初めてのお出かけ

 



 リディアのクローゼットには、一年間ほど日替わりで着てもまだ余りそうなほどたくさんの服がある。一生着ることはなさそうなひらひらの重そうなドレスから、魔術師時代によく着ていたようなローブまで。


 そのドレスの中から一着、一番動きやすそうなドレスを選んで着替えた。


 こんなにあるのだからわざわざ買いにいかなくてもいいのでは、と思ったが、格式の高いパーティーではパートナーと揃えた服装を新調するのが当然だと、着替えを手伝ってくれた侍女が力説した。つくづく貴族は無駄が好きなものだとリディアは思う。


(……だけど。ラスターとお出かけするのは、初めて)


 鼻歌をふんふんと歌いながら扉を開けると、ラスターはリディアの部屋のすぐ近くで待機をしていた。肩に乗っている黒猫のディーが、ラスターをねぎらうように頬に頭をこすりつけている。うらやましい。


「お待たせ!」

「…………」


 遅い、と文句を言われるかと思ったが、用意をしたリディアを見てラスターが動きを止めた。


「なに? どこか変? なんせ私、今も昔もこんな格好をしたことがなかったから……」


 不安になって自分のドレスを見下ろす。銀の髪に映えるような淡い水色のドレスだ。こんなに華やかな装いをしたのは初めてで落ち着かない。準備を手伝ってくれた侍女は、似合うと褒めてくれたのだけれど。


「着替えたほうがいいかしら」


 そうラスターを見上げると、彼はリディアをじっと凝視したあと目を伏せて「変では、ない」と呟いた。


「そう? じゃあいいかしら。ラスターは……素敵ね。かっこいい」


 いつものラフなシャツ姿や魔術師のローブと違い、今日のラスターは黒いジャケットを着ている。控えめに言って国一番の美貌だと、リディアは満足げに頷いた。さすがは弟子である。


「……今日は日差しが強い。帽子をかぶっていろ。深く」


 どこから出したのか、ラスターがつばの広い黒い帽子をリディアの頭に深くかぶせた。深すぎて顔半分が隠れてしまう。やっぱりちょっと変だったのだろうか、


「ドレス、ラスターに選んでもらおうかな。私はなんでもいいから」

「……わかった」


 きっとラスターならリディアに似合う――少なくとも、変じゃないものを選んでくれるだろう。

 ラスターもそう思ったのか、どことなく嬉しそうな顔をした、ように見えた。



 ◇



(服を買いにきたのではないの!?)


 初対面の店員に服を剥ぎ取られ、あらゆるところをメジャーで測られているリディアは驚愕していた。


 店頭に飾られているものを適当に選ぶのだろうと思っていたのに、見るからに高級そうな面構えの店に入ると何故かラスターとは別室に連れて行かれ、採寸が始まった。混乱である。


 恥ずかしい。ラスターのためでなければ絶対にやらないだろう。


 採寸が終わり、疲労困憊でラスターの元に戻る。

 ラスターはかなり真剣な面持ちで、デザイナーらしい女性と話していた。女性の手元に置かれた紙にはびっしりと文字が書かれている。何か密談でもしていたのだろうか。


「終わったのか」


 やってきたリディアを見たラスターが顔を上げ、「では、頼んだ」とデザイナーに言った。


「かしこまりました。頂いたご要望を全て……は難しいかもしれませんが、素敵なものをお作り致しますわ」


 デザイナーが笑いを堪えたようにそう言うと、ラスターが「ああ」と言って優しく微笑む。

 以前ロードリックは女性に対しての接し方はひどいと言っていたが、そんなこともないようだ。


(私には笑わないのにな……)


 しかしまあ、彼の中では詐欺師だから仕方ない。

 そんなことを思いながら二人で店を出る。十九年ぶりに訪れた王都の街はあちこちが変わっているが、どことなく懐かしい。昔、ちょっとだけ食べたいなと思っていた串焼きの匂いもする。


 リディアが屋台で売られている串焼きをちょっとだけそわそわと見ていると、ラスターが何かを考えたように沈黙し、躊躇いがちに口を開いた。


「……腹が減ったな。俺はあれを食べる」

「! 私も食べたい!」

「仕方ない。特別に買ってやる」


 そう言いながら、ラスターはリディアの手を掴んで歩き出した。


 リディアが「え」と驚くと、「今のディアは、小さいからな」と仕方なさそうな口調で、しかし明らかに小ばかにしたような物言いが降ってきた。


「これだけ人が多いから、迷子になられたら敵わない」

「何よそればかにして。迷子になんてなるわけがないでしょう」


 口を尖らせたリディアに「どうかな」などと失礼なことを言うラスターは、どことなく楽しそうだ。


「串焼きを食べる前に、ほかにどこか寄りたいところはあるか?」

「うーん……ないけれど、」


 ちょっと考えて、「街を見てたい」とリディアは言った。


「わかった」


 そう言ってラスターが、きゅっと手に力を込める。今日の彼は昨日の罪悪感があるのか、いつもよりも大人びて優しいな、とリディアは思った。



 ◇



 広場の噴水の近くのベンチに腰掛けながら、先ほど屋台で買ったあつあつの串焼きを頬張る。


 いかにも貴族でござい、と言ったドレス姿の娘が美貌の貴公子と並んで串焼きを食べる光景が珍しいのか、道行く人々がじろじろとこちらを見ている。しかしすぐに、さっと顔色を青くし目を逸らしてしまう。平民には貴族が怖いのだろう。


(――いい日だな。みんな幸せそうで)


 空には今日も紫の結界が輝き、街並みは活気に溢れている。

 吟遊詩人が楽器を奏でながら歌い、恋人同士は笑いあいながら道を歩いている。近くで子どもたちが歌いながら、踊りを懸命に練習していた。


「何の踊りかしら?」


 子どもたちは皆黒いローブを身に着けて、頭には薄紫の造花を飾っている。リディアが知らない歌を歌いながら、可愛らしい仕草で踊っている。


「……ちょうど一月後に祭りがある。十五年ほど前にできた祭りだが、そこで踊られるものだろう」

「へえ……。見てみたいわ」


 ラスターはちょっと困ったように眉を寄せる。そういえばラスターは休暇中で、本来忙しい身の上だったなと思い返す。それにこうして楽しんでいるリディアも、実は仕返しをされなければならない身の上だった。忘れていた。




 うまく踊り終えた子どもたちが、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、その姿を温かいまなざしで両親や祖父母だろう人々が笑いながら見守っている。

 

 微笑ましい光景だなと見ていたリディアの耳に、地響きのような音や悲鳴、怒鳴り声が聞こえた。


 驚いて音のする方を向くと、暴走している馬車が猛スピードでこちらに向かってくるのが見えた。


 逃げようとしたこどもが転ぶ。その子の母親が必死で駆け寄るのを見たリディアが咄嗟に駆け寄ろうとして――腕を掴まれた。


「お人好しが」


 そう言ったラスターが腹立たし気に呪文を唱えると、馬車は急に動きを止めた。




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