第11話 スライムハンド

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私はぬらぬらと光るローションにまみれた肌を見て、そんなことを考えた。


 触らずとも想像できる、ヌルヌルの感触。もしこの生物に体のあちこちを撫でられでもしたら、一体どれほどの快楽を受けられるだろう。


 その背徳的なまでにいやらしいテカリ具合は、もはやメスを誘っているとしか思えない。


(っていうか、前にも全く同じこと考えたな……)


 私はそれを思い出していた。


 この異世界に飛ばされて初めに見たもの、スライムのサスケに対しても全く同じ感想を持った記憶がある。


 そして今、目の前にも全く同じ質感のものがあった。


 っていうか、質感どころか実は同じものだ。


 私は自分の部屋で、サスケの斬り落とされた右手を召喚していた。


「スケさん、おいで」


 私はサスケの右手に『スケさん』という名前をつけていた。元がサスケだから、スケさんだ。


 呼ばれたスケさんは床の上を滑るようにして足元まで近寄ってきた。どういう仕組みになっているのか、ローションが出てなくても滑るように移動する。


 客観的に見れば前腕から先だけが自立して動いているわけだから、初見だと完全にホラーだろう。


 しかし見慣れてしまえばどうということはない。それに、私はこの腕に命を救われているのだ。


 スケさんは椅子に座った私の膝に跳んで来た。そしてさらにそこから肩の上へと跳ねる。


 私はこれからしようとすることに躊躇した。それはいく分かの罪悪感を伴うことだからだ。


 サスケ本人は私の隣室に泊まっている。


 いま何をしているかは分からないが、まさか自分の右手がすぐ近くでこんなふうに使われようとしているなどとは夢にも思っていないだろう。


(ごめんねサスケ……ごめんね……)


 私は心の中だけで謝りながら、スケさんにスライムローションを分泌させた。そして私の耳や首筋を撫でさせる。


 ゾクリとした快感が私の背筋を走った。


 いけないことだとは思いながらも、たまにこうしてスケさんをはかどりアイテムとして使っている。


 サスケが壁一枚隔てたすぐ近くにいることも、いけないことをしているという背徳感も、なぜか私の神経をたかぶらせた。


(ごめんねサスケ……ごめんね……)


 私は何度もそう謝りながら、昇天への階段を駆け登っていった。



****************



「何が違うんだろう……?」


 私はサスケの右手を眺めながら、ポツリとつぶやいた。そこにはビーフステーキの刺さったフォークが握られている。


「え?何が?」


 サスケは口に運びかけた肉を止め、私に聞き返した。


「あ、いや……ビーフステーキがね。アステリオスさんのお店のビーフステーキは美味しいけど、他と何が違うんだろうなと思って」


「あぁ」


 サスケはそう納得してくれたが、本当は全く別のことを考えていた。


 それは『スケさんに撫でられる』のと『本物のサスケに撫でられる』のの違いについてだ。


 圧倒的に、本物のサスケに撫でられた時の方が気持ち良いのだ。それに本物の方が興奮もした。


 もちろんスケさんもすごく気持ちいいし、背徳感という別種類の興奮はある。ただ、本物の方がずっと盛り上がった。


 スケさんは私の希望する通りに動いてくれるわけだから、本来これはおかしな話だ。


 しかし私の記憶が確かなら、サスケ本人に撫でられた時の方が絶対に気持ちが良かったと思うのだ。


「不思議だな……」


「そうだね。なんか聞いた話だと、同じ肉を卸してるお店もあるけどここの方が圧倒的に美味しいらしいよ。ソースとかが違うのかな?」


 サスケは勘違いをしたままそう答えてくれた。


「ソースは大事だが、それだけじゃ美味くなんてならないぞ。肉は焼き方も重要だし、熟成って工程もあるんだよ」


 耳ざとく私たちの会話を聞いていたアステリオスさんが、疑問に答えてくれながら歩いて来た。


 そして私とサスケのテーブルに依頼書が何枚か置かれる。


「ほらよ、お前ら二人でできそうな仕事はこのくらいだな」


 私とサスケはアステリオスさんのお店に仕事を探しに来ていた。


 ここ最近のサスケは普段、街外れのスライムローション工場で働いている。


 ただし家出した妹さんを探すのが本来の目的だから、仕事は不定期の非正規雇用だ。毎日出勤するわけではない。


 それでたまにだが、私と一緒にアステリオスさんのお店で短期の仕事を受けることがあった。


「ありがとう。妹もなかなか見つからないし、滞在費を稼がないとね」


 サスケはアステリオスさんに笑顔で礼を伝えた。


 ちなみに妹さんの件はちょっと面倒なことになっている。


 ここプティアの街の評議長であるエルフのフレイさんに調査をお願いしていたのだが、実はもう見つかってはいるのだ。


 しかし、本人がサスケに会うことを拒否しているらしい。


「あの意地っ張り目め」


 サスケはそう悪態をついていたが、本人の了承がなければ行政としてもサスケに居場所を伝えるわけにはいかない。


(ここ異世界でも個人情報の問題が……サスケも大変だけど、フレイさんたちお役所の人たちも大変だな)


 個人情報とか、この手の話になると面倒ごとが多そうだ。うるさく言ってくる人もいるだろう。


 私はフレイさんの端正な顔を思い浮かべながら少し同情した。


 すると、私の脳内の映像と現実の視覚の映像とが重なった。


 お店の入り口からそのフレイさん本人が入って来たのだ。


「おや、クウさんにサスケさん。奇遇ですね」


 フレイさんは私たちにすぐ気づき、笑顔を向けてくれた。


 にこやかに挨拶をしただけなのに、その美しい微笑みに私の胸はキュンとしてしまった。この超絶イケメンは表情だけで人を殺すことができる。


「こんにちは、フレイさん。フレイさんもお食事ですか?」


「ええ、ランチのついでに役所からの依頼書を届けに来ました」


 ランチと聞いたサスケは意外そうな顔をした。


「珍しいね、エルフはあんまりお肉食べないイメージだけど」


「私もステーキはあまり食べませんよ。ですが、ここはラタトゥイユなどの野菜料理も絶品なんです。あと、私はソレが好きなのでソレだけで出してもらいます」


 ソレ、と言いながらフレイさんはステーキの横を指さした。


 付け合せの甘いニンジンだ。正式名称はニンジンのグラッセという。


(フレイさん……変なものが好きなんだな。あれが好きでわざわざ注文する人って見たことがない)


 私はイケメンエルフの意外な嗜好をちょっぴり面白いと思った。


 そんなフレイさんはアステリオスさんに書類の束を手渡した。


「アステリオスさん、今回の役所からの依頼はこれだけです」


「おう、確かに受け取ったぜ。評議長自らお疲れさんだな。しかし……この量か。最近多いな」


「ええ。ここのところモンスターも増えていますし、それによって様々な物品の需要も増えています。討伐、採取、製造、輸送……役所ではどうやってもさばき切れないので、なんとか優秀な方たちにご紹介いただければ……」


 フレイさんはそこまで言ってから、ふと私たちの方へ目を向けた。


「そうだ、クウさんとサスケさんにはこちらの討伐依頼をお願いできませんか?」


 フレイさんは紙の束から一枚を引き抜いた。そしてテーブルの上に置く。


「おいおい、うちの仲介料をハネるつもりかよ」


「ははは、ここで頼む以上ちゃんとお店にもお支払いしますよ」


 冗談めかしたアステリオスさんに、フレイさんは笑って応じた。


「北東の沼地に発生したハンズの群れの討伐です。クウさんの主戦力はスライムでしたし、ちょうどいいのではないでしょうか」


 私は依頼書に目を落としながら尋ねた。


「ハンズ……って、どんなモンスターなんですか?」


 私の質問にはアステリオスさんが答えてくれた。


「ハンズは手だけのモンスターだ。前腕から先だけの生き物だと思えばいい。強い思いを残して死んだ生物が手だけモンスター化したものだとか言われてはいるが……実際のところ、その発生メカニズムはよく分かっていない。ただ戦闘能力も手だけだから、基本的にはあんまり強いモンスターじゃないな」


 手だけのモンスター。


 私はうちのスケさんを思い出した。


「スライムとも相性がいいんですか?」


 その質問にはサスケが答えてくれた。


「スライムと相性がいいのはハンズじゃなくて沼地だよ。スライムは乾燥が苦手だから、沼地なんかは理想的な環境なんだ。パフォーマンスが多少上がるね」


「なるほど……あんまり強いモンスターじゃないなら受けてみよっか」


 私はサスケにそう言ってみたが、アステリオスさんが警告してくれた。


「あんまり甘く見ないほうがいいぞ。ハンズがなぜ『ハンド』じゃなく『ハンズ』と呼ばれているのか、それはどんどん仲間を呼んで増えていくからだ。気づけばどうしようもない数に囲まれて逃げることすらできない、なんて事態もありうる」


 私はその光景を想像してゾッとした。スケさんが何十匹もいて周りを囲んでいるようなものだろう。


 フレイさんがアステリオスさんの説明を補足してくれた。


「ハンズの中には仲間を増やす力の強い個体がいます。今回の討伐依頼はハンズの群れを倒すというよりも、大量発生の原因となっているその個体を倒してほしい、というものですね。もちろん見つからなければ数を減らしてもらうだけでもある程度の報酬をお支払いしますが」


 依頼の要点を理解した私はサスケの方を見た。


「だいたい分かったけど……どうしよう?」


 サスケは少しだけ考えてから答えた。


「僕はやってみてもいいと思うよ。ボスの個体を探すのに無理しなければ、そんなに危険はないんじゃないかな?それに……」


 サスケは自分の腰に下がったY字型の物体を叩きながらニヤリと笑った。


「僕の新兵器も試してみたいしね」



****************



 私の視界を小さなものが横切った。


 ほとんど視認できないようなスピードでハンズへ向かって飛んでいく。


 敵にぶつかったそれはゴルフボール程度の大きさで、当たった瞬間に砕けて中の液体が飛び出した。


 液体は吸い寄せられるようにハンズへと付着していく。


 液体を浴びたハンズは初めただビックリしただけだったようだが、すぐに自分の体の異常に気づいただろう。体が思うように動かなくなったのだ。


 液体の主成分は、麻痺の効果があるスライムローションだった。


 私は歓声を上げた。


「すごい!やっぱり効いてるよ!それに百発百中じゃない!そんなにパチンコ上手かったんだ!」


 サスケは私に褒められて、まんざらでもない様子だった。


 が、一点だけ不満があったらしい。


「『パチンコ』じゃなくて『スリングショット』って言ってよ。玩具おもちゃみたいじゃんか」


 サスケの新兵器はパチンコ、もといスリングショットだ。


 スライムローションの表面を固化のローションで固めてボール状にしたものを、スリングショットで飛ばしてぶつける。


 スライムローションは様々な効果のものがあるから、攻撃のバリエーションはかなり広いだろう。


 固化のローションはサスケの中和ローションで崩れるらしく、撃つ直前にヒビを入れて発射するから中身が漏れて事故になる危険も小さいそうだ。


「ごめんごめん、でもホント上手だよね」


「小さい頃から好きだったんだ。それに結構練習したからね。部屋でもやってたから、うるさかったでしょ」


 私は胸に何かがグサリと刺さった気がした。


 サスケが頑張って練習している間、私はサスケの元右手を使ってセルフケアに勤しんでいたのだ。


「い、いや……全然気づかなかったよ。ほら、ネウロイさんの宿って下が食堂だからさ」


 私は宿の騒がしい環境に感謝した。この分ならきっと私の嬌声も聞かれてはいないだろう。


「そっか、迷惑じゃなかったなら良かったよ。じゃあ先に進もうか」


 サスケは再び沼地を進み始めた。


 私はその後を追いながら、ブルースライムのブルーに命じてサスケの前を先導させた。ブルーの跳ねた地面が凍りついていく。


 私たちは沼地を歩いているが、こうやってブルーに足元を凍らせながら進んでいた。おかげで泥に足を取られることもなく軽快に進めている。


 私は前を歩くサスケの背中に聞いてみた。


「こうやってハンズのいる方向に進んで行ったら、その内ボスにたどり着くかな?」


「そのボスがハンズを増やしてるって話だからね。ハンズが多い方に行けばその先にいる可能性が高いだろうけど……どうだろうね」


 サスケの返答は曖昧なものだった。


 方針はざっくりしたものだったし、結局は蓋を開けてみなければ分からない。


 それに、最悪ボスを倒せなくてもハンズの数を減らすだけでも構わないわけだ。


 フレイさんから小さな球体の魔道具を預かっており、それが倒したモンスターを簡単に記録してくれているらしい。それに基づいてある程度の報酬はもらえることになっている。


「あ、またいた。しかも二体」


 私は即座にレッドとイエローに命じて二体のハンズを攻撃させた。仲間を呼ばれる前に倒すのが大切だ。


 ただしイエローにはあまり電気を強くしないように命じた上で、遠くの敵を狙わせた。沼地で強い電気を発生させると私たちも感電する可用性があるからだ。


 ハンズたちはレッドとイエローの一撃で難なく倒せた。


「よーし。でも一言にハンズって言っても、本当に色んな手があるよね」


 ハンズは手だけのモンスターだが、個体によってどの生物の手であるかが異なる。


 今倒したのも一体は普通の人間の手だったが、もう一体は大きなカエルの手のようだった。今まで見た中には、なんと豚足まであった。


「ヒューマンみたいな手だけだと思ってた?まぁ、どんな生き物も色んな思いを残して死ぬだろうからね」


 サスケはそう言ったが、ハンズが強い思いを残して死んだ生き物の成れの果てだという説を信じているのだろうか。


 もしその説が本当なら、少し悲しいモンスターだ。


 とはいえ、豚足に出てこられてしまうとなかなか悲しい気持ちにもなれないが。


「あっ、見て見てサスケ!猫の手のハンズだ!肉球だよ?可愛いねぇ」


「ていっ」


 はしゃぐ私とは対象的に、サスケは容赦なくスリングショットを放った。猫のハンズが痺れて沼地に倒れ伏す。


「あぁ……可愛かったのに……」


「モンスター相手に可愛がってる場合じゃないでしょ。すぐに倒すの」


 そうやって私たちは順調にハンズを倒しながら、沼地の奥へと進んで行った。


 ハンズの『大量発生』とは聞いていたが、確かに多い。倒しても倒しても出てくる。


 しばらく行くと、一分も進まない内に新しいハンズに出会うようになった。


 私は魔素切れを起こさないように、魔素の補充薬を頻繁に飲んだ。


「んくっ……ふぅ。キリがないね」


「あ、でもなんか開けたところに出たよ」


 サスケの言う通り、目の前に二、三十メートル四方くらいの何もない空間が現れた。


 そこは樹々が途切れて、ただただ泥の沼が広がるだけになっている。


「……何もない、かな?」


「いや、あれ見て」


 サスケは前方の一点を指さした。


 広場の中心に、深い黒色をした玉のようなものがあったのだ。


 人の背丈の半分ほどの大きさで、なぜか少しも沼に沈まずその表面に浮いている。


 サスケは広場を見回して安全を確認した。


「ここには……ハンズは見当たらないね。あそこに行ってみようか」


 私たちは漆黒の球体まで近づいていった。


 が、そこまであと五メートルという所で、自分たちの認識が間違いだったと気づかされた。


 ハンズはいないわけではなかった。ただ単に、黒い球体の真後ろにいただけだったのだ。


 ハンズは地面を滑るように移動する。


 この個体も沼地の表面をスケートでもしているかのようにギュルリと滑って私たちの前に現れた。


「レッド!」


 私は反射的にレッドに攻撃を命じた。これまで倒したハンズの強さを考慮して、十分な魔素を込めたつもりだ。


 しかし、レッドの攻撃はハンズの腕ひと振りで簡単に弾き飛ばされた。高熱も効いていないらしい。


 私はサスケへ注意の声を上げた。


「気をつけて、こいつ強いよ!」


 サスケは答える代わりに、すかさずスリングショットを撃ち込んだ。


 しかし、素早く身をよじってかわされる。


 サスケは顔を引きつらせて叫んだ。


「そりゃ強いはずだよ!これドラゴンの腕じゃないか!」


 私はドラゴンという生き物を見たことがないが、確かにそれらしいフォルムをしている。


 その表面は厚い鱗に覆われており、指先には鋭くて太くて頑丈そうな爪が伸びている。色は球体と同じ漆黒だった。


 そして、左手だ。ドラゴンの左手のハンズが私たちの前に立ちはだかっている。


 ドラゴンハンズは跳び上がり、サスケに向かって腕を振り下ろそうとした。


 食らえば一撃で体が引き裂かれるだろう。直感でそれが分かるほどの強いプレッシャーを感じる攻撃だった。


 しかし、幸いその爪がサスケに触れる前にドラゴンハンズは横に飛ばされた。ブルーが体当たりを食らわしたのだ。


 私たちはその間に下がって距離を取った。しっかりと考えて、慎重に戦わなければならない相手だ。


 ただ、私たちは忘れてしまっていた。


 ハンズの習性と、その危険性をだ。


 ドラゴンハンズはギュッと握り拳を作り、それからパッと開いた。そしてブルブルと体を震わせる。


 その動きに応えるように、沼地の表面のあちこちがボコボコと盛り上がった。その下からおびただしい数のハンズが現れる。


 パッと見では数え切れないほどに多い。数十ではきかないほどだ。


「キャアッ」


 私は足首を掴まれて叫んだ。


 そこにサスケがすかさずスリングショットを撃ってくれる。強酸のスライムローションがハンズの皮膚を焼いた。


 人間のものと思しき腕に掴まれていた私の足首は、なんとかそれで自由になった。


「ブルー!厚めに地面を凍らせて!」


 真下からの攻撃が一番厄介だ。とりあえずブルーにそう命じ、私たちはその上に避難した。


 しかし、その間にもハンズたちは次々に増えてくる。


「この増え方……あのドラゴンがハンズ大発生の元凶らしいってことは分かったね。だけど、どうしよう?地面凍らせながら走って逃げる?」


 サスケはスリングショットを撃ちながらそう尋ねてきた。


 確かにここで逃げるのもアリだ。ハンズは結構倒したし、大量発生の原因個体の情報を持ち帰るだけでも十分な成果だろう。


 しかし、と私は思った。


「せっかくだから、全部倒そうよ」


「え?この数を一体一体倒していくの?」


 サスケは気の遠くなるような思いがしただろう。


 それに、減らしてもまたあのドラゴンハンズにすぐ増やされるかもしれない。


「いや……一気に倒すよ!出ておいで、ガル!」


 私はガルーダのガルを召喚した。


 それと同時に強い疲労感を覚える。ガルの召喚は魔素消費が激しいから本当なら避けたいのだが、四の五の言っていられる状況ではなかった。


 ガルは高い鳴き声を上げながら現れた。


「私たちを掴んで飛んで!」


 指示通り、私とサスケを爪で掴んで飛び上がる。


 サスケはこの時初めてガルを見たのでかなり驚いているようだった。


「ま、またすごいの捕まえたね……」


「燃費もすご過ぎて簡単に使えないんだけどね」


 私はガルをあまり高くは飛ばさなかった。少し浮けば、それで用は足りるだからだ。


「レッド、ブルー、戻って!」


 私は二匹の召喚を解除し、格納筒へ戻した。そして一匹だけ沼地に残ったイエローに全力で命じる。


「イエロー、電圧最大!!ビッリビリのバッチバチにしてやりなさい!!」


 イエローは沼に浸かったまま、全力で電流を放出した。


 水は電解質が含まれていれば電気を通す。沼地は範囲攻撃に格好の場だった。


 地に体をつけた状態が基本のハンズたちは瞬時に感電した。


 筋肉を痙攣させ、バタバタと倒れていく。


 私は何も考えずにめいっぱい魔素を込めたため、残りの魔素量がかなり少なくなってしまった。


 それでガルの召喚を維持できなってしまったらしい。突如として、私たちを掴んでいた爪がふっと消えた。


 私とサスケは重力に引っ張られ、先ほどいた氷の上に落ちて尻もちをついた。


「いった!」


 すでに電流は止まっていたため感電するというほどではなかったが、それでもその名残で手とお尻がバチッと静電気を受けた。これ苦手だ。


 私はお尻をさすりながら周囲を見渡した。


「全部……倒したかな?」


「多分そうっぽいけど……いや、あれ!」


 サスケが指さした先で、あのドラゴンハンズが震えながら起き上がろうとしていた。


 相当な電圧だったはずなのに、なんてやつだ。


 私たちは警戒してすぐに立ち上がった。


 が、ドラゴンハンズは上手く起き上がれず、結局は後ろ向きにまた倒れた。やはり限界ではあるらしい。


 私は魔素の補充薬をゴクゴクと飲みつつドラゴンハンズに歩み寄って行った。


 まだ何とか起き上がろうともがいているが、やはりその力はもう無いようだ。


「セルウス・リートゥス」


 私の指が青く光り、ドラゴンハンズの腕に沈み込んでいった。そして一度その全身が光ってから、鱗につたのような紋様が浮かび上がる。


 隷属魔法を成功させた私の背中にサスケが祝福の声をかけた。


「すごいね、これでクウもドラゴン使いだ」


 ドラゴン使い。もしかして召喚士としてのステータスなんだろうか。


「左手だけだけどね……え?なに?」


 私はむくりと起き上がったドラゴンハンズからの念話を受け、そう聞き返した。


 このモンスターは隷属するなり、すぐに自分の望みを伝えてきたのだ。こんな事は初めてだった。


「この黒い玉を……壊したいの?」


 ドラゴンハンズはそう言っているようだった。


 この開けた沼地の中心には漆黒の球体が浮いている。不思議な玉だった。


 これ以上ないほどの真っ黒で、見ているとこちらが吸い込まれそうな気持ちになる。全く光を反射していないのは、むしろ光を吸い込んで離さないからかもしれない。


 まだ隷属させたばかりではあるが、私はドラゴンハンズの望みがとても強いことがよく分かった。


「……どうしよう?」


 私は壊していいものかどうか分からないのでサスケに聞いてみた。


 しかしサスケだって明確な答えなど持てない。


「どうだろう……でも、もしかしたらこいつがハンズ大量発生に絡んでるかもしれないね」


(そうか、だとしたら悪い玉だ)


 私はそう理由をつけ、新しいうちの子の望みを叶えてあげることにした。


「ちょっと待ってね」


 私は魔素補充薬をグビグビと大量に飲んだ。魔素消費が結構激しかったので、しっかり力を込めようと思えば補給が必要だ。


 私のお腹はタプタプになった。


「……けぷっ。よし、じゃあやろうか」


 私はドラゴンハンズに意識を集中し、魔素を送り込んだ。地に生えた左手に力が満ちていくのが分かる。


 これだけ込めれば使役される前よりもずっと強い力が出せるようになっただろう。


「やって!!」


 私の声かけと同時にドラゴンハンズは跳び上がり、その鋭い爪を思い切り漆黒の球体に振り下ろした。


 爪の一撃は衝撃波を発生させ、五本の大きな爪痕が沼地に花を咲かせたように広がった。驚くほどの威力だ。


 漆黒の球体はそれでもピクリとも動かなかった。まるでそこにあるのが物理法則であるかのように、微動だにしない。


 が、よく見るとその表面に一筋のひびが入っていた。


 ひびは少しずつ広がり、やがて全体がひびの筋に覆われるほどになっていく。


 そして球体はついに割れて、爆弾でも破裂したかのように中から黒い突風が吹き出してきた。


「キャアァァ!!」


 漆黒の風に包まれた私たちは視界を失った。黒以外、全く何も見えない。


 ただ一つ分かるのは、嵐のような風で体がもみくちゃにされているという事だけだ。


 いや。その黒い嵐の中、私はほんの小さな隙間から何か見えたような気がした。


(……何、ドラゴン?……黒いドラゴンに見えた気がしたけど)


 黒塗りの中に漆黒の物体を見たのだから、境界が不明瞭ではっきりした認識は持てなかった。


 ただ、そのドラゴンらしき影の腕は私が隷属させたドラゴンハンズによく似ているようにも思えた。


 その黒い風が吹いていた時間は、実際にはほんの短いものだったろう。気づけば風は止み、漆黒の球体は消えていた。


「クウ……大丈夫?」


「う、うん。怪我とかはないけど……何だったんだろう?」


「さあ……」


 何が何だったのかさっぱり分からないが、球体を壊したドラゴンハンズの満足感は伝わってきた。


(まぁ、この子が良かったって思うならそれでいいか)


 親バカな私はよく分からないなりにそう結論付けることにした。


 サスケもこれ以上考えても仕方ないと思ったらしく、踵を返してもと来た方を向いた。


「とりあえず依頼は達成できたし、帰ろうか」


「そうだね。あー疲れた……」


 私はサスケの背中を追いながら、ふと思いついたことがあった。


(そうだ!今なら……)


「セ、セルウス・リートゥス」


 私は隷属魔法の呪文を唱えつつ、あるものを召喚した。


 サスケの元右手、スケさんだ。


 何だろうと振り向いたサスケに向かって私は早口に喋った。


「ま、まだ生きてるのがいたから隷属させてみたよ!ほら、サスケと同じスライムのハンズ!すごいでしょ!」


 何がすごいのかさっぱり分からないが、今ならスケさんをただのハンズということにできる。


 そう思った私はサスケの前でスケさんを隷属させたフリをしたのだ。


 ただ、サスケは不思議そうに首を傾げた。


「スライムのハンズが生きてた?でも、スライムなんて特に感電しやすいのに……」


「あー……えっと、上手くジャンプしてたんじゃないかな?ほら、私たちもそんな感じで避けてたわけだし」


「そうかな。っていうか、なんだかこの右手……」


 さすがにサスケはスケさんにデジャヴを覚えたらしい。


 当たり前だろう。二十三年間も人生を共にした右手なのだから。


 私は冷汗をかきながらサスケの次の言葉を待った。ごく短時間の沈黙が何時間にも感じられる。


「……ま、いっか。それよりクウ、今回は名前を付けないの?」


 サスケはありがたいことに心の引っかかりを無視し、別の話題に移ってくれた。


(助かった……)


 心の中でホッと息を吐きつつ、私はスケさんとドラゴンハンズを並べた。


 サイズは倍くらい違うが、右手と左手という点ではバランスが良い。


「そうそう、名前を忘れてたね。スライムの君がスケさんだから……ドラゴンの君はカクさんだ!よろしくね、スケさんカクさん」


 右手のスケさん、左手のカクさん。


 我ながらナイスな名前を付けることができた。


「ええ?何それ、変な名前」


 サスケにはこのネーミングセンスの妙が分からなかったらしく、笑いながらまた歩き始めた。


 私もその背中を追いかける。


(杖と印籠が欲しいな)


 スケさんカクさんを左右に引き連れて、私はそんなことを考えていた。


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139557435439188



***************



☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈感電する距離〉


『感電のおそれがありますので濡れた手で触れないでください』


 という警告は誰もが電化製品の取説で目にしたことがあるでしょう。


 しかし電気というものは距離が遠くなれば減衰するものです。


 どのくらいの距離までなら危険なのでしょうか?


 条件によって違いますが、例えば雷が海に落ちた場合だと、本当にヤバい範囲は海面でも半径二十から三十メートル程度ではないかと言われています。


 落雷は二百万から十億ボルトという超高電圧だということを考慮すると、意外と短い気もします。


『雷はよく海に落ちる』+『海水は電気を通しやすい』=『お魚さんが死滅しちゃう!』


 という事にはならないわけですね。



〈ハンズ〉


 手だけのモンスターと言えば世界的大ヒットRPG、ドラゴンクエストの『マドハンド』を思い浮かべる方が多いと思います。


 筆者も『めっちゃ仲間を呼ぶ』という特性を利用して経験値を荒稼ぎしていました。


 ただ、手だけのキャラというのは結構昔からあちこちに存在していて、日本でも『手長婆』という妖怪の伝承があります。


 子供が水辺で遊んでいると、この手長婆の白い手が伸びてきて、


『水の中に引きずり込むぞ〜』


と言って脅かすらしいのです。


 ただし脅かすだけで本当に引きずり込むわけではないらしく、その起源も子供の水難事故を心配した大人の方便ではないかと言われています。


 子供を守ってくれていると思うと、手長婆はいいやつですね。


 こういう優しい妖怪はほっこりして好きです。



〈印籠〉


 もはや若い世代には知らない方も多いのだと思いますが、『水戸黄門』という超ロングヒット時代劇がありました。


 助さん格さんという家臣を従えた偉いお爺さんが各地の悪者を懲らしめながら、お忍びで旅をする物語です。


 最後に印籠を見せて『実は偉い人なんだぜ!!』って明かすシーンが見せ場です。


 そこで登場する印籠ですが、印籠の本来の用途は小物入れです。


 現代で言うところのポーチでしょうか。


 初めは印を入れていたことから印籠という名前になったらしいのですが、途中から薬を携帯するのに使われることが多くなったそうです。


『じゃあ水戸黄門はポーチを見せて身分証明してたの?それは無理がない?』


 って思う方もいるでしょうが、一応根拠のない話じゃないみたいです。


 印籠は美術品としての価値が認められていて、きらびやかなものが地位や権力の象徴として身につけられた時期があったのだとか。


 とはいえ生体認証が普及した現代から見ると、やっぱりちょっと無理がある気がしますよね。



***************



お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

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