第10話 レイラの過去06

──あのひとが死んだ?


 レイラは父から手紙を受け取って目を通した。実の母親が死んだのだ。普通なら驚愕し、嘆き悲しむところかもしれないが何の感情も湧いてこない。むしろ、そんな自分自身に驚いていた。


「お父さん、悲しまないで。赤の他人が死んだだけ」


 レイラはわざと冷淡な言葉を並べた。『わたしは母親の死など気にしない』という姿を見せる方が、父が安心すると思ったからだ。父も母を憎んでいると信じていた。しかし……。


「お前は母親が死んでも眉一つ動かさないんだな。嘘でもいい、死んだときくらい母親の愛情を思い出して悲しんでみせたらどうだ……」


 父の瞳からは生気が消え失せている。そんな父を見ていると、レイラは悲しみを共有できない自分がひどく親不孝な気がしてきた。しかし、それと同時に抑えがたい怒りも湧いてくる。


「悲しむ? 何を言ってるの? 今でも覚えてる。お父さんが王都を追われる身になったとき、あのひとはお父さんを支えるどころか、蔑む目で別れを告げた。わたしたちを捨てた瞬間、わたしにとって母親は死んだの」


 今まで必死になって抑えてきた感情が奔流ほんりゅうとなって解き放たれる。そこに父へ対する同情や敬意はなかった。


「自分より若い貴族にお母さんを取られて……悔しくなかったの? なんで怒らなかったの? なんで取り戻そうとしなかったの?」

「……」

「わたしがお父さんと一緒にいるのはね、お母さんが憎いからだけじゃない。お父さん……お父さんがあまりにも惨めだからだよ!! 気づいてよ!! 痛々しいだけなんだよ!!」


 言葉は弾丸となって父の心をえぐる。父は黙って聞いていたが、やがて顔を上げて恨めしそうにレイラを見つめた。


「それが最愛の人を失った家族へ対する言葉なのか? どこまで冷酷な娘なんだ……本当に……


 憔悴した父は枯れた声で言葉を絞り出す。それは本心から出た呪詛の言葉だった。呪言のろいごとは粘着するようにレイラの耳へこびりつく。レイラはギリッと奥歯を噛んだ。


「自分の気持ちだけ押し付けて、恨みごとしか言わない……そんなだからお母さんに捨てられるんだよ!!」


 ついにレイラも本音を口にした。その言葉がどれだけ父を傷つけるかを知っていながら。そして、そのまま家を出て行った。後ろで父が何かを言っていたようだったが振り返らなかった。これ以上、哀れな父を見ていたくなかった。結局、それが父との永遠の別れになった。



×  ×  ×



 レイラは家を飛び出した勢いそのまま、『ネオ・カサブラン』へと向かった。しかし、音楽を聴き、慣れないお酒をあおってみても気分は晴れない。『』という父の言葉がグルグルと頭の中を回っている。


「昼間からお酒を飲むなんて珍しいね。何か嫌なことでもあったのかな?」

「……ドン・ニコラ」


 レイラがバーのカウンターに座っているとニコラが隣に座った。ニコラの方こそ昼間から『ネオ・カサブラン』に顔を出すのは珍しい。レイラは少し驚いた様子でニコラを見た。


「ドン・ニコラ、今はヴィネアの市役所にいらっしゃるはずじゃ……」

「僕たちのお姫様が来ていると聞いてね……少しだけ顔を出したんだ。何かあったのかと思って」


 ニコラはいつものように爽やかな微笑みを浮かべて尋ねてくる。レイラはわだかまった心がほどけてゆく気がした。


「家でちょっと……いえ、なんでもないです」


 レイラは事情を話そうとして思いとどまった。自分が話してしまうと父の権威が傷ついてしまうと考えたからだ。父を罵って家を飛び出しても、やはり父のことを考えてしまう。


 すると……。


 思案に沈むレイラを見てニコラがそっと手を伸ばした。そして、カウンターに置かれたレイラの手に重ねる。


「え……」

「深くは聞かないよ。でも、力になれることがあれば、いつでも頼ってくれていい。僕たちは家族ファミリーなのだから」


 ニコラは戸惑うレイラに優しく語りかける。手から伝わってくる体温を感じてレイラは嬉しくなった。父も家族だが、狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインもまた家族なのだ。


「ありがとうございます。ドン・ニコラ」


 レイラが微笑んでいると、バーの中が急に騒がしくなった。


「レイラ!! レイラはいますか!?」


 大柄な男がバーへ入るなり大声を上げている。大男はすぐに用心棒たちに取り囲まれた。



「「「誰だお前は!! ここはドン・ニコラのクラブ『ネオ・カサブラン』だぞ!! 騒がしくするんじゃねぇ!! つまみ出せ!!」」」


 用心棒たちが凄むと大男は弱りはてた顔で頭を下げた。


「す、すみません。ドン・ニコラのお店に迷惑をおかけするつもりじゃないんです。レイラ……いえ、レイラさんを探していまして……」

「あ? レイラさんに会いたい? お前ごときがレイラさんに会えると思ってんのか? 痛い目に会うまえに消えろ!!」


 用心棒の一人が警棒を取り出したとき、レイラが立ち上がった。


「リッキー!?」


 レイラは用心棒たちに近づいて「彼は知り合いなの」と告げた。すると、用心棒たちは一礼してその場を去っていく。リッキーがホッと安心するのを見てレイラは続けた。


「ここまで来るなんて、どうしたの??」

「そ、それが……」

 

 レイラが尋ねるとリッキーは俯き、切り出しづらそうに口ごもる。その姿を見てレイラは言い知れない嫌な予感を感じた。

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