第7話
それからしばらく歩いて、フィリップたちは大通りに出た。
いくら王都とはいえ夜通し営業している店は少なく、漏れ出る明かりは裏通り──歓楽街からのものだ。その歓楽街にも人気は少なく、大通りを一人で歩いているその女性はとても目立っていた。
ランタンを掲げ持ち、こちらへ足早に駆け寄ってくる女性。
はじめは反射的に剣の柄に手を掛けたジェイコブも、顔を判別したときには嬉しそうにこちらを向いていた。
「女将さんだ! 二人を探していたんだろうね」
その言葉を聞くと、モニカが微かに身動ぎをする。
これ幸いとモニカを下ろしたナイ神父にもじもじしながらお礼を言って、すぐに女性の元へと駆けていく。
「お母さん!」
「モニカ! 良かった、無事だったんだね!」
しっかりと抱き合う二人の姿を見れば、カルトや地下牢といった冷たい非日常のことなど忘れ、暖かな日常に戻ることが難しいことでは無いと思えた。
尤も、それはモニカに限った話なのだが。
きっと──ここにいたのがフィリップの母親だったとしても、自分はああはならない。
フィリップは勿論母親のことを愛しているし、母親はその何倍も、何十倍もの愛を注いでくれている。だが──その日常が儚い泡のようなものだと知って、それを殊更に大切にできるほど、フィリップは大人では無かった。簡単に言って──諦めてしまったのだ。
「あの人が、宿屋タベールナの女将さんだよ。フィリップ君」
「そうなんですか? じゃあ、挨拶をしてきます」
フィリップが向かい、挨拶をすると、女将はフィリップのことも強く抱きしめていた。
号泣する女将とモニカ、そしてその二人に挟まれて困ったように笑うフィリップを見て、ジェイコブは深く安堵した。
「いい光景ですね」
つい、ナイ神父に同意を求めてしまう。
ジェイコブの予想に違わず、彼はにっこりと笑って首肯した。
ほっと一息ついて、ジェイコブは深々と、ナイ神父とマザーに向けて頭を下げた。
「今回の一件、我々王都衛士団に代わり民を救って頂き、本当にありがとうございました。私は衛士団を代表できる立場にありませんが、お二人のことは団長に──いえ、団長を通して国王陛下に伝えて頂けるよう、私からお願いしておきます。それ以外にも、きっと何かお礼を──」
「不要ですよ」
「不要ですわ」
ぞっとするような冷たい声に弾かれて顔を上げる。
明確な怒りに、ジェイコブはごくりと喉を鳴らした。
「それは、どういう──?」
「今回の一件、我々は我々の意志に基づいて行動しただけです。それに礼などされては、我々の行動の価値が、意思の価値が、貴方たちによって定められてしまうではないですか」
「失礼いたしました。そんなつもりは──」
そんなつもりはなかった、というのが単なる言い訳でしか無いと気付き、ジェイコブは唇を噛んだ。
相手は神官──俗世とみだりに交わるべからず、という教義を忠実に守っている神官は今どき珍しいが──ということもあり、贈り物などは確かに好まれないだろう。賄賂の類と無縁な清廉潔白な聖職者も珍しいが、彼であれば、とも思う。
「言葉だけで十分ですよ。とはいえ、そうもいかないのが組織でしょう。……そうですね、では、あの子にいろいろと便宜を図ってあげてください」
その助け舟に飛びつくように、ジェイコブは慌てて言葉を紡ぐ。
「は、はい! フィリップ君とモニカちゃんには最大限のケアを用意しますし、今後二度と彼らのような子供が脅かされないよう、王都の治安を十全にしたいと思っております!」
まぁこんなところか、と、二人の邪神はほくそ笑んだ。これで、何かあってもフィリップを積極的にどうこうしようとはならないはずだし、何もしないより幾らかマシだろう。一歩目としては上々だ。
マザーはついうっかり「あの子」と言っていたが、焦っていたジェイコブは気付かなかったか聞き流したようだ。
一頻り泣いて満足したのか、二人の子供を連れた女将が近付いてくる。
「お二人がこの子たちを助けてくださったんですよね? 本当に──本当に、ありがとうございます」
深々と頭を下げ、同時に子供たちにも頭を下げさせる。
フィリップは物凄い顔をしていたが、奉公先の女将に逆らうわけにもいかず、黙って従っていた。
愛玩するような笑みを向けるマザーと、愉悦に満ちた嘲笑を向けるナイ神父。
湧き上がる殺意を抑えきれそうにない。が、内に秘めた獣性を解き放ったところで、所詮は人間。ほぼ最高位の神格二柱に敵うはずもなく、それを正しく理解し、理性的に我慢しているところが、邪神たちにしてみれば愛おしく、滑稽なのだが。
「ほら、あんたらもお礼言いな」
「ありがとうございます!」
「ありがとう……ございます……!」
モニカは朗らかに、フィリップは食い縛った歯の隙間から絞り出すように言う。
それがまた愛おしく、滑稽で、二人はそれぞれ性質の違う笑みを浮かべた。
「お礼なんていいのよ。おいで、フィリップ君」
慈母の如き表情を浮かべて両腕を広げるさまは、如何なる名画にも勝る美しさを湛えている。
が、その抱擁を望まれたフィリップは深く、重いため息を零した。
二人きり、或いはナイ神父も加えた事情を知っている者だけしかいなければ、唾でも吐いていたかもしれない。
仕方なく、なるべく嫌そうに見えないように早足でマザーの元まで向かうと、フィリップはふわりと抱き締められた。
嫌悪感と、それを打ち消して余りある多幸感と懐かしさが押し寄せる。
それが彼女の能力や魔術によるものでは無く、フィリップ自身が純粋に、そして自然にそう感じているのだと理解できるのが、殊更に嫌悪感を募らせるのだが。
「では、我々もそろそろ教会へ戻りましょうか」
「分かったわ。……またね。貴方に神の御加護がありますように」
そんな冗談と、フィリップの額にキスを残して、二人は夜闇に溶けるように消えていった。
苦虫をダース単位で噛み潰したような顔のフィリップには誰も気付かず、私たちも帰りましょう、という女将の声に従った。
こうして、フィリップが王都に着いたその日に巻き込まれた事件は解決されたのだった。
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