星逢

翌朝目覚めると、私の部屋に唯人の姿は無かった。


その日は朝からよく晴れていて、私は既に熱さを感じていた。

昨晩のことは夢だったのではないかと思ったりもしたが、一糸纏っていない自分の姿が現実だったと証明していた。

羞恥を感じ慌てて身支度を整えていると、机の上に一枚の紙きれを見つけた。

不思議に思い手に取ってみると、そこには見慣れない文字で


「愛していた。子供をどうするかは任せる」

とだけ書いてあった。


私はとても嫌な予感がして、自分の部屋を飛び出した。向かったのは唯人の部屋だった。

ノックもせずに部屋を勢いよく開けると、そこには「彼」の姿があった。

「唯・・・人・・・?」

祈りを込めて呼んでみたが、呼ばれた彼は穏やかな表情で、


「やあ、久し振りだね、みやさん」


と言った。

その瞬間、私は全てを理解して、その場に座り込んだ。そして大粒の涙を流した。

それは今の状況にとって、私の立場として、褒められた行動ではなかったけど、どうしても自分を抑えられなかった。

春生が私のもとに寄ってきて、私を支えた。

「ごめんよ・・・みやさん、ごめん」

その必要はないはずなのに、彼は謝った。そしてこう言った。


「もうわかっているとは思うけど、彼は消えたよ。・・・永遠に」



 多重人格が完治したことで春生の退院が決まり、本人の希望もあってその日のうちに彼はここを離れることになった。午前中に体の検査を行い、昼に出発となった。


古民家を出て行こうとする春生を、私は玄関の外まで見送った。

「・・・みやさん、本当にありがとう。・・・君にとっては辛い結果になってしまったけど、僕にとっては恩人だ。君のことをずっと忘れないだろう」

私は午前中のうちにいくらかの落ち着きを取り戻し、春生の話を聞く程度には回復していた。

「本当に・・・良かったわね・・・。私のことはいいの。だって唯人は、本当はいないはずの人だったんだから」

私は笑ってはいたものの、その笑顔は春生にも分かる程の無理をした笑顔だった。


「・・・何故、彼は急に出てきて、治療も受けずに居座っていたか分かるかい」

私が首を振ると、春生は語り出した。


「実は僕も、みやさんに惹かれていた。でも、ずっとどうすることもできなくて、でもついに君に想いを伝えることを決めた。

・・・けど、僕を通してあいつも君を見ていて、君に惹かれていたんだろうね。それで僕が行動を起こそうとしたのに気づいて焦って、とりあえず邪魔をするために出てきたんだ。ほんとに勝手な奴だ、あいつは」


私が黙って聞いていると、でも、と春生は続けた。

「でも本当に勝手なのは・・・僕の方だ。子供の頃、散々彼に助けてもらったのに、彼とどうつきあっていったら良いのか分からなくて、結局強制的に排除しようとした。僕は彼に許してもらえないだろう」

それに対して私は、いいえ、と首を振った。

「彼は自分の意志であなたを庇ってた。それに、全てに納得したから消えていったのよ・・・きっと」

私が言うと、春生は私を振り返った。

「・・・皆が彼を排除しようとしたのに、君が存在を認めてくれた。あと君を手に入れたことでおそらく満足したんだろうね。・・・すべて君のおかげだった」

私は黙ってそれを聞いていた。

「・・・みやさん、さっきも言ったけど、僕としてはこの先も君と一緒に居たいと思ってる・・・それに、その子を一人で育てるのは大変だろう・・・父親が居た方がいい。どうかな・・・?」


唯人の書き置きにもあったが、どうやらやはり私は妊娠しているらしい。彼らにはそれを察する特別な力があったのだろう。

しかし、私の答えは決まっていた。

「・・・ごめんなさい、私、彼のことが忘れられないから・・・都合良くあなたに乗り換えたりなんてできない。短かったけど、彼との思い出を大事に生きていきたいから・・・この子は一人で育てるわ」

私がそう言うと、春生は寂し気に微笑んだ。

「そうか・・・残念だけど、君の意思を尊重するよ。そんなに誰かに想ってもらえて、あいつも浮かばれるだろう。・・・じゃあ、僕はもう行くよ」

私達は握手をした。そして春生は振り返ると、一人山道を歩き出した。

私はその後ろ姿を見えなくなるまでずっと見送っていた。



 それから十ヶ月経って、私は子どもを出産した。

勤めの方はと言うと、患者と親密な関係を持ったことにより解雇を言い渡されてしまったが、子どもを育てるのに丁度良いと思い、さほど気にはしなかった。


子どもは男の子で、3歳にもなると見た目は春生と唯人に生き写しになったが、性格はどこまでも春生に似ていた。そのことが私に“唯人など存在しなかった“と言ってきているように感じ苦悩することもあったが、それでも子どもは大事に育てた。息子も息子で賢明な子に育ち、父親のことについてとても小さい頃尋ねてきたことはあったが、私がはぐらかすと、以後そのことについて触れてくることはなかった。


 その後私は誰とも関係を持つことはなく、ただ唯人のことだけを想って生きていた。孤独だったが、息子の存在と、唯人が別れ際に書き残したメッセージが私の支えになってくれた。



そして私は七十歳でその生涯を閉じた――。



 気がつくと、私は星空輝く宇宙のような場所に居た。確か私は死んだはずだったから、おそらく死後の世界に来たのだろうと思った。


体、と言っていいのかは分からないが、見た目は二十歳くらいの状態になっているようだった。


地面は無かったが、足を踏み出せば歩くことができた。そのまま当てずっぽうにさまよっていると、石造りの門のようなものが見えてきた。

 

門に、誰かが寄り掛かっている。その人物を見て、私は息を呑んだ。


グレーがかった少し長めの髪、白い肌、灰色の瞳。

「唯・・・人・・・?」

一瞬春生かとも思ったが、振り返った彼がしかめっ面で「遅い」と言ったのを見て、私は走り出した。


そのまま勢い良く唯人に抱き付いて、彼に受け止められる。私を抱き返す彼の腕はほんの少し優しくて、彼が生前より少し温厚になったのが分かった。

「唯人・・・!唯人なのね・・・!?」

私は泣きながら、しかし表情は笑顔で、彼を見上げて言った。彼もほんの少し穏やかな表情を浮かべて、私を見下ろした。

「遅い。一体何年待たせるんだ。・・・もう五十年も待ったぞ」

やや温厚になったものの、憎まれ口は相変わらずのようだった。

「・・・でも、何十年も一人で僕を想い続けていたようだったから?特別に許してあげよう」

私は更に彼に強く抱き付いた。

「・・・これからは、ずっと一緒なのね?」

私が問うと、彼は微笑んで頷く。もう私達を引きさくものは何もなかった。


そして二人は手を取り合い、星空の中を歩いて行った。

それはいつの日かの、暗い山道を歩いた二人の姿のようだった。

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星逢 深茜 了 @ryo_naoi

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