第19話 溢れる想い、縮まる距離


 呉島監督と分かれた頃には既に時間は十九時を回っていた。

 でも僕はそのまま帰宅せず、秋葉原駅の改札で桜庭を待っていた。

 今日はゲーム雑誌のインタビューがあったようで、秋葉原で行っていたようだ。

 ちょうど僕と帰宅時間が合っていたので、一緒に帰ろうという話になった。

 僕が桜庭を待ち始めてから五分程度で、彼女はやってきた。


「ごめん、待った!?」


 桜庭は制服姿で息を切らしていた。

 結構急いで来たようだ。

 別に急がなくてもいいのに。


「いいや、来たばかりだから大丈夫だよ」


「そっか、よかった!」


「ん。じゃあ桜庭の家まで送るよ」


「ありがと!」


 桜庭の家は秋葉原駅から歩くと三十分位掛かる所にある。

 数回遊びに行った事があるけど、普通の一軒家だ。

 バスを使えば十分位の距離なのだが、僕と一緒に歩いて帰りたいというご要望だった。

 まぁ僕にとってもいい運動だし、桜庭と少しでも長く一緒にいれるのは嬉しかったから文句はない。


 あまり人通りがない、裏道みたいな場所を二人で並んで歩く。

 車の通りも少ないから、煽られる事も少ない。


「橋本君、今日はどうだった?」


「うん、良い話だったよ。二ヶ月後のオンライン大会で結果を残せば、個人スポンサーが付く」


「えっ、それ凄いチャンスじゃん!! でも、『結果を残せ』っていうのがいやらしいねぇ……」


「本当それ」


 プロゲーマーとして現役で活動している彼女だからこそわかる、結果を残せといういやらしい言葉。

 ここまで理解してくれる子なんて、家族以外では桜庭位しかいなかった。

 だからこうやって色々気兼ねなく話せるのは、僕はとても嬉しかったんだ。


「桜庭こそ、今日の仕事はどうだった?」


「……めっちゃムカついた」


「何があった?」


「インタビューしてきた記者がね、ずっと私の胸を見てるの! 女はね、そういう視線に敏感なんだからわかるんだっての!!」


「……ああ」


 桜庭の胸は、大きい。

 グラビアでスリーサイズが書いてあったが、Gカップだそうだ。

 だから一際目立つ桜庭の胸を、下心ある男は見てしまうんだろうな。

 僕も桜庭の事が好きだけど、容姿というより内面に惚れてしまったので、ほとんど彼女の胸を気にした事がない。

 ……でも、以前グラビア撮影の現場に同行した時は、あれは目のやり場に困ったなぁ。


「まぁ今は私の名前を売り出して、新たなスポンサーをゲットする為に我慢したけどね! 我慢したけどね!!」


「二回言ったなぁ」


 相当フラストレーションが溜まってるなぁ、桜庭。

 ……彼女の為に何か出来ないかな。


「なぁ、桜庭」


「ん? なぁに?」


「何か僕に出来る事があったら、何でも言ってよ」


「……え?」


「いや……ストレスが相当溜まってるみたいだからさ、僕でストレス発散出来るならなぁと思って」


「橋本君……」


 桜庭が感激している様子。

 嬉しかったようで、何よりだよ。


「じゃあさ、その、手ぇ繋いで欲しいな……」


「えっ!」


 桜庭からのお願いは、僕の予想を遥かに超えたものだった。

 手を、桜庭の手を握るのか!?

 急に心臓の鼓動が早くなる。


「私の今の一番のストレス解消は、橋本君に触れる事だよ……」


「桜庭……」


「だめ、かな?」


 もう夜も更けていて外は暗いが、こんなタイミングで街灯の下で照らされた明かりのせいで、顔を赤らめ瞳を潤ませている桜庭の表情が見えてしまった。

 そんな表情されたら、断れる訳がない。


「僕の手、なんかで良ければ、その……どうぞ」


「!! ありがとう!!」


 今日一番の弾んだ声。

 ああ、愛おしいなと心から思う。

 僕は左手を桜庭に差し出すと、右手で優しく握ってくれた。

 桜庭の手の温度が伝わる。

 今は五月、春の夜はまだ冷たさがある。

 左手を通して桜庭の肌を感じ、心から全身がポカポカするような感覚がある。

 僕も桜庭に触れる事が出来て、相当嬉しいようだ。


「へへっ、好きな人と手を繋げて嬉しいな~」


「それは、何よりで」


「うん♪」


 本当に、桜庭は凄い。

 感情をストレートに表に出すんだ。

 勿論恥じらいを感じるけど、怯まずに猪突猛進で感情をぶつけて来てくれる。

 その部分が本当尊敬に値する女の子だ。


 無言の時間が流れる。

 気恥ずかしさというのもあるけど、手から伝わるお互いの温もりを噛みしめているような、そんな時間。

 喋る事はないけど、それでも貴重な時間だなと思う。

 

 ふと、桜庭が口を開く。


「ありがとうね」


「うん?」


「いつも、私の傍にいてくれて。ストレートに橋本君に想いをぶつけてるから、疲れてないかなってちょっと思ったりしてたから」


「……ああ。まぁ正直疲れる」


「がーんっ!!」


「でもこの疲れっていうのは嫌とかじゃなくて、こんなに好意を正面からぶつけられるのに慣れてないから疲れてるだけなんだ」


「……そっか、よかった」


「むしろ、僕は桜庭を尊敬しているんだよ」


「えっ、私を?」


「うん。だって、こんなに真っ直ぐ感情を向けるなんて事、出来る人少ないからさ」


「ああ、その事ね! ……前に私が余命宣告されたって話したよね?」


「……聞いたよ」


 桜庭の繋いだ手が、少し強くなる。


「私ね、余命宣告された時、本当に絶望しててさ。恋もしてない、オシャレもしてない、友達すらいなくて。ずっと病院で点滴打ってて自由を奪われたのに『後半年で貴方は死にます』って言われたんだよ」


「……」


「いつか自由になれる事を夢見て頑張って我慢していたのに、今までの事は全て無駄でしたって言われたと同然でね。毎日次の朝起きられるかわからなくて、眠るのがすっごく怖かったんだ」


 僕はただ、黙って桜庭の言葉を聞いた。

 しっかりと桜庭の手を握った状態で。


「でも、橋本君のおかげで無事、余命宣告ぶっ飛ばしたけどね!」


「……僕のおかげなのか、未だに実感がわかないよ」


「橋本君のおかげだよ、ありがとう♪」


「……どういたしまして。で、続きは?」


「うん。体が健康になった時に改めて思ったんだ、人間っていつ死ぬかわからないし、死ななかったとしても喋れなくなる事だってあるかもしれないし、突然好きな事が出来なくなるかもしれない」


 桜庭の言葉に、最近までの自分の姿が重なった。

 僕は好きな事を奪われた側の人間だった。

 奪われた結果、絶望して家族に大変迷惑をかけてしまった。

 本当、突然奪われるんだ。

 思い当たる節がありすぎる。


「だからね、私は決めたの! いつどうなるかわからないから、思った事はしっかり伝えようって。やると決めたら諦めない限り続けようって!」


「そっか、すごいな、桜庭は」


「……私からしたら、橋本君だって凄いよ」


「えっ、僕も?」


「うん。橋本君の絶望って、話を聞いた限りだと色んな事が積み重なってきてしまった、すっごい辛いものだと思うの」


「……そうだね。両親からもゲームを止めて新しい事を見つけろ、カウンセラーからはゲーム如き・・なんて言われてさ。妹はよくわかってないけど、否定はしなかったって感じだったね」


「橋本君の場合、心から好きな物が理解されなくて他者からも追い込まれて、結果自分で死のうとするまでの絶望を与えられちゃって……。すっごく辛かったと思う」


 本当にこの子は、僕の事を理解してくれている。

 それがあまりにも嬉しくて、ちょっと泣きそうになる。

 桜庭は言葉を続ける。


「すっごく追い込まれたのに、橋本君はこんなにも立ち直ったよね! 自殺まで考えた人がここまで立ち直れるって、本当にすごい事だと思うよ!!」


 ああ、ダメだ。

 想いが止まらない。

 桜庭と一緒にいればいる程、どんどん好きになっていく。

 桜庭への想いが溢れすぎて、夢中になって溺れていく。


「……それは桜庭のおかげなんだよ、本当に。僕は桜庭と出会わなければ、きっといつか自分を殺していたと思う」


「そんな事はないよ、私はきっかけにすぎないよ!」


「きっかけをくれたのが桜庭だったから、ここまで僕は立ち直れたんだ。本当にありがとう、桜庭」


「はし、もと、君」


 急に桜庭の目から一滴、涙が零れ落ちた。

 僕は急に泣き出した桜庭を見て、激しく動揺してしまった。


「さ、桜庭!?」


「嬉しいの、本当にとても嬉しいの! 好きな人の為になれたんだって思ったら、泣く程……嬉しくて」


「……桜庭」


 僕は、自然と彼女の頭を撫でた。

 愛おしい桜庭の、艶があって綺麗な黒髪を、優しく撫でた。


「桜庭、今は君の想いに応える事は出来ない。でも、結果を残せたら絶対に、君の想いに対する答えをしっかり伝える」


「……うん」


「だからもう少しだけ待ってて」


「待ってる、ずっと、待ってるからね」


 さっきまでは手を繋いでいても二人の間には少しだけ距離があった。

 でも、今は自然と肩が触れ合う位の距離までに縮まった。

 これ以上桜庭に溺れ過ぎないように、二ヶ月後のオンライン大会を優先して頑張ろう。

 大会までに自分のスタイルを確立して、僕の深い爪痕を残してやる。


 僕のやる気は、最高潮に達していた。

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