第25話 大木のダンジョン1

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私はまるで口を広げたようにポッカリと開いた木のうろを見て、そんなことを考えた。


 その虚は人よりもずっと大きく、それこそ大型のモンスターでも通れるようなサイズをしている。


 もちろんそんな穴がただの木の虚なわけはない。ダンジョンの入り口だった。


 私は以前にも似たような感覚を持った記憶がある。それはプティア東に現れたダンジョンを前にした時だ。


 その時もダンジョンの入り口を見て、何かに誘われているような気がしたのだ。


(なんだろう?不思議と誰かに呼ばれてるような……)


 そんな感じがするのだが、別に声が聞こえるわけでもない。


 それに、私以外そんな風にはまるで感じていないらしかった。


「ひゃー、でっかい木だねぇ」


 スライムのサスケが首を上に反らし、ため息混じりにそう言った。


「そうですね。私もこれほど大きな木を目にするのは初めてです。と言っても、これはダンジョンなわけですから木に分類していいものかどうか微妙なところですが」


 木の定義ついて冷静に問題を提起したのはケンタウロスのケイロンさんだ。


 私たちは三人でここ大木のダンジョンへと来ていた。


 大型モンスターが通れるような虚がダンジョンの入り口になっているほどのドデカい大木だ。


 木の周囲をぐるりと回るだけでいいジョギングになるほどの大きさをしている。


 高さもかなりあり、まるで何十階建てかのビルを目の前にしているようだ。


 てっぺんを見上げようとすると、地面とほぼ垂直に視線を向けなければならない。


「……本当にこの一番上まで登るんですか?」


 私はうんざりしたような気分でケイロンさんにそう確認した。


 あらかじめ、ターゲットは大木の上にあるはずの『何か』であると聞かされている。


 それをどうにかすることがこのダンジョンの攻略条件である可能性が高いらしい。


 ケイロンさんの口調には私ほどの絶望は含まれていなかった。


「それが最終目的ですが、正確にこの高さを登るかどうかは分かりません。ダンジョン内は次元が歪んでいますから、短距離で頂上まで着く可能性もあれば、これよりも長い距離を登らないといけない可能性もあります」


 ダンジョンとは異次元の迷宮だと考えられている。環境中の魔素が何らかの理由で歪みを生じ、その入り口が突然できることがあるらしい。


 ダンジョンにはそれを満たせば消滅するという条件があり、これを攻略という。私たちはこの大木のダンジョンを攻略に来ているのだ。


 サスケがカバンから地図を取り出した。


「でも……今まで攻略に来た人たちの記録を見る限り、最低でも五十階は登らないといけないんだよね」


 サスケが取り出した地図は、一枚につきダンジョン一階層分の間取りが書いてある。


 それがちょうど五十枚あった。


「太ももがパンパンになりそう……」


 私はまたうんざりした声を上げながら、耽美イケメンエルフのフレイさんの顔を思い出していた。



****************



「実はこのダンジョン……街の財政上、結構なお荷物でして」


 その日、私たち三人を役所へ呼び出したフレイさんは、普通なら言いづらそうなお金の事情をフランクに話してくれた。


「ケイロンさんはご存知と思いますが、出現からもう何年も経っています。その間、何人もの人間が攻略を目指して探索しましたが、五十階まで登ってもいまだに終わりが見えません。その内挑む探索者もいなくなり、今では街が監視の兵だけを置いている状態です」


 ケイロンさんもよく知っているようで、うなずいて応じた。


「確かに出現時には結構な話題になっていました。夜になると大木の上の方が金色に輝いているという話でしたよね?」


「そうです。ですからダンジョンを登っていき、そこまで行って何かをすれば攻略になるのだろうと言われていますが……」


「あまりにも長い道のりにみんな嫌気がさして、今では塩漬け物件になっている、と」


 イケメンエルフはその整った眉根を寄せて首肯した。


「探索者が放置しても、街としては放置できません。ダンジョンからは強いモンスターが出てくることもありますからね。少し離れたところに見張台を立てて監視をしています。ですが、その維持費が馬鹿にならなくて……」


 それは私にも理解できた。


 防壁の無い街の外で見張りをするのだからある程度の兵力を配置しておかなければならないし、そのための施設の維持費もかかるだろう。


 しかもダンジョンは基本的に攻略がなされるまでは永遠に存在するので、このままでは将来に渡りずっとコストがかかり続けてしまうのだ。


 そんなこんなで先日ダンジョンを一つ攻略した私たちにお鉢が回ってきたわけだが、正直なところまるで自信がない。


 私はそれをはっきりと伝えた。


「そんなにたくさんの人たちが挑戦してダメだったダンジョンを、私たちが攻略できるとは思えないんですが……」


 不安を口にする私の前に、フレイさんは紙の束を置いた。


「これまでの探索者たちのおかげで五十階までの地図はできています。そしてこれからも少しずつ探索を進めれば、六十階、七十階と、この地図は増えていきます。ですからクウさんたちには攻略とまでいかずとも、せめて十階分程度の大まかなマッピングをお願いしたいのです」


「なるほど。でも……うーん……この間のダンジョンでも結構危険な目に……」


「報酬は一階につき三十万円です」


「さ、三十万!?」


 ということは、十階分だと三百万円になる。


「ちなみに百階まで予算は計上されていますから、その範囲内なら行けるところまで行っていただいて結構ですよ」


(ということは、マックスで千五百万円……)


 それはさすがに心の揺れる額だった。



****************



「とりあえず最短ルートで五十一階まで登ってさ、後は無理のない範囲でマッピングして戻ろうよ」


 サスケはダンジョンの入り口に立ち、指で地図をなぞった。


 一階の最短ルートを確認しているのだろう。


 ただし最短ルートとはいえ、どうしても五十一階分の階段は登らなくてはならない。


「飛んでいけたらいいのに……」


「無理だよ。空中から近づくと大量の枝が襲ってくるって話だからね。辛くてもダンジョン内を地道に登らないと」


 私の『たられば』をさらりと斬って捨てたサスケがちょっと憎い。女子は常に共感を求めているのだ。


 私はサスケを横目でじろりと見た。


「……サスケは足を使うのが楽しくなったみたいだけどね。私は魔素を節約しないといけないからあんまり身体強化を頼りにできないんだよ」


 サスケは先日ハンプ教官に鍛えられて以来、身体強化の鍛錬にハマっていた。


 特にスライムは素早さが上がりやすい種族らしく、どんどん速くなっていくのが楽しいらしい。


 そこで私はレースチャンピオンのスキアポデス、モノコリさんを紹介してあげた。


 すると二人は意気投合したらしく、イエローも混ざってしょっちゅう一緒にトレーニングをする仲になっていた。


 そんな状況なので、階段五十階分もいい筋トレ程度にしか思っていないのかもしれない。


 私の発言にはケイロンさんが同意してくれた。


「そうですね。前回のダンジョン探索もそうでしたが、クウさんの魔素切れが一番危険です。そこに最大限の注意を払いましょう」


 ケイロンさんの言うことにサスケもうなずく。


「確かにね。でもまぁ、どうにもならなくなったら僕がクウを背負って脱出するよ。今の僕は逃げ足には自信があるからね。そのために呼ばれてるようなものだし」


 サスケは自分の太ももをパンパンと叩いてみせた。


 以前のサスケなら逃げ足どころか私を背負って走ることもできなかっただろうが、今ならそのくらい苦もなくできるだろう。


 ケイロンさんは召喚されている状態なので私の魔素が切れれば消えてしまうが、サスケは生身なのでそんなこともない。


 実際、そういった期待も込めて一緒に来てもらっているというのが実情だ。


「私は背負われるよりもお姫様抱っこの方がいいな」


「わがまま言うんなら足掴んで引きずるよ」


「そんなことしたら後ろから石投げるから」


 私たちは軽口を叩きながらダンジョンの入口をくぐった。


 大木の中は木をくり抜いたような広い通路が続いている。


 ただ通路と言っても幅が十メートルくらいはあるので、細長い広間と表現した方がいいかもしれない。


 仄暗いが、十分な視界が得られる程度の明るさはあった。


 火などの光源がないことを考えると、壁や床、天井自体が発光しているらしい。前のダンジョンもそうだった。


「早速来ましたよ。気をつけて」


 ケイロンさんが通路の先に目を凝らし、警告の声を上げた。


 奥から現れたのは双頭の犬型モンスター、オルトロスだ。


 グルグルと低い唸り声を上げ、牙をむき出しにしている。ビジュアル的にかなり怖い。


 それが十頭、群れになって現れた。いや、頭が二つあるので二十頭というべきか。


 とにかく十体ものモンスターが一度に現れたのだ。


 オルトロスたちは唸り声を吠え声に変え、一斉に襲いかかってくる。


 私は盾を構え、スライム三匹衆を召喚した。


「数が多い……止めます!レッド!!」


 鋭い声でレッドにアタックを命じた。


 高熱を帯びた赤いスライムが群れの真ん中へ突っ込んでいく。


 加減したとはいえ、それで三体のオルトロスを一度に仕留めることができた。他の個体もほとんどが歩速を落とす。


「左の三体をやります!」


 ケイロンさんが三本の矢を一度に掴み、弓を引き絞った。


 放たれた矢は寸分違わずオルトロスの心臓に突き刺さる。また三体が地に倒れ伏した。


「ブルー、イエロー!!」


 私は二匹のスライムたちにもアタックを命じた。残り四体のうち、一体は凍りつき、二体は電撃で痙攣しながら絶命する。


 しかし初撃で散らしてしまったせいもあり、最後の一体は全ての攻撃を免れてこちらまで肉薄してきた。


 狙いはサスケのようだ。


 以前にケイロンさんから聞いたのだが、『オルトロス』の名前は『速い』という意味の単語から付けられているらしい。


 名前通りの俊足でサスケに飛びかかった。


「危ない!!」


 私は思わず叫んだが、オルトロスの牙はガチリと音を立てただけでサスケの肉を食いちぎりはしなかった。


 サスケはオルトロスよりも速いスピードで横っ飛びに牙をかわしている。


 そしてさらにバックステップで距離を取りながら、スリングショットのゴムを引いた。


 狙いを定め、その手を離す。


 ドカンッ!!


 と、普通のパチンコ玉ではありえない音がオルトロスの顔面で鳴った。サスケの一撃が当たった部分が爆発したのだ。


 オルトロスの頭は二つあるが、片方だけてもダメージは十分だったらしい。すぐに地面に倒れて動かなくなった。


「ば……爆発のスライムローションって、すごい威力だね」


 私はあらかじめこの武器のことを聞いてはいたのだが、目にするのは初めてだった。


 サスケの武器はスライムローション飛ばしてぶつけるスリングショットだ。


 表面を固化させたスライムローションの玉は、割れると中身が飛び出して様々な特殊効果を与える。


 今までは麻痺や酸などが主だったが、ここにきて爆発の効果があるスライムローションを使えるようになったらしい。


 サスケは腰から下げた袋を手で叩きながら満足そうに笑った。


「爆発のローションに加えて、効果増強のローションも混ぜてるからね。このために危険物取扱者の免許取ったんだ。頑張って勉強したよ」


 爆発のスライムローションは今までサスケの意志で使わなかったわけではなく、免許がないから使えなかったのだ。


 ちなみにサスケが働いているスライムローション工場では危険物の免許を持っていると手当が出るそうで、それも勉強を頑張った理由の一つらしい。


 免許のための勉強を教えたケイロン先生も、頑張ったサスケを褒めてあげた。


「サスケ君の努力、成長は目覚ましいものがあります。先ほどオルトロスの攻撃をかわした素早さもそうですし、今の通り攻撃力も身に付きました。戦力として、とても優秀です」


 褒められたサスケもまんざらではないようで、笑顔を深くした。


 私としてはサスケが強くなること自体は嬉しいのだが、振り返って自分のことを鑑みると色々思うところがある。


(最近、新しいモンスターを隷属させてないな……)


 私はそう思った。


 別に自分が強くなってないとは思っていない。


 サスケと同じく身体強化の訓練を受けたし、ブロンテスさんの盾のおかげで防御力も上がった。


 しかし体の柔らかいのサスケとは違って私の場合は身体強化の難易度が高く、あれほどの成長はできていない。


 それに盾は全周囲をカバーできるわけではないので、まだ不安も大きかった。


 魔素を使った身体強化・強度強化は引き続き特訓していくものの、すぐすぐの劇的なレベルアップは期待できないだろう。


 しかし私は召喚士なのだ。モンスターを隷属させることで戦力を増強させるという方法がある。


「……よし、次に会ったモンスターを隷属させよう」


 私はつぶやき、気合を入れ直してから使役モンスターを入れる格納筒を握った。


 その途端、不思議なことが起こった。


 それまで真っ黒だった格納筒が虹色に輝き始めたのだ。


「……え?」


 この色には見覚えがある。


 前に入ったダンジョンの最奥でこの格納筒を初めて見た時、色は黒ではなくこんな風に虹色に輝いていた。それを私が手に取った途端、黒くなったのだった。


 そしてその時もそうだったが、突然死んだモンスターたちが格納筒に吸い込まれていった。


「キャアっ!!」


 私は反射的に悲鳴を上げた。


 別に痛みなど感じたわけではないが、オルトロスたちが吸い込まれる衝撃のようなものを感じた。


 サスケとケイロンさんも同じように驚いていた。


「えっ!?なに!?」


「こ、これは!?」


 オルトロスたちが全て吸い込まれると、格納筒は光を放つのをやめてまた漆黒に戻った。


「クウ、大丈夫?」


「怪我はありませんか?」


 サスケとケイロンさんが口々に心配してくれた。


 私は自分の体を見下ろして無事を確認した。


「だ、大丈夫……と思う」


 どうやら本当になんともなさそうだ。


「そうですか……しかし、今のは何だったんでしょうか?」


「えっと……私もよく分からないんですけど、実は前のダンジョンでこの格納筒を手に入れた時にも同じことが起こったんです」


「えっ!?……私にもよく分からない現象ですが、とりあえずおかしな事があったら言うようにしてくださいね」


「ごめんなさい……あの頃はまだ自分の周りで起こることが知らない事だらけで、何が普通で何がおかしな事かの判断がつかなかったんです」


 前のダンジョンに入った時はこの異世界に飛ばされて日も浅かったため、何かあっても『そういうもの』か、くらいにしか思わなかった。


 まぁ今でもそんなことが多いのだが、確かにこの格納筒は普通ではなさそうだ。


 記憶喪失という設定にしているので、ケイロンさんは私の言うことに理解を示してくれた。


「なるほど、確かにそうだったでしょうね。しかし今からでも思い出して疑問に思うことがあったら聞いてください」


「そうします。とりあえず、この格納筒に関してはあれ以来何もありませんでした」


 ケイロンさんは口元に手を当てて考え込んだ。


「となると……例えばですが、『魔素を込めるとモンスターの死体を吸い込む』という機能のある格納筒なのかもしれません。今、クウさんが触れるまで機能しませんでしたし」


 言われてみれば、確かに気合を入れて格納筒を触ったので、無意識に多少の魔素を込めたかもしれない。


 サスケが疑問を口にした。


「死体じゃなくて、モンスターなら生きてても吸い込んでくれるって可能性はないかな?それなら戦闘でもかなり便利な魔道具になるけど」


「おそらくですが、対象は死体だけです。あれを見てください」


 ケイロンさんが指さした先には、サスケのスリングショットが当たったオルトロスがいた。


 どうやら完全に絶命はしていなかったようで、よく見ると呼吸で胸が動いている。


「検証してみましょう」


 ケイロンさんはオルトロスに向かって矢を放った。矢は爆発に巻き込まれなかった方の頭の眉間に突き刺さり、今度こそ完全に絶命した。


「クウさん、格納筒に魔素を込めてください」


 私が言われた通りにすると、果たして格納筒は虹色に輝き始めた。


 そして先ほどと同じようにオルトロスの死体が吸い込まれていく。


 サスケが感嘆の声を上げた。


「すごい!名推理!さすがはケンタウロスの賢者!」


「後はダンジョンを出てから検証してみましょう。ですが、これは結構便利な魔道具かもしれません」


 ケイロンさんはこの不思議な格納筒をそう評価したが、私とサスケは首を傾げた。


 サスケが言ったように生きてるモンスターを吸い込んでくれるなら武器になるが、死体を吸い込んでいいことがあるだろうか?


 私たちの疑問に気がついたケイロンさんはすぐに説明してくれた。


「モンスターの中には血の匂い、死体の匂いに敏感なものが多くいます。そういったものを寄せ付けないためには、倒したモンスターをすぐに吸い込むという機能はとても優秀です」


 なるほど、確かにそう言われれば便利な魔道具なのかもしれない。


 しかし私はその説明には納得したものの、心の奥にどこか引っ掛かりを感じていた。


(この格納筒、本当にそれだけの魔道具なのかな?何かもっと重要な物のような気が……)


 それはただ予感ではあったが、不思議なほどにはっきりとそう感じられるのだった。


「吸い込まれたモンスターがどこに行くかは分かりませんが……ダンジョンと同じように、格納筒の中には違う次元が広がっているのかもしれませんね。なんにせよ、ダンジョンで便利な魔道具が手に入るというのはよくある事です。この格納筒も特別な機能付きの魔道具だったということでしょう」


 ケイロンさんはそう結論づけて歩き始めた。


 今はダンジョン探索中であり、格納筒一つをどうこう言っている時間はない。


 私とサスケもケイロンさんのお尻を追うことにした。


 しばらく歩くと、またすぐにモンスターに出くわした。しかも今度も複数体いる。


 サスケがそれらを見て忍び笑いを漏らした。


「クウ……さっき『次に会ったモンスターを隷属させる』って言ってたよね?こいつら、隷属させる?」


 サスケが笑ったのも仕方ない。


 そのモンスターはちょっとアレなビジュアルをしていた。


「ウ、ウネウネがウネウネで、ウネウネしてる……」


 そのモンスターはとにかくウネウネのモンスターだった。


 胴体は短くて太い木の幹のようなものだが、そこから無数のつたのような触手が生えている。


 まるでイソギンチャクみたいだ。


 初見のモンスターだったが、ケイロンさんが短く解説してくれた。


「ヤテベオというモンスターです。生物を触手で捕まえてその魔素を吸い取ります。触手の力もさることながら、拘束と共に快楽を与えて動けなくする能力もあるので気をしっかり持ってください」


(か、快楽で!?)


 私は耳を疑いながら盾を構え、鑑定杖を発動させた。


 すると、なんと『催淫手技C』という文字列が見えた。


 私はそれに驚くとともに、体の奥が熱くなるのを感じた。


 先日、Hゴーレム社で警備ゴーレムの触手に足腰立たなくなるまで責められたのを思い出したのだ。


 普通ならば気味の悪いウネウネの触手だが、私にはむしろドキドキハァハァものに見えてしまう。


「わ、私は有言実行の人だから」


 私はヤテベオを使役モンスターにする気まんまんになった。


 別に他意はない。純粋に戦力の増強を考えてのことで、決してセルフケアに用いようなどと思ってはいない。


 サスケにはそれが強がりとして映ったようだった。


「無理しなくていいよ。ちゃっちゃと倒そう」


 そう言ってスリングショットを構える。ケイロンさんも弓に矢をつがえて狙いを定めた。


 ヤテベオの触手はそれほど遠くまで伸びないのか、距離をとっての攻撃になす術もなかった。


 爆発のスライムローションと矢とで次々に倒れされていく。


(まずい。このままじゃ隷属させる前に二人に倒されちゃう)


 私がそんな心配をしていると、一体のヤテベオが逃げ出した。


 階段への道とは違う、脇道の方へと逃げていく。


 私は走ってそれを追った。純粋に戦力を増強するためだ。


 決して他意はないし、ましてやその個体だけ『催淫手技』のランクがCではなくBというテクニシャンなことが気に入ったわけでもない。


 ハァハァと走る私の背中にケイロンさんが声をかけた。


「先を急ぐのが優先です。逃げるモンスターまで追う必要はありませんよ」


「で、でも……背中から襲われるのも危ないですから!」


 そう、一切の他意はないのだ。あくまで探索のためだ。


 しかし、私は脇道の曲がり角を曲がったところでヤテベオの姿を見失ってしまった。


 それほど遠くへは行っていないはずなのに、どこにも見当たらない。


「あれ……どこに……キャアッ!」


 突然、首から背中にゾクリとした感触を覚えて私は声を上げた。


 何かが襟の後ろからシャツの中へと入ってきたのだ。


 上を向くと、天井にヤテベオが張り付いていた。そしてその触手を私へ向かって伸ばしてくる。


 背中から入った触手はすぐに私の体中に巻き付き、さらに数本の触手が両手両足を拘束した。


 身動きが取れない状態で、触手が体中を這い回る。


「やぁんっ……ちょっと……はぁんっ」


 その絶妙な動きに思わず甘い声を漏らしてしまった。


 足に絡みついた触手が這い上がり、お尻を撫で回す。


 悪いことに、今日はブラウニーのビリーさんからもらったTバックを履いてきていた。


 直に皮膚を撫でられて、私はゾクリとした快感に襲われた。


「あぁんっ」


 ヤバい。やっぱりテクニシャンだ。


 しかし、このモンスターはこうやって魔素を吸い取ってしまうのだ。確かに気持ちいいだけでなく、気力が吸われてしまうような感覚があった。


(ちょっともったいないけど……仕留めよう!)


 残念ではあったが、このままやられてしまうわけにはいかない。私はレッドにアタックを命じた。


「レッド!!」


 レッドが天井に向かって狙いを定める。


 しかし跳ぼうとする瞬間、ヤテベオは天井を触手で蹴って床へと降りてきた。


(速い!反応もいいし、頭もいい!強い個体だ!)


 私はそう思った。催淫手技のランクが高いのもうなずける。


 レッドはすでにアタック体勢に入っていたのでやむなく跳んだが、完全に空振りだ。


 しかしスライムは破壊力のあるボールのようなものだ。天井で跳ね返って床方向へ攻撃することもできる。


 レッドは再度ヤテベオへとアタックすべく、天井で力を込めた。


 そして跳ぼうとする瞬間、今度は私の体に強いGがかかった。


 ヤテベオの触手が私を持ち上げて、レッドとの直線上へと移動させたのだ。


(ヤバい!!)


 レッドは慌てて弾道をずらし、私すれすれで床へと突き刺さった。


 轟音が鳴り響き、床が大きく揺れる。


 なんとか私に被害はなかったが、当然ヤテベオにもダメージはない。


(思ったより厄介なモンスターだ!)


 私は苦戦を覚悟したが、すぐにケイロンさんとサスケが追いついてくれた。


「クウ!!」


「大丈夫ですか!?」


 さすがにこの二人がいればなんとか逃れられるだろう。


 私が不安を和らげた瞬間、また別の所から不安を煽る音が聞こえてきた。


 ピシピシッ……ミシミシミシ……


 その音はレッドがぶつかった床を中心に鳴っていた。


 見ると、床に入ったヒビが急速に広がっている。


 そしてほんの一瞬後、広範囲の床が崩落し、私たちはその大穴から落ちていった。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139558689648409


 私は気持ちの悪い浮遊感の中、解剖学の本で見た全身の組織図を思い浮かべた。


 そしてそのイメージを自分の体とリンクさせていく。


 表皮、真皮、皮下組織、脂肪、筋繊維、骨、軟骨、関節、内臓……


 そのようにしっかりイメージして魔素を込めれば、体の強度が増強されるのだ。


 私は最近よくこのトレーニングをしていた。戦いの最中にどこかだけを集中して強化するのは、戦闘経験の少ない私にとっては難しい。


 だからとりあえず全身を均一に強化できるよう練習しているのだ。


 もちろん燃費は悪くなるし、一点集中よりも効果は落ちるがとりあえずは仕方ないと思っている。


 そしてそのトレーニングの成果は上がっていたようだ。


 私はお尻から下の階に落ちたのだが、それでも大した痛みは感じていなかった。


「……あービックリした」


 私はお尻を撫でながら立ち上がった。気づけば体中に巻き付いていた触手から開放されている。


 それもそのはずだ。足元をよく見ると、ヤテベオが私のお尻に潰されてのびていた。


 死んではいないが、完全に意識を失っている。


「ラッキー♪セルウス・リートゥス」


 私はすかさず呪文を唱え、青く光った指をヤテベオへと差し込んだ。


 指は抵抗なく沈み込み、その体全体が青く輝いた。隷属魔法の成立だ。


 隷属はモンスターを屈服させてからでないと成立しないが、まさか自分のお尻で屈服させる日が来ようとは夢にも思わなかった。


 ヤテベオはムクリと起き上がり、まるで挨拶するかのように私に向かって触手をウネウネとくねらせた。


 胴体である木の幹のような部分には、使役モンスターの証である蔦状の紋様の浮かんでいる。


「よし!君の名前は……ベオだ!よろしくね、ベオ」


「相変わらずのネーミングセンスだね」


 その声に振り向くと、サスケがケイロンさんとともに瓦礫を払って立ち上がるところだった。


 サスケ君、それはどういう意味かな?まるで私のセンスが悪いみたいじゃないか。


 そうは思ったものの、二人は私のミスに巻き込まれて落下してしまったのだ。


 それを考慮して、不満は心に留めておくことにした。


「ごめんなさい、二人とも。私のせいでこんなことになっちゃって」


 ケイロンさんは周りを見回してから首を横に振った。


「……いえ、むしろお手柄かもしれませんよ。フレイさんからいただいた事前情報には、このダンジョンに地下があるとは書いてありませんでした」


 私たちの周囲にはだだっ広い空間が広がっていた。入り組んだ通路になっていた一階とはまるで違う。


 地下一階はその丸々が壁一つない広間になっているようだった。


 サスケもその場でくるりと回って周囲を見渡した。


「ほんと広いね。でも広いだけで何もないかな……いや、なんだかあっちの方が少しだけ明るい気がする」


 サスケの指さした方に目を向けると、確かにそちらの方向が明るい。瓦礫の影も反対方向に向かってできていた。


「周囲にモンスターもいないようですし、とりあえず行ってみましょうか」


 私たちはそちらに向かって歩き出した。


 しばらく歩くと、ダンジョンの端らしき壁が見えてきた。そしてその一点がやはり明るく光っていた。


 壁自体が他所より明るく光っているわけではない。


 どうやら壁に穴が空いており、光はその先から漏れているようだった。


「おっきな穴……」


 私はそれを見上げて思わずつぶやいた。


 穴は高さが十メートル、横幅が五メートルはあろうかという大きなもので、そこから漏れてくる光はかなり強かった。


 しかし、光はそのほとんどがこちら側に届いていない。なぜならその穴とほぼ同サイズの木の幹が穴の前に鎮座しているからだ。


 木の幹と穴の隙間から漏れ出た光だけで周囲が明るくなっている。


 サスケは穴と木の幹の隙間を覗き込んだが、人が通れそうなほどの広さはなかった。


「これをどけたら向こう側に行けるのかな?」


「これ……どけられるかな?」


 私はあまりのサイズに疑問を口にしながら、幹の表面に触れた。


 するとその瞬間、幹からニュルリと細長いものが出てきた。


「え?」


 ウネウネと動くそれは、つい先ほどまで私を拘束していたものと同じものだった。


 妙に情感を刺激する、ハァハァものの触手だ。


 この大きな木の幹は、超巨大なヤテベオだったのだ。

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