第10話 レイラの過去07

「レイラ、落ち着いて聞いてくれ。親父さんが……

「え……」


 『見つかった』という言葉でレイラの嫌な予感は確信めいたものに変わった。


「リッキー、どういうこと?」

「……親父さんが浜辺で発見されたんだ。見つかった時にはもう亡くなっていた……」

「そんな……」


 レイラはニコラの手を解いて立ち上がった。カタンという椅子の音がやけに響いて聞こえる。足元もフワフワとして覚束おぼつかない。思わず、カウンターへ背をあずけるようにして寄りかかった。すると、すぐにニコラもレイラを庇うようにして立ち上がった。そして、放心するレイラの背中にそっと手を回しながらリッキーへ尋ねる。


「リッキー君、その話は本当かい?」

「ほ、本当です。ドン・ニコラ」

「そうか……で、レイラのお父さんはどこにいる?」

「死体ですか? 死体なら……」

「リッキー君、答え方に気をつけろ」


 ニコラはリッキーの言葉をさえぎった。目を糸のように細めてリッキーを見すえる。


「君の言葉からは敬意を感じない。僕は『レイラのお父さんはどこにいる?』と聞いたんだ。よく考えろ……僕たちはギャングだ。答え方が気に入らないという理由だけで簡単に人を殺す」

「う……」


 ニコラの眼光は鋭さを増してゆく。リッキーのこめかみを冷汗が流れた。


「大変失礼いたしました。レイラの親父さんなら、貧民街まちの教会に運ばれています」

「わかった」


 ニコラは頷くと残っていた用心棒へと向かって声をかける。


「すぐに車を用意しろ。それと、今日のイベントはすべて中止だ」

「「「畏まりました。ドン・ニコラ」」」 


 用心棒たちは慌ただしく駆けてゆく。その姿を見届けるとニコラはレイラの肩を抱き寄せた。


「レイラ、君には僕がついている。さあ、行こう」

「……」


 レイラの意思とは関係なくニコラが歩き始める。背中を押されるとレイラは力なく歩調を合わせた。ニコラとリッキーのやりとりも頭に入ってこない。ただ、ぬぐいようのない徒労感が全身を支配していた。



✕  ✕  ✕



 教会につくとレイラは父と無言の対面をはたした。灰色の石室に安置された父の顔は土気色で頬が引きつり、穏やかとは言い難いものだった。警邏けいらたいの報告によれば海中に身を投げての自殺らしい。


 父の遺体を見下ろしながら、レイラは少しホッとしている自分に気づいた。狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインとして暗躍するレイラはそれだけ人の恨みを買っている。『お父さんはわたしへの報復で殺されたのではない』と思えば、幾分か胸のつかえが取れた。


 レイラはその日のうちに葬儀をすませた。今さら父の死を報告する血縁者などいない。葬儀は貧民街の顔見知りや狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインの面々だけでひっそりとり行われた。


──疲れた……。


 それが、葬儀を終えたレイラの素直な感想だった。母の死に心を痛めるでもなく、父の死に嘆き悲しむでもない……レイラはそんな自分がひどく無感情で酷薄な人間に思えた。もしかすると、ギャングとして活動するうちに『死』に慣れてしまったのかもしれない。


 しかし……。


 どうしても考えてしまうことがある。


 それは……。


──結局、お父さんはずっと寄りそっていたわたしよりも、捨てたお母さんの方を愛していた。


 愛情は比べるものじゃない。そうわかっていても、レイラは比べずにはいられなかった。父にとってわたしは何だったのか? と考えてしまう。


──お父さんを傷つけたわたしが何を今さら……。


 レイラは誰もいない家へ帰ると喪服のままピアノの椅子に座った。リビングに置かれたピアノは父がヴィネアに来てから買ったもので、父はこのピアノで貧民街の子供たちに音楽を教えていた。


──そういえば、昔はお父さんがピアノを弾いて、わたしはお母さんと一緒になって歌っていたっけ……。


 レイラは遠い過去を思い出していた。いつの間にか、母のことを『あのひと』ではなく『お母さん』と呼んでいた。思い出の中の父はいつまでも笑っている。


「寂しいなぁ」


 誰に言うともなくレイラは独り言を呟いた。呟きは宙を彷徨さまよって静けさの中へと溶けこんでゆく。


「お父さん、お母さん……寂しいよ」


 レイラは静けさにあらがうようにもう一度だけ呟いた。その時、ずっと忘れていた感情が瞳からあふれ出て頬を伝った。


 しかし……。


 どれだけ望んでもレイラの言葉が両親へ届くことはない。レイラの周囲には残酷な静寂だけが横たわっていた。

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