第26話 大木のダンジョン2

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私はウネウネと蠢く触手を見て、そんなことを考えた。


 それがどんな快楽をもたらすかはすでに知っている。つい先ほど経験済みだ。


 しかも目の前にいるのはその時とは比べ物にならないくらい大きな個体であり、当然より多くの触手を持っているだろう。


 それに、もしかしたら催淫手技のランクも上かもしれない。


 人を拘束し、快楽を与えながら魔素を吸うヤテベオというモンスターは、その存在自体がメスを誘っているとしか思えない。


 っていうか、本当にオスもメスも誘ってるのだ。


「クウ!下がって!」


 サスケの鋭い叫びが耳に入ったものの、どれだけ急いで逃げても間に合わないだろう。


 私はヤテベオの幹に触れるほど近づいているのだ。


「キャアァアッ!!」


 伸びてきた触手によって、私は一瞬で捕らえられ。


 そしてウネウネはすぐに体中を這い回ってくる。


 強烈な快感が体中を襲った。あまりに多くの箇所を同時に責められているため、どこかどうなっているのかさっぱり分からない。


 ただそれでも、もの凄まじく気持ちいいということだけは分かった。


(でも……魔素を吸い取られる感じも強い!!)


 私は襲い来る快楽の波の中、脳の芯の部分では危機感を感じていた。


 これは本気でマズイやつだ。このままだとすぐに魔素が空になって何もできなくなる。


 サスケとケイロンさんは全速力で下がり、とりあえず距離を取ろうとしている。


 モンスターの性質上、私はすぐに殺されはしないのでその判断は間違っていないだろう。


 しかし私の魔素が枯渇してしまえばケイロンさんは消えてしまうし、サスケだけでこのモンスターを何とかするのは難しい。


(仕方ない……切り札を使おう)


 私がそう決心した数瞬後、私を責め立てていた触手は一本残らず切断された。


 それはほんの瞬きほどの間のことであり、目を凝らして見ていてもその早業はほとんど理解できなかっただろう。


 触手の束が床に落ちる音とともに、二人の男性の声がダンジョンに響き渡った。


「クウ殿、怪我はないでござるか!?」


「いきなり大ピンチで吾輩ビックリしたのである!」


 クーシーのシバさんと、ケットシーのキジトラさんだ。


 私は即座に二人を召喚したのだった。


 二人は見た目こそ可愛らしい柴犬と雉トラ猫だが、実は凄腕の剣士だ。


 またたく間に私を拘束していた触手を斬り落とし、さらに追加で襲ってくる触手を薙ぎ払ってくれた。


 二人にはあらかじめ今日の予定を空けておいてもらうようお願いしている。こうやっていざという時に召喚して助けてもらうためだ。


 ケイロンさんのように初めから召喚して同行してもらうことも考えたのだが、二人は強い分だけ魔素の燃費が悪い。


 せめて地図のある五十階を超えてから喚び出すつもりだった。


「怪我はありません!このモンスターから距離を取りたいので触手を防いでください!」


「承知!」


「了解なのである!」


 襲いかかってる触手は相当な数だったが、二人の斬撃は見事にそれをさばいてくれる。


 私たちの通った床には大量の触手が落ち、ビチビチとのたうち回っていた。


「あ、危なかった……」


 ようやく触手が届かない距離まで逃げることができ、私は安堵の息を吐いた。


 巨大ヤテベオはそのサイズに見合った長さに触手を伸ばせるらしい。二、三百メートル離れたところでようやく追撃が止まった。


 サスケとケイロンさんも足が早いので無事に逃れている。


「あそこから動いてはこないね」


「おそらくですが、あの後ろの穴を守っているのではないでしょうか。光から強い魔素を感じますし、穴の先に何か重要なものがあると思うべきです」


 確かにあの光は普通ではないように感じる。


 穴の向こうがダンジョン攻略につながる何かだと考えるのが妥当だろう。


「あのウネウネを出す木を倒せばいいのでござるか?」


 シバさんがごく単純化した目的を口にした。要はそういうことだ。


 ケイロンさんもうなずいて肯定した。


「そうですが、あのサイズです。簡単ではないでしょう」


 キジトラさんが頬のヒゲを引っ張りながら唸った。


「うーん……もしアレが普通の木なら、吾輩とシバ殿で攻めれば触手を払いながらでも斬れそうなのであるが……」


 どう思う?という風にシバさんに目を向ける。


「そうでござるな。とりあえず拙者たちで攻めてみるのはどうであろう?無理そうならすぐ引くでござる」


 二人は一時勘違いから仲が悪かったが、誤解が解けてからはそんなこともない。


 たまに喧嘩はしているものの、よく似た境遇の二人なので基本的には仲良しだ。


「拙者がクウ殿の一番の家臣であることを証明するでござる」


 シバさんの余計な一言に、キジトラさんのこめかみがピクリと痙攣した。


「……吾輩こそが最高の家来であることを見せるのである」


 そのセリフに、今度はシバさんが反応する。


「……キジトラ殿、戦闘中は拙者の間合いに入らぬよう注意するでござるよ」


「シバ殿こそ、吾輩の剣の届く範囲からは外れておいた方がいいのである」


 私はため息をついた。


 もう一度言うが、二人は基本的に仲良しだ。しかし、たまになこんな喧嘩を始めてしまうことがあった。


 二人とも召喚中限定で私を主にするという約束になっているので、配下としてどちらが優秀かで揉めるのだ。


「ちょっとちょっと!やめてくださいよ!喧嘩なら戦いが終わってからにしてください!」


 私は二人の間に入りながら喧嘩を止めた。それからヤテベオの方をビシッと指す。


「イライラがあったらモンスターにぶつける!いいですね!?」


 二人は睨み合っていた瞳をモンスターに向け、剣を構えた。


 サスケがこの様子を見て可笑しそうに目を細めた。


「モテるご主人様は大変だねぇ」


 私は言葉では答えず、ため息だけを返した。


 そして気合の声を上げる。


「それじゃ二人とも……お願いします!!」


 私の言葉でシバさんとキジトラさんの体が光を発し始めた。


 シバさんは緑色、キジトラさんは赤色だ。


 クーシーとケットシー特有の技、力の開放だ。この状態になると二人の能力は跳ね上がる。


 ただし魔素の消費が大きいため、私への負担も大きい。強い疲労感を感じた私はすぐに魔素補充薬をがぶ飲みした。


 これだから二人の召喚は切り札にしていたのだ。


 二人は弾けるような音を立てて床を蹴り、ものすごい速さでヤテベオに迫った。


 しかしヤテベオもただ待っているだけではない。すぐに触手を伸ばして二人を捕らえようとする。


 ただしいくら本数が多いとはいえ、触手程度では開放状態の二人を止めることはできなかった。


 二人の間合いに入った触手は瞬時に細切れにされ、ボタボタと床に落ちていく。


 二人はほんの短時間でヤテベオの幹まで来て、鋭い斬撃を食らわせた。


「やった!!」


 私は歓声を上げた。


 幹は大きいので一撃で完全に斬れるわけではないが、何度も繰り返し斬れば倒せそうに思えた。


 が、ケイロンさんが疑問の声を上げる。


「……ん?あれは……すぐに回復してますよ!!」


 その言葉の通り、ヤテベオの体は斬る端から回復していった。ありえない速度だし、先ほど一階で倒した普通サイズのヤテベオたちはこんな事なかった。


 ケイロンさんが弓を引き絞りながら二人に向かって声を上げた。


「シバさん、キジトラさん!作戦を練り直しましょう!いったん戻って来てください!援護します!」


 そう言ってサスケとともにヤテベオの触手を撃ち、二人が戻ってくるのを助けた。


「ちょっと異常な回復速度です。もしかしたらあの後ろの光が関係しているのかもしれませんね」


 私もケイロンさんと同じことを感じていた。


 やはりあの光は普通ではない。


 帰ってきたシバさんとキジトラさんは触手を何百本と斬った剣をヒュッと振り、それから鞘に収めた。


「回復の速度が早すぎるでござる。あれでは倒しきれぬ」


「一撃であの幹を折れるほどの攻撃でないと、倒すのは難しそうなのである」


(一撃であの巨大な幹を折れる攻撃……)


 私はスライム三匹衆の中で一番パワーのあるレッドを前に出した。


「レッド、あなたの最大出力ならどうにかならないかな?」


 レッドはぷるんと体を震わした。やってみる、ということらしい。


(ただの木ならあの大きさでも一撃で折れるだろうけど……)


 私はまたグビグビと魔素補充薬を飲んでからレッドに声をかけた。


「よし、じゃあ行っておいで!!」


 レッドはまたぷるんと震えて返事をし、それからヤテベオへと向かって行った。


 途中、触手に捕まりそうになるまでは普通に進ませて、もう無理だなと思うあたりからアタックを命じた。


 レッドは全身を高温にして周囲に蜃気楼を発生させ、体を一度深く沈み込ませた。


 そしてその反動を利用して、ヤテベオへと激しく跳ねた。


 床が爆発するような音がして、レッドは一発の弾丸になる。その勢いを見て、私たちは無意識に真っ二つに折れるヤテベオを想像した。


 しかし、ヤテベオもただそれを迎えるだけではない。瞬時に触手を交差させ、何枚もの壁を作ったのだ。


 レッドはそれを突き破りながら進んだが、一枚壊すごとに勢いは削がれていく。


 それでもヤテベオへは結構な速度でぶつかったのだが、やはり致命傷には程遠かった。


 私は即座にレッドの召喚を解除し、格納筒へと戻した。そして再び召喚する。


「レッド、お疲れさま。ちょっと無理だったね」


 私はそう声をかけて労った。


(レッドでもダメか。他の方法を考えないと……え?なに?)


 私が次の一手を考えている所に、レッドからの念話が届いた。


 それはちょっとたじろいでしまうほどの強い気持ちだった。


「……もう一回チャレンジしたいの?」


 レッドはどうやらそう言っているようだ。ヤテベオを抜けなかったのが悔しいらしい。


 スライム三匹衆の中でもレッドの性格は心の熱い熱血漢だ。なんとしても目の前に立ちはだかる壁をぶち破りたいのだろう。


 レッドは熱い眼差しを私に向けている。その目はまるで燃えているようだった。


「レッド……すごくやる気だね。まるで目に火が点いてるみたいだよ」


「いや、それホントに火が点いてるよ?」


 え?


 サスケのツッコミではじめて気がついたが、本当に目の部分が燃えている。


 例えではない。炎がメラメラと燃えていた。


「えっと……あなた、そんなことできたっけ?」


 レッドスライムはどの個体も温度上昇のスライムローションを使えるため、みんな高温攻撃を使うという話は聞いている。


 しかし、炎を身にまとうという話は聞いていなかった。


 サスケはレッドの目をまじまじと見た。


「これは……火炎のローションだね」


「火炎のローション?」


「そう。僕たちスライム族の中にも温度上昇のスライムローションを使える奴はいるんだけどさ、それを鍛えまくったら火炎のローションに進化するらしいんだ。でも自分自身にかなり強力な高温耐性ができるまで温度上昇を使いまくらないと進化しないから、めったにお目にかかれないけど」


 それはつまり、うちのレッドが成長したということだろうか。やはりうちの子はできる子だ。


「すごいねレッド!目以外も燃やせる?」


 レッドは私の質問に応えて、体をボッと燃やした。


 これはカッコいい。全身に炎をまとったレッドを見て私は興奮した。


「すごいすごい!!これならあのヤテベオも倒せるんじゃない!?」


 ケイロンさんも私の言うことにうなずいてくれた。


「確かにヤテベオは高温が弱点のモンスターです。ダメージは大きくなるでしょうね」


 え?そうなの?


 上の階で鑑定杖を使ったけど見落としていた。『高温耐性−B』とかあったのかもしれない。


 『催淫手技』というのがあまりにパワーワードで、それしか目に入ってこなかった。


「しかし、あの触手の壁は厄介です。あれをどうにかしないと、ほとんどの攻撃はまともに入らないでしょうね」


「それなら、吾輩たちが触手を何とかするのである」


「左様、レッド殿はがら空きになった幹に思い切り火の玉をぶつけてやればいいでござるよ」


 キジトラさんとシバさんがそう申し出てくれた。


 うちの子は幸せ者だ。皆でレッドが壁を乗り越える助けをしてくれる。


「レッド、じゃあもう一回チャレンジしてみようか」


 レッドは炎をよりいっそう燃え上がらせて返事をした。やる気満々だ。


「では我輩たちが先行するのである」


「レッド殿、遅れるなよ」


 キジトラさんとシバさんがそう言って走り出し、レッドがその後についていった。


 ケイロンさんも弓を構える。


「サスケくん、私たちも触手を撃って援護しましょう」


「了解」


 サスケもスリングショットを構えた。


 私はとにかく魔素消費が大きいため、また魔素補充薬をあおった。


 キジトラさんとシバさんが触手の射程に入ると、また大量のウネウネが襲いかかってきた。


 ただし、やはり開放状態の二人の敵ではない。一瞬で斬り伏せられる。


 そうして二人と一匹が胴体である幹の前まで来ると、ヤテベオは触手で分厚い壁を作った。


 しかし、今回は四人がかりでそれを破るのだ。


 キジトラさんとシバさんが斬り裂き、ケイロンさんとサスケが撃ち落とす。


 私たちの総攻撃を食らった触手の壁は崩れ、幹の部分が露出した。


(今だ!!)


 私はレッドへ魔素を思い切り込めた。そして新技でのアタックを命じる。


「レッド、メッラメラにしちゃいなさい!!」


 レッドは全身を赤く燃やし、炎の玉となってヤテベオへとぶつかった。


 その様子はあたかも隕石が激突したかのようだ。


 実際、隕石が落ちたほどの威力があったのではないだろうか。


 ダンジョンの上階にまで響きそうなほどの轟音が鳴り響き、ヤテベオの幹は一撃でへし折られた。


 そして折れた上の部分が倒れて床に落ち、また派手な音が上がった。


「やった!!頑張ったね、レッド!!」


 私はレッドの快挙を喜んで駆け寄った。レッドも嬉しそうに跳ね回っている。


 ケイロンさんたちも皆ホッとした表情をしていた。


「やりましたね。間違いなくこのダンジョンのボス級モンスターでしょう」


 これで穴は通れるようになったが、それでも下半分ほどは折れたヤテベオに塞がれている。


「通るのに邪魔だからどけちゃいますね」


 私は格納筒に魔素を込め、ヤテベオの死骸を吸い込んだ。こうなるとやっぱり結構便利な魔道具に思える。


 穴の向こうがしっかり見えると、その先の光の正体がはっきりと分かった。


「……金色のリンゴ?」


 穴の外には大きなリンゴがぶら下がっており、それが金色に光り輝いている。


「とりあえず出てみましょうか」


 私たちが穴の外に出ると、突風が吹いてきた。


 それは思わずバランスを崩すほどの強い風だったが、そんな風が吹いてきたことに全員がすぐに納得した。


 私たちは大木の頂上付近にいたのだ。


 頭上や周囲は枝に囲まれているが、その隙間から青い空が覗いている。


 足元はちょっとした広場のように平たくなっていて、その縁から見える下の方には私たちが通ってきた森の木々が小さく見えた。


 さっきまではダンジョンの地下にいたはずなのに、穴の外はむしろダンジョンの頂上だったのだ。


「え?なんで?」


 私の疑問にケイロンさんが答えてくれた。


「ダンジョンの中は次元が歪んでいますから、こういったことも当然ありうるでしょう。ですが……完全に盲点でしたね。これまでの探索者は、ここへ来ようと思ってとにかく上へ上へと登ってきたはずです」


 なるほど。


 それを思うと気の毒な気もする。五十階まで上がれば太ももは乳酸だらけになっただろう。


「でも……このリンゴをどうしたらいいんですかね?」


 私はあらためて金色に光り輝くリンゴを見上げた。


 それは確かにリンゴの形をしてはいるのだが、ものすごい大きさだった。


 リンゴがぶら下がっている茎の部分だけで直径三メートルはありそうだ。リンゴ自体は……何メートルあるだろうか?


(デカすぎ……)


 私たちは心の中で全く同じことを考えていた。


 ケンタウロスの賢者もこのリンゴをどうしたらいいかは分からなかったが、とりあえずごく普通に考えられる提案をしてくれた。


「そうですね……正解は分かりませんが、まずは切り落としてみましょうか。リンゴなので『食べる』ということも考えられますが、ちょっと勇気の要ることですし」


 確かにまずやるべきはそれだろう。


 シバさんとキジトラさんがジャンプしてリンゴの上に乗った。


「では、斬るでござるよ」


「少し離れておくのである」


 二人は私たちが下がったのを確認し、同時に剣を振った。


 が、リンゴをぶら下げた茎は斬れず、二人の剣は素通りした。


 まるでホログラムを斬っているかのようだった。


「……え?その茎って幻なんですか?」


 シバさんとキジトラさんは私の認識を否定した。


「いや、幻ではござらん。手応えはあったでござる」


「この茎が斬った端から再生したのである」


 私は耳を疑った。斬撃を入れた剣と同じ速度で再生したということか。


 巨大ヤテベオの再生もすごかったが、その比ではない。


「ちょっと試してみるでござる」


 シバさんが全身を緑色に光らせ、開放状態になった。そして私にはほとんど視認できない速度で斬撃の雨を降らせる。


 それを続けていると、茎は少しだけ、ほんの少しだけ斬れたように見えた。しかし、それもシバさんの手が止まるとすぐに元に戻った。


「……ふう、これだけやってこの程度しか斬れないとなると、斬り落とすのはかなりの労力が必要でござるよ」


「無理そうですか?」


 私の問いにシバさんは首を横に振った。


「決して無理ではないでござる。ただ……我々は召喚状態ゆえ問題ござらんが、クウ殿の魔素がもつかどうか」


 そうか。先ほどもちょびっとは斬れたのだから、時間さえかければできない事ではなさそうに思える。


 要は私の体力次第だ。


「じゃあ体力勝負を挑んでみましょうか。ちょっと待ってくださいね」


 私は魔素補充薬をグビグビと飲んだ。


 もうお腹はタプタプだが、満タンにしておかないと斬り落とすのは難しいだろう。


「……ケプッ。よし、もう大丈夫です。二人とも始めてもらっていいですよ」


「では、やるでござる」


「ケイロン殿とサスケ殿もできる範囲で攻撃を加えてくれると助かるのである」


 キジトラさんの言葉に遠距離組はうなずいて武器を構えた。


 そして開放状態なった二人がいっせいに斬りかかる。


 相変わらず凄まじい速度の斬撃だったが、それでもやはり少しずつしか斬れない。


 ケイロンさんの弓とサスケのスリングショットが加わっても、切れ目が広がる速度は目に見えては変わらなかった。


 私はというと、引き続き魔素補充薬を飲み続けていた。シバさんとキジトラさんが本気で斬りかかっているので、魔素消費が半端ない。


 飲む端から消費されていく、というよりも、飲んで補充される速度よりも消費速度の方がよほど早かった。


(このままじゃまずいな……)


 私の魔素はどんどん枯渇していき、強い疲労感を感じてきた。


 そしてめっちゃムラムラしてくる。


(さすがにこの状況でセルフケアはできないし……)


 この世界に来て発情体質を得てしまった私にはそういった魔素の回復手段もあるが、この大木の上には隠れられそうな場所はない。


 とりあえず魔素が切れるまで頑張ってみようと思った。


 四人の攻撃のおかげで、茎は少しずつ斬れていっている。本当に茎が斬れるのが先か、私の魔素が切れるのが先かという勝負だった。


 そして長い時間の戦いの果てに、ようやく終わりが見えてきた。


(あとちょっと!!)


 茎はもうかなり細くなっていた。


 私も相当キツかったのだが、手を握りしめて魔素を送り続ける。


 相変わらず魔素補充薬は飲み続けているが、それでも三人の召喚維持が難しくなってきた。


 そしてついにケイロンさん、シバさん、キジトラさんの姿が薄くなり、向こうが透けて見えるほどになってしまった。


 召喚が解除されるのだ。


(間に合うか!?)


 全員が焦燥に駆られながら攻撃を加えた。


 そして召喚された三人の消える間際、ケイロンさんの放った一矢がついにリンゴの茎を完全に切断した。


「「やった!!」」


 全員の歓喜の声が重なった直後に召喚は解除され、サスケ以外の三人は消えてしまった。


 しかし、私たちは勝ったのだ。


 金色の巨大リンゴは重力に引かれて落ち、私たちの立っている大木にぶつかった。


 その瞬間、リンゴは聞いたことのないような高い音を立てて弾け、たくさんの小さな金色の粒となった。


 そしてその粒たちは、残った私とサスケに向かって集まってきた。


「え?え?え?」


「な、なに?」


 私は何が何やら分からず、戸惑うばかりだった。隣りでサスケも似たような顔をしている。


 金色の粒たちは私たちの体に音もなく入ってきた。


 別に痛くもなんともない。ただ不思議な暖かさだけが体の芯に残った。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139558765659699


「……?一体何だったんだろう?」


「さぁ……」


 私の疑問に、サスケもそれ以外の返答はできなかった。


 何が何だかさっぱり分からない。


 リンゴの放つ光からは強い魔素を感じられていたが、別に魔素が回復した感じもない。


 相変わらずケイロンさんたちを召喚できないほどの枯渇状態だ。本音ではその場に倒れ込みたいほど疲弊している。


 別に何かの力が入って強くなった感じもないし、逆に害がある感じもしない。


 本当にどんな意味があったのか、全く分からなかった。


 ただし変化がなかったのは私たちの体だけであり、その周囲には大きな変化が起こっていた。


 大木のダンジョン全体が揺れ始めたのだ。


「あ……これ、前と同じだよね?ダンジョンの攻略が完了した時のやつ」


 私はこの揺れにデジャヴを感じていた。そしてそれはサスケも同じだ。


「多分そうだろうね。リンゴを落とすのが攻略条件だったってことで間違いないと思う」


 条件が満たされ、攻略が完了したダンジョンは消えてしまう。そして中にいる人は強制的に外に転移させられるのだ。


 しかし、私はそこでふと思った。


「ここって……ダンジョンの中っていう認識でいいのかな?」


 一応ダンジョンを通っては来たものの、考えてもみれば大木の上にちょこんと立っている状況だ。


 私の疑問にサスケの表情が凍りついた。


「い、一応中に戻っておこうか」


 サスケが魔素の枯渇で弱っている私の手を引いてくれた。が、少し遅かったようだ。


 大木のダンジョンは忽然と消えてなくなり、私たちは空中に放り出された。


「キャアァア!!」


 急に無くなった足場と浮遊感に、私は悲鳴を上げた。


 地上までの高さはゆうに百メートル以上ありそうだ。落ちれば当然死ぬだろう。


 ガルーダのガルを喚べれば一番良かったのだが、もうそんな魔素は残っていない。


 スライムたちならかろうじて喚べるかもしれないが、あの子たちが空を飛べるはずもない。


 魔素補充薬を飲むことができれば回復できるが、確か百メートルの自由落下にかかる時間は四、五秒だと高校の時に習った記憶がある。


 風や空気抵抗で多少は違うだろうが、それも間に合うとは思えない。


 絶望を感じている私の頭をサスケがぐっと引き寄せ、その胸に抱いた。


「クッションに……」


 短い一言だったが、それだけでサスケの意図は十分に分かった。自分をクッションにして私の落下ダメージを減らそうとしてくれているのだ。


 もちろんそれくらいで何とかなるような高さではないし、サスケもそんなこと分かっているだろう。


 しかし最後の最後まで、自分を盾にしてまで、私を守ろうとしてくれているのだ。


 私はその事に胸の奥が熱くなり、絶対にこの人を守りたいと強く思った。


(私にできること……少ない魔素でできること……)


 私はごく短時間で頭を高速回転させ、考えた。そして一つのことを思いついた。


「目を閉じて!!」


 私はそう叫びながら自分の腰回りに意識を集中した。そこには一つの魔道具がある。


 ブラウニーのビリーさんからもらったTバックだ。


「え?」


 サスケが疑問の声を上げるのと同時に、私のTバックは急速にレースを増殖させた。


 レースはどんどん広がってスカートをめくり上げ、蝶の羽根のような形になって落下の空気抵抗をその身に受けた。


 このTバックは魔素を込めると布地を増殖させ、美しいレースを伸ばすことができる魔道具だ。しかもそれに必要な魔素はごく少量だし、ある程度動かしたりもできる。


 Tバックは瞬時に強い空気抵抗を受けたため、私の体に上方向のGがかかった。


 それによってサスケの胸に私の頭が抱かれていたのが、反対にサスケの顔が私の胸に埋もれる形になった。


 ちょっと恥ずかしいが、正直ありがたい。こんな姿は人に見られたくなかった。


 もし見られれば、私は『Tバックで空を飛ぶ女』の称号を得ることになってしまうだろう。だから目を閉じるように伝えたのだった。


「……え?どうなってるの?飛んでる?」


 サスケが私の胸でフガフガしながら尋ねてきた。


 私の体は魔素の枯渇でかなりの発情状態になっているためそれだけでもかなりゾクゾクしたのだが、今はそれどころじゃない。


「いいからそのままでいて!地上に降りてもしばらく目を閉じててよ!」


 私はそう厳命しつつ、レースの操作に意識を集中した。


 今は蝶の羽根のような形にしているのだが、それが正解なのかはよく分からない。蝶ならばあまり羽ばたかなくてもフワフワ飛べそうなイメージがあったのだ。


 そして幸いなことに、それは上手くいっていた。だいぶレースの面積を大きくしたからかもしれないが、何とかバランスを取りながらゆっくりと降りることができている。


 ただし、Tバックはものすごく食い込んでくる。ただでさえ食い込むようにできているような下着なのに、こんな風に使えばそうなるのは当然だった。


 私は胸のサスケと股間のTバックにハァハァしつつも、どうにかこうにか宙を飛びきって地に足を下ろすことができた。


 ほっと胸を撫で下ろしながらサスケを放し、振り返って今降りてきた空を見上げた。


(奇跡だ……本当に危なかった)


 私がシュルシュルとレースを戻している後ろから、サスケの声がかかった。


「す、すごいの履いてるね……」


 肩越しに首だけ振り返ると、地面に腰を下ろしたサスケが私のお尻を凝視している。


 レースはまだかなり長いので、スカートは完全にめくれ上がっていた。


「……目を閉じててって言ったじゃん!!」


 私はレースを振り回してサスケにぶつけ、サスケは二・三メートルの距離を飛んだ。


 こうして私は『Tバックで空を飛ぶ女』の称号を得るとともに、意外にもTバックが武器になるということを学んだ。



***************



☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈ヤ・テ・ベオ〉


 ヤ・テ・ベオは中央アメリカや南アメリカに生息するとされた、伝承上の食人植物です。


 描かれる姿は様々なので、どんなふうに人を襲うのか、食べるのか、明確な定形像はないそうです。


 ただ全体的に『太くて短い幹を持ち、長い蔦で人を襲う』とされていることが多いらしいので、だいたい作中のモンスターっぽい感じかもしれません。


 ただ当然ながら、快楽を与え……的な下りは完全オリジナルです。


 仮に南米を旅行中にそれっぽい植物を見ても近づかないようにしましょう。



〈黄金のリンゴ〉


 不思議なことに、『黄金のリンゴ』は様々な神話や民話に登場しています。


 ネットで検索すると一覧になっているサイトがあるので、興味のある方は見てみてください。


 要は、昔からリンゴは身近で皆が大好きな食べ物だったということでしょう。


 それらの話の中でも筆者が特に好きなのは、ギリシア神話の『不和の林檎』の下りです。


 とある神様の結婚式が開かれたのですが、不和と争いの女神エリスは招待されませんでした。


 そこで結婚式に『最も美しい女神へ』と書いた黄金のリンゴを投げ入れたのです。


 それを見た三柱の上級女神(最高神の妻ヘーラー、知と戦いの女神アテーナー、愛と美の女神アプロディーテー)が、


『これは私のものよね?だって私が一番美しい女神なんだから』


と言って喧嘩を始めてしまいました。


 ああ女神様。


 この争いは結局、トロイアという国の王子に審判を委ねられました。


『ねぇねぇそこの君、誰が一番美しいと思う?』


 そこで公平な勝負があればただのミス・ユニバースで終わりだったのですが、どうしても勝ちたい三女神はこの王子に賄賂を提示します。


『私に勝たせてくれたらコレ上げるわよ』


 ヘーラーが『君主の座』、アテーナーが『どんな戦でも勝てる力』、そしてアプロディーテーが『絶世の美女ヘレネー』。


 皆さんなら何を選ぶでしょうか?


 若い王子は美女ヘレネーを選びました。


 しかしこのヘレネー、なんと他国のお妃様だったのです。


 当然ながら、妻をさらわれて怒ったその国の王様が返せと言ってきました。


 しかし王子は断固拒否。


 結果、神々まで両派に分かれて争う『トロイア戦争』が勃発してしまいます。


 リンゴ一つで大戦争を引き起こしたのも凄いですし、そこに至るまでの様々な欲望にも考えさせられますね。


 神話の多くは人の欲望をデフォルメして神々に投影しているように感じられますが、そこから多くのことを学べるのも神話の魅力だと思います。



***************



お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

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