第8話 ミノタウロス

(何あれ……誘ってるのかしら?)


 私はたくましい筋肉に覆われた逆三角形の上半身を眺めながら、そんなことを考えた。


 雄々しい。一言で言ってしまえばそういうことだ。


 服の上からでも筋繊維の盛り上がりを視認できそうなその肉体は、オスとしての魅力を溢れさせている。


 そしてそれは筋肉美だけではなく、頭部に生えた二本の雄々しい角もそうだった。


 過剰なまでにオスを強調するそれらのパーツは、もはやメスを誘っているとしか思えない。


「うちの店自慢のビーフステーキだ。鉄板が熱いから気をつけろよ」


「あ、はい。ありがとうございます」


 私が見とれていた雄々しい肉体は、手に持っていたステーキの皿を意外なほど丁寧な動作でテーブルに置いてくれた。


 彼はこの店の店主である、ミノタウロスのアステリオスさんだ。


(ミノタウロス……)


 牛の頭部を持つ半人半牛の種族だ。


 実際の牛も大きくて強そうだが、アステリオスさんもまんまそのイメージ通りの人だった。牛の中でもとりわけ闘牛の部類だろう。


「お〜。店長が直に給仕するなんて、その子のことが気に入りましたね。相変わらず女好きなんだから」


 そうやってアステリオスさんを茶化したのはウエイトレスの女の子だ。


 結構大きい店なので、何人ものウエイトレスがいた。


「はっはっは!そうとも、俺は女好きだ!だからお前たちみたいなべっぴんばかり雇っている!」


 アステリオスさんはその大きな体に見合った声量の笑い声を上げた。


 アステリオスさんの言う通り、ウエイトレスの子たちはみんな顔立ちの良い子ばかりだった。


 ただ、私としてはその顔よりも、全員に一致したある共通点のほうが気になった。


(牛娘さんたちだ……ミノタウロスのアステリオスさんと並んでると、この世界の種族のことがよく分かるな)


 ウエイトレスは全員が牛娘だが、ミノタウロスではない。


 頭についた角や耳、尻尾などは牛のそれだが、他のパーツはすべてヒューマンと変わりないものだった。


(キメラか……本当にいろいろな種族がいるんだ)


 この世界には牛娘のウエイトレスさんたちのように、体の一部分だけが他の動物になった『キメラ』と呼ばれる種族がいる。


 一言に『牛とヒューマンとが混じったような種族』といっても、全体的に混じり合ったような『ミノタウロス』もいれば、部分的にしかそれが表出していない『牛のキメラ』もいるわけだ。


 軽く説明を聞いただけではどんな人なのか想像がつかない。


 さらに言うと、簡単に『キメラ』と一括りに出来るものではなく、その線引きも難しい。


 牛娘さんたちの場合は『牛のキメラ』でいいらしいが、例えば下半身全てが魚なら人魚、蛇ならラミアと呼ばれる。


 『魚のキメラ』とか『蛇のキメラ』とは呼ばないのだ。


(もう結局のところ、慣れるしかないんだよね……)


 もはや慣用的に使われている呼称なのだから、それ以外に解決方法はなかった。


 私はそのことに関して諦めつつ、目の前でジュウジュウと美味しそうな音を立てるビーフステーキに目を落とした。


 美味しそう。とっても美味しそうだ。


(でも……ミノタウロスと牛キメラの店で『ビーフ』って、大丈夫なの?)


 まさか人肉ではなかろうが、私はちらりとアステリオスさんを見上げた。


 まさか私がそんなことを心配しているとは思わないアステリオスさんは、別の心配を口にした。


「量が多かったか?ここはモンスター退治なんてことを生業にする連中も仕事を探しに来る店だからな。体が資本の連中相手で、ついボリューミィになっちまう。多かったら遠慮せずに残しな」


 アステリオスさんはその容姿に似合わず、飲食店の店主らしい細やかな気づかいを見せてくれた。


「いえ、大丈夫です。お腹空いてますから」


 私はビーフについての懸念を飲み込み、ステーキに手を付けた。


「!!……すごく美味しいです」


 それはこの店自慢という言葉に恥じない最高のステーキだった。


 柔らかいが適度な歯ごたえもあり、噛めば噛むほど味が滲み出てくる。そして何よりソースの風味が絶妙だった。


「そうか、ありがとよ」


 アステリオスさんは気持ちのいい笑顔でこたえてくれた。


 私ははしたないと思いつつも、つい一度にたくさん口に頬張った。


 それを一生懸命咀嚼しながら、店の壁に貼り付けられた大量の紙切れを眺める。


(仕事の依頼書……いっぱい貼ってあるな。きっとこの店の料理が美味しいから、仕事探しに来る人も多いんだろうな)


 アステリオスさんのお店はただ食事を提供するだけではない。様々な仕事を斡旋仲介する職業紹介所としてのビジネスも行っていた。


 壁の一面が全て掲示板になっており、大量の依頼書が貼り付けてある。


(私にできそうなのあるかな?さっきチラッと見たら、モンスターの討伐とか素材集めとかが多かったけど)


 先ほどアステリオスさんが言った通り、モンスターを倒すような仕事も多いからこの店の客には武装した人が多かった。


 しっかりと鎧を着込んだ戦士や、魔法使いの杖のようなものを持った人もいる。


 ただ、料理も美味しいせいかごく普通の一般人と思われる人もたくさんいた。


 もしかしから危険のない仕事を探しに来ているのかもしれないが。


「なんだ、あんたも仕事探しか?」


 私の視線に気づいたアステリオスさんがそう尋ねてきた。


「はい。一応召喚士なんですけど、何かできる事がないかなと……」


 私は別にステーキを食べるために来たわけではない。仕事を探しに来たのだ。


 先日のダンジョン攻略で当面の生活費はできたわけだが、生きていればお金なんてあっという間になくなってしまう。


 どうやって稼げばいいかをケイロンさんに相談したところ、アステリオスさんのお店で仕事を斡旋仲介していると聞き、やって来ていた。


 ちなみに今日は私一人だ。いい加減、サスケとケイロンさんにおんぶに抱っこでは二人に申し訳ない。


 勇気を出して一人で来てみた。


「召喚士だって?なんだ早く言えよ、召喚士ならいくらでも仕事が……」


「あっ、でもまだ全然駆け出しなんです!使役モンスターもスライム三匹だけで……」


 貼り紙の方へ歩きかけたアステリオスさんを、私は急いで止めた。


 まだやっていけるか不安が大きいので、いきなり危なかったり難しかったりする依頼はご勘弁願いたい。モンスターの討伐などもってのほかだ。


 それに、ケイロンさんから魔質ランクSなどの情報はできるだけ隠すように言われていた。


 まだ常識すらあやふやな私では悪用されかねないと警告されている。


「そうか、スライム三匹じゃ無理はできねぇな」


「そうなんです。だから、できれば危険が小さくて難しくない仕事がいいんですけど……」


「それじゃあ、あんまり割のいい仕事はないんだが……あぁ、そうだ」


 アステリオスさんは壁に貼られた紙のうち、一枚をちぎって持ってきた。


「本当はこれ、あんまりおすすめじゃないんだけどな」


 私は渡された依頼書をざっと読んだ。


「えーっと……『母の形見の指輪を落としてしまったので探してください』。落とし物探しですか?なんでおすすめじゃないんです?」


 落とし物探しなんて危険でもないし、見つかるかどうかはともかく難しい作業ではなさそうだ。


「報酬のところを読んでみな」


「報酬は、成功報酬で二万円……」


 私はアステリオスさんがおすすめできない理由がよく分かった。


 成功報酬ということは、いくら働いても見つからなければ報酬はゼロなのだ。にも関わらず、二万円はなんとも微妙な金額だった。


 アステリオスさんが頭をかきながら事情を教えてくれた。


「実はこれ、ミランダっていう俺の従姉妹からの依頼なんだよ。落とした大体の場所は分かってるらしいんだが、一向に見つからないんだそうだ。俺もさすがに安すぎるとは言ったんだが、ミランダのところは子沢山であんまり余裕のない家でな。一応そこに貼ってやってはいるんだが、今のところ希望者はいない。ま、あんたも他の依頼の方が……」


「やってみます」


 私は即決した。


 これなら確かに危険は少なそうだし、スライムたちと手分けして探せば効率も上がるだろう。


 そして何より、私は依頼書の一文に目を引かれた。


「お母さんの形見って書いてますし、ミランダさんの大切なものなんですよね?見つかるかは分かりませんけど、探すだけ探してみます」


 私は自分の首にかかったネックレスに手をやった。


 サスケのお母さんの形見だという魔道具のネックレスだ。すでにこのネックレスに助けられている身としては、そういった想いを大切にしたかった。


 アステリオスさんは、私の言うことにちょっと驚いたようだった。


「お、おお……やってくれるか。すまねぇな、助かるよ」


「でも私はプティアの街に来てまだ日が浅いので、簡単な地図を書いてもらえますか?場所さえ分かれば、これ食べたら行ってみます」


 アステリオスさんは奥に下がって地図を書いてきてくれた。


 そしてそれと一緒に、一杯のミルクをテーブルに置いた。


「俺からのサービスだ。嫌いじゃなきゃ飲んでくれ。あんた名前は?」


「ありがとうございます。クウっていいます」


「クウ、か。いい名前だな」


 その由来はまさか言えるはずもなかったが、名前を褒められるというのは悪い気はしない。


 ただ私はそれよりも、今は目の前に置かれたミルクの方が気になった。


(ミルクは好きだよ?好きだけど……)


 私はウエイトレスさんたちの方をチラリと見た。


 皆さん牛のキメラだけあって、立派なおっぱいをしていらっしゃる。


 しかもアステリオスさんの趣味なのか客引きなのか、それを強調するようなあざとい制服になっていた。


 多くの女子があざとい服を嫌っているが、私は本心では大好きだ。恥ずかしくて自分では着られないが、胸の谷間や肩が出ているとついチラ見してしまう。


 ただ、今は強調されたおっぱいが私にビーフステーキが出てきた時と同じような懸念を抱かせている。


(まさか……)


↓挿絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/bokushou/news/16817139557391312095


 その懸念が伝わったのか、目の合った一人のウエイトレスが笑いながら言った。


「私たちが出したやつじゃないよ?」


(ですよねー)


 そのミルクは少し甘くて、濃厚で、コクがあるくせに臭みがない、極上のミルクだった。



****************



「この辺りかな……レッド、ブルー、イエロー、出ておいで」


 街の郊外まで来た私は、腰に下げた黒い格納筒をポンポンと叩いた。


 三色のスライム三匹衆が飛び出してくる。


 格納筒は先日のダンジョンで手に入れたものだ。


 調査や攻略の途上で得たものは、事前に取り決めがない限り見つけた人に所有権があるらしい。


 私はありがたく頂戴した。


「金色の指輪を探して。デザインとサイズはこんな感じだよ」


 私は預かっていた指輪の絵を三匹に見せた。


 頭の良い子達なので、すぐに覚えてくれる。


「モンスターが出るかもしれないからレッドは私の近くで探して。ブルーとイエローはもう少し遠くを」


 命じられた三匹は忠実にそれを実行した。ブルーとイエローがぴょんぴょんと跳ねていく。


 ここは街の近くなので危険なモンスターはそういないと思うが、それでも防壁の外ではある。


 用心して一匹は近くに置くことにした。


 私は草や低木をかき分けながら指輪を探した。探しつつ、この世界に来てからの自分の状況をあらためて思い返していた。


 そして思い返せば思い返すほど、私をこの世界に飛ばしたお爺さんに対してのイライラが募ってきた。


 イライラポイントはたくさんある。


一.学食のチキンカツを食べそこねた。


二.モンスターのいるような危ない世界に送られた。


三.しかも全裸で。


四.世界を救うとかいう、よく分からない使命を押し付けられた。


五.召喚士としての能力強化とかで体質をいじられた。


六.しかも発情体質。


 他にも挙げればキリがないほどだが、特に四. と六. はひどい。


 世界を救うためとか言われて飛ばされのに、何をすればいいのかさっぱり分からない。


 っていうか、そもそもこの世界がどんな危機に陥ってるのかも分からないのだ。


 念のためサスケやケイロンさんにも聞いてみたが、別に魔王みたいな巨悪がいるわけでもないし、大災害が迫っているわけでもない。


 モンスターがいる分だけ元の世界よりも危険ではあるが、世界を救うなんてほどの危機的状況が全く見えてこないのだ。


(ホント無茶ぶりにもほどがあるよね。それに発情体質って何よ、発情体質って)


 これも本当に全くの謎だ。


 召喚士としての能力強化なら魔質ランクSとかだけで十分だろうに、なんで発情体質なんてものが付いてきたのか。


 おかげで今日もミノタウロスの屈強な体を見ただけでハァハァしたし、なんなら牛キメラのウエイトレスさんたちのおっぱいにもドキドキした。


 ミノタウロスは頭は牛だし、ウエイトレスさんたちにいたっては同性だ。


 正直に言うと私は元の世界でも隠れていやらしいことに興味津々だったが、さすがにここまでではなかった。と、思う。


(なんていうか……完全に見境がつかなくなってる感じだな)


 そう、見境なくムラムラドキドキハァハァしてしまうのだ。こんな体質、心の底から要らない。


 仕方がないので毎夜セルフケアによる解消に励みつつ、日中はこうやって生活のために働いている。


 世界を救うためにしなければならないことが分からない以上、とりあえずやるべき事は生活費を稼ぐことだ。


 あのウエイトレスさんたちのように街中での安全な定職を見つけて働くことも考えたが、先々でいざ召喚士としての力が必要になったら困る。


 だから、モンスター討伐まで仲介するアステリオスさんのお店で仕事を探していたわけだ。


(でも、こういった落とし物探しくらいがちょうどいいな)


 危険が小さい分安心できるのでいったんはそう思ったものの、実は体の方はそうでもない。


 段々と腰と足が痛くなってきた。


「いたたた……中腰って辛いな」


 私はいったん立ち上がって、背中を反らしながら腰を揉んだ。


 と、その時、低木の影にキラリと光るものが見えた。


「ん?」


 私がもしかしてと思いそこの枝をかき分けると、求めていた金の指輪が目に入った。


「あった!!……って、あなたは誰かな?」


 枝をどかせて気がついたのだが、その指輪はとある生き物の指にはまっていた。


 有り体に言えば、モンスターの指に。


「レッド!すぐ来て!」


 私は慌てて後ろに下がりながらそう叫んだ。


 その生物はパっと見、ネズミのモンスターらしかった。


 ハツカネズミのような体形で目が赤く、げっ歯類特有の大きな前歯が覗いている。


 ただしサイズはハツカネズミなんて可愛いものじゃない。


 高さは私の腰くらいあるだろうか。世界最大のげっ歯類はカピバラさんだと聞いたことがあるが、動物園で見たそれよりも大きいように思えた。


 そして毛皮には燃えるような赤いまだらが入っている。それが目の赤さと相まって、ネズミと言うには迫力のありすぎる容姿になっていた。


 モンスターは私を追うように低木の影から出てきた。


 そして私に飛びつこうとしているのか、体を低くして力をためるような姿勢になった。


(でも……レッドの方が早い!)


 私には念話でレッドの位置が分かっている。


 私から五メートルほど離れた左側。そこからネズミにアタックするよう命じた。


 ただし、目的の指輪を壊してしまってはいけない。体当たりの強さは弱めにして、代わりに熱を強めにするよう指示した。


 これなら触れるだけでその部分が大ダメージだ。


 ドンッ!


 という音とともに、私の命令は忠実に実行された。レッドがモンスターの脇腹に当たる。私の予定では、その熱でモンスターは倒れるはずだった。


 が、倒れない。よろめいて私への攻撃は中止したものの、それほどダメージは受けていないようだった。


(思ったより強いモンスター?……いや、違う。熱に強いんだ!)


 私は急いで鑑定杖かんていじょうを取り出し、モンスターへ向けた。


 モンスター鑑定に特化しており、多少離れていても使える良いやつだ。


 すぐに鑑定杖の上に文字列が並んだ。私はそれにサッと目を通し、そして自分の予想が当たっていたことを確信する。


 そこにはモンスターの名前として『火鼠』、その特性として『高温耐性C』と『低温耐性−C』の文字があった。


(熱に強いモンスター……どうしよう?体当たりの効果はあるから強めの体当たりを命じるか、それともブルーが来るまで待つか……)


 私は一瞬迷った。


 『低温耐性−C』はきっと低温が弱点なのだろう。


 ブルーの攻撃ならきっと効くが、来るまで少し時間がかかる。一瞬で帰せる召喚使役にしておかなかったことを後悔した。


 悩んだが、やはり指輪を壊すリスクは負いたくない。


 レッドには相手が逃がさないようにするための牽制だけを命じた。


「逃げるようなら体当たりをして動きを止めて!」


 そう命じた次の瞬間、私はまた一つ後悔を増やした。


 火鼠は大きく息を吸い、殺気を込めてこちらを向いのだ。


 その時ようやく私は火鼠の鑑定情報に、スキル『火炎のブレスD』があるのを見つけていた。


(やばい!!)


 私は肉体の強度を上げてくれるネックレスに魔素を込めた。


 それとほぼ同時に、火鼠の口から人一人ぐらいの大きさの火炎が吹き出された。


 私は火傷を覚悟して目を閉じた。


 ネックレスが火にどれだけの効果があるのか分からないが、このブレスにはそう覚悟させるだけの迫力があった。


 が、いつまでたっても熱くならない。ただ、ボウボウと火が吐き出される音は続いていた。


 私が恐る恐る目を開けると、長方形の物体が火を遮ってくれていた。


 薄い赤色で半透明の物体が。


「……レッド?」


 そう、それはレッドだった。


 レッドはその柔らかい体を変形させ、私を火から守るバリアになってくれていたのだ。


 昔、巨大特撮ヒーローがこんな感じのバリアーを出すのを見た気がする。


「すごい!そんなことできたんだ!」


 レッドは自分が高熱を出すくらいなのだから火には強いのだろう。火炎のブレスは何度も繰り返し吐かれたが、ものともしていなかった。


(後で褒めてあげないと……)


 私がそう思っている内にブルーが戻ってきた。


 しかもおあつらえむきに、火鼠のすぐ後ろに。


「ブルー、キンキンに冷やしてやって!!」


 ブルーは指示通り、冷気をまとって火鼠にぶつかった。火鼠の背中が凍りつく。


 低温に弱い火鼠にはその一撃が相当効いたようで、すぐに地面に横たわって動かなくなった。


「やった!よくやったね二人とも!」


 褒める私の周りを二匹がぴょんぴょん跳ね回る。


 遅れて帰ってきたイエローもそれに加わり、ちょっとしたお祭りのようになった。


 私もお祭りしたいくらい嬉しかった。初仕事が成功しただけでなく、うちの子たちのすごい能力がまた一つ判明したのだ。


(自由に形を変えられるって……上手くやったらすごく便利に使えそうだ)



****************



「アステリオス!あの指輪が見つかったって!?」


 大きな音を立ててお店のドアを開けたその人は、アステリオスさんによく似たミノタウロスの女性だった。


 いや、あまり似てはいないかもしれない。頭が牛なので似ていると言えば似ているのだが、大きく違うところがある。


 その女性は超が付くほど爆乳だった。


「ミランダ。さっき連絡出したばっかりだってのに早いな。ほらよ、もう無くすなよ」


 アステリオスさんはそう言って従姉妹のミランダさんへ指輪を手渡した。


 そして店の隅に座る私の方を親指で指す。


「あそこにいる召喚士のクウが見つけてくれたんだ。探しても見つからないはずだよ。火鼠が気に入って持ってたらしいぜ」


 ミランダさんは私のところに駆け寄ると、その爆乳で私を圧迫死させようとした。もとい、豊満な胸に私のことを包み込んだ。


「ありがとう……ありがとうね……本当にありがとう」


 母の形見ということだったが、よほど大切なものだったのだろう。感極まって、何度もそう繰り返した。


 私は窒息しそうになりながらも、涙声でお礼を言うミランダさんに心を揺さぶられるような思いを感じていた。


(今まで生きてきて、こんなに人に感謝されたことがあったかな……?)


 私はただ平凡に生きてきて、平凡な女子大生をやっていただけだ。


 これほど人の役に立ったと感じられるようなことは一度もなかったと思う。


 人の役に立つ、人から感謝をされる、それは自分が生きている意味を見出すようなものだ。


(誰かを幸せにしてあげられるって、幸せなことだな)


 そう思うと、ここで依頼書を見ながら誰かの想いに応えようとする生活も悪くはないように思えた。


「……っぷはぁ。お、お役に立てたなら嬉しいです」


 私はなんとか乳地獄だか天国だかから抜け出して、かろうじて言葉を発せた。


「まぁ、嬉しいなんて。嬉しいのは私の方よ。こんな可愛いお嬢さんがモンスターから指輪を取り返してくれるなんてねぇ。そうだクウちゃん。あなた、ミルク好き?」


「はい、大好きです。特にここのミルクは最高です」


「最高ですって?まぁまぁ本当にいい子だこと。じゃあ今後この店で食事する時には、必ず私のミルクをサービスしてもらうことにしましょう。アステリオス、いいわね?」


 アステリオスさんは有無を言わせないような従姉妹の態度に苦笑した。


「ああ、いいよ。出してるお前がそうしろってんなら、それくらいはサービスするさ」


 やった!あのミルクは本当に美味しかったので嬉しい。


「ありがとうございます!すごく、すごく嬉しいです!」


 が、いったん喜んだ私は、そこで二人の発言に見え隠れしていた違和感にようやく気づいた。


(……ん?『私のミルク』?『出してる』?)


 ミランダさんは自分の爆乳を平手で叩いてぶるんと揺らした。


「じゃあ私はしっかり食べて、これからも良いミルクを絞り出さないとね」


 色々と思うところはあったものの、ここのミルクが最高なのは間違いない。


 私はその思考には蓋をしておくことにした。



***************



☆元ネタ&雑学コーナー☆


 ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。


 本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。



〈ミノタウロスとアステリオス〉


 ミノタウロスという怪物は割と有名ですが、元ネタはギリシア神話に登場する牛と人間のハーフです。


 そう、牛と人間が交わって産まれた生き物なんですね。


 とある国の王様が神様との約束を破ってしまい、王妃様に『牛とそういうことしたくなる呪い』をかけられました。


 呪うにしてもそれってどうなん?……って感じの呪いですね。


 しかし当然のことながら、牛が人間相手に発情するわけがありません。


 そこで王妃様一計を案じまして、職人に命じて雌牛のハリボテを作らせて中に入ります。


 そして思いを遂げた、と。


 呪いのせいとはいえそこまでする王妃様、付き合う職人に色々感じるものはありますが……まぁなんにせよ、結果として半人半牛の子供が産まれました。


 その子に付けられた名前が『アステリオス』です。


 そう、『ミノタウロス』はその子の名前ではないのです。


 神様との約束を破った王様の名前が『ミノス』なので、『ミノス王の牛』という意味の『ミノタウロス』という単語ができて、そっちの方が有名になっているわけです。



〈発音に関して〉


 実はミノタウロス、本式の発音だと『ミーノータウロス』が近いらしいんです。


 ミノス王もミーノースだし、ケイロンもケイローンです。


 でも日本語の語感がいまいちだし、ミノタウロスが有名になってるからいきなりミーノータウロスって書かれても『は?』ってなりますよね。


 書く側としてそこはもう割り切ってるのであしからず。


 固有名詞が地域によって違うというのは世界的にも多いし……という言い訳を胸に気にしないことにしてます。



〈キメラ〉


 ギリシア神話の怪物で、ライオンの頭とヤギの胴体、毒蛇の尻尾を持つ合体生物みたいなやつです。


 キマイラと発音することもあります。


 現代においては『複数の異質物が組み合わさって構成されたもの』というような意味で使われていて、特に生物科学の分野でよく耳にします。


 筆者は薬学生時代、このキメラの技術を使った遺伝子組み換えマウスを飼育していました。


 ……と言っても自分の実験で使っていたわけではなく、先輩が使っていたものをお世話してたんです。


 でも実験動物は実験が終われば用済みです。


 ただ飼っていても餌も食べるし、殺すよう命じられました。


 ……でも殺せない!!


 それでマウスの飼育ケージがたくさんあるのをいいことに、こっそり飼っていました。


 先輩、先生、ごめんなさい。


 ちなみに遺伝子組み換え生物は絶対に自然環境へ離してはいけないので、家に持って帰ったり逃がしたりするのは研究倫理的にご法度です。


 卒業まで飼い続け、研究室を出る時に泣く泣く麻酔で殺しました。


 動物実験を否定するつもりはありませんが、悲しいのは悲しいです。


 せめて実験動物たちへの感謝を忘れないようにしたいと思います。



***************



お読みいただき、ありがとうございました。

気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。

それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る