第8話【ゲームのヘイト設定は、適当……】

 俺は、青い炎に包まれている。こんな経験は、はじめてだ。


 ゲームの中で、ではあるが。厳密に言えば、明晰夢かもしれないゲームの中。


 熱さと、身を削るような痛み。


 悲鳴もあげている。誰が? 俺だ。その光景を見ているのも、俺である。


 その一方で、ゲームなのにリアルを追求し過ぎだろうと、突っ込んでしまう冷静さもあった。


 熱い空気が、喉の奥に達してからは、悲鳴どころか、呼吸もできない。


 しかし、青い炎は、俺を消し炭にすることはなかった。急激に火勢を失ったからである。


 青い炎は、体内に吸い込まれるようにして消滅。


 痛みから解放された俺は、HPを見る。


 減少していたが、残り3割のところで留まった。


「え、なに?」


 ヴィクトリアは、キョロキョロと周囲を見回して、自身の身体を確認している。


 アルターヴァルの吐いた青い炎は、通路を覆い尽くすものだった。


 普通に考えれば、この場にいる全員が、青い炎に焼き尽くされているはずだ。


 なのに、焼かれたのは、俺一人である。他の二人は、ピンピンとしている。


 俺も、ある意味では無事だ。熱さと痛みを感じたが、消し炭になっていないのだから。


「ヴィクトリア、その男を回復……」


 GMナイツの男は、淡々とした口調で、ヴィクトリアに命令をした。


「は、はい」


 ヴィクトリアは、眉根を寄せる。状況を理解しているのは、あの男だけのようだ。


「君、色々な事情は、後で聞こう。今は、大盾使いの仕事をしてくれればいい……」


 男は、俺を見ることもない。相変わらずの自動音声のような抑揚のない口調。


 アルターヴァルは、前足を振り上げ、男を攻撃する。


 幅広い大剣を盾のように扱って、振り下ろされる前足を防ぐ男。

 

 俺は、男の言いつけに従うことにした。大盾を構えて、状況を見守る。


 あれだけ燃やされたのに、俺は何事もなく立てている。そこは、ゲームだなと思う。


 ならば、痛みも感じないようにすればいい。無駄な設定だ。


 今は、大盾使いの仕事をしよう。アルターヴァルとかいう化け物に食われるよりはマシである。


「ソワン《低級治療》」


 ヴィクトリアは、何かの呪文を唱えた。俺の体は、暖かい光に包まれる。


 俺のHPは、3割から7割まで回復した。治癒魔法だったのだろう。


「あ、ありがとうございます」


 俺は、あえて、お礼を言った。


 先程から男の態度が、無愛想だったからだ。自分でも、何の当て付けになるのかと馬鹿らしくなる。


「私は、何も……。お礼なら父様に……」


 ヴィクトリアは、俺を見て他人事のように言った。父娘のようだが、あまり似ていない。


 父親の方は、やつれた印象を受けるが、品は、良さそうだ。目は切れ長。髪の色は、黒に近いグレー。


 ヴィクトリアと呼ばれる娘の方は、大人しそうな顔立ちに流線型の目。


 その目に輝くライトブルーの瞳。


 髪は、金髪のロング。


 やはり、似てない。父娘の割に似ていないのは、ゲームだからなのか。


 日本人なのに、変な髪の色や瞳の色のキャラクターがいるのが、ゲームの世界だ。


 ここも、そういうものなのだろう。


「ヴィクトリア、そろそろスキルを使う。相手は、アルヴァの両級だ。訓練とは違う……」


 男は、ここに来てはじめて表情を変化させた。切れ長な目を鋭く光らせて、眉間にシワを寄せる。


「はい。父様。ベトフォン家の名にかけて、ここで倒しますわッ」


 ヴィクトリアは、息を震わせる。その決意を感じさせる言葉と相反して、身体は震えていた。


 怖いのだろうか。無理もない。


 アルターヴァルと呼ばれるクジラみたいな化け物は、8トントラックほどの大きさだ。


 ゲームのくせに、ダメージにリアリティがある。そんなの脅威だろう。


 押しつぶされれば即死である。


 男は、幅広い大剣を脇構えにする。


炎断エンダン


 そう呟くと幅広い大剣を包み込むように、炎が舞いあがる。


 アルターヴァルは、怯むことなく男を踏み潰そうと前足を上げた。


 男は、俺を見る。何も言わない。だけど、言いたいことは理解できた。


 ──大盾使いの仕事をしてくれればいい。


 俺の頭の中で、さきほど聞いた無愛想な男の声が反響していた。


 勝手な話だが、それに怒りを感じるなら、拒否しなかった俺が悪いのだ。


「ガード《小範囲防御》」


 アルターヴァルの前足が、男を踏み潰した。ダメージは、俺が肩代わりしている。


 HPは、残り5割ほどだ。全身に圧力を感じる。頭蓋骨を軋ませるような感覚だった。


 男を押し潰したはずのアルターヴァルの前足が、突如として燃え上がる。


 アルターヴァルは、甲高い咆哮をあげながら後退する。


 焼ききれた前足の半分が、燃えカスになって消えた。


 俺が、痛みに耐えていると、隣を、ヴィクトリアが駆け抜ける。背に納めた長槍を手に持ち替えた。


燐火閃リンカセン


 長槍の穂先は、青い炎をまとう。


 ヴィクトリアは、アルターヴァルの顔の下に入り込んだ。


 そのまま、顔の下から額までを貫いた。外皮を焼きながら、額を突き抜ける長槍。


 アルターヴァルは、奇声を上げながら更に後退。ヴィクトリアが、長槍を抜き、後ろに下がる。


 アルターヴァルは、頭を上げて、大量の赤い液体を滴らせながら口を大きく開けた。


 その大きな口の中に青黒い炎が、渦を巻く。


 また、ブレス攻撃だ。


「ガード《小範囲防御》」


 俺は、言われた通りの仕事をこなす。このあと、襲いかかるであろう痛みに、歯を食いしばる。


「ソワン《低級治療》」


 アルターヴァルから放たれる青黒い炎の大波は、通路をおおう。が、やはり、炎は俺に集中する。


 俺は、全身に剣山を押し付けられたような痛みに耐えながら、必死で祈った。


 その成果か、痛みは先程よりもすぐに引いてくれた。まるで、耐性でもついたかのように。


 俺のHPは、回復もあって残り4割にとどまる。


 俺は、男を見る。


 男は、ブレス攻撃の間隙をついて、アルターヴァルの後ろに回り込んでいた。


炎業断エンギョウダン


 男は、幅広い大剣をアルターヴァルの背中にでも突き刺したのだろう。


 肉のえぐれるような音とともに、アルターヴァルは炎上する。


 肉の焦げた匂いに、俺は息を止めた。


 男は、そのまま動かない。ときより見える男の表情は、無表情だ。眉一つも動かさない。


「ヴィクトリア、トドメだ……」


「す、すごいわ。両級が……」


 男の声が聞こえていないのか、ヴィクトリアは、感嘆の声をあげた。


 アルターヴァルは、その目を怒らせる。


 4足のクジラの化け物は、大音声を放ち、燃えただれた額からドロッとした液体を出す。


 勢いよく飛び出た赤い角。


「ヴィクトリアッ!!」


 男の声が、通路に響き渡る。赤い角は、瞬時に、本当に、瞬時に、ヴィクトリアを両断する。


 朱色のものやら、何かの欠片やら、生温かいものが、全て俺に降りかかった。


 ──スリップガード《時戻しの防御》


 俺は、頭に浮かんだ文字をそのまま言葉にして発した。一瞬の視界の歪み。


 巻き戻しの画面のような光景だ。目の前で展開されている。


 ヴィクトリアだったものは、一欠片も残さずに彼女の身体を形成していった。


 代償なのだろう。俺のHPは、残り1割もない状態になっていた。


「え、今……。私は……」


 ヴィクトリアは、何事もなく立ち上がって自分の体に触れた。


 俺の、頭の先から股の先までを強烈な痛みが、走る。目の奥が熱い。


 声もあげられずにその場に、倒れ、跳ねたりのたうち回ったりした。


 痛みから少しでも逃れるためである。


「ヴィクトリア、もうチャンスはない」


「は、はい。父様。燐火灰燼閃リンカカイジンセン


 アルターヴァルは、ヴィクトリアが作り出した巨大な青い槍に貫かれた。


 忌々しそうな咆哮を汽笛のように。青い炎に皮膚を肉を骨をと消滅させながら、最後まで。



「ごめんなさい。油断をしましたわ。父様……」


 燃え尽きたアルターヴァルの残り香が漂う通路に、ヴィクトリアの声が、沈んだ。


 第8話【ゲームのヘイト設定は、適当……】完。

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