第7話 遠方への船旅

 常備軍の上官と共に、馬車に乗ってペーツェルの南の港までやってきたミレナは、一人の男性と引き合わされた。歳はミレナより一回りほど上だろうか。濃い茶色の短髪で、背は低めだが、堂々とした佇まいだった。彼はミレナの上官と少し話をした後、にこやかに手を差し伸べてきた。


「こんにちは、ミレナさん。僕はマウロ王国の兵士の、ロモロ・トリットと言います」

「こんにちは。私はペーツェル王国の魔法兵士で銃をやっとります、ミレナ・エルケです」


 二人は笑顔で握手を交わした。


「今回はミレナさんにご協力いただけるとのこと、誠に感謝申し上げます。僕はたまたまペーツェル語を学んでおりまして、そのお陰でミレナさんのご案内役をおおせつかりました。ミレナさんには慣れない環境の中、色々と不便がおありかと思いますが、その時は遠慮なく僕を頼ってくださいね」

「そりゃあ、頼もしいです。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ロモロはそう言うと、ミレナの全身を点検するように見た。


「うん、変装もばっちりですね。さすがです」

「いんやあ、これはラウラが……私の世話係が見繕ってくれたもんでして。普段はこんな洒落た服、着ねえんですけれども」


 ミレナは船に乗るに当たって、親戚について外国を視察に行く商人の娘、というふりをすることになっていた。ラウラは、豊かな商人がよく着るような、素敵なシャツとスカートを用意してくれたのだ。


「そうですか。しかし、とても似合ってらっしゃいますよ」

「そうですか? ありがとうございます」


 変装とはいえ、褒められて悪い気はしない。


「では、準備はよろしいですか?」

「はい、いつでも行けます」

「さっそく船の方にご案内します」

「ありがとうございます」


 ミレナは上官にさよならを言って、ロモロの後をついていった。


「いんやあ、それにしても海ってすごいもんですねえ。本当にどこまでも水があるんじゃなあ」

「おや、ミレナさんは海を見るのは初めてですか?」

「初めてってほどでもねえです。遠くから見たことはあります。でもこんなに近くで見たのは初めてですねえ」

「なるほど」


 そんな他愛のない話をしながら、ミレナは生まれて初めて船というものに乗った。


「おっとと……これ、すげえ揺れるんですね」

「波に揺られますからね」

「へえー、面白えなあ」

「気分が悪くなったりはしませんか?」

「気分ですか? 絶好調ですよ」

「それは何よりです」


 ミレナはロモロの案内に従って船内を見て回った。甲板まで出ると、不思議な香りの風が吹き付けてきて、何だかわくわくしてくる。


 船の中の方では、穀物がどっさり詰め込まれた麻袋が、次々と運び込まれては積み上げられて行っていた。この農作物はみんなペーツェルに住まう農奴たちが汗水垂らして育てて、領主から徴収されたものなのだと思うと、胸が痛んだ。

 ペーツェルは農業国だ。ペーツェルの貴族たちは、アムザ大陸の西の諸国に対して、自分たちの農奴が育て上げた食糧を輸出することで、富を得ている。シェルべ、サビア、マウロ、チャパの四ヶ国では農業がそこまで盛んではないから、穀物の需要が高いのだ。


「どうかしましたか、ミレナさん。やはり気分が悪くなりましたか」

 ロモロが尋ねたので、ミレナは首を横に振った。

「いんや、そういうわけじゃねえです。ちょっと考え事をしてました」

「そうですか。なら、よいのですが」


 ロモロは通路に出た。ミレナもついていく。


「ミレナさんには、怪しまれないためにも、船室の方で過ごしていただきたいです。およそ三日間の航海の大半を船室で過ごすことになるかと思いますが、ご容赦ください」

「ああ、そんなのは別に構わねえです。布団があるだけありがてえですから」

「……そうですか?」

「はい」


 話しているうちに、ミレナが三日間過ごすという船室の前に着いた。寝台も布団もちゃんとあるし、机と椅子も頑丈そうなものが揃っている。


「おお」

 ミレナは興味津々に室内を見渡した。

「僕は隣の寝室におりますので、何か御用があれば呼んでください」

「分かりました」

「では、一旦下がらせていただきます」


 ロモロは部屋の入り口から立ち去った。

 ミレナは椅子に腰掛けて、机の上に肘をついた。

 やがて、船の揺れが先程と少し違う揺れ方になった。船が出港したのだろうか。小さな覗き窓から外を窺うと、海の景色がびゅんびゅんと後ろへ流れていくのが見えた。

 ミレナはしばらくは好奇心の赴くままに外を眺めていたが、やがて飽きた。そこで、椅子に座り直した。

 ……思えば、こうしてただ休んでいるだけで時間が過ぎていくというのは、あまり経験がない。農奴の頃はもちろん始終働いていたし、魔法兵士になってからは訓練や勉強に勤しんでいたし、戦争の時は戦うか歩くかだった。だが、今は何もすべきことが無い。


「これが、暇というやつか」

 ミレナは独り言を言った。

「どうすりゃいいのか分からん。……鍛錬でもするか」


 銃を出してそれを撃ったりなどしなくても、魔力を全身に巡らせたり、それを手の方に集中させたり、色んな鍛錬の方法がある。それくらいなら、船室を破壊することもないし、やっていても許されるだろう。


 ミレナがみなぎる力を制御しながらしばらく暇を潰していると、コンコンと扉を叩く音がした。ミレナはパッと魔力を収めた。


「はーい」

「ミレナ様、お食事をお待ちしました」

「おやまあ、ありがとうございます」

「船上ですので粗末なものですが、ご了承いただければ幸いです」

「気にしねえでください。充分、美味そうに見えますんで」

「あ……はい。こちらに置かせていただきます。後ほどお皿をお下げに伺います。では、ごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます」


 食事の内容は、水と、ビスケットのような焼き菓子と、魚に塩か何かで加工をしてあるものだった。

 農奴の頃は魚など食べたことは無かったが、魔法兵士になってからは何度か口にした。王宮での食事は肉が主だったが、稀に魚が提供されることがあったのだ。初めて魚を食べた時は、骨も頭もみんな食べてしまって、先輩方に笑われたものだ。その魔法部隊の先輩方も、盾兵のリヌスとブルーノを除いて全員が戦死してしまったが……。

 ぶんぶんとミレナは頭を振った。今は感傷的になるべき時ではない。心を強く持たなければ。ティモのためにも仲間のためにも、確実にルイゾンをやっつけるのだと、覚悟を決めたのだから。


 そんなこんなで、間に休憩を挟みつつ、ミレナは船室にこもって魔力の鍛錬を続けていた。途中に何度か、ロモロが部屋に様子を見にやってきた。


「……ミレナさん、ずっとそのように鍛錬なさっているんですか」

「そうですねえ。他にやることもねえんで」

「素晴らしい集中力ですね。さすがは英雄と呼ばれるだけあります」

「いんやあ、英雄だなんてのは、私には相応しくねえですよ。結局ルイゾンを仕留め損なっちまったせいで、こんなことになっとるんですから」

「しかしミレナさんの活躍で救われた人も多いはずですよ。ミレナさんは立派な魔法兵士です」

「んー。そうなんじゃろうか……。私のせいで死んだ人も多いと思いますが……」

 ミレナはふうっと息をついた。

「まあ、私はもう、くよくよしねえって決めたんで。仕事はきっちりやりますよ。精一杯戦うんで、お互い頑張りましょう」

「そうですね」

 ロモロは言った。


 やがて長い三日間の航海が終わり、ミレナたちはマウロ王国の東側にある港に到着した。

 

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