第4話 対話

 荷物を手にアパートを後にしたソロモンは、適当にタクシーを拾って実家へと向かう。突然の帰宅になり申し訳ないなと思いながら家に足を踏み入れると、ソロモンの不安など杞憂だったかのような振る舞いで母と弟と数人の使用人が出迎えてくれた。


「おかえりなさい、ソロモン」

「ソールにい! おかえり!」

「ただいま。君は相変わらず元気だね」

「うん! さっきね、ごはんたべたからね、げんきなの!」

「そりゃよかった」


 溌剌とした笑顔を見せる弟――実年齢よりも遥かに幼い精神をしている――に両手を掴まれ、やたら力強くぶんぶんと振られながら彼の話を聞く。そのはたで、母はニコニコとその様子を眺めたかと思うと、僅かに眉を下げる。


「ところで、その、ジェシカさんと喧嘩したそうだけど、なにかあったの? そりゃ、他人同士が住むんだから喧嘩もあると思うけれど……こっちに帰ってくるなんてよっぽどよね?」


 長い睫毛に縁取られた瞳を悲しげに下げる母。彼女の質問になんというべきか迷っていると、使用人の女性がおもむろに口を開く。


「奥様、心配なのは分かりますが、ここで立ち話というのも如何なものかと。一旦部屋にお通ししましょう」

「あっ、あぁ、そうね。ごめんなさいねソロモン。折角来たのだからゆっくりしていって。そういえば、夕飯は食べたの?」

「いえ、まだです。実はお腹も結構空いてて」

「えーっ、ソールにいごはんまだなの?」

「そうなんだよね」

「なら、是非食べていって。お手伝いさんに準備してもらいましょう」

「ありがとうございます。すみません、お願いします」


 わかりやすく目を丸くして驚く弟に頷き、母が使用人に夕飯について確認した。まだ数人分の余裕があるらしく、折角だからとご馳走になることになった。使用人たちは承諾し、速やかに厨房へと向かう。

 ソロモンは、母や弟とともに屋敷の中を歩き、世間話をしながらかつての自室に向かう。どうやら、今でも家具は一通り揃っており、清掃もしてもらっているらしい。ありがたく思いながら弟と部屋で話して暫く待っていると、使用人の一人に呼びかけられ、2人で食堂へ向かう事にした。

 廊下に出て玄関近くを通ると、何やら賑やかな声が耳に届く。不思議に思いそちらへ足を向けると、そこに居たのは母や使用人からの出迎えを受ける父だった。陸軍の重鎮として多忙な日々を送る父は、中々家に帰らないことも多く、こうして顔を合わせるのも実に久方ぶりであった。


「おかえりなさい、父さん。あと、お久しぶりです」

「おとーさん! おかえり!」

「ただいま――え? ソロモン? なんでここにいるんだ?」


 母や使用人たちからソロモンに目を向けた父は、久方ぶりに見た彼の姿に目を丸くした。直後、改めてただいま、と子供たちに言い直し、元気よくじゃれついてくる弟の手を握り、父はソロモンと母に問いかける。

 父から投げかけられた当然の疑問に、一瞬動揺していると、それを察したのか母が穏やかに答える。


「それが、ソロモンったらジェシカさんと喧嘩したからこっちに帰ってきたんですって」

「あぁ、喧嘩かぁ。他人と住むんだからそういうこともあるよなぁ。でも、こっちに帰ってくるなんて余程のことだろう? 大丈夫なのか?」

「多分……大丈夫、です、ハイ」

「そうか。……何があったか知らないけど、必要だったら相談に乗るからな?」

「はい、ありがとう、ございます……」


 苦笑いと共に零れたはっきりしない返事に、父は一瞬戸惑ったように見えたが、無理に聞き出すことはされなかった。そのことに胸を撫で下ろしつつ、ソロモンはその他の近況報告や世間話をしながら父と食事を楽しんだ。

 食後には他の兄弟姉妹と久々に交流し心を和ませたが、1人になるとジェシカのことが思い浮かぶ。

 シャワーを借り、自宅から持ってきた寝巻きに身を包みんだソロモンは、部屋で1人物思いにふける。

 ジェシカは、式を挙げることで親を安心させたいと言っていた。いつまでたっても子供が独り身だと気になるという親は多いのだろうが、式を挙げれば親は安心するのだろうか。彼女の言うようにけじめのひとつとして分かりやすく『一人前になった』と示せるから、ということなのだろうか。そのあたりが何故かいまいちピンと来ない。それ以外にも一人前と示せる機会はあるはずだろうと思ってしまう。


「わからないな……なんでそんなに結婚式にこだわるんだろう……」


 ベッドに腰掛け頭を抱えたソロモンは、あぁ、と呻きそのまま仰向けに寝転がる。あれこれ考えてみるものの、ジェシカの言うことは分かるようで分からない。親を安心させたいと思うのはいい。もちろん理解出来る。だが、それと『挙式』が繋がらない。

 また、ソロモンはビルキースやアイリーンが何故あんなに楽しそうにしているのか、やっぱりよく分からない。そして、何故自分がこんなにも関心がもてないのか、それも分からない。

――……普段はちゃんと人の気持ちも考えられるし、仕事となればちゃんと出来ると思うんだけどなぁ。

 ソロモンはいままで恋人とも友人ともここまで拗れたことはなく、相手の気持ちもそこそこ理解出来ている。友人の姉妹などといった異性とも交流できていることを思えば、異性相手だから、という問題でもないように思える。

 答えの見つからない問題に頭を悩ませ、はぁ、と何度目か分からない溜息をついた頃、コンコンと部屋に短いノックの音が響いた。


「あっ、はい、どなたですか」


 音に気づき慌てて体を起こしたソロモンがベッドから下り扉の方に向かうと、その向こう側から久々に聞いた声が響く。


「僕だよ。ボールドウィンだけど、ちょっといい?」

「あ、ボールドウィン兄さん。はい。どうぞ」


 声の主の姿を浮かべて扉を開けると、そこに居たのは想像通りソロモンの長兄であるボールドウィンだった。肩あたりまで伸びた菫色の髪を下ろし、グレーの寝巻きに身を包む男性、ボールドウィン。彼は前述のようにソロモンの長兄だ。10人兄弟姉妹の一番上として弟妹の面倒を見てきただけあって幼い頃からとても頼りになる人であり、現在は陸軍士官として任務に携わり多忙な日々を送る人物である。

 そんなボールドウィンの来訪に、ソロモンは少々驚いた。ただでさえ忙しい中で彼も帰宅したのだから、部屋でくつろぐか妻子と共にいるべきだろうに、わざわざ弟の所にくるなんて。

 ボールドウィンを部屋に招きつつ理由を訊ねると、彼は少し悩ましげな素振りを見せた後、ドアを閉めてぽつりと呟いた。


「その、なんか、ソロモンの様子がおかしかったから……なにか、悩みでもあるのかな、と」

「えっ、あ、そ、そう、ですか……」

「うん。今の反応も変だし、ずっと物憂げだし、お節介だけどちょっと気になってな」

「あぁ……バレバレだったんですね」


 太い眉を下げたボールドウィンに、ソロモンは一瞬恥じらいの様な気持ちを抱く。そこまで分かりやすく露呈していたのかと身を縮めたくなる思いはあるが、静かに肯定した。ひとまず礼を述べて折りたたみ式の椅子を用意しそこへ案内した。

 そして、ソロモンはこれはいい機会だと思った。1人でずっと悩んでいるより、頼れる兄に試しに相談してみる方がいいだろう。そう思ったソロモンは、折りたたみ式の椅子を用意して、ボールドウィンをそこに案内した。続けて、自分の机に備え付けられた椅子に腰を下ろして、椅子に座るボールドウィンの方を向いた。やけに緊張しながら、ソロモンは口を開く。


「えっと、ボールドウィン兄さんの言うように、ちょっと悩んでることがありまして。その、実は僕、ジェシカさんと喧嘩したんですけれど……」

「あぁ、あの子と喧嘩したのか。他人との関わりって難しいからな。……で、何があって、どう悩んでるんだ?」

「それがその……実は――」


 ソロモンは、目を泳がせながらこれまでの経緯を話した。どうしても結婚式に興味が持てないこと、ジェシカの結婚式に対する考え方、そして、仕立て屋でのこと。それらを拙いながらもボールドウィンに話すと、彼は途中までは真面目な面持ちで聞いていたが、仕立て屋での話に差し掛かった辺りから何ともいえない妙な顔つきへと変化させていた。

 眉間に皺を寄せた険しい表情にも、ただ困惑しているような表情にも見える。普段見ない複雑な反応にソロモンが動揺しつつも話を終えると、ボールドウィンは苦々しい面持ちで弟の名を呼んだ。


「…………ソロモン」

「はい」

「……お前、それ、本気で言ってるのか?」

「……え? 本気ですけど……なんですか、興味を持たないのはそんなにおかしいですか」

「別に興味を持てないことは悪いことじゃない。けれど、限度があるだろ……。あと、いくらなんでもお前のその行動は、ない」

「えっ」


 ソロモンは長兄の反応にただ目を丸くする。

 別に無条件に共感や慰めを貰えると思っていた訳ではない。ただ、いつも穏やかに話を聞いてくれる彼だから、もう少し違う反応が来ると思っていた。それなのに、目の前のボールドウィンは眉間に皺を寄せ、呆れた様な顔をしてそんなことを言った。その様子につい硬直してしまう。

 膝に手を置いたまま、カチコチと氷のように固まっている感覚を保持してボールドウィンに無言で向き合う。ソロモンは、部屋に響く時計の秒針の音だけを聞きながら、なんと声を出すか考えた。だが、いい回答が思い浮かばず、結局思ったことをそのまま口にする。


「えっ…………っと、僕、そんなに、おかしなこといいました?」

「言ってるな。その自覚すらないのか? そりゃ、ジェシカさんも怒るはずだ」


 引きつった様に口元を歪め怖々訊ねたロモンに、ボールドウィンは鋭い目付きと普段滅多に聞かないような低い声で返す。

――怒ってるボールドウィン兄さん見るの、久々すぎる……。

 どこかズレたことを思いながら沈黙するソロモンの傍らで、自らの頭を搔いたボールドウィンは、ハァ、と大きく溜息をつく。


「大前提として、結婚式にさほど興味が持てない人がいるのは仕方ないと僕は思う。興味は人それぞれあるからな。それに、お前とジェシカさんは僕とうちの妻みたいに、好き同士で結婚したわけじゃない。だから余計に僕と感覚が違うんだろうとも予測できる。……けど、だとしても、お前のその態度は役割を完全に放棄してる」

「……役割、ですか」


 冷ややかなボールドウィンの声に押され身をすくめながら、彼の言葉を端を反芻する。その反応にボールドウィンは短く頷いた。


「そうだ。……お前はジェシカさん達との話し合いを経て、彼女の夫役を務めることにしたんだろう? それなのに、その役を一切こなそうとせず、ずっと放棄してる。更には自分勝手なわがままで、アイリーンとビルキースくんも傷つけてる。……正直、最悪だな」

「最悪って……、……そこまで、言われる事なんですか……」

「僕の感覚としてはな。……僕は、今まで弟妹きょうだいの相談事には結構乗ってきた。弟妹きょうだいが言うことにはできる限り共感してきたし、共感できないまでも理解は示してきたつもりだ。けど、今回のお前の件は今までで一番理解できない。それくらい酷い」

「……………っ、いや、ただ僕は結婚式に興味無いって言ってるだけで……そんな……」

「興味が無いだけなら僕もここまで怒っていない。だけど、限度があるし、興味が無いとしてもお前は結婚式をする側なんだから、相応しい行動をするべきだ」

「相応しい、行動……」


 兄の言葉を反芻するように呟いたソロモンに対して、ボールドウィンは静かに頷いた。


「例えば、そう……式に興味はないが話し合いにはきちんと参加する……分からないなりにジェシカさんの希望を聞いて仕立て屋やプランナーと話をする……そういうことをやる必要がある。……そのあたりをやれているなら、僕はお前が言いたいことも理解できるだろうし、ジェシカさんともここまで拗れないだろうな」

「…………あぁ……」


 小さく頷いたソロモンを見て、複雑な面持ちのままのボールドウィンは、厳しい言葉を続ける。


「――だけど、お前がやったことはなんだ。最低限希望は伝えたとはいえそれだけだ。その後はまともに関わらず、今日はジェシカさんを放置して一人でチェスしてました? 何言われてもチェスを止めませんでした? それはな、式をする当事者の行動じゃない。ジェシカさんにも、その場に一緒にいたアイリーンやビルキースくんにも、業者の人達にも非常に失礼だ」


 ボールドウィンは、極力暴力的な言い方を控えて、至極淡々と話を続けた。それによりソロモンの頭も少しだけ冷静さを取り戻し、本来あるべき行動と己の行動を比較して、複雑な心持ちになり――漸く、ソロモン自身も己の行動がズレていたのでは、と想像がつくようになった。

 ソロモンは、ボールドウィンの話を聞いたあと、膝の上に置いた握り拳に力を入れて、僅かに顔を伏せた。

 そんな様子のソロモンから少し目を逸らして、眉尻を下げたボールドウィンは、少し悩む素振りを見せてから口を開く。


「……言い方は良くないが、話を聞く限り、今回僕はお前の味方はできない。……それに、僕は少し残念なんだ。お前は、自身の行動が周りにどう影響を与えるか、微塵も考えてなさそうだったからな」

「……え、あ、それは……」


 その言葉に、ソロモンはハッとする。同時に、血の気が引き、汗が流れるような感覚に襲われた。しかし、今更すぎる自覚だった。

 ボールドウィンも、悲しげな面持ちでソロモンを見やる。


「無理して理由だの言い訳だのは言わなくていい。でも、ソロモンは、自分の行動で恋人……いや『親友』のビルキースくんや、アイリーン含む家族の品位まで下げるかもしれないってことは、考えなかったんだよな。興味が無いとか嫌だとか、そういうのばっかりで」

「…………す、みません」

「やっちゃったことはもう仕方ない。けれど、一応大人なら、そのあたりのことももう少し頭の片隅に入れて置いてほしかった。跡継ぎは僕だけど、お前もマスグレイヴ家の人間だし、幼い子供がおかしな行動をしているのとは訳が違うんだから」


 ボールドウィンの口調そのものは柔らかいが、声は低い。更には面構えは厳しく、目尻が尖っている。その目と視線が合って、震え上がるような感覚に目を伏せる。

 ソロモンはとうとう何も言い返せなくなった。確かにあの時の自分は一切そういったことを考えておらず、子供のような振る舞いをしていた。マスグレイヴ家は、この地域では名家である。だからこそ、自分達のような名家と言われる家の出身の者は、常に家の名を背負って行動していると意識しなくてはならない――そんな当たり前のことすら失念していた。それを自覚したソロモンは、今更すぎる羞恥と寒気を自覚し、身を縮こませる。

 ボールドウィンの話はおおよそ納得がいった。恐らく似た話を今までジェシカからされているだろうに、長兄に言われたからといって問題点を意識するなど酷いものではあると思うが、それでも漸く、ソロモンは少し理解ができた。自分は、本当に、相応しくない無礼な振る舞いをしていたのだと。

 ソロモンは、ボールドウィンの言葉を頭の中で繰り返す。結婚するとなれば、きっと、恋愛を経て結婚した人も親族に結婚相手を決められた人も、恐らく当事者として真面目に関わっているのだろう。前者はともかく、後者は凄いものだと漠然と考えた。

 これによりソロモンが抱えていた疑問はほぐれた。――しかし、まだ、ソロモンの胸の内には引っ掛かりがある。しかし、ここでボールドウィンに話すことはやめようと考えた。これ以上おかしな質問をして、更に失望されるのは嫌だった。

 そういった理由から黙り込むソロモンだったが、ボールドウィンはそれを見抜くかのように、穏やかな声色で言葉を投げかけた。

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