第5話 理解

 長兄との対話を経て、ソロモンは己の思考の歪さを見つめ直し、そして、対話を経ても拭いきれない違和感に気づいた。これを口にすべきかしないべきか迷うソロモンに対し、ボールドウィンはゆっくりと声をかける。


「……と、まぁ、僕の話はこんなくらいで終えてもいいんだけど……まだ何か引っかかってる? だったら別に僕に聞いてくれていいよ。答えられそうなことなら、答えるから」

「えっ」


 思った以上によく気づく長兄に、ソロモンは目を瞠った。もちろんボールドウィンのことだから、無理に何かを吐かすつもりはなく「あくまでも話す気があるならば」という前提ではあろうが。


「もちろん無理に話せとは言わないよ。話す気があるならでいい」


 予測を裏付けるように、先程よりやや優しげな顔つきで言ったボールドウィンを見て、ソロモンは僅かに安堵する。今の彼になら少しくらい話してもいいかもしれないと考えて、長兄の真意を確かめるようにソロモンは口を開く。


「あ……えっと……確かに、まだ引っかかってることありますけど、引きませんか……?」

「それは保証できないな」

「そうですよね……」


 不安げな気持ちと共に吐き出されたソロモンの問いかけに、ボールドウィンはニコリと目を細める。保証されないことは当たり前でであり、そんな反応をされたからこそ、むしろソロモンも覚悟を決めてから話す必要があると強く思った。

 ソロモンは、改めて首を傾げる。今自分が抱えるこの僅かな疑問は、正直口にしないほうがいい気がしている。しかし、自分はここまでボールドウィンに曝け出したのだ。ならば彼も、ある程度独特な質問が来るかもしれないということは予想しているだろう。それに、このあとジェシカやアイリーン、ビルキースのこの疑問について訊ね、呆れられるよりは、今ここで長兄に話したほうがまだマシだろう。

 静かに決心したソロモンは、膝に置いた拳に僅かに力を込めて、喉を震わせる。


「あ、えっと、……その、引っかかってること、なんですけど」

「あ、話してくれるんだ。何?」

「…………えっと、これまで、ジェシカさんと話してて思ったんですけれど、彼女は『結婚して、きちんと式もして親を安心させたい』と言うんですよ」

「あぁ、よく出るフレーズだな」

「はい。……でも、どうして、『結婚式をする』と『親を安心させる』がイコールで繋がるのか分からなくて……。それが、どうしてもピンと来なくて……」

「……ほう」


 本当に予想外だったのだろう、ほんの少しだけ瞠目したボールドウィンは、眉根を寄せ、足を組み替える。

 ソロモンはもう少しだけ言葉を続ける。


「別に挙式しなくても、親を安心させる手段はあると思うんですよ。なのにわざわざ手間暇と金銭をかけて結婚式をするというのは、神様への誓いだけでない特殊な事情があるのだと思うんですけど……思いつかなくて。……まぁ、その、挙式をするのが当たり前だから行う……っていうのはあると思うんですけど、でも、それならわざわざ親のことを持ち出さなくてもいいんじゃないかな、と……」

「うーんそういう質問かぁ……」


 ソロモンは、自分でもおかしなことを聞いているのだろうと一応の自覚があるだけに、兄からの反応が怖かった。実際、ボールドウィンも困惑を隠しておらず、暫しの沈黙の後少し悩むように顔を歪ませる。

 すぐに怒られるなどではなく、先程とは明らかに違うことに少し安堵する気持ちを抱えつつ、ボールドウィンの返答を待った。

 数十秒の間を置いて、ボールドウィンは悩ましげな声をあげた後、ゆっくりと口を開く。


「……え……っと、意外な質問にびっくりしてる。でも、そういうもんだからで終わらせたくないし、折角だからちゃんとそれなりの答えを示したい。僕なりに考えてることはあるから、返答まで少し時間をくれ。頭で考えをまとめるから」

「……はい」


 ボールドウィンは、大真面目にこの疑問に答えようとしてくれているようだ。『そんなの少し考えたら分かるだろ』なんて突っぱねられてもおかしくない。それにも関わらず真摯に答えようとしてくれているその様に心がほぐれた。

――ボールドウィン兄さんに言ってよかった……。

 まだ答えを貰っていないのにそんなことを考えつつ、時計の針の音を背景に待つこと数分。考えが纏まったらしいボールドウィンが、うん、と口にして組んでいた腕を解く。


「大体、纏まった。……とはいえ、今から話すのは、あくまで僕の個人的な考えだ。だから絶対じゃない、理解も共感も出来ないかもしれない。それでも、いいか?」

「はい、もちろん」


 ボールドウィンの言葉に、ソロモンは力強く頷いた。それを見て、ボールドウィンは肩にかかる髪を除けて言葉を紡ぐ。


「……お前が疑問に思ってる『挙式をして親を安心させたい』という感覚なんだけど、まず、先になんで『子供の結婚』と『親の安心』が繋がるか、から話すか」

「あ、はい……お願いします」


 静かに頷いたソロモンの様子を見て、ボールドウィンは続ける。


「そもそも、何故『子供の結婚』が『親の安心』に繋がるか。これは特に事情もなく未婚の子供がいるのは一般的ではないと思われるってのはあると思うが、それだけでなく『結婚』は『親の手から離れたことの証拠』にもなるからだと思う。これは、何となく分かるだろ」

「……そう、ですね。子育てが終わったっていうことですよね」

「そういう事だ」


 ボールドウィンの言うことはソロモンにもわかる。独り立ちにより親元を離れたら、親は『やっと手がかからずに済む』と息をつくだろう。親元を離れる理由やタイミングは様々だろうが、一番分かりやすいのが『結婚』ということか。――確かに、跡継ぎ以外は基本結婚したら家を出る例が多いだろう。ソロモンの次兄のように、結婚後も妻子と家にいる場合もあるが、恐らくこれは例外だ。

 では次――何故わざわざ結婚式をする必要があるのか? 何故『結婚式』と『親の安心』が繋がるのか? それについてボールドウィンは、少し言葉を選ぶような素振りを見せたあと、こんなことを言った。


「結婚式って、お披露目会なんだよ」

「……はぁ」

「何を当たり前のことをって思っただろう。でもな、お前はそういうのがあんまり分かってないんじゃないかなと。……だから、ジェシカさんとも揉めたんだろうよ」

「…………反論できませんね」

「そっか、そうだろうな」


 少し悲しげに眉を下げたボールドウィンは、足を組み替えて落ち着いた色の声を響かせる。ただそれだけの仕草から、呆れたような悲しむような雰囲気が見て取れた。


「結婚式というのは、新郎新婦にとっても、親にとってもお披露目会というか、発表会というか、そういう意味合いがあると思うんだ」

「……子供の、お遊戯会みたいな?」

「うん。だってそうだろ? その日までに何をするかどんな服を着るか悩んで相談して準備して。そんで自分の親族や友人に『自分たちはこういう夫婦になりました。皆様今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします』ってやるわけだよ。神様への誓いも大事だけど、周囲にわかりやすく見せたいからって気持ちもある。それって、幼い子供が親に見せるお遊戯会と同じじゃないか?」

「…………結婚式と、子供のお遊戯会を、同じにするのは……ちょっと」

「あくまで感覚の話、例え話だ。完全なイコールじゃない。……つまりあれだよ。結婚式がそれ相応にちゃんとしてると、『うちの子たちはこういう立派な式も準備できるくらいには大人になったんだ』って親は安心するし、単にその家の裕福度も推測できる。だから親は挙式を見て『うちの息子はこういうことが出来るくらい立派になったんだ』『うちの娘はちゃんと金持ってる男の元に嫁いだんだ』って見せられる。そういう感じだと思う。だからソロモンみたいに『最低限でいい』『適当でいい』なんていわれると、不安になる人もいると思う。式に一切金をかけられないほどの人なのかってな。ついでに、お前はまだ一応学生だから、その目はお前だけでなく両親にも向けられるだろうけど」

「…………そんな」


 式が全ての基準になる訳では無いが、ひとつの目安にはなるのだ――そういうことをボールドウィンは言った。当然、ソロモンの胸中には『たかが挙式の度合いで』と言いたくなる気持ちが巻き起こる。たったそれだけで本人の経済状況だけでなく、場合によっては両親の懐具合まで邪推されるなんて想定外だった。しかし、ここはその言葉を飲み込んで、別の質問を投げかける。


「…………なるほど。……じゃあ、みんな親のために挙式してるんですか?」

「必ずしもそうとはいえない。そこは人による。親は関係なく、単に派手な衣装が着たいだけの人や、イベント事が好きってだけの人もいるだろうし、大真面目に神への誓いの儀式としてやる人もいる。そこは挙式した夫婦に聞くしかない」

「……じゃあ、ボールドウィン兄さんはどうして式をしたんですか?」


 ソロモンの素朴な疑問に、ボールドウィンはあっさりと答える。


「色々あるけど、一番は……うちの奥さんのウェディングドレス姿が見たかったから、かな」

「…………単純、ですね……」


 非常に分かりやすく簡単な理由に、ソロモンがやや驚くと、ボールドウィンはほんの僅かに恥じてから、言葉を続ける。


「単純でいいんだよ。とはいえ、もちろんそれだけじゃない。マスグレイヴ家の嫡男が結婚したのになにも挙式をしないってのは……ちょっと、訳アリだと思われそうだし、『マスグレイヴ家は、嫡男の挙式をするだけの金もない』って思われるのも癪だ」

「それは、まぁ、確かに」

「……それにうちの奥さんは、色んな理由をつけて可愛らしい服を着るのを避けてたからな。興味はある様子だったのに、似合わないからとか太ってるからとか言って避けるのは……ちょっと嫌だろう。出来れば、好きな人には素敵な格好をしてほしい……そこの感覚はお前にも分かるだろ?」

「……まぁ、そうですね。僕だって、ビルキースにはかっこいい服を着てもらいたいですし」

「そういう事だよ」


 どうやら自身の欲だけでなく一応他にも色々と理由はあったようだが、結局大元にあるのは妻絡みらしい。それは非常に理解しやすい理由で、ソロモンでも、ビルキースとの話に置き換えると、すんなりと納得がいった。

 ちなみに、ボールドウィンのから妻に対する愛情は非常にわかりやすい。そう思うと、彼が話したその理由が一番大きいのは納得がいく。

 そこから暫しボールドウィンは妻の話をしていたが、ソロモンからの複雑な視線に気づいたのか、途中で我に返ったようにハッとして取り繕うように咳払いをした。うっすらと顔が赤くなっている。


「んんっ……あぁ、まぁ、つまり、大体そんな感じだ。ジェシカさんがいいたかった安心させたい云々も、多分そういうことだろう。あとは、まぁ、本人に聞くのが一番いいと思うが……なんとなくでも分かったか?」

「えぇ、はい……ありがとうございます。やっと……彼女が言っていたことが、やっと分かった気がします」


 ボールドウィンの言葉に、ソロモンは落ち着いた気持ちで返した。長兄とのやり取りで、自分の疑問はきっと解消されたろう。自分の行動による周りとの反応のズレや己の胸中での引っ掛かりになっていたこと。――そういったことが解明され、漸く自分の行動に向き合える気がした。

 同時に、改めて、自分がかなり異様な行動をしていたことも理解し、血の気が引く思いもする。これは、ジェシカにぶたれたのも、ビルキースに文句を言われたのも、うなずけるものだった。


「ありがとうございます、ボールドウィン兄さん。……やっと、僕も、自分の行動の異様さが理解できた気がします」

「それならよかった。……僕も真面目に頭ひねって話した甲斐がある。……もう他に僕に対して話すことはないか?」

「えっと……多分、大丈夫です」


 口の端を緩めたボールドウィンは、ぐぐ、と背伸びをしておもむろに椅子から立ち上がった。長く座っていたからか少し疲れたのだろう。鈍い声を上げ、出入口に足を向ける。思えば、ボールドウィンが部屋に来てから1時間近くが経過していた。

 つられて立ち上がったソロモンは慌ててその後を追い、礼と謝罪を口にする。


「――あの、ありがとう、ございました」

「いや、いいよ。お前があのままジェシカさんと分かり合えないままの方が良くないからな」

「……それは、そうかもですが……でもすみません、こんな1から10まで全部話してもらって……。しかも曖昧な質問にまで……」

「いいんだよ別に。僕も自分の考え整理するいい機会になった」


 ソロモンに対しボールドウィンは軽い調子で言葉を返す。表情も少し前とは打って変わって朗らかになっていた。どうやら、本当に気にしていないらしいが、だからといってソロモンは安心はしなかった。

 別に兄の性格がどうだからという訳ではなく、ただ、いい歳してここまで世話になったのが申し訳ないのだ。しかも、本来は何も言われずとも理解していなくてはならない事なのに。

 ソロモンが何度目かの謝罪を口にしたところで、ボールドウィンもいい加減嫌になってきたのだろう。それまでよりほんの少しだけ強く「もういいって」と口にしたあと、取り繕うように口を開く。


「悪い、ちょっと言い方が強かった。――ソロモン、僕に対してはもういいから、あとはジェシカさんにちゃんと謝れ」

「……はい」


 真剣な眼差しがソロモンを見据え、ついその圧に押されたじろいだ。しかし、思えばボールドウィンの言う通りである。謝罪に言葉を尽くすべき相手は彼ではない。ジェシカだ。


「……明日、ジェシカさんに会ってちゃんと話してきます。」

「そうしな。……あ、たとえ許してもらえなくても怒るんじゃないぞ。謝罪されたら必ずしも許さなきゃいけないわけじゃない。『ごめんね』『いいよ』で解決するのは子供だけだ。お前を許すかどうか決めるのはジェシカさんだ」

「はい。重々承知しています」

「それならよし。……んじゃ、おやすみ。また明日な」

「はい。ありがとうございました」


 ボールドウィンがくしゃくしゃとソロモンの髪を撫でる。久しぶりに兄に頭を撫でられた感覚は暖かく、悪くない。悩みも解れ、胸の蟠≪わだかま≫りは解消された。あとはジェシカとどれだけ対話ができるかという問題だ。きっと、今日の夕方よりはまともに謝罪ができるだろう。自分だって何が悪かったのか、遅ればせながら漸く理解したのだから。

――……とはいえ、流石に理解が遅かったなぁ。それに、兄さんに言われてやっとっていうのも、如何なものか……。

 そういう懸念点はまだあるが、無理解よりはマシだろうと自らに言い聞かせた。

 気づけば時間ももう遅い。明日に備えて、多少の不安を抱えたまま、ソロモンは眠りにつくことにした。

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