく振りかぶり、駆けた勢いを乗せた爪の一撃をズーさんの頭めがけてお見舞いした。


 ズーさんは一歩踏み込み、腕を頭上で交差させてそれを受け止める。


 それでショートフェイスベアの腕は止まったが、衝撃で足元の雪が粉になって舞った。かなりの威力なのが見てるいるだけでよく分かる。


 ズーさんはさらに踏み込んでショートフェイスベアの胴体に腕を回した。相撲でがっぷり組んだような格好だ。


 ただしショートフェイスベアは三メートル以上の高さがあるため、大男のズーさんが小兵に見えた。


 が、ズーさんはそんなサイズ感など感じさせない大技を仕掛ける。


「どっせーい!!」


 気合とともに、体格差を利用した腰投げを繰り出した。


 ショートフェイスベアの巨体が宙に浮き、それから地面に叩きつけられた。金太郎もびっくりのクマ相撲だ。


 そして足元に降りてきた顔めがけ、ズーさんの拳が振り下ろされる。


 ゴッ!!


 と、かなりエグい音がして、ショートフェイスベアは動かなくなった。


「す、すごい……」


 私は巨大クマ相手に肉弾戦で勝ってしまうイエティの力に驚いた。


(私たちも負けてられないな)


 ここで働かなければ、ただ担がれて運ばれただけになってしまう。


「カクさん、行って!!」


 私はカクさんを飛ばし、一頭にドラゴンクローを繰り出した。


 しかしその一撃はショートフェイスベアの上げた腕によって防がれてしまった。


 が、それは計画通りなのだ。


「モフー、角を!!」


 私の合図と同時に、モフーの鋭い角が伸びた。


 それは高速でショートフェイスベアに迫り、その心臓を正確に突き刺した。


 先ほどのカクさんの攻撃は相手の動きを止めるためのものだったのだ。


 モフーの角は伸びるだけでなく、超高速で振動している。ショートフェイスベアの分厚そうな皮や脂肪も難なく貫き通した。


 その一頭の体が力を失って倒れる頃、また別の一頭がサスケへと襲いかかっていた。


 大口を開け、頭を噛み砕こうと牙を唸らせて来る。


 雪で足元が悪いものの、サスケは何とか後ろに跳んでそれをかわした。


 それと同時に、ショートフェイスベアが牙が空振って閉じるのに合わせて口の中にスリングショットを打ち込む。


 ショートフェイスベアは何かを飲み込んでしまったことに驚いて変な顔をしたが、すぐにその表情は消え失せた。


 全身の筋肉が麻痺してしまい、顔の筋肉も弛緩したからだ。


 どうやらサスケは麻痺の効果があるスライムローションを打ち込んだらしい。


 普通のモンスターなら皮膚に浴びるだけでも十分に効果を発揮する代物だが、この巨体ではすぐに効かせるのは難しいだろう。そこで口の中に打ち込んだのだ。


 さすがの巨大クマも、そんなものを直接飲みこめばただではいられない。すぐに倒れてピクピクと痙攣し始めた。


 この様子だと、呼吸器の筋肉まで麻痺して死ぬかもしれない。実際、麻痺毒の多くは呼吸器が止まることで死に至るとケイロンさんが言っていた。


 これでショートフェイスベアは残り二頭だ。


 ズーさんは大きく空気を吸い込み、その二頭に向かって息を吐いた。


 いや、それは息というような生易しいものではない。


 先ほどまで吹き荒れていた吹雪を何百倍にも濃縮したような、凍てつくブレスだった。


 私が盾にはめた鑑定杖には『低温耐性E』というショートフェイスベアの特性が見える。


 こんなところに住んでいるわりにEというのは低いように思えたし、ズーさんのブレスはその程度では耐えられないようだ。


 すぐに死にはしないものの、体表が凍りついて動けなくなった。


 そこへズーさんの拳とモフーの角が襲いかかる。一頭は体を砕かれ、もう一頭は貫かれて絶命した。


 ズーさんは拳を解き、プラプラと振りながら息をついた。


「ふう……一丁上がりだ。しかし、おめぇら強ぇな。助かったよ」


「いえ、ズーさんこそ。私たちがいなくても大丈夫だったんじゃないですか?」


「いいや。同時にかかられたり囲まれたりしたら厄介だ。俺なんかは一頭だけなら出会うと嬉しいモンスターなんだがな」


「嬉しい?」


 私はズーさんの言っている意味が分からず聞き返した。


 こんな巨大クマに出会って嬉しいものだろうか。むしろサスケの言っていた『絶望しか浮かばなかった』という気持ちの方がよく分かる。


 ズーさんはペロリと舌なめずりした。


「こいつらの肉は美味いんだ。ちょっと臭みや癖はあるが、慣れれば病みつきだな」


「あ、そういえばクマ鍋とか聞いたことありますね」


「お、クマ鍋いいな。ミイんところに着いたら鍋にするか」


 私とサスケは目を輝かせた。


 ズーさんの体毛を出てみると、やはり寒さがこたえる。温かいクマ鍋を想像すると、心まで温もった。


「それに、クマは美味いだけじゃねぇぞ。特に手は高級食材だから高く売れるし、胆汁は薬にもなる。凍らせてやるから山分けしようや」


 それはありがたい。


 吹雪に巻き込まれた時にはどうなることかと思ったが、臨時収入もある良いお仕事になった。


 ただし、ちょっと数が多い。私はショートフェイスベアたちを運ぶためにトレントのレントを召喚した。


「レント。ちょっと大きくて重いけど、頑張って運んでね」


 トレントは歩く木のモンスターなので、その枝にたくさんのものをぶら下げて運ぶことができる。


 早速、枝を巻きつけて持ち上げた。


「お、便利なモンスター持ってるじゃねぇか。これならミイの家まで楽に……ん?」


 感心するズーさんの腕がクイっと引っ張られた。


 見ると、サスケが小さくなってズーさん腕の内側に潜りこもうとしている。


 まるで抱いて欲しいせがんでいる風だった。


(……だからそれ、どんなBLなのよ?)


 それが『寒いから体毛でくるんでほしい』という意味なのは分かったが、それでも私はその光景にドキドキハァハァしてしまうのだった。



****************



「まぁ〜こんな時によく来てくれたわね。ちょっと前まで猛吹雪だったでしょう?」


 ミイさんは私たちが配達に来た旨を伝えると、開口一番そう言った。


 ちょっと前にズーさんにも同じようなことを言われた記憶がある。


 そのズーさんはミイさんの顔を気づかわしげに見た。


「そりゃいいんだがよ。なんかお前、病気なんだって?水くせぇじゃねぇか。言えよ」


 言われたミイさんの方は長いまつ毛をパチクリさせた。


 ミイさんもズーさんと同じくイエティなので全身毛だらけなものの、そこから覗くまつ毛が女性らしくだいぶ長い。


「……え?何のこと?私は別に病気なんかじゃないけど」


「何だって?でもクウたちが薬だって……」


 ズーさんとミイさんは私たちの方を見た。


「あの……渡される時に『切らすとミイの体調に関わる。明日の分がもう無いはずだから、絶対に今日中に届けてくれ』って言われたんです。この小包なんですけど」


 渡された小包を開けたミイさんはいきなり笑い出した。


「あっはっは!確かに切らすと私の体調に関わるものだわ!」


 一体なんだろうと思って中身を覗き込んだ私は、その予想外のものに頬を引つらせた。


「……チョ、チョコレート?」


 小包の中にはチョコレートがぎっしりと詰まっていた。しかも、多分これちょっと良いやつだ。


 ミイさんはまだ腹を抱えて笑っている。


「私たちチョコレート好きにとって、チョコレートは切らすことができないものなのよ。それこそ中毒性があるんじゃないかって思うくらい。これを送ってくれた友人もチョコ友だからそんな風に言ったんだわ」


「そ、そうなんですか。中毒性……」


「まぁ中毒は言い過ぎかもしれないけどね。でも私は体を壊さないように、ちゃんと一日に食べていい量を決めてそれを守ってるわ。チョコレートってそれくらい止まらなくなるから」


 そういえば私もお菓子を食べている時にそんな経験がある。


 別にお腹が空いてないのに、というか、お腹いっぱいでももっと食べてしまいたくなるのだ。


(なんか昔テレビで『糖自体に一種の中毒性がある』って言ってたような記憶があるな……もしかしたら本当にそうなのかも)


 そう思うとちょっと怖いし、ちゃんとルールを決めて守っているミイさんは偉い。私も気をつけようと思った。


 ミイさんは笑い過ぎて出てきた涙を指で拭った。


「勘違いではあったけど、届けてくれて本当に嬉しいわ。ありがとう。お礼に今日は泊まっていきなさい。そこの肉を使って、腕によりをかけたクマ鍋を作ってあげるわよ」


 ミイさんは私たちの後ろにぶら下がったショートフェイスベアたちを見ながら腕を叩いた。


 それを聞いたズーさんがまた舌なめずりをする。


「やったな。ミイの料理の腕は最高だぞ。店で食うより美味い鍋が食えるからな」


 ズーさんの言葉に、私は食べる前から体の芯が暖まる気がした。



****************



「あったまる〜おいしい〜♪」


 サスケが蕩けそうな声を上げた。


 私も気持ちは分かる。本当に美味しいし、ポカポカする。


 ズーさんの言った通り、ミイさんのクマ鍋は最高だ。クマ肉は確かにちょっとクセはあるが、私もサスケもすぐに慣れた。


 サスケはホフホフと熱い肉を頬張り、飲みこんでから目尻を下げた。


「美味しいだけじゃなくて、なんだかすごく元気になる気がするよ。体の奥からエネルギーが湧き上がってくる感じ」


 ミイさんは鍋に具材を足しながらうなずいた。


「そうでしょうね。クマ肉は滋養強壮、精力剤として認識されてる所もあるくらいだから。特にショートフェイスベアの肉は効果抜群よ。クウちゃんも元気になってるんじゃない?」


「え?あ、はい。なんて言うか、すごくこう……湧き上がってくる感じが……」


「でしょう?どんどん食べてね」


「あ、ありがとうございます」


 ミイさんは私の皿にいい感じに煮えた肉を取り分けてくれた。絶妙な味付けのタレがしみ込んでいて、確かに最高に美味しい。


 美味しいのだが、私にとっては一点だけ問題もあった。


(湧き上がってくるのは元気だけじゃなくて……ムラムラもなんですけど!!)


 私は太ももをモゾモゾとうごめかせながらそう思った。


 ヤバい。ショートフェイスベアさんのお肉、マジでヤバい。


 もはや媚薬かと思うほどキテるのだが。


 私以外は全員ただただ元気になってるだけだから、どうやらこの世界に来て得た発情体質のせいらしい。


 そんな事になってるとは露とも気づかないミイさんはにこやかに教えてくれた。


「そういえばチョコレートも滋養強壮、精力剤になるって話があるわね。山でも疲れたらよく食べられるし」


 え?そうなの?


 さっき鍋ができるまでのつなぎでちょっと食べちゃったよ……


 私は身悶えしながら食事を続けていたが、だんだんと限界になってきた。


「あれ、クウ?顔が赤いけど大丈夫?なんだか目もトロンとしてるし」


 サスケが私の様子に気がついて、そう尋ねてきた。


「あ、うん……ちょ、ちょっと暖まりすぎたから、少し席外して冷ましてくるね。ついでにお手洗いに……」


 ミランダさんが廊下の方を指さした。


「トイレは右手の突き当りよ。部屋の温度上げすぎたかしら?」


「いえ、それは大丈夫です。ちょっと失礼して……」


 私は席を立ち、廊下へと向かった。


 そしてトイレに座るとすぐにサスケとズーさんの姿を思い浮かべ、自分の体へと手を伸ばす。


 私は熱を冷ますと称して長めにトイレにいたが、もちろんそれで冷ましたのは体温だけではなかった。



***************



☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈イエティ〉


 イエティはヒマラヤ山脈に住むと言われるUMA(未確認生物)で、いわるゆ雪男の代表格です。


 ズーティとミィティという種類もいて、そこからズーとミイの名前をいただきました。


 全身毛むくじゃらで、大きさは大中小と色々いるようです。


 最近ではヒグマなどの動物を見間違えたのだろうという調査結果が出ているそうですが、こういうUMAが『本当にいたら……』と想像するのは楽しいですよね。



〈ショートフェイスベア〉


 ショートフェイスベアは一万年以上前に絶滅したと言われるめっちゃデカいクマです。


 南北アメリカ大陸に生息していました。


 その大きさは四足歩行時の肩までの高さが人間の身長と同じくらいだというから、野生で出会えば絶望しか感じられませんね。


 しかも現在のクマよりもより肉食性の強い動物だったと言われているので、人間など餌にしか見えないでしょう。


 絶滅して良かったような、もったいないような……



〈糖質の中毒性〉


 脳には『報酬系』と呼ばれる回路があり、これが活性化されると喜びや幸せを感じます。


 人間は生きていくために食べなければなりませんが、食べることによって報酬系が活性化され、


『食べるのイイ!!』


となり、生きていけるのです。


 つまり報酬系は快楽のためだけでなく、生物として必要な機能なわけですね。


 しかしこの報酬系、面倒なことに強く活性化され続けたりすると回路が狂うという困った特性があります。


 そうなると、


『もっと、もっと活性化させてくれぇ……!!』


というヤバい子ちゃんになってしまうのです。


 これが依存症や中毒になるメカニズムの一つであると考えられています。


 そして糖質は他の食物よりも報酬系を狂わせやすいという特徴があり、『糖質中毒』なんて言葉まで出来ているのです。


 それで甘いものはカロリーが足りているかどうかとは関係なく『もっと欲しい、もっと欲しい』ってなっちゃうわけですね。


 これが『甘いものは別腹』の一因なんだと思うと、なんだか怖いものに感じてしまいます。


 日常的に甘いものを摂る方はルールを決めて、その中で楽しむことが大切だと思います。



***************



お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る