過去 林檎の花 【芭月視点】

「おじいさん、林檎の花はまだ咲かないんだね」


 庭先の林檎の木の枝には、小さなつぼみが春の陽気を待ちわびて、雪の残る山々から降りる寒い風に小さく揺れている。


 来週には3年生となって通う新しい中学校。山間の小さな田舎町からはスクールバスに乗って通うことになっていた。


「芭月ぃ〜、買い物に行くよ~」


 車の窓を開けて、お母さんが私を呼んでいる。コンビニもない町から、コンビニのある町に買い物にいく。葵原に住んでいた時とは違う、田舎ののんびりした空気に、心が少しずつ落ち着きを取り戻してくれた。


「は〜い」



 お母さんの実家から山間にある中学校に通い初めて1ヶ月が過ぎた。


 『友達』を作るのは怖くて、町で買った赤縁眼鏡をかけて、教室の隅でおとなしくしいる。クラスの人も最初は話しかけてくれたけど、私がすぐに俯いてしまうため、今は誰も話しかけては来なくなった。


 その方が私は落ち着ける。『友達』は怖いから……。




 窓の外を見れば、校舎の向こうに見える林檎の木に、沢山の花が白く輝いていた。





「芭月ぃ、テレビ、テレビ、葵原市がテレビに出てるよ」


 葵原市……。私にはいい思い出がない。

 ううん、1つだけ、1つだけいい思い出がある。


「柊さん、あいも変わらず綺麗よね〜」


 居間の扉を開けて、二階に上がろうとした時にお母さんの声につられて、私もテレビを見た。


 テレビは葵原市からの中継で、青い海が見える公園で、ミス葵原市の葉月柊さんがテレビに出ている。


 柊さんの隣には葵原高校の制服を着ている綺麗な人がいた。男性アナウンサーが美人姉妹だと褒め称えている。


「えっ!?」


 テレビ画面の隅に見えた男の子は、カメラから視線をそらして、青い空を飛ぶ海鳥の群れを見ていた。


 心臓がドクンと大きく高鳴った。


 テレビは葵原市の観光スポットの紹介となり、私も居間を出た。


 二階に上がる階段の手摺をギュッと握り、ゆっくりと一段ずつ階段を上り始める。


「うん……。私……、頑張るよ」



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