第6話

 地下室から地上へと続く螺旋階段を昇りながら、邪神たちはフィリップにあれこれ話しかけていた。

 それは魔王の寵児という記号ではなく、フィリップという一個人への興味が湧いたということなのだが、フィリップにしてみればあまり嬉しいことでは無い。

 格言にもある通り。触らぬ神に祟りなしだ。


 まぁ、もう遅いのだが。


 「そういえば、貴方は私たちを敬う気持ちなんて持ち合わせていないのに、どうして遜って話すのかしら?」

 「癖みたいなものですよ。実家が宿屋なので、常に丁寧に話すよう教えられていましたから」


 遠回しに「敬え」と言われたわけでは無いだろう。

 彼らにとって人間は羽虫も同然。不愉快なら殺せばいいだけの話だ。魔王の寵児と彼らは言っているが、要はお気に入りのモルモットの世話をしろと、そういうことだろう。白痴の魔王の命令に、意図などありはしないだろうが。


 「宿屋? これからそこに帰るのよね?」

 「いえ、王都には奉公で来ているので……あ、荷物……」


 路地裏に置きっぱなし──というのは、希望的観測か。治安が良いと評判の王都なら衛士の詰所か──いや、そんな露骨な証拠は残さないだろうし、処分されているか。


 「治安が良い……?」


 自分の思考に首を傾げ、苦笑する。

 ふらふらと路地裏に入った間抜けは自分だし、カルトがそううようよしている訳も無いだろう。貧乏くじを引いた、ということだ。


 ふと、先を進んでいたナイ神父が足を止める。つられて二人も足を止めるが、足音は止まらなかった。


 「上から……誰か来る?」


 たたた、と、急ぎ足で降りてきたのは、フードを目深に被った二人のカルト信者だった。

 とはいえ、フィリップの感情を揺らすことは無い。後ろには微笑を浮かべたマザーが、そして前方には──?


 「っ!? きょ、教主様? 何故こちらに? 儀式は終わったのですか? それに、その子供と、そちらの女性は……?」


 困惑も露わに立ち止まった信者たちは、フィリップの前に立つ一礼した。


 千の貌。ナイアーラトテップの別名は、その化身の多さに由来する。

 カルト信者やフィリップの記憶から教祖の姿や声を検索し、模倣することなど造作もないだろう。


 「儀式は成功だとも。彼は時神様……いや、そのさらに上位に坐します御方の意に従い、解放することになった。君たちも拝謁の栄誉に服してきたまえ」

 「おぉ! では、あの少女は我々が後程解放しておきましょう! 教主様ももう一度、共に拝謁いたしましょうぞ!」

 「流石は教主様! 共に儀式の成功を喜びましょう!」


 一行が狭い階段の端に避けると、二人は我先に階段を降り──マザーとすれ違った瞬間に、背中から触手に貫かれて絶命した。


 「どうせ殺すなら、さっさと殺せばよかったのに」


 不思議そうなマザーに嘲笑を向け、先ほどと同じ姿に戻ったナイ神父は触手状態の右腕を振って血を払った。

 出来の悪い生徒を見るような──いや、もっと露骨な嘲笑を向けられて、マザーがむっとした顔をする。


 「階段の上で殺したら、血が垂れて靴が汚れるではないですか」

 「私にちょっと跳ねてるんだけど?」

 「ははは。ところで、聞こえますか? 何やら叫び声が」


 そう言われて耳を澄ますが、地下──吸音性の高い土に囲まれているからか、何も聞こえない。

 マザーには聞こえたのか、「貴方を呼んでいるみたいよ?」と言う。


 神父に向けて薄いヴェールでは隠し切れない怒気を滲ませるマザーに気圧されつつ、フィリップは階段の上を指差した。


 「地下牢の階に、まだもう一人捕まってるんです」


 少し階段を昇ると、確かに叫び声がする。

 フィリップは慌てて駆け出すが、邪神二人の歩む速度は変わらなかった。


 「あまり無闇に動かないでください。カルトの残党が居るかもしれませんよ? 君は脆弱なのですから──」


 その嘲弄に、フィリップは何ら感情を動かされなかった。神父の言葉を無視して階段を昇りながら、フィリップは前を向いて叫ぶ。


 「えぇ。ヒトは脆弱で、矮小です。──だからこそ、あの子も助けないと。助けを待ってなんていられない」

 

 二人を置いて先行するフィリップに、ナイ神父は深いため息を吐いた。


 「身の程を知ってなお、ああも無鉄砲とは。この先も苦労しそうです」

 「あら、可愛らしくていいじゃない。貴方もそうでしょう?」

 「えぇ、大好きですよ。本当に面白い──」


 二人はゆっくりとフィリップの後を追う。

 その背後で、二つの死体がグズグズに溶けて消え失せた。


 二人が追い付くと、フィリップは鉄格子の扉に付けられた頑丈そうな錠前に呆然としているところだった。

 ナイ神父は嘲笑を漏らすと、ポケットから小さな銀色の鍵を取り出す。


 「鍵ならここですよ」


 マザーはいつ鍵を拾ったのかと首を傾げていたが、受け取ったフィリップはそれが鍵などでは無いことに気が付いた。


 鍵のように見えるのは持つ部分だけで、そこから伸びるのは平らな板でしかない。

 じっと見つめると、その先端部分が複数本の細くて黒い触手に分裂し、うねうねと蠢いた。さながら生きたマスターキーである。


 「あぁ、うん……」


 諦めと呆れが礼の代わりに口から漏れた。

 鍵を回す前に錠が外れ、何とも言えない気分になっていると、ナイ神父が地下牢を覗き込んでいた。


 「君が、彼の言っていた女の子ですか」


 ぽかんと口を開けて呆然としている少女に代わり、フィリップが首肯する。

 放心するのも無理はないだろう。一緒に誘拐された少年がカルトに生贄にと連れて行かれ、今度は神父と喪服の女性と一緒に帰ってきた。冗談のような状況だと、フィリップ自身さえそう思う。


 「さぁ、ここを出よう」


 フィリップが手を伸ばすが、安堵か、はたまた別の理由か、少女は腰が抜けて立てない様子だった。


 「……ナイ神父?」

 「酷いお方だ。この私に、糞の詰まった肉袋を抱えて歩けと?」


 フィリップにしか聞こえないように、にっこりと微笑んで言うナイ神父。

 しかし従う気はあるのか、それ以外の代替案を提示できなかったからか、それ以上言い募ることなく少女を抱え上げた。


 ひゅっ、と、少女が鋭く息を呑んだのは何故だろうか。

 まさかナイ神父の正体に気付いた訳では無いだろうが、と、フィリップは的外れな心配を抱いた。


 一行は地下施設への入り口になっていた一軒家の廃墟を出ると、まず現在地を確認することにした。

 とは言っても、フィリップに土地勘は無く、邪神二人は言うまでもない。必然的にモニカに視線が集中するのだが、彼女はまだ放心状態──というか、彼女を横抱きに抱えるナイ神父を呆然と見つめていた。


 (あぁ、これは、あれか。吊り橋効果に単純な外見APPの暴力でちゃった感じか)


 そう悟り、フィリップはつい顔を歪めた。


 (そいつは止めた方が……まぁ、他人の恋路に口を出すつもりはないけど)


 幼気な少女に好かれて、ナイ神父も悪い気はしないだろう。

 いや……しない、か? 本当に? 言ってみれば蛆虫に好意を寄せられるようなもので、悍ましい以外の感想を抱かないのではないか?


 「あとは、気持ち悪い、とか、身の程を知れ、とかでしょうか」

 「心を読まないでください。……それはともかく、ここは?」


 きょろきょろと辺りを見回すが、当然ながら街並みに見覚えは無い。

 強いていうのなら、建物や道の質から見て二等地だろう。三等地より狭いとはいえ、十分に広大な区画だ。その中から一件の宿屋を探すのは楽なことでは無い。


 「私が知る訳が無いでしょう。……お誂え向きに、人が来ます。尋ねてみましょうか」


 立ち並ぶ民家からは明かりが漏れておらず、かなり夜も更けた頃だと推察できる。

 そんな時間に大通りを外れた住宅街をふらふらしている者がいる?


 「カルトの残党では?」


 フィリップはそう言うが、その人影が近付いてくるにつれ、違うと理解できた。

 ガチャガチャと、厚みのある金属同士が擦れる音。それは金属鎧に特有のもので、統一したローブ姿の者しかいなかったカルトでは無さそうだ。


 先を歩く鎧の方が少し装飾が多く、ランタンを掲げ持っている。


 「そこの者。我々は王都衛士団である。このような時間に何をしているのか、聞かせて貰えるか」


 小走りで近づいて来ていた二人組の衛士は、一定の距離まで近付くとその速度を緩めた。

 警戒するような、それでいて遅さを感じさせない動きで顔が見える距離まで近付くと、片割れが驚いたように叫んだ。


 「モニカちゃん、それにフィリップ君じゃないか! 無事でよかった! そっちの……神父様とご婦人は?」

 「ジェイコブ、さん……?」

 「あぁ!」


 ヘルム越しの声では判別が付きにくいが、確かに聞き覚えのある声だった。

 ヘルムを取らず、剣の柄から手を離しもしないのは、二人の素性を怪しんでいるからか。


 無事でよかった、ということは、何が起こったのかは知っている? まさか、カルトとグル──


 ぽむ、と。フィリップの疑念が視線に宿る前に、頭に優しく手が置かれた。

 マザー……ではなく、ナイ神父の大きな手だった。うへぇ、という表情は、衛士たちには夜闇で見えないはずだ。


 「そこの──」


 ナイ神父が示したのは、さっき出てきたカルトの根城になっていた空き家だ。


 「地下室、いえ地下牢から叫び声が聞こえたので、様子を見に来たのです。この子たちはそこで捕らえられていたので、救出しました」

 「地下牢だと? おい」

 「はっ!」


 片割れはジェイコブよりも偉いのか、命じられたジェイコブはランタンを付け、抜剣して空き家に突入していった。

 そこまで警戒しなくても、中には人の残骸とは想像もできないどろどろの液体しか残っていないだろうが。懸念点と言えば階段で殺した二人分くらいだが、この狡猾な邪神が何も考えていないということはないだろう。


 「子供たちを救出したとのことだが、彼らに怪我は?」

 「幸いなことに無傷でした。これも神の御加護あってこそでしょう」


 にっこりと笑うナイ神父。フィリップは顔を背けて失笑を堪えた。

 確かに薬の影響は取り除かれているし、狂気も払われた、だが、受けた精神的ダメージは計り知れない。少なくとも一回は発狂しているのだから。


 それに──『神の加護』とは。全くお笑い種だ。


 「ふむ。我々も確認したいのだが、いいか? 彼らが落ち着いたら、詳しい話も聞きたい」

 「如何ですか、フィリップ君?」

 「……えぇ、構いません」


 軽く頷いて見せたフィリップに頷きを返すと、衛士はナイ神父の腕の中で呆然としているモニカに目を向けた。


 「彼女はまだ呆然としていて。えっと、一緒に捕まっていたので、僕が話せます」

 「なるほど。……君は随分と気丈なのだな」


 ぴくり、と、自分でも眉が動いたのが分った。

 失策だったか。もう少し怯えて見せた方がそれっぽかったか。


 年相応に、露骨に表情が動いてしまうフィリップに、ナイ神父の向ける嘲笑の視線が刺さる。

 その視線は衛士へと移り、すっと目が据わった。


 「気に留める必要もない虫」だった評価が「駆除すべき虫」へと格上げされたのは、マザーと神父を除くこの場の全員にとって不幸だっただろう。

 しかし、神父の腕が触手へと変わる前に、夜の静けさを大きな笑い声が掻き消した。


 「はっはっは! 男子足るもの、そうでなくてはな! 弱った女性を助けようという気概、素晴らしいぞ、少年!」


 その上機嫌な態度は本物で、不信感を覚えた様子はない。

 夜闇がフィリップの微かな表情の揺らぎを隠してくれたらしい。


 ぐりぐりと頭を撫でられるが、金属の籠手越しでは嬉しさより硬さが勝つ。しかも関節部に髪の毛が挟まって地味に痛い。

 だが──褒められて悪い気はしなかった。


 今がどうであれ、フィリップは確かに、あの地下牢ではずっとモニカのことを気遣っていたのだから。


 近所の者から怒られそうな大笑いを聞きつけたからというわけではないだろうが、ジェイコブが空き家から戻ってきてそれを止める。


 「ちょっと、団長。声が大きすぎます」

 「おお、すまんな! あっはっは!」

 「団長……」


 呆れを滲ませつつ、ジェイコブが報告する。

 隠す必要もないと思っているのか、聞き耳を立てるまでも無く内容は聞き取れた。


 曰く。確かに地下牢は存在し、そのさらに下層には祭祀場らしき空間があった。カルト構成員らしき者も、その死体も見つからなかったが、最近まで使用されていた痕跡はあった。そして──地面に掘られた、死体処理用と思しき幾つかの穴と、既に使われたのであろう土の盛り上がりが発見された。


 「ふむ。では私は応援を呼び、現場と周囲の捜索を行う。まだ残党がいるかもしれん。……少年、話は後日、聞かせてくれ。神父様とご婦人も、構いませんな?」

 「了解です。……あの、私は?」


 ちらりとフィリップの方を見ながら尋ねたジェイコブに、団長は不思議そうに首を傾げた。


 「少年たちを家まで送る以外に何があるんだ?」

 「は、はい! では、行きましょう。宿屋タベールナまでで問題あり……問題ないかな?」


 ジェイコブは神父とフィリップのどちらに話しかけるか迷い、結局、少しでも知っているフィリップを選んだようだった。

 フィリップとしても邪神と話すよりは気が休まるので、これ幸いと先導するジェイコブと並んで歩くことにした。


 「はい、お願いします。ここは二等地ですよね?」

 「あぁ、そうだよ。……少し歩くけど、大丈夫かい? 疲れているなら、俺が背負っていくけど」

 「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 そっか、偉いね。と、それだけ言って、そこで会話は途切れた。

 荷物を失くした以上、整備された道を歩くのに苦労はしない。だが、ずっと実家の宿屋を手伝っていたから年相応以上に体力はあるが、それでも子供の範疇は超えていなかった。乗り心地の悪い乗合馬車で王都まで来て、それなりに重い荷物を持って歩いて、その上麻薬と支配魔術だ。身体はボロボロだったはずだが。


 「万が一を考えて回復魔術をかけたのだけど、眠れなくなってしまいそうね」


 いつの間にか隣に来ていたマザーがそう言う。

 麻薬と支配魔術を打ち消した時かと納得したフィリップとは違い、比較的知識のあるジェイコブが驚きの声を漏らした。


 「疲労を回復する回復魔術ですか!? それは──ッ!?」


 言い終える前に、ヴェール越しにその美貌を目にしたジェイコブの言葉が止まる。

 不思議そうなマザーだが、彼女がナイ神父より短気ではないという保証は無い。「気持ち悪い、悍ましい」と、触手を一振りするだけで、あの頑強そうな鎧ごとぐちゃぐちゃのミンチにされるだろう。


 「疲労を回復する魔術は、そんなに珍しいのですか?」

 「あ、あぁ。そうだね。信仰魔術……奇跡や神秘と呼ばれる部類の魔術の中でも、かなり高位の魔術だよ」

 「へぇ、すごいんですね、マザー」


 適当に相槌を打つが、興奮した様子のジェイコブは感心したようにナイ神父を振り返った。


 「もしかして、高名な神官の方々なのですか?」


 いえ、無名な邪神です。とは言えず、フィリップは丸投げすることにした。


 「さぁ? 僕も先ほど助けて頂いただけなので……そうなんですか、ナイ神父?」

 「いえ、我々は二等地の『投石教会』に身を寄せている、しがない神父と修道女ですよ。彼女は喪服ですけどね」


 王都に詳しい衛士相手に、千なる無貌のハッタリが通用するのか見物だった。

 しかし、ジェイコブは意外な反応を返す。


 「あぁ、あの教会でしたか! お伺いしたことはありませんが……」

 「ははは。大通りからはだいぶ外れていますし、もっと行きやすい教会はいくらでもありますから」


 そんなふざけた名前の教会が実在するのも、ナイ神父がそれを知っているのも衝撃だった。

 フィリップに向けられたウインクの意味は、「化身に調べさせました」だろうか。


 「そ、そうですね。実は、詰所の地図を見て「誰がこんなとこにわざわざ行くんだ」と思っていたのですが、貴方がたのような素晴らしい神官様が居るのなら、お伺いすべきでした」

 「それは光栄です」


 にっこりと笑うナイ神父の腕の中で呆然としていたモニカが、ようやく復帰したのか声を発する。


 「神父さま、投石教会の方なの?」

 「えぇ、そうですよ。もし良かったら、ミサに来てみてください」

 「はい、是非!」


 その時は自分も付いて行こうと、でれでれになっているモニカと、つつくと丸くなるダンゴムシを見ているような笑顔を浮かべるナイ神父を見て決意する。


 「貴方も来て頂戴ね?」


 そんな決意を知ってか知らずか、マザーがフィリップの頭を撫でる。

 まさかジェイコブの前でそれを振り払うわけにもいかず、何とも言えない顔でそれを受け入れた。

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