痛いのとんでけ

 




 凄まじい音を立てて馬車が止まる。馬のいななきが響き渡り、御者は白目を剝いている。

 馬車の前に先ほど転んだ子と母が抱きしめあい、呆然とその馬車を見つめていた。


(よかった……!)


 ラスターがいなければ死人がでていただろう。胸を撫でおろし、惨状を回避した弟子を褒めようと顔をリディアは彼の顔を見上げ――固まった。


「……ディア」

「はい」


 冷ややかな無表情と固い声音に、思わず背筋を伸ばす。


「もう魔術師でもないお前があそこに突っ込んでいたら、命がないことはわかっていたよな?」

「いのち?」


 予想外のことを言われて、リディアは驚きに目を瞬かせ「まさか」と首を振った。


「そんなわけないでしょう? だってあなた、私にこんなに保護魔術をかけているのに」


 呆れて、掴まれていない方の腕を広げる。


 ラスターは出かける前、リディアに常軌を逸した保護魔術をかけている。

 呆れるほどにあらゆる危険を想定して、あらゆる術を施しているのだ。国王陛下とて、こんなに何種類もの保護魔術をかけられることはないだろう。


 この状態ならば暴走した馬車にぶつかろうが隕石が当たろうが、とても痛いくらいですむだろう。むしろ馬車の方が危険だった説がある。


「そうじゃなかったら、さすがに動けなかったかもしれないわ」

「動くな」


 ラスターが怒ったような顔で「二度とこんなことはするな」と吐き捨てるように言った。その言い方にかちんときて言い返そうとしたとき、「あの」と小さな声がした。


 振り向くと、先ほど間一髪で助かった母子だ。リディアとラスターを交互に見て「もしかして、魔術師様でしょうか。私達を助けてくださったのですか……?」とおずおずと口を開く。


「あ、ええ。この人が」


 リディアが頷きラスターの腕を叩くと、彼は不機嫌な顔をさらに顰めて「おい」と言った。応対が煩わしいらしい。

 天才というものはファンサービスがとても大事だと教えたのに、怠慢だなとリディアはちょっと思った。


「ありがとうございま……、えっ! もしかして、ラスター・フォン・ヴィルヘルムですか!?」


 ラスターの五色の瞳に気付いた母親が大声で叫ぶと、周りが急にざわめきたち、口々にラスターの名前を呼び始めた。


 ラスターが心底うるさそうに彼らを一瞥し黙らせる。折角口々に褒め称えてくれそうな雰囲気なのに、なんというど底辺の対応だろう。


 ラスターに苦言を呈そうと口を開きかけた時、リディアの視界の端に、母親のスカートを掴んでいる子どもの姿が見えた。両の膝小僧とあごに、痛々しく血が滲んでいる。


「……痛かったでしょう?」


 しゃがんでその子に話しかける。リディアが怖かったのか痛みを思い出したのか、子どもがくしゃりと顔をゆがめた。


(しまった!)


「だ、大丈夫よ。お姉ちゃんは天才だから治してあげる」


 ついでだ。他に怪我をした人はいなさそうだけれど、このあたりにいる人々――急に止まった馬車の馬も含めて――まとめて治癒をかけてみよう。


 こうして直接治癒をかけるのは数年ぶりだ。普段自分の精霊力全てをポーション造りに注いでいたリディアだが、実は直接治癒をかける方が得意である。


 しかし、あまり人前でこれ見よがしに力を使ってはならないと、常々カールに言われていた。言いつけは一応守ろうとする派のリディアはそれを意識して、目を閉じて両手を組み、精霊への祈りの言葉を呟く。


 紫がかった光が、絨毯のように広場全体へ広がっていき、一瞬にして消える。

 思ったよりもうまくいってしまった気がするが、まあ、効果がないよりは良いだろう。


 突然の光に驚いた子どもは怯えていたが、すぐに傷跡ひとつなくなった自分の膝小僧を見て「わあ!」と顔を輝かせた。


「あ、ありがとうございます。こんなに一瞬で治るなんて……」

「お姉ちゃん、ありがとう!」

「いいえ、これくらいお安い御用よ。踊り、頑張ってね」


 そう微笑んだリディアが『どう? 天才の振る舞いとはこういうものよ』と思いながら得意気にラスターの顔を見る。ラスターは、少し顔を青ざめさせて、ただただ驚きに目を見開いていた。



 ◇◇◇



 暴走し、ラスターに止められた馬車の中。

 一人の年若い少女が、今しがた現れた光に目を見開いた。


「今の光は、精霊力か。……痛みが消えた」

「そ、そのようですな。ちょうど高名な精霊士が居合わせ、アレクサンドラ様が乗車された馬車と気付き、咄嗟にかけたのでしょう。……見てまいります。労わねば」


 そう言って、先ほどまで体をしたたかに打ち付け動けなくなっていた侍女が、痛みのない自身の体を不思議そうに動かして外に出て行った。


「……紫色の精霊力とは、初めて見たな」


 残された娘――サラヴァン辺境伯令嬢アレクサンドラは、眉を寄せて考え込む。長い薄桃色の髪がさらりと揺れ、可憐な菫色の瞳が好奇心に揺らめいた。


 通常治癒は、一人の患者の患部に手を当て治していくものだ。力の強い――たとえば王宮精霊士ならば、多少距離があろうと馬車越しだろうと、まあ治せるだろうが。



「アレクサンドラ様」


 戻ってきた侍女が、困惑した面持ちで戻ってきた。


「たった今、その治癒をかけたと思われる精霊士は――転移して消えてしまったそうです」

「転移」


 はて、と首を傾げる。転移は魔術師しか使えない。アレクサンドラのような高位貴族ともなれば、移動したい場所に予め高価な転移陣をしき、転移することはできる。


 今回アレクサンドラは、三ヶ月後に開かれる英雄ラスター・フォン・ヴィルヘルムの祝賀会に参加される衣装を買うため、わざわざ自宅の転移陣から王都に構えた屋敷の陣へ転移した。


 そこから馬車に乗り店へつく途中、何故か馬車が暴走し、今に至るのだが――。



「魔術師の連れがいたのか」


 魔術師と精霊士は、一般的に仲が悪い。


「ええ。――それも、一緒にいたのはあの、英雄ラスター・フォン・ヴィルヘルムだったようで」

「ラスター・フォン・ヴィルヘルム!?」

「はい。信じられませんが……その精霊士は擦り傷を負った子供のけがを治そうとし――馬車を含めた広場全体を、癒したようです」

「……広場全体?」

「はい。銀髪に紫の瞳をした十五、六の少女だとか」

「少女」



 そのような年若い少女で力の強い精霊士を、アレクサンドラは知らない。


 しかし英雄ラスター・フォン・ヴィルヘルム。彼のことはよく知っている。愉快な男だ。


 死んだ魚のような目で生き、今すぐ死んでしまいたいと願いながらも、妄執に取り憑かれ死ぬことすら敵わないような男。


 その彼からは先日、『探し物を見つけた』と、パレードを途中で中止した詫び状と共に、報告を受けていたのだが。


「探し物が精霊士だったとは、聞いていなかったな」


 形の良い唇を釣り上げて、アレクサンドラは微笑んだ。乱れた髪を直そうと髪をかきわけようとし――ふと、自身の手首が目に入る。


 ひきつれた古い傷跡が、跡形もなく消えていた。


「……マーニャ。暴走した馬車で恐ろしい思いをさせた者たちに詫びの手配を。そして今日は急いで買い物をすませる。早く家に帰りたい」

「かしこまりました」


 出ていく侍女を見送り、アレクサンドラはくつくつと喉で笑う。これほど愉快な気持ちになったのは、久方ぶりのことだった。


 アレクサンドラは、『まだ知らないこと』が大好きだ。特に、己の常識から外れた人間が大好きだ。


 ラスター・フォン・ヴィルヘルムはアレクサンドラにとっては己の常識から外れた人間だったが、彼の婚約者は――それ以上に、己の常識から外れている人間らしい。


 祝賀会では、確か最近婚約を結んだという彼の婚約者も来るという。


「楽しみだな」


 滅多にない期待に、アレクサンドラは胸を躍らせた。



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