第35話「赤いボールペン」

「あんた、通路の真ん中でボーッと立ってんじゃないわよ、通れないじゃないの!」


 朝から怒られているのは、武田と一緒に入社した野上さんである。


 ❃


 酒の工場。

 今日は生産量の少ない酒の製造で、手動の機械を使い生産をする。

 武田は人力で出来た酒をパレットに積む役である。


「武田さん、仕事は、もう覚えましたか?」

 野上さんがたずねる。

 今日は、野上さんも一緒の仕事である。

「いや、全然ですよ。ここだけの話し、三島さんはあまり親切には機械の操作を教えてくれないんです」

「あたしも、親切に教えてくれる人なんていないんです。みんな、口先だけで、あ〜しなさいとか、こ〜しなさいって言うけれど、実際にやらないから、全然覚えられないんです」


 武田と野上さんが仕事の前に他の人がいない隅っこで話している。

 この酒の工場は創業して100年以上あり、働いている期間社員の女性も30~40年も働いている人が多く、若い正社員より長く働いているので文句を言える人は少ない。

 長く働いている期間社員の何人かの女性は、他の期間社員に怒鳴ったり、暴言を言うものがいた。


 仕事が始まった。

 武田は期間社員の男性と一緒に出来上がった酒の入ったダンボールをパレットに積んでいく。

 野上さんは酒の入ったダンボールの上をガムテープで貼っている。


 特に難しい仕事ではなく、ゆっくりと進み、機械も手動なので休憩時間も途中とり、10時には全員でトイレ休憩もあった。


 昼休み。

 昼食は休憩室で全員一緒にとる。弁当を持ってくる人が多いが、仕出しの弁当を注文することもできた。

 休憩室は和室で座って食べる。

 和室用の長机が置かれていて席は決まっていた。

 武田は三島の横の席だった。

 武田は三島に時々話しかけるが、三島はそっけない返事ばかりだった。


 今日の武田の弁当のおかずは餃子で武田が食べていると、三島は嫌そうな顔をして自分の鼻の前を手であおいでいた。

 武田には冷えた餃子の匂いがそんなに嫌なのが信じられず、気にせずに食べていた。


 三島は、手を洗うのも長く潔癖症のけがあるようだ。

 以前、サンダーと言う電動のヤスリで金属を削る作業があり、三島が武田にやり方を教えて、武田にサンダーで削ろるよう言った。

 武田は「ゴーグルは?」と三島にたずねると、三島はゴーグルは自分の物だからと武田には貸さなかった。

 武田はしぶしぶサンダーの切り子が目に入らないようにして使った。

 (サンダーは金属を削る時に切り子が出て目に刺さるから必ずゴーグルを着けてやらないと危ないだろう。人のことはどうでもいいのか?)

 


 昼休みが終わり午後からの仕事が始まった。

「赤いボールペンが無い!」

 期間社員の女性、藤木さんが叫んでいる。


「朝、準備して置いてあったのよ」


 工場の中には私物の持ち込みは禁止である。ピアスやネックレス、指輪も禁止でボールペンも持ち込みはできない。

 製品の中に落とすのを警戒して、朝と昼の仕事の前には私物の持ち込みを検査する用紙があり、各自でチェックすることになっている。

 職場には指定のボールペンがあり、数も確認して渡される。

 もし、指定のボールペンの数が合わなければ、見つかるまで探さなければいけない決まりになっていた。


 赤いボールペンはダンボールの破損や中仕切りが破けた時に記録するもので、最後に記録したのが野上さんだった。


「野上さん、赤いボールペン、どこに置いたか覚えてない? わからないとダンボールに入れた製品を出して中を見なければいけないのよ……」

 優しく言う期間社員の女性。

 ほとんどの期間社員の人は優しいのだが、言いたいことを言う期間社員の女性が数人いる。


「すいません。覚えてないんです……」

 申しわけなさそうに、うつむいて言う野上さん。


「記録用紙に記入した時間くらい覚えているでしょう!? 思い出しなさいよ!」

 激しい口調で言う藤木さん。

「すいません。お昼前だったと思うんですが……」

「お昼前ね……」

 不満そうな藤木さん。


 ボールペンのあったあたりを皆んなでさがしたが見つからなかった。


「それじゃー、すいませんが昼前の製品を開けて見てみましょう」

 今日の製造の担当になった入社ニ年目の正社員の西田くんが言う。


 武田は積み上げたパレットから製品を降ろしてガムテープを開けようとした。

「箱をゆすったら音がするんじゃないの?」

 藤木さんが言う。

「そうですね。ゆすったらボールペンが入ってたら音がしますね。さすが藤木さん。すいませんが、武田さん、ダンボールをゆすってみてもらえますか?」

 西田くんが言う。


 武田は、言われたとおりに酒の入ったダンボールを抱えてゆすってみた。

 酒の入ったダンボールは、約10kgほどだが、空中でゆするのはけっこう大変だった。


 ダンボールの箱をゆすっているのは。ダンボールの箱をパレットに積んでいた武田と期間社員の男性。それと担当になった正社員の西田くんの3人だった。

 女性が、周りに8人ほどいたが、女性はダンボールの箱をゆすることはしなかった。


 西田くんは箱をゆすり始めて5分ほどで後悔していた。

(空中で10kgをゆするのは大変だ。箱を降ろしてガムテープをはがしたほうがよっぽど楽だ。藤木さん、よけいなことを言うから……)


『コッン』


「あっ、音がしました!」

 武田が音がするダンボールを見つけた。

 ダンボールを開けると赤いボールペンが入っていた。

 ホットする野上さん。

 15分ほどで見つかったが、ダンボールをゆすった男性陣はヘトヘトであった。


 ❃


 家に帰り酒を飲む武田。

 今日あったことを娘のマナミに話す。


「女性の間でも人間関係が大変なんだな、野上さん辞めなければいいが……」

「お父さんがはげましてやれば?」

「同期入社だから一緒に飲みに行って愚痴を聞いてやりたいが、女性だからな、男性なら簡単なんだけどな……」


「お父さん、独身なんだからチャンスかもよ?」

「えっ、俺が独身? そうか、忘れていた……離婚したんだな、あいつ今ごろどうしているんだろう……」

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