第27話 ギルタブルル

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私は頬につけられた一筋の傷痕を見て、そんなことを考えた。


 店に入ってきた精悍な顔つきの男性は、ひと目で歴戦の猛者だということがよく分かる。


 頬の傷痕もそうだし、眼光鋭い切れ長の瞳も一般人のそれではなかった。姿全体に、これまで戦いの中で生きてきた人間特有の厳しさが浮かんでいる。


 そして何より目を引くのは、腰から伸びた太いサソリの尾だ。


 その先端の針は死を思わせるほどの深い漆黒だった。刺されればただでは済まないだろう。


 恐ろしいが、強くて危険な香りの魅力がある。それはもはや、メスを誘っているとしか思えなかった。


「召喚士のクウというのはお前か?」


 その人はまっすぐにこちらへ歩いて来てそう尋ねた。


 私がアステリオスさんのお店で食後のミルクを楽しんでいる時のことだ。


 普段なら至福のリラックスタイムなのだが、今はでっかいサソリの尾を立てた人に話しかけられているのでリラックスはできそうもない。


 いくらその男性がワイルドイケメンであるとはいえ、さすがに心の中で身構えた。


「は、はい。そうですけど……」


 私は改めてその人の姿を上から下まで見た。


 やはり目を引くのはサソリの尾をだが、それ以外にもヒューマンと異なる点がある。


 足が鳥の足だった。鉤爪の部分に革製のカバーを履いているが、おそらく床を傷つけないための靴のようなものなのだろう。


 人の体に鳥の足、サソリの尾を生やした種族なようだ。


「催眠耐性のあるモンスターを使役していると聞いた。そうなのか?」


 催眠耐性?


 正直よく分からないが、多分そんな子はいなかったと思う。


「えーっと……」


 私が首を傾げているところへ、アステリオスさんが声をかけてきた。


「多分ハンズの事じゃないか?スライムの方のな」


「え?スケさんってそんな能力があるんですか?」


 私は格納筒をポンポンと叩いてスケさんを出した。スライムの右腕がテーブルの上にちょこんと立つ。


「この子、今まで催眠なんてかけられたことないと思いますけど……」


 いまだによく話が掴めない私に、アステリオスさんが補足してくれた。


「多分だが、話がごちゃごちゃになってるな。前にお前が魅了魔法をかけられた時、そいつが平手打ちを食らわせて魔法を解いたって話をしてただろう?それに尾ひれがついたんじゃねぇか?」


「あぁ、そういえば」


 言われてみれば、確かにそんな事があった。


 ヴァンパイアのヴラド公に初めて会った時、出会い頭にいきなり魅了の魔法をかけられたのだ。


 確かにその時はスケさんが私の指示なしで動いて助けてくれた。


「ごめんなさい。そういうわけなので……」


 おそらく仕事の依頼だったのだろうが、力になれそうもない。断るしかないだろう。


 しかし、その人は事情を聞いても首を横に振った。


「いや。確認だが、そのハンズはお前が催眠状態で指示が出せないにも関わらず、自律してお前の目を覚まさせたということだな?」


「そうです」


「なら十分だ。仕事を手伝って欲しい。俺の名はオブトという。ギルタブルルのオブトだ」


 ギルタブルル。


 初めて聞く名前の種族だったが、どうやらサソリの尾と鳥の足を持った種族らしい。


 オブトさんはこちらへ右手を差し出し、握手を求めてきた。


 手には頬と同じようにいくつもの傷痕が見える。


 私はそれを握り返しながら、この人の戦士としての半生をぼんやりと夢想した。


「依頼は紅孔雀べにくじゃくの群れの討伐だ。と言っても、討伐自体は俺がやる。そのサポートを頼みたい」


 オブトさんはテーブルの向かいに座ってからすぐに本題を切り出した。


 ただ、私には紅孔雀というモンスターが分からない。


「紅孔雀……」


 私はつぶやきながら、そばに立ったアステリオスさんの方をちらりと見た。


 気の利く店主はすぐに教えてくれる。


「紅孔雀は大型の鳥モンスターだ。デカくて赤い孔雀だと思えばいい。クチバシの一撃が強力だが、特殊な羽根の模様を見せて催眠魔法をかけてくることもある」


「催眠魔法、ですか。それでさっきの話に……」


「いや、紅孔雀の催眠魔法はそれほど強力じゃない。来ると分かっていれば、気を強く持つだけでも防げる。それにオブトはバリバリの武闘派だ。紅孔雀はそれなりに強いが、サポートを頼まんといかんほどの敵じゃないだろう」


 アステリオスさんは腕を組み、座ったオブトさんを見下ろした。


 何があった?どんな事情だ?


 口にはしなかったが、そう問いかけているのは私にも分かった。


 オブトさんはそちらを見ずに片手だけ上げて答えた。


「……黒孔雀が出た。しかも俺のせいだ」


 それだけ言い、苦い顔をしてそのまま黙った。


 言われたアステリオスさんはというと、こちらもほぼ同じような顔をして黙ってしまった。


 急に二人ともに黙られても、事情の分からない私としては困る。


 紅孔雀と黒孔雀はどう違うのだろうか。


「えっと……黒孔雀ってそんなに強いモンスターなんですか?」


 アステリオスさんはため息をついてから答えてくれた。


「……強いというか、厄介なんだよ。黒孔雀は紅孔雀が種々の要因で変異した個体だが、催眠魔法と知能が大幅に強化される」


「催眠魔法と知能……」


「そうだ。特に強い個体はそれを駆使して他のモンスターを操り、大軍団を作って街を侵攻してくることすらある。実際に何年か前にプティアの街も襲われた」


 モンスターの大軍団に街が襲われる。私はそれを想像して血の気が引いた。


「そ、それは大事おおごとですね」


「大事だし、大仕事だった。街中の戦える奴らが総出で防いだな」


 なるほど、それでアステリオスさんも嫌そうな顔をしているわけだ。よほど大変だったのだろう。


 アステリオスさんはその表情のままオブトさんに尋ねた。


「しかし、お前のせいってのはどういうことだ?」


 オブトさんは頬の傷痕を指先で掻きながら答えた。


「以前に仕留め損なった紅孔雀がいてな。尾の毒針を打ち込んだんだが、その時は複数のモンスターに囲まれていて十分な量の毒を注入できなかった。それでもいったんは倒れてたから安心してたんだが、次に気づいた時には森の奥へと逃げていく所だった。その後ろ姿が一部黒く変色してたんだ。俺が毒を打ち込んだ部位だ」


「変色……そりゃ毒のせいじゃないのか?」


「いや。皮膚だけならまだしも、羽根まで黒くなっていたからな。黒孔雀への変異要件は個体によって異なるらしいが、そいつの場合はおそらく俺の毒に耐えたことが刺激になったんじゃないかと思う」


「まぁ、そういうケースもあるかもしれんが……」


「それからしばらくして、黒孔雀に隊商が襲われたという情報が入った。というか、ついさっきそういう話を聞いてな。すぐにでもその現場へ向かうつもりだ」


「なるほどな。それで催眠に対する保険だけかけようと思ってクウに声をかけたわけか」


「そうだ」


 二人の会話で私も大体の事情は把握できた。


 しかし、このお仕事にはかなりの不安を感じる。


「あの……大軍団を作るようなモンスター相手に私たちだけで大丈夫でしょうか?」


「俺が聞いた情報だと、その黒孔雀は十体ほどの紅孔雀を率いていただけだったらしい。黒孔雀が危険だといっても、弱い個体・進化したての個体は実際そんなものだ。今ならまだ驚異ではない」


 オブトさんの意見にアステリオスさんも同意した。


「そうだな、確かに早い方がいい。クウが嫌じゃなけりゃ行ってやれ。催眠にかかったら平手打ちしてくれる使役モンスターがいるのは確かにプラスだし、ハンズなら目がないから黒孔雀の催眠魔法も効かないだろう。確かにお前が適任だ」


 そうか、羽根の模様を見せて催眠をかけるって言ってたな。


 うちのスケさんカクさんには効かないわけだ。それは頼もしい。


「分かりました。お手伝いさせてもらいます」


「すまない。恩に着る」


 オブトさんは目を伏せて謝意を表した。その肩にアステリオスさんが手を置く。


「無理はするなよ。俺も念のため役所に兵を出すよう言っておく。黒孔雀案件なら役所も重い腰を上げるだろう。まぁ、お前なら心配要らんだろうが……」


 アステリオスさんはそこまで言ってから、ニヤリと口の端を吊り上げて言葉を足した。


「もしかしたら孔雀相手じゃあ、お前のサソリとヘビが怯えて縮こまっちまうかもしれないしな」


「ふん、孔雀ごときで縮こまるか」


 オブトさんは鼻を鳴らして応じ、アステリオスさんは声を上げて笑った。


 しかし、最後の方は私にはよく分からない話だ。


 孔雀相手に怯える?


 サソリはともかく、ヘビ?


 首を傾げる私に気づいたアステリオスさんが教えてくれた。


「孔雀ってのは、サソリやヘビを餌にするんだよ。そういった毒持ちのやつを襲うから、縁起のいい益鳥として飼われることも多い」


「へぇ、知りませんでした。綺麗なだけじゃないんですね。じゃあ、紅孔雀も毒に対する抵抗力があったからオブトさんの毒に耐えたんでしょうか?」


「いや、だからといって毒に強いと証明されているわけじゃないらしい。孔雀も毒ヘビに噛まれたら普通に死ぬしな」


「ヘビ……」


 サソリやヘビが孔雀を恐れる理由は分かったが、なぜヘビの話が今出てきたのかは分からなかった。


 オブトさんはサソリの尻尾と鳥の足を持っているが、どこにもヘビらしきパーツは見当たらない。


 まだ不思議そうな顔をする私を見て、アステリオスさんはニヤリと口の端を吊り上げた。


「ギルタブルルって種族は尾がサソリ、足が鳥、そして男の股間にぶら下がってるアレがヘビなんだよ」


「ア、アレがヘビ!?」


 私は思わず声を裏返した。


(どどど、どういうこと?あれがヘビでできているってことは、ヘビがお股にぶら下がってるわけ?ってことは、めっちゃ長いの?それに……使う時にはヘビが出たり入ったり出たり入ったり?)


 私の頭には七色の妄想があふれてパンクしそうになった。あまりの衝撃に脳がショートしてしまう。


 ごちゃごちゃになったカラフルな思考の中で、ただ一つだけ確かだと思うこともあった。


(……先っぽは亀の頭じゃなくて、蛇の頭って単語になるんだろうな)



****************



「さ……さぁ来い……俺の毒で……即死させてやる……」


「……あの、すごく震えてますけど大丈夫ですか?」


 私は残像が見えるほどの激しい震え方をしたオブトさんを見て、思わず気づかいの声をかけた。


「む、武者震いだ……」


 オブトさんは声まで震わせてそう答えたが、どう見ても恐怖に怯える生物の震え方だ。


 つい先ほどまで全く普通だったのに、紅孔雀を前にした途端オブトさんは弱々しい小動物のようになった。


 普段は完全に猛者っぽい雰囲気を醸し出しているのでギャップがすごい。


「あの……なんだったら私が倒しますけど」


 私はすでにスライムハンズのスケさんとドラゴンハンズのカクさんを召喚している。


 紅孔雀は初見のモンスターだが、特にカクさんは強いのでやれそうな気がした。


「いや!!……クウに依頼したのはあくまでサポートだ。俺がやる」


 オブトさんは震える足で紅孔雀へ向かって行った。


 小声で、


「逃げちゃだめだ……逃げちゃだめだ……」


って言ってるのが聞こえてくる。なんだかすごく可愛そうに見えた。


 目の前にいる紅孔雀は三体だ。


 隊商が襲われたという場所に私たちが着くと、この三体だけが残って荷を漁っていた。


 すでにかなり荒らされていたので、他のモンスターたちは満足してもう去ったのだろう。


 紅孔雀の一体がオブトさんへ駆けて来た。そしてその勢いのままにクチバシで突きかかる。


 紅孔雀はゆうに二メートルを超える大きさで、孔雀というよりもダチョウのようなサイズ感だ。


 その巨体から振り下ろされるクチバシはかなりの威力であることが想像された。


 しかし、そのクチバシはオブトさんに届く前に力を失って地に落ちた。


 クチバシよりも段違いに速いスピードで、サソリの尾針が紅孔雀の首を刺したのだ。


(速い!っていうか、全然見えなかった……それに、毒ってあんなにすぐに効くんだ)


 私はその一撃に驚愕した。


 この速度で効果が出るということは、おそらく普通の毒ではない。魔素の込められた毒魔法なのだろう。


 倒れた紅孔雀の左右から、残り二体が襲いかかってきた。やはりクチバシで突きかかってくる。


 オブトさんは右から来る一撃を身を反らしてかわしつつ、左の一体に向かって足を振り上げた。


 ギルタブルルの足は鋭い鉤爪のついた鳥足だ。紅孔雀の顔はザックリと切り裂かれた。


 オブトさんはその足でさらに頭を掴み、体重をかけて地面に叩きつけた。


 そしてその時にはもう一体の胸に毒針を突き刺している。


 三体の紅孔雀はほんの数瞬で絶命させられた。


 震えているのを見た時にはどうなるものかと思ったが、さすがはアステリオスさんが『バリバリの武闘派』と太鼓判を押すだけのことはある。


「す、すごいですね……」


 私はあまりにハイレベルな戦いに、それだけ言うのがやっとだった。


「まぁ、こんなものだ」


 ようやく震えの止まったオブトさんは、また猛者っぽい雰囲気を取り戻して短く答えた。


 それから荒らされた荷のそばにしゃがみ込んで、周囲につけられた足跡を確認した。


「残りの連中もまだそう遠くには行っていないだろう。追うぞ」


 言うが早いか、オブトさんは地面を見ながらすぐに歩き出した。


 迷わず森の中に入っていく。討伐経験が豊富なようなので、きっと追跡技術も並ではないのだろう。


 私はその背中を追いながら尋ねてみた。


「あれだけ強いのに、やっぱり孔雀は苦手なんですか?」


 オブトさんはギクリと足を止めたものの、またすぐに歩き出した。


 振り向かずとも苦い顔をしているのが分かる。


(嫌なこと聞いちゃったかな)


 そうは思ったが、先ほどのオブトさんは明らかにおかしい。


 いくら強いとはいえ、正常な判断力が失われていては危険だ。確認はしておいた方がいいだろう。


 オブトさんは肩越しに振り返って苦笑いを見せた。


「……アステリオスには強がって見せたがな。孔雀を前にすると、どうしても腰回りから震えが来るんだよ」


 それはつまり、サソリとヘビの部分が反応しているということだろう。


 生物としての本能はどうしようもない気がする。


(でも……それなのに自分から黒孔雀の討伐に来てるんだからすごいよね)


 そう考えると、本当に責任感の強い人なんだということがよく分かる。


 オブトさんは木々の隙間から空を見上げた。


 木漏れ日の向こうは透き通るような青空だった。


「……だが考えてもみたら、俺も駆け出しの頃は孔雀が相手じゃなくてもさっきみたいに震えてたな。本当に弱かったし、いつも怖くて仕方ないのを我慢して戦ってた」


「そうなんですか?」


 私には意外な話だった。


 これほど強いオブトさんが弱かった姿を想像できない。


「あぁ、俺は毒も弱かったしな」


「えっ?そんなに太いサソリの尻尾があるのに?」


「サソリの毒ってのヤバげなイメージを持たれがちだが、実はそのほとんどが致死的なものじゃないんだよ。そんなのは二、三パーセントくらいだな」


 それはまた意外な話だ。


 サソリといえば刺されれば死ぬくらいに思っていたが、そうでもないことが多いのか。


「そもそも昆虫を捕食するために使うのが主な毒だからな。俺の毒もモンスターを倒せるようなレベルじゃなかったが、鍛えて強くしたんだ。ヒューマンには感覚的に分かりづらいだろうが、ギルタブルルにはそんな事もできる。そして込める魔素を調節しながら今の強さに至った。今でも常に改良中だがな」


 なるほど、猛者も初めから猛者だったわけではないという事だ。


「でも……そんなに怖かったんならなんでこんな仕事をしてるんですか?」


 私の質問に、オブトさんは背中を見せたまま軽く手を上げて答えてくれた。


「つまらない話だ。惚れた女が、強い男が好きだと言った。だから強くなろうとした。それだけだよ」


(何それステキ!!)


 全然つまらなくなんてない。


 私はぜひこの話を掘り下げたくなった。


「その女性とはどうなったんですか?オブトさん、もう十分強い男ですよね?」


「どうもなってないよ。その女は強くもなんともない、普通に優しい男と結婚した。だからつまらない話だと言ったろう?」


 そうなのか。


 なんだか残念な気もするが、現実ってそんなものなのかも知れない。


 掘り下げようにも、すぐに話が尽きてしまった。


 しかし、オブトさんの方はなぜか笑っているのが背中越しに伝わってきた。


「……そういえばあの頃、怖かったら女のことを考えて気持ちを奮わせていたな。あの気持ちを思い出してみたら、多少は震えも止まるかもしれん」


 オブトさんがそう言った所で、不思議な甘い匂いか漂ってきた。


 その匂いが強くなるにつれて、私たちの足元に綺麗な赤い花が増えてきた。


「この匂い……花の匂いですか?あっ、踏むと靴が真っ赤になっちゃう」


「そうだ。染料にも使われる花だから濃い色が付くが、今日中に洗えば水で落ちるから心配するな。それより、この花が咲いている場所には紅孔雀が多いと言われている。近いかもしれんぞ」


 そういえば花の赤は紅孔雀の色とよく似ている気がする。


 保護色になるから好まれるのかもしれない。


「はい、注意します」


 オブトさんの警告に私は気を引き締めた。


 オブトさんが強いのはよく分かったが、黒孔雀がどの程度のものなのかはまだ分からない。


「基本的なことを確認しておくぞ。もしモンスターの中に黒いものが見えたらすぐに目を逸らせ。どうしてもそこを見ないといけない状況でも直視はせず、足元を見るかせめて焦点をぼかせ。黒孔雀の催眠魔法は視覚を通して効果を発揮する。しっかり見えれば見えるほど、催眠にかかる可能性が高くなる」


「了解です。そういえば、催眠ってかかったらどんな風になるんです?」


 私は魅了の魔法にはかかったことがあるが、その時には魔法をかけた相手がとにかく素晴らしものに感じられた。


 モンスター相手でも同じようなことになるのだろうか?


「紅孔雀や黒孔雀が人間相手にかける魔法は主に三種類だ。一つ目は金縛りで、かかれば動けなくなる。二つ目は混乱で、とにかく支離滅裂な行動をする」


「支離滅裂な行動って、何するか分からないってことですか?」


「そうだが、結構多いのが仲間への攻撃だ。一種の恐慌状態に陥り、しかも敵味方の区別もつかなくなる。結果として周囲のものを攻撃しまくるんだが、これが一番怖いな」


 私はオブトさんの尾針が自分へ向かって来るのを想像して身を震わせた。


 絶対にそれだけは避けたい。


「オブトさんが混乱になったら私、生きてる自信がないです」


「だからスライムハンズにはクウより先に俺の目を覚まさせるように命じておいてくれ」


「そうします。スケさん分かった?」


 スケさんは手首を曲げてうなずいた。


 よし。うちの子はみんな賢いからちゃんとやってくれるだろう。


「それで三つ目だが、理性消失というのがある。その名の通り、かかったら理性の糸が切れて、その人間が今本能的にやりたいことをやってしまうんだ。多くの場合、その場から逃げ去るらしい。モンスターを目の前にしてる訳だからな」


「確かに。私もそうする気がします。こんな仕事してますけど、本音では怖いですもん」


「ほとんどの人間はそうだろうな。それでも俺は生粋の戦士だから戦う……と言いたいところだが、孔雀相手じゃ逃げちまうんだろうなぁ」


 オブトさんは自虐的に笑って、軽く頭をかいた。


「……そういえば昔、アステリオスのやつが理性消失の催眠魔法にかかったことがあったな」


「えっ!?どうなったんですか?」


「そりゃもう地獄だよ。辺り一帯が廃墟に……しっ」


 オブトさんは人差し指を立てて静かにするよう伝えてきた。


 話がいいところだったのだが、その先を促せるような雰囲気ではない。


「……いたぞ」


 オブトさんの視線の先では森の木々が途絶えており、少し開けた場所になっていた。


 そこは赤い花が絨毯のように広がっていて、三十体くらいの紅孔雀が群れている。


 どうやらこちらにはまだ気づいていないようだ。


「聞いていた情報よりは多いが……見たところ黒孔雀はいないようだ」


「どうしますか?」


「いないならいないで紅孔雀だけでも叩いておこう。黒孔雀が助けに来るなら仕留めるし、そうでなければ何体か逃して追跡する。その先に黒孔雀がいるはずだ」


「分かりましたけど、数が多いから私も戦いますよ。ハンズなら催眠にかかって状況を悪化させることもありませんよね?」


「……そうだな。結局はその方がクウの危険も少なそうだ。じゃあ、ドラゴンハンズには攻撃を命じてくれ。スライムハンズは催眠に警戒しつつ、クウが攻撃されないように敵を牽制させるんだ」


「了解です。っていうか、震えてませんね?」


 不思議なことに、先ほどたった三体の紅孔雀に震えていたオブトさんが、今は全くの正常に見えた。


「駆け出しの頃の気持ちとその対処法を思い出したんだよ」


「じゃあ今、例の女の人のことを考えてるんですか?」


「さぁな」


 オブトさんは苦笑混じりにごまかして、身を低くした。


 それから木々の隙間を縫い、少しずつ紅孔雀に近づいて行く。


 私もその背中を真似しながら追ったが、オブトさんはさすがに動きが手慣れている。


 距離を詰めているだけなのだが、やはりプロだと感じられた。


 私の動きではもう気づかれると思った頃、オブトさんが片手を上げて足を止めた。私もそれに従って動きを止める。


 オブトさんは一呼吸置いてから、手を振り下ろした。突撃のゴーサインだ。


 オブトさんが紅孔雀に向かって走り出す。私もカクさんを突っ込ませた。


 二人は弾丸のような速度で紅孔雀たちに襲いかかった。


 不意を突かれたモンスターたちはなすすべもない。


 オブトさんは高く跳び、左右の足で二体の頭をそれぞれ掴んだ。そして次の瞬間、それらは卵のように握り潰された。


 それと同時に、尾の毒針は別の紅孔雀に刺さっている。そちらもすぐに力を失ってその場に倒れた。


 オブトさんの早技は、先ほど震えていた時よりも数段鋭さを増したように見える。


 しかし、うちのカクさんも負けてはいない。突っ込んだ勢いそのままに爪を大振りにし、一度に二体を切り裂いた。


 そのまま流れるように他の一体の首を掴み、キュッと締め上げる。


 ぐっとりとしたその紅孔雀の上をオブトさんの尾が疾走り、近くにいた一体がまた即死する。


 二人は次々と紅孔雀を倒していった。


 私も物陰から姿を出し、盾を構えた。


 死闘の場に積極的に入って行くつもりはなかったが、離れた所に一人いるのが目に入れば注意が分散するはずだ。オブトさんでも囲まれれば危ないだろう。


 私に気づいた紅孔雀がこちらに向かって羽根を広げた。


 美しい模様の羽根が展開されるのと同時に、意識が襲われたような感覚を覚える。


 これが催眠魔法なのだろう。


(……っ!!気を強く持つ、気を強く持つ!!)


 私はアステリオスが言っていたこと心の中で繰り返した。


 紅孔雀の催眠魔法は来ると分かっていれば気を強く持つだけで防げるという話だった。


 確かに多少クラっとする感じはあったが、意識を備えさせればすぐにその感覚は消えた。


(これならイケる!!)


 催眠魔法は効かないし、オブトさんもカクさんも紅孔雀たちを圧倒している。気づけばもう二十体近く倒していた。


 私が勝利を確信したその時、オブトさんの体が急に痙攣した。


 そして動きを止めて固まってしまう。


「……え?オブトさん!!」


 私の呼びかけにも全く反応しない。


(金縛り!?でも、黒孔雀はどこにもいないのに……)


 私が防げた紅孔雀の催眠をオブトさんが防げないとは思えない。


 ならば黒孔雀がいそうなものだったが、黒い個体はどこにも見えなかった。


「カクさん、オブトさんを守って!!スケさん、オブトさんを起こして!!」


 私はすぐに二体に命じた。


 近くにいるカクさんにオブトさんを起こさせた方が当然早いのだが、まだ周囲には紅孔雀が十体ほどはいる。


 それらが動きを止めたオブトさんに突きかかっていた。


 カクさんはオブトさんの周囲を飛び回り、なんとか紅孔雀たちの攻撃を捌いた。


 そこへスケさんが到着する頃、紅孔雀の中の一体が私に向かって羽根を広げた。


 私は先ほど簡単に催眠を防げた油断もあり、それを直視してしまった。


 そして次の瞬間、自分の意識が霞がかっていくのを感じた。


(……え?……なんで?……あれ?……黒い?)


 私はまとまらなくなった思考の中で、それに気がついた。


 私に向かって羽根を広げている紅孔雀の体は、よくよく見ると所々が黒いのだ。


 いや、むしろ地が黒で、それを赤く染めているようだった。


(花で……染めて……)


 恐らくはそういう事なのだろう。


 黒孔雀は足元にたくさん咲いている花で体を赤く染め、紅孔雀の中に混じっていたのだ。


 アステリオスさんが、紅孔雀は黒孔雀になると催眠魔法と知能が強化されると言っていた。


 確かにすごい知恵だし、こんなのがモンスターの軍団を率いて街を襲ってきたらと思うと恐ろしくて仕方ない。


(でも……オブトさんは……)


 私は催眠魔法にかかってしまったようだが、それと時を同じくしてオブトさんはサスケの平手打ちをくらっていた。


 そして無事に目を覚ます。


「……くっ、そんな所にいたのか!いま仕留めてやる!」


 オブトさんは足元を見ながら黒孔雀へと間合いを詰め、尾の毒針でその体を刺した。


 が、黒孔雀は倒れない。


 紅孔雀たちなら針が刺さればすぐに倒れるほどの毒が、黒孔雀にはほとんど効果がないようだった。


「……くそっ、やはり毒への耐性ができてしまっているか」


 オブトさんは苦々しげにつぶやいた。


 この個体はすでに一度オブトさんのサソリ毒を受けており、それに耐えたことで黒孔雀へと変異したのだ。


 考えてみれば、耐性ができていてもおかしくはない。


 オブトさんはバックステップで素早く後ろに下がった。


 それまでオブトさんがいた所へ黒孔雀のクチバシが襲いかかる。紅孔雀とは比べ物にならない速度だ。


 オブトさんはさらに下がって私のいる方へと移動した。いったん距離を置いてから仕切り直そうというのだろう。


 しかし、オブトさんは気づいていなかった。私が催眠にかかっていることに。


「ぐはぁっ!?」


 オブトさんは予想外の方向からの衝撃に声を上げた。


 私が後ろからタックルしてオブトさんを押し倒したのだ。


「クウ!?しまった、混乱状態になったか!!」


 オブトさんは馬乗りになった私へすぐに平手打ちをくらわせようとした。


 しかし、周囲はすでに紅孔雀だらけだ。いっせいにオブトさんに襲いかかる。


 オブトさんはその攻撃を捌くために尾と両腕を振り回さなければならず、私への対処ができなかった。


 そしてそれはスケさん、カクさんも同様だ。


 紅孔雀は私にも攻撃を繰り出しているので、それを防ぐので手一杯になった。私に平手打ちする余裕がない。


 そして催眠にかかった私は、オブトさんのがら空きの体に手を伸ばした。


 オブトさんはその瞬間、お腹を攻撃されるのを予想して腹筋を固めた。それと同時に魔素を込めて強度を上げる。


 が、予想外なことに痛みも衝撃も感じず、なぜかカチャカチャと金属が鳴る音だけが聞こえてきた。


「……?な、なぜベルトを外してるんだ!?」


 そう。催眠にかかった私はオブトさんを攻撃せず、腰のベルトを外しにかかっていた。


 オブトさんは私にかけられた催眠が味方を攻撃することのある『混乱』だと思ったようだが、実は違う。


 正解は『理性消失』だったのだ。


 そして理性を失った私が思った今やりたいことは、ただ一つだけだった。


(見たい!!男性のアレがヘビって実際にはどんななのか、見てみたい!!)


 私はギルタブルルのアレがヘビだと聞いて以来、心の中でずっとそう思っていたのだ。


 もちろん理性でそれを我慢していたわけだが、そのタガが外れて実力行使に出たのだった。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139558881605572


「なぜだ!?なぜズボンを脱がそうとする!?」


 オブトさんは片手でズボンを押さえながら叫んだが、もちろん私は答えられる状態にない。


 興奮に呼吸を荒くし、一心不乱にそれを引っ張った。


 つい先日までの私なら片手でもオブトさんに力負けしただろうが、今は魔素による身体強化を多少なりと使えるようになっている。


 私は力を込めて、ズボンを下着ごと引き下ろした。


(見える!!)


 私の胸は高鳴ったが、それが視界に入る前に私の首は強制的に上を向かされた。


 何かにアゴを下からはたき上げられたのだ。


 不意打ちのアッパーカットをくらった私は後ろに倒れ、オブトさんから落ちた。


 そしてその隙にオブトさんはズボンを上げてしまった。


(あぁ……残念……)


 私はまずそう思ったが、幸いなことにアッパーカットの刺激によって私の催眠は完全に解けてくれていた。


 急いで起き上がり、紅孔雀たちの包囲から逃れようとする。


 スケさん、カクさんの援護もあって私はそれに成功したが、オブトさんの方はそう上手くいかなかった。


 なぜなら紅孔雀よりも数段強い黒孔雀が襲いかかってきたからだ。


「く、くそ……!!」


 黒孔雀はオブトさんへのしかかるようにしてクチバシを突き刺そうとしている。


 オブトさんは倒れたまま足の鉤爪で黒孔雀を押し上げ、なんとか防いでいた。


 尾の毒針は黒孔雀に刺さっているが、やはり効果は薄いようだ。


「オブトさん!!」


 私が他の使役モンスターを出そうとするのと、黒孔雀が体を大きく後ろに反らせるのがほぼ同時だったろう。


 黒孔雀は勢いをつけ直し、より強力な一撃をお見舞いしようとしているのだ。


(間に合わない!!)


 さすがのオブトさんもこの一撃は防げそうになかった。


 黒孔雀の鋭いクチバシがオブトの顔に振り下ろされる。


 私は凄惨な光景を覚悟したが、しかし意外なことに一滴の血も流れはしなかった。


 黒孔雀のクチバシはオブトさんの顔をわずかに逸れて地面に付き刺さっている。


 そして、そのままピクリとも動かなくなった。


 ぐったりと力を失った黒孔雀をオブトさんの足が蹴り飛ばす。その足の隙間から、何かに細長いものがズボンの中に入っていったように見えた。


 どうやら黒孔雀は絶命したようだ。


「オブトさん、大丈夫ですか!?」


「ああ、大丈夫だ!黒孔雀がいなければ後は容易い!殲滅するぞ!」


 ホッとした私は、ずっと言ってみたかったセリフを口にした。


「スケさん、カクさん、やっておしまいなさい!!」


 決まった。やはりお約束は押さえておくべきだ。


 そしてその後の展開も、お約束だらけの時代劇さながらだった。


 残った紅孔雀たちをスケさん、カクさん、そしてオブトさんがバッタバッタとなぎ倒していく。


 全てを一掃するのにさほどの時間はかからなかった。


 オブトさんは最後の一体から尾針を抜き、大きく息を吐いた。


「ふぅぅ……討伐完了だ」


「お疲れ様でした。でも結局は毒が効いたんですね。良かった」


「あぁ、お前が教えてくれたおかげだ」


 え?私が何を教えたのだろう?


 全く心当たりのない私は頭に大きな疑問符を作った。


 オブトさんはそんな私を気にした様子もなく、仕事をやり遂げた後の爽やかな笑顔を向けてくれた。


「この黒孔雀はサソリの毒には耐性がついていても、ヘビの毒には耐性がないからな。ズボンを脱がしてそれを教えようとしてくれたんだろう?『理性消失』の催眠を受けて取った行動は色々聞くが、仲間に敵の倒し方を教えようとしたってのは初めてだ」


 えー?


 な、なんだか盛大な勘違いをしていらっしゃる。


 っていうか、黒孔雀は股間のヘビさんで倒したんだ。そういえばなんか細長いのが見えた気もする。


「それに、ズボンが下りたおかげで両手が使えなくてもヘビでクウの目を覚まさせることができたしな。結果的に一石二鳥だった」


 ……ん?ということは、私のアゴにアッパーカットをくらわしたのはヘビさん?


 でもオブトさんのヘビさんは、ヘビではあっても一応男性のアレなわけで……


「しかし初めは驚いたぞ。まるで男を押し倒して下半身をモロ出しにしようとするヤバイ女みたいだった。まぁその意図に気づけたおかげで今の命があるんだがな。お前は命の恩人だ」


「いや……そんな……ハハハ……」


 まさにヤバい女だった私としては、曖昧な笑いを返すことしかできなかった。



***************



☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈ギルタブルル〉


 メソポタミア神話に登場する半人半獣の怪物です。


 原初の女神とされるティアマトによって産み出されました。


 人間の体に鳥の下半身、尻尾はサソリで男性器がヘビという姿で描かれます。


 中には翼が生えているケースもあるんだとか。


 その体は血ではなく毒で満たされているというから、恐ろしい存在ではあります。


 ……が、正直なところ気になるのはやはり股間のヘビ部分ですよね。


 排泄や性などのアレコレはどうなるのか?


 筆者が調べた限りではその事に関する言及は見つかりませんでした。


 ホントどうなってるんでしょうね(笑)



〈紅孔雀と黒孔雀〉


 麻雀のローカルルールとして存在する役の名前です。


 ちなみに両方とも役満扱いなので、縁起のいいモンスターかもしれませんね。



〈サソリ〉


 筆者が小さい頃に観たテレビ番組で、インドのお屋敷の庭に散らばったサソリをホウキとチリトリで集めてポイッと捨てるシーンがありました。


 それを見て、


『インドはなんて恐ろしいところなんだろう……絶対に行きたくない』


とか思ってましたが、なんのことはありません。


 サソリの中でも人が死ぬような毒を持ってる種類はほんの数パーセントなんですね。


 刺されてもほとんどの場合は冷やして抗ヒスタミン薬やステロイドを塗布すれば済むそうです。


 蜂刺されとほぼ同じ処置。


 ただそれでもヤバいやつはやっぱりいて、中東やヨーロッパに生息する『オブトサソリ』は世界一強い毒を持つと言われています。


 そこからオブトの名前を拝借しました。


 別名『デスストーカー』とも呼ばれるこのサソリは気性が荒く、素早くて攻撃性も高いので本当に危険なんだそうです。


 と言っても、実はこのオブトサソリですら刺されても、健康な人だとなかなか死なないらしいんですね。


 まぁ刺されたら『蜂の百倍痛い』なんて言われますから絶対に刺されたくないですが、多くの人が持つ『サソリは死の象徴』的なイメージはちょっと行き過ぎなようです。



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お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

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