5


 朝食の時間になると、何事もなかったかのようにクノリスはリーリエの部屋へと現れた。 


「昨日は怖い思いをさせて申し訳なかったな。君が無事でよかった」


 床に片膝をついて、クノリスはリーリエの手を取り謝罪の言葉を述べた。


「いいえ。あなたこそ、ご無事で何よりです。それで……弓矢を放った人間は捕まったのですか?」


 クノリスの手を少しだけ握り返して、リーリエはクノリスの方を見た。

 クノリスは、手を握り返されると思っていなかったのか、少し驚いたような表情を浮かべていたが、すぐに神妙な顔つきに戻った。


「いや。北の方までは追いかけていけたのだがな。途中で行方をくらまされて見失ってしまった」


「そうだったんですね……」


「君の故郷との国境には、兵隊を置いているから万が一に何かあったとしても大丈夫だろう。心配には及ばん」


 クノリスはリーリエが、祖国を心配していると受け取ったようだった。


「ご配慮いただきましてありがとうございます」


 祖国の人間のことなんて心配してはいなかった。


「ところで、今日は少し休んだ方がいいんじゃないか?顔色が悪いようだ」


「いえ。大丈夫です」


 静かな部屋の中一人で休むなど、リーリエはまっぴらごめんだった。


 昨晩一人でずっと考えすぎて、眠れなくなってしまったことを考えると、誰かと一緒にいた方がましだった。


 クノリスはそれ以上何も言わなかった。

 ミーナが、温かい紅茶のお替りを淹れた。


「俺はもういい」


 クノリスが自分のカップにお茶を淹れようとしたミーナを制した。


「かしこまりました」


 ミーナがスッとお茶の入ったティーポットを引いて、テーブルから離れた。


「君を怖がらせないための提案を、させてもらえないだろうか?」


 しばらく沈黙があった後、クノリスが静かに言った。


「怖がらせないための提案?」


「例えば、城の中でお茶会を開催するとか、舞踏会を開催するとか」


「それは……楽しそうですね」


 一度も経験をしたことがなかった話題を聞いて、リーリエは顔を上げる。


「貴族達に君を紹介できるし、君もこの国で友人を作った方が楽しいだろう」


 友人を作る。

 アダブランカ王国の貴族のお嬢様方に、グランドール王国のお姫様は受け入れられるのだろうか。


 クノリスは、リーリエの反応が悪くなかったことに満足したようで、ミーナに「アンドレアに、急遽舞踏会の準備をするように伝言してくれ」と指示を出した。


 本来舞踏会は、結婚の儀式の後に盛大に開催されるはずだった。


 結婚儀式は、満月の夜に行われるということでこれから一ヶ月も先の話だった。

 その準備だけでも忙しいというのにと、アンドレアの精神状態は限界に達しているようだ。


 ミーナ曰く、追いつめられれば追いつめられるほど力を発揮するタイプなのでお気になさらずということだったが、リーリエはアンドレアを気の毒に思った。


 城の中で忙しなく一週間後に開催される舞踏会の準備がされている間、クノリスは騎士団を引き連れて先日の前王政派の人間達を探しているようだった。


 国の中の癌は一つでも取り除きたいという勢いだ。 


 一方リーリエは、メノーラの特別レッスンを受けていたが、メノーラもアンドレアに引けを取らず取り乱していた。


「まさかの舞踏会!これで予定表が大幅にずれましたし、私にも招待状がまさか届くとかおっしゃいませんよね?リーリエ様」


 メノーラはしきりに自分に招待状が届くかどうかを心配していた。


「貴族の方は、例外なく招待状はお渡しする予定です」


 リーリエが答える前に、ミーナが淡々と答えた。


「そんな……!その招待状を直接私にお渡しくださらない?」


「招待状は全て、家長宛にご自宅に配送といった形を取らせていただきます。行き届かなかったということがあったら大変ですので」


「そんな……!」


 レッスンホールでメノーラは床に崩れ落ちた。


 まるで明日世界が崩壊すると宣言されたかのような態度だ。


「大丈夫?」


 あまりに項垂れているので、メノーラに向かってリーリエは声をかけた。


「おお……リーリエ様。なんとお優しい。私を心配してくださっているのですね!」


「どうして、そんなに舞踏会を嫌がっているの?」


「舞踏会自体は嫌ではありません。リーリエ様のお友達を作るために私は全力を尽くす所存ですわ。ですが、貴族たちにとって王宮に開催される舞踏会にはもう一つの意味があるんですのよ」


「もう一つの意味?」


「婚活ですよ。リーリエ様」


 メノーラが答える前に、ミーナが答えた。

 ミーナの言葉に、メノーラが「その通り!」と声を上げた。


「婚活の何がいけないの?」


「私、結婚しているように見えます?」


 メノーラの疑問に、リーリエは言葉に詰まった。


「えっと……独身の女性に見えると思います」


「その通り!私もいい年の女です。私は教師の仕事が楽しいというのに、天職だと思っていますのに、私の両親は早く私を嫁に行かせたいと考えているのですわよ。だから、きっと今度の舞踏会では、私の結婚を策略するために……!ああ!恐ろしい!また口を閉じていろと無理難題を課せられるんですわ!」


 リーリエとミーナは二人で顔を合わせて、お互いにメノーラが舞踏会を嫌がっている理由に納得した。


 このおしゃべりのメノーラがずっと黙っていることなど出来るはずがない。


 数日後。

 舞踏会用の新しいドレスを仕立てるために、仕立屋が王宮にやって来た。


「こちらが、王都トスカニーニで今一番流行のドレスでございます」


 ピンクのレースの段がついている派手なドレスを掲げて仕立屋は自信満々に言った。 

 ところどころにパールが縫われていることが、ポイントらしい。


 国の財政が悪化しない程度だったら何を買ってもいいとクノリスから言われているものの、ドレスが一体いくらするのか分からず買ってもいいものか悩んでしまう。


 さらに、何着も着ていると何がいいのか分からずどんどん混乱してきてしまった。


 結局、ミーナが「このドレスがお似合いでしたよ」と言っていた、若草色のドレスと黄色のドレスを一点ずつ購入した。


 宝飾類に関しては、まだクノリスからプレゼントしてもらった物でつけていない物があるからと遠慮した。


 仕立屋はもっと購入してもらえると思っていたらしく、少しばかり不満そうな表情を浮かべて帰って行った。


 結局どうすればよかったのか分からず、夕食の際にクノリスへ今日の出来事を相談した。


 どれだけ忙しくても、朝食と夕食はクノリスが一緒に食事を取ってくれる。


 そのおかげか、リーリエもアダブランカ王国に来た頃よりは、クノリスと打ち解けることが出来ていた。


 クノリスは最初の頃のように、無理に触ってこようとはしないので少しばかり安心して傍にいることが出来ている。


「気にする必要はない。欲しいと思った時に欲しいものを買えばいい」


 リーリエの疑問に、クノリスは淡々と答えた。


「分かりました」


「で、君は一体何着のドレスを購入したんだ?」


「二着ほど」


「……なるほど。仕立屋が不満気な表情を浮かべるわけだな」


 赤ワインを飲んだ後、クノリスはクスっと笑った。


「少なかったでしょうか?」


「俺は、財布の紐をしっかり結んでいる妻が女王になりそうで、非常に光栄だが」


「からかっていますね」


 楽しそうな表情を浮かべるクノリスを、リーリエは睨みつけた。 


「とんでもない。本心だ。節約は大事だからな」


 やはりからかっているとしか思えないような態度で、クノリスは楽しそうに笑っているのを見て、次にドレスの仕立屋を呼んだ時には、盛大に買い物をしようと心に決めたリーリエだった。

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