第13話 マイコニド

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私はその人の傘状の頭部を見てそんなことを考えた。


 キノコだった。


 目の前にいる男性の頭は、キノコの傘になっている。マイコニドと呼ばれる、半人半キノコの種族だ。


 そういう種族なのだから、頭がキノコになのは仕方ない。というか、本人たちからしたら当たり前のことだろう。


 ただ、キノコというのは男性のアレの隠喩としてよく用いられている。一般的、と言っても言い過ぎではないと思うし、少なくとも私はキノコを食べているとふと変な気持ちになったりする。


 だから私はついチラチラとその人の頭を見てしまった。


 このご立派な形は、もはやメスを誘っているとしか思えない。


「美味しそうだ、などと思ってらっしゃいますか?よく言われますが」


「……え?いや、ごめんなさい。そんなこと思ってないです」


 私は慌てて否定したが、半分は本当で半分は嘘だ。美味しそうだとは思ったが、この人の思っている意味ではない。


「思っていただいて構いませんよ。マイコニドは美味しそうだと言われるのを喜びます。人にはよりますがね」


 マイコニドの男性は胸に手を当て、丁寧なお辞儀をした。そして頭を下げたまま自己紹介を口にする。


「私はヴラド公爵家の執事を務めております、マイコニドのピノと申します」


(ピノさん……見た目は幼げだけど、結構なご年齢なんじゃないかな?)


 私がそう思ったのは、ピノさんのお辞儀の動作がとても洗練されたものに感じられたからだ。若い人にできる動きではない気がする。


 マイコニドは比較的小さい種族なので、ピノさんの身長は傘を含めても私の顎ほどしかない。それに顔つきも少年のようだ。


 しかしこの世界には多くの種族がいるので、見た目で年齢の判断がつかない。


 ピノさんは頭を上げてから、齢を経た男性特有の余裕のある笑みを私に向けた。


「もしよろしければ、私どもの出した依頼をお受けいただけませんでしょうか?」


 そう言って、壁に貼られた依頼書の一つを手で示した。


 私たちはアステリオスさんのお店で向かい合っている。その一角には仕事の依頼書が一面に貼られた壁があるが、私がそれを眺めているところにピノさんが現れたのだ。


 そして突然、自分の出した依頼を受けてくれと言っている。


 私はピノさんの手の先にある依頼書にざっと目を通した。


「お屋敷の清掃、ですか……ぇえ!?日給5万円!?」


 私はつい大きな声を出してしまった。モンスターの討伐や護衛の依頼ならともかく、ただの清掃でこれは破格の報酬だ。


 ちょうど近くを通った店主のアステリオスさんが私の大声に反応した。


「場所を見ろ、場所を」


 私は言われた通り、依頼書の場所を確認した。


「えっと、ヴラド公爵城……って、遠いんですか?」


「あぁ、そうか。クウは分かんねぇよな。ヴラド公の城は普通に歩けばここから丸一日以上かかる。しかもあまり使われてない道だから、道中モンスターの危険もあるぞ」


 ということは、一日仕事して帰ったとしても往復で計三日以上はかかる。しかも道中の危険を考えると、決して高い報酬ではないだろう。


 おいしい仕事から一転して微妙な印象を持った私に、ピノさんは穏やかな笑顔を向けた。


「クウ様、とおっしゃるんですね。クウ様が受けてくださるなら、報酬は倍、いや三倍出しましょう。いかがですか?」


「三倍!?でもどうして……」


 三倍というと日給十五万円になる。さすがにそこまでいくと逆に怪しい。


 が、ピノさんはにこやかに説明してくれた。


「クウ様は召喚士でいらっしゃいますね?腰に下げた格納筒で分かりました。使役モンスターがいれば一人分以上の働きを期待できるかと愚考いたしましたもので」


「ど、どうだろう?うちの子たち、掃除に役立つかな……」


 私は一匹一匹の姿を思い浮かべたが、清掃で使ったことはないので実力は未知数だ。


「どちらにせよ、あまりにへんぴな土地過ぎて人が集まらないのです。もう五日も待っていますが一向に応募者が現れません。私も街での用事を終えましたし、もうそろそろ限界かと」


 ピノさんはアステリオスさんへと目を向けた。


 アステリオスさんもうなずいてピノさんの考えを肯定した。


「そうだな。俺としては、採取のついでにあの辺りまで行く人間がいればと考えてたんだが……まぁこういうのはタイミングだからな。いない時にはいない。多少報酬を上げても、使えそうなのを雇っていった方がいいかもしれん」


(そう言われても私が使えるかどうかが微妙なんだけど……)


 私はその点、少し不安だった。


 しかし結局はピノさんの意外に強い押しと高い報酬とに負けて、三日間働かせてもらうことになった。



***************



「到着いたしました。長旅、ご苦労さまでした」


「あ、はい。ありがとうございました……って、すごい!」


 私はピノさんに声をかけられて馬車を降り、そしてすぐに驚きの声を上げた。


 今回の職場はヴラド公爵城だということは聞いている。だから城だという認識はあった。


 が、清掃要員として雇ったのが私だけなのだから、大した規模ではないのだろうと高をくくっていたのだ。


「おとぎ話のお城みたい……」


 私は目の前の光景に、小さい頃に夢見たシンデレラ城を重ね合わせていた。


 まんまその通りとは言わないが、かなり近いものがある。


「確かに建物は立派ですが、もはやアンティークのようなものです。王政と封建制度によって世が治められていた時代にはこの城にもそれに見合うだけの人間がおりました。しかし今となっては私一人が主人の留守を守るだけです」


「一人だけ?あのお城を、一人で管理されてるんですか?」


 私は驚くと同時に、今回の依頼に対する不安を増していた。


 ピノさん一人しかいないということは、私と二人だけでこの大きな城を清掃しないといけないのか。


「管理と言いましても、最低限の部屋に最低限の手入れをすることしかできておりません。しかし、近いうちに主が帰ってまいります。そうすれば主付きの下僕がそれなりの数おりますから、管理も容易になるでしょう」


「あ、じゃあ今回の清掃はヴラド公爵様が帰ってくる前にお城を綺麗にするため、ってことですね」


「おっしゃる通りです。ただこの広さですから、最低限のホコリ払いなどで結構ですよ。本格的な清掃は下僕たちに任せることになりますね」


 私はそれを聞いて安心した。どう考えても雇われた三日できちんと綺麗にするのは不可能だ。


「とはいえ、今日はもう遅いですからお休みください。夕食をご用意させていただきます」


 ピノさんの言う通り、もう日が沈みかけている。夕陽色に染められたお城が素敵だった。


「すいません、何から何まで……」


 私はここまでピノさんの馬車に乗せていただいて来た。ピノさんは街に買い出しに来ていたので、その荷物を運ぶための大きな馬車があったのだ。


 馬車には何かしらの魔法がかかっているようで、やたら速くて揺れも少ない。


 それに心配していたモンスターにも出会わなかったので、私は快適にヴラド公爵城までの通勤を終えることができた。


「ここまでの移動も食事も、仕事の福利厚生だとお考えください。お食事のリクエストはございますか?」


 送迎有りな上に、まかないの希望まで聞いてくれる。超ホワイト企業だ。


「私はあまり好き嫌いがないので、何でも結構です」


「では、私の得意料理にさせていただきましょう」


 私は何となくそうなんじゃないかと思っていたが、夕食のメニューは予想通りキノコ料理だった。



***************



「素晴らしい、とてもよくお似合いですよ」


 ピノさんは城の大広間で私を見て、そう褒めてくれた。が、すぐに言い直す。


「……いえ、考えてもみれば使用人の服が似合うなどと言うのは失礼でしたね。申し訳ございません」


「そんなことありません。私この服、好きですよ。とっても可愛くて」


 城に一泊して翌朝、私はピノさんからお屋敷のメイド服を貸してもらい、それに着替えていた。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139557613733614


 今から清掃の仕事をするのだから汚れてもいい服を、ということで貸してくれたのだが、汚してしまうのがもったいないほどの可愛い服だ。


 それに正直、一度着てみたかったのだ。メイド服を。


(そして、ご主人様〜ご奉仕いたします〜とか言いながらこの服であんなことやこんなこと……)


「ではクウ様、使役モンスターを出していただけますか?」


 妄想でハァハァなりかけていた私だったが、ピノさんがすぐに現実に戻してくれた。


「は、はい。うちの子たちがどこまで役に立つか分かりませんけど……みんな、出ておいで」


 私は格納筒をポンポンと叩いて全員を大広間に出した。


 今回は戦闘ではないので、召喚使役にはしない。その方が燃費がいいからだ。


 私の使役モンスターには大型のものもいるが、大広間の天井は吹き抜けになっているので屋内で出しても問題はなかった。


 ただし、ガルーダのガルは子供とはいえ三メートル程度の高さがある。ガルのサイズで屋敷の清掃に使えるとは思えなかった。


 ピノさんも同じことを思ったようだ。


「ガルーダをお持ちとは……素晴らしいですね。しかし今回は屋敷の清掃ですので、休ませていただいて結構かと」


「ですよね」


「それに、ガルーダを動かすのはかなり骨でしょう?」


「そうなんです。召喚使役にしなくても、ちょっと動くだけで結構くるんですよね……」


 隷属魔法をかけた後の使役モンスターは、術者の命令で動く場合には魔素を吸って活動する。


 たとえ清掃でもこちらが命じて何かをさせるなら、それなりの負担を覚悟しなければならない。


「ガルは休んでていいよ。他の子たちは……掃除できるかな?」


 私はガルを戻しつつ、残りのモンスターたちを見渡した。スライムが三体とハンズが二体、そしてトレントが一体だ。


 ピノさんは改めて六体のモンスターを見て、満足そうにうなずいた。


「これだけいればかなりの仕事効率が望めます。思った以上ですよ」


「そうでしょうか?でも私にはどの子に何が出来そうかいまいち分からなくて……よかったらピノさんから指示を出していただけませんか?」


「分かりました。まず、スライム三体ですが、変形はさせられますか?」


「あ、はい。結構練習してて、かなりいろんな形になれるようになりました」


 私はレッドが四角く伸びてバリアになってくれて以来、スライムたちと変形の特訓に勤しんでいた。


 今では大体のイメージを伝えれば、私の頭で想像できるくらいの形なら再現できる。


 もちろん想像の範囲内なので複雑な形やセンチ単位の精度までは求められないが。


「変形ができれば大抵のことはできますね。では拭き掃除をお願いします。雑巾を掴んで拭く動作もできるでしょう」


「レッド、ブルー、イエロー、できる?」


 三匹は雑巾をくわえ、体を伸び縮みさせて床を拭いてみせた。


「えらい!上手上手!」


「素晴らしい。では、まずは階段の手すりや棚の上、テーブルなど高いところからお願いします。それから次にハンズ二体ですが、この二体は飛ばせられますか?」


「飛ばす?ハンズって飛べるんですか?」


 私は驚いた。ハンズはジャンプするものの、基本的には地面を滑るように動くモンスターだと思っていたからだ。


 実際、先日沼でたくさん倒した時も空飛ぶバンズは見なかった。


「ハンズは念動力で自らを移動させるモンスターです。その効率が一番いいのが地面をホバリングすることなので、そうしている個体がほとんどというだけです。魔素消費は多くなりますが、慣れれば相当自由に飛び回れますよ」


 なるほど、と私は納得した。私もハンズの動きには疑問を感じていたのだ。


 普通の生き物は足で地面を蹴った反動力で移動するわけだが、ハンズにはそれがない。そこに感じていた違和感が、ピノさんのおかげで解決した。


「スケさん、カクさん、浮ける?」


 私はスケさんとカクさんに念動力を上に向け、宙に浮いてみるように指示した。


 スケさんはハンズではないと思うのだが、同じように動いているのだから同じことができる気がする。


 果たして二体は私の思い描いた通り宙に浮いた。


「すごいすごい!二人とも偉いね!もっと動ける?」


 私はさらに自由に飛んでみるよう命じた。


 スケさんもカクさんも褒められたのが嬉しかったようで、はしゃぎ回るように大広間を飛び回った。まさに縦横無尽だ。


「すごいすごいすごい!」


 私もびっくりしてはしゃいだ声を上げ、それに後押しされるように二体ともその動きを加速させた。


 それを見ていたピノさんは目を丸くしていた。


「……クウ様、この二体は今初めて飛ばしたのですか?」


「え?はい、そうですけど」


「いきなりここまで出来る召喚士はそうおりません。使役モンスターとの意思疎通がよほど強固で、しっかりとイメージを伝えられるだけの太いチャンネルがないと……」


 ピノさんは唸るような声を出した。


 私は使役モンスターとの意思疎通で困ったことはなかったが、普通はそうではないようだ。


(この子たちを飛ばせるのは便利だな。色々使えそう。でもこれ……結構くるな……)


 スケさんカクさんが猛スピードで飛び回っているのは思った以上に負担だった。


 ピノさんも言っていたが、地面を滑るよりも魔素消費は増えるらしい。


「二人とも、もういいよ。降りてきて」


 指示通り、スケさんカクさんは私の目の前にゆっくりと着地した。


 その二体へ、ピノさんがはたきを手渡した。


「これだけ動ければ飛んでの清掃も可能でしょう。まずは天井の蜘蛛の巣を払ったり、シャンデリアなどのホコリを落としてもらったりしましょう。それから窓拭きをお願いします。この城には高い所の窓やステンドグラスが多いので」


 それからピノさんは最後にレントの方を向いた。


「トレントには外からの窓拭きをお願いします。枝を伸ばせばかなり高いところまで届くはずですから」


 これで六体全員がそれぞれの特性に合った仕事を与えられた。


 私は全員に向かって、魔素とともにエールを送った。


「よ〜し、みんな頑張ろう!ピッカピカにしようね!」



***************



 私は廊下の床を擦っていたモップを止めて、大きく息を吐いた。


 手の甲で額の汗を拭い、魔素の補充薬で喉を潤す。いつもならこれでお腹がタプタプになって困るところだが、今日ばかりは水分補給としてもありがたい。


「……美しい」


 私は自分が磨いた床面を眺め、満足感あふれるつぶやきを漏らした。


 掃除には達成感という中毒的な快楽がある。


 だから始めるまでは億劫でも、始めてしまえばつい思っていた以上にやり込んでしまうものだ。


「いや、本当に美しい。三日間でここまで綺麗になるとは思ってもいませんでした」


 ピノさんが廊下の向こうから歩いて来て、私たちの仕事を褒めてくれた。


 本来なら褒められれば謙遜すべきかもしれないが、今は誇りたい気分だ。それに、私の使役モンスターたちは本当によく働いてくれた。


「私もうちの子たちが掃除でこんなに活躍できるとは思ってもみませんでした」


 六体のモンスターたちは、まさに獅子奮迅の働きをしてくれた。人間よりも機敏に動けるし、何より魔素が供給されている間は肉体的な疲労もない。


 必要な魔素も、戦闘に比べれば微々たる量で済んだ。やはり敵を倒そうとする攻撃は、普通の動作に比べて何倍もエネルギーを使っているらしい。


 ただ、それでも六体全員を働かせるとそれなりの負担にはなったので定期的に魔素は補給している。


「モンスターたちが器用に動けるのはクウ様との意思疎通が強固だからですよ。誇ってよろしいことかと」


「はぁ、そういうものなんでしょうか……」


 それに関しては困ったことも努力したこともないから、褒められてもあまり実感が湧かない。


「そういうものです。なんにせよ、もう時間も遅いのでお仕事は切りの良い所までで結構ですよ。私も全体の片付けを始めます」


「分かりました。この上の階の廊下で最後なので、そこだけやっちゃいますね」


「では、お願いいたします」


 私は念話でうちの子たちに仕事を切り上げて戻ってくるよう伝えた。


 三日間も清掃を続けていればモンスターでも要領が分かるようで、私がいなくても自律して掃除できるようになっている。だから全員が別々の場所で働いていた。


 私は階段を一つ上がって上の階へ向かった。これでおしまいにしよう。


 最後の廊下にモップがけをしていると、まずスケさんカクさんが戻って来た。


 二匹は私が何も指示しなくても、すぐに私のモップを掴み上げて自分たちで拭き始めた。なんて気の利く子たちだ。


(でも、やっぱり飛ばすのはちょっと魔素使うな)


 私は改めてそれを感じていた。そして、同時にまたムラムラしてくる。


(まだ魔素は結構残ってるんだけど……ピノさんの料理のせいだ!)


 ピノさんのまかないは基本キノコ料理だが、なんでも精のつく特殊なキノコを使っているという話だった。


 そりゃその方が仕事には精が出るが、アッチの方にも精がついてしまう。


 しかも夕食でそれをたらふく食べてからベッドインするわけだから、ムラムラして眠れるはずもない。


 っていうか、本当に精がつくだけのキノコなんだろうか?催淫作用でもあるヤバいキノコを使ってるんじゃないかと疑ってしまうほどだった。


 仕方ないので私はここでも普段通り、セルフケアに励んでから寝た。


 お城のゲストルームだというゴージャスな部屋に泊めさせていただいたのだが、いつもと違う環境というのもドキドキして捗るものだ。


(でも、今朝も昼もあのキノコ食べたもんな。またムラムラしてくるのは仕方ないよね)


 そう、これは私がいやらしい娘だからではない。精力キノコのせいなのた。


 そうこう考えているうちに、廊下のモップがけは終わっていた。やはりモンスターにやらせると段違いに早い。


「よーし、これでおしまい!……ん?」


 私は伸びをしながら、ふと視界に入った壁の一部に目を引かれた。


 パっと見は他のところと変わらないのだが、何か違和感がある。


「……なんだろう?見た目はただの壁なんだけど、変な感じ」


 壁の素材も他と同じだし、なにか模様があるわけでもない。ただ、不思議とそこに『何かある』と感じるのだ。


 私は誘われるようにしてその壁の前に立った。そして違和感のある部分に触れる。


 その途端、壁に不思議な黒い図柄が浮かび上がった。


 円の中に複雑な紋様が描かれた魔法陣だ。魔法陣は黒いが、わずかに光を発していた。


(なにかマズいことになった気がする……)


 私が一歩下がったところで、魔法陣から大きな狼の頭が現れた。


 黒い毛並みの狼で、目だけが赤く光っているのが不気味だ。犬歯をむき出しにして、明らかな敵意を発している。


 私が怯えながらもう一歩下がったところで、狼の頭は私に噛みついてきた。


「キャア!!」


 スケさんカクさんも間に合わないタイミングだ。痛みを覚悟して目を閉じた瞬間、私の体は衝撃を受けて横に飛んだ。


 驚いてそちらを向くと、私の目の前に大きなキノコがある。ピノさんが体当たりをして私を守ってくれたのだった。


 私に覆いかぶさるように倒れたピノさんは、


「どうどうどう……」


という声をかけながら狼の鼻面を撫でた。


 すると狼は牙を剥くのを止め、スルスルと魔法陣へと帰っていく。


「クウ様、お怪我はございませんか?」


「わ、私は大丈夫ですけど……ピノさんの頭が……」


 私は声を震わせた。というのもらピノさんの頭のキノコが狼にかじられていたからだ。


 傘の部分が一部食べられており、きれいな歯型がついている。


 私は顔から血の気が引いていった。


(ヒューマンがこれだけ頭をかじられたら、死ぬよね……)


 それくらい大きな欠損だった。血は出ていないが、大丈夫なのだろうか?


 ピノさんはなくなった部分の傘を手で触れて確認した。


「これはこれは……美味しく食べられてしまいましたね」


 平然とそう言いながら立ち上がる。


 さらに紳士な執事らしく、私に手を差し伸べて立ち上がるのを手伝ってくれた。


「い、痛くないんですか?」


「ご心配ありがとうございます。ですが大丈夫ですよ。本物のキノコにとってこの部分が本体ではないように、マイコニドも本体は体の中にある核ですから」


 ピノさんは自分の胸の辺りを手で叩いた。そこに核があるということだろう。


(でも、キノコにとってキノコは本体ではないって……どういうこと?)


 私の頭は今起こった危険も相まって混乱した。


 それを察したピノさんがすぐに説明してくれた。


「キノコは植物ではなく、菌類だということはご存知ですか?」


「え?あ、はい……何となく……」


 そういえば本やテレビでそんな話を見聞きしたような記憶がある。


「キノコは基本的には動植物やその死骸、土の中に菌糸を伸ばし、そこから栄養を得て生きている生物です。その菌糸が有性生殖を行う際に、生殖器官を別途作ったものが一般的によく食べられているキノコなのですよ。ですから普通の方が思っているキノコは本体ではなく、使い捨ての生殖器です」


 なんと!ピノさんの頭の立派なキノコはまんま生殖器だったとは!


 私は驚くと同時に、なんだか変な気持ちでピノさんの頭を見てしまった。


「だから地表にできたキノコが枯れたり食べられたりしても生物として死ぬわけではなく、本体の菌糸は動植物や土の中で生き続けています。非常に長く生きるものもいて、中には二千年以上生きるものもいますよ」


「二千年!?」


「ええ、そういったキノコは森の中全体に菌糸を伸ばしています。その菌糸全体を一つの生物とみなすなら、地上で最も大きな生物はキノコということになるらしいですよ」


 そう言うピノさんはちょっと誇らしげだった。


 やはりマイコニドとしては、キノコが偉大であるということは自慢になることなのだろう。


「じゃあ、その頭はちゃんと戻るんですか?」


「もちろん戻りますが……少し時間がかかりますね。そうだ、クウ様はイエロースライムをお持ちでしたね。ちょっとそれを使わせてください」


「え?いいですけど……」


(イエローを使うって、どういうこと?)


 私が首を傾げているところへ、ちょうどスライム三匹も帰ってきた。


 ピノさんはイエローのそばにしゃがんで、その頭に手を置いた。


「軽く電流を流してください。ある種のキノコは電気刺激で成長を早めます。このままでは少々不格好ですので、早めに治させていただきましょう」


「キノコにそんな性質が……今日は本当に勉強になります」


「普段食べているキノコでも、意外と知らないことが多いでしょう?これからキノコを食べる時にま゛ま゛ま゛ま゛ま゛……」


 最後のは私がイエローに電流を流させたことによって上がった声だ。


 ちょっと不意打ちだっただろうか?でも流してって言われたし。


「大丈夫ですか?強すぎます?」


「ま゛ま゛ま゛ま゛……だ、だい゛じょう゛ぶでず……ぢょう゛どよ゛い゛ぐら゛い゛……」


 なんだか大丈夫そうな声ではないようにも感じるが、よく見ると食べられた部分の傘が少しずつ再生してきている。


「すごい!本当に電気で治るんだ……まるで月待ち草みたい」


 私は以前、徹夜で研究に付き合わされたドライアドのダナオスさんのことを思い出していた。


 不思議と思い出すのは縛り、縛られした光景だったが。


 その光景を脳裏に蘇らせてドキドキしていると、突然バフっという音が上がった。


 そして私の顔に何かが浴びせられる。


「うわっ!な、なに?」


 私は驚いてイエローの電流を止めた。


「も、申し訳ありません。刺激でつい胞子が飛び出てしまいました。アレルギーなどなければ害はないものですが……」


「あぁ、キノコの胞子だったんですね。今までアレルギーとかもありませんでしたし、大丈夫です」


 私はそう言ってすぐにまた電流を流し始めた。


 しかし、そこでふと気づいたことがあった。


(キノコは使い捨ての生殖器だって言ってたけど……じゃあ今浴びた胞子って、男性のナニから出たアレと同じなのでは……?)


 そういう事になるのだろうか。


 もしそうなら、私は顔面にアレを思いっきり浴びせられたということになる。


(やだ……私、汚されちゃった……)


 そう思うと、私の背筋は震えるほどゾクゾクした。


 そしてつい力加減を間違えて電流を流しすぎてしまい、その度に胞子を浴びることになった。


「きゃっ……やぁ……ん……」


「ず、ずい゛ま゛ぜん゛……」


(あぁ……汚されちゃう……ピノさんにマーキングされちゃう……)


 あらぬ妄想で私はさらに興奮し、つい力を入れ過ぎてしまった。


 すると胞子がさらにまた飛び出ることになる。もはや悪循環だ。


 ただそれでも効果はあったようで、ピノさんの頭は少しずつ治っていく。


 そしてしばらくすると、すっかり元通りのキノコになった。


「……ふぅ、ありがとうございました」


「い、いえ……お礼を言わないといけないのは私の方です。ピノさんが助けてくれなかったら、あの狼に食べられて死んでたかもしれません」


 ピノさんに付いていたきれいな歯型から想像すると、モロに喰らえば命はなかっただろう


「いえ、それを言うならそもそも私がここの注意をし忘れていたのが悪いのです。思い出して慌てて来ましたが、間に合ってよかった。この壁の向こうには大切なものがあるので、カモフラージュとトラップの魔法が仕掛けてあったのですよ」


「そうだったんですね。なんだか違和感を感じてつい触っちゃいました」


 ピノさんは眉をピクリと上げた。


「……違和感を感じましたか。カモフラージュの魔法はかなり巧妙にかけられていたのですが……まぁそれはいいでしょう。なんにせよ、私のもうろくが原因で恐ろしい目に合わせてしまいました。改めてお詫び申し上げます」


 そう言って、回復したキノコ頭を洗練された動作で下げた。


 その明らかに年季の入っている動きを見て、私はピノさんの年齢があらためて気になった。


 見た目には幼げだとすら思えるが、やはり年下には思えない。


「いえ。私は怪我もありませんでしたし、大丈夫です。それにピノさんはまだもうろくなんてお齢じゃないんじゃ……」


「いいえ。こんな姿をしていますが、年齢は二百を超えた辺りでもう数えるのをやめてしまいました。もうろくもするでしょう」


「に、二百……?」


 私は大口を開けて絶句した。


 この世界ではエルフなど相当な長寿の種族がいることは聞いていたが、まさか目の前の幼げなキノコさんが二百歳を超えているとは。


 先ほど二千年以上生きるキノコがいるという話をしていたが、もしかしたら二百歳どころではないのかもしれない。


 ピノさんには私のリアクションが少々おかしかったらしい。笑いながら教えてくれた。


「私の主、この城の城主であるヴラド様も長命の種族です。ですから仕えるには、私のような者が適当なのですよ」


「そうなんですね。ヴラド公はマイコニドではないんですか?」


 ピノさんはすぐには答えず、魔法のかけられていた壁の方へと向いた。


「……?」


 私も何だろうと思ってそちらを向く。


 すると、突然その壁が歪んで両開きの扉へと姿を変えた。


 全面に大きな月とコウモリが彫刻された、重厚な扉だ。その扉がゆっくりと開かれる。


 そこでピノさんはようやく私の質問に答えてくれた。


「ご紹介いたします。我が主にしてヴァンパイアの始祖、ヴラド公爵です」



***************



☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈キノコは生殖器〉


 本文に書きましたが、実はキノコって胞子散布のために作られる生殖器官なんです。


 本体は木とか土とかに張られた菌糸になります。


(まぁ『本体』って言っても、菌糸の集合体である菌類は何が本体か曖昧ではありますが……)


 キノコ部分の正式名称は『子実体』というのですが、これが植物における花や果実に当たるわけですね。


 ちなみに子実体を作らない菌類は『カビ』ということになります。


 なんとなくキノコを植物のように思っている方も多いと思いますが、実はカビに近い生き物なんです。


 もちろん光合成もしません。



〈世界最大の生物はキノコ〉


 アメリカのとある森に生息するナラタケの一種は、推定重量が数千から数万トンにも及ぶのだそうです。


 と言っても土の上にあるキノコがそのサイズなのではなく、『土の中に広がった菌糸全てを一つの生物だと仮定すると』という話です。


 菌糸が森中の土に広がった結果というわけですが、それにしても凄いサイズ。



〈電気でキノコが増える〉


『雷が鳴るとキノコが生える』


 という伝承は昔からあったのですが、実際に上手く電圧をかけてやるとシイタケなんかの収穫量がアップするそうです。


 しかも二倍くらいになるというから産業的にも大した技術ですね。



〈キノピオとピーチ姫〉


 『ピノキオ』という名前を聞いても、頭には『キノピオ』の方が浮かぶという日本人は多いでしょう。


 筆者もそうで、子供の頃からそれくらいマリオシリーズを楽しませていただきました。今も息子とよくやってます。


 マイコニドの執事ピノは、ピーチ姫に仕えるキノピオからの連想です。


 可愛いですよね、キノピオ。大好きです。


 でもこのキノピオ、ゲームによってはちょっとかわいそうな扱いを受けてるのをご存知でしょうか?


 大ヒット対戦ゲーム、スマッシュブラザーズでは『キノピオガード』というピーチ姫の技があります。


 キノピオがピーチ姫の盾になって攻撃を防ぎ、キノピオから出る胞子でカウンターを食らわせる技です。


 ビジュアル的にはキノピオが自分から勇敢に前へ出てる格好にはなっているのですが……それを技として使うピーチ姫……


 悪役令嬢もびっくりだぜ……



***************



お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

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