第10話 レイラの過去03

 レイラは窓から差しこむ朝の陽射ひざしで目を覚ました。強い光に目を細めながら上体を起こすと、キングサイズのベッドがキュッというスプリングのきしむ音を立てる。


──ここは……?


 そこは打ちっ放しのコンクリートでできた殺風景な部屋で、レイラは不思議そうに辺りを見回した。そして、すぐに自分の身体に起きた異変にも気づく。


──え!?


 腹部に負った傷が完全に癒えている。それどころか、男物のワイシャツを着ていた。ワイシャツからは洗濯のりの爽やかな香りがする。微かな香りが鼻孔をくすぐると、レイラは何故か安堵感を覚えた。



『あまりに重症だったから、魔導医術師に治療させたんだ。レイラ、君は丸一日、寝ていたんだ……』

『!?』



 突然、部屋の片隅から男の声がした。レイラが驚いて振り向くと、ドアの横に置かれた椅子にニコラが座っている。ニコラは昨日と同様に白いスーツを着ており、本を読んでいたらしく、分厚い本をサイドテーブルに置いて立ち上がった。そして、少し困った様子で話しかけてくる。


『治療するためには……その……仕方がなくて……』

『?』


 言葉の意味がわからずレイラが首を傾げると、ニコラは少しだけ頬を赤くする。


『それに、ここには女物の服がなくて……』


 言いよどむニコラを見てレイラは気づいた。ニコラはレイラの裸を見てしまったことを謝ろうとしているのだ。その姿は女に不慣れな青年のようで、とても狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインを率いるギャングの首領とは思えない。昨日の殺戮を行った青年とはまるで別人だった。


『だから……つまり……』

『何も気にしないでください、ニコラ・サリンジャーさん。それよりも、命を救ってくださり本当にありがとうございます』


 レイラは着ているワイシャツをギュッと抱きしめるようにして頭を下げた。その時、幾筋かの髪が胸元へと流れ、朝陽にキラキラと輝いた。


『あの時は死を覚悟してましたから』


 レイラはゆっくりと顔を上げ、煌めく金髪を耳にかけながら微笑んだ。死の淵からよみがえった青い瞳には希望がみなぎり、真っすぐにニコラを見つめている。


──こ、困ったな……。


 思わず、ニコラは視線をらしてしまった。レイラには美しさと共に、触れると壊れてしまいそうな儚さが共存している。見ていると心の奥底がざわめき、今まで知らなかった感情が沸き起こってくる。


──僕はどうしたんだ?


 ニコラの戸惑いは強くなるばかりだった。レイラといると、どこか調子が狂ってしまう。


──僕はレイラを狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインの戦力として期待している……それだけのはずだ……。


 そう自分に言い聞かせるとニコラはレイラへ視線を戻した。だが、一度狂った歯車は簡単に直らなかった。


『君はもうに怯える必要がない』

『はい』

『それに……僕はギャングだが手負いの女性に迫るほど下卑た人間ではない』

『え? 迫る?』


 レイラがキョトンとした顔つきになるとニコラは慌てて顔を真っ赤にさせた。


──ぼ、僕は何を言ってるんだ!?


 ニコラからは圧倒的な強者としての余裕も、ギャングとしての恐怖も、全てが消え去っていた。口を開けば開くほど、余計な言葉を並べてしまう。


『い、いや。だから君は今、男の……それもギャングの部屋にいるんだぞ』

『はい。狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインのお部屋にいます』


 クスクスと面白そうに語るレイラからは余裕すら感じられる。レイラの無防備な姿も、あどけない笑顔も……ニコラには全てが計算づくのように思えた。だが、レイラに対する戸惑いも、沸き起こる知らない感情も、決して不快じゃない。むしろ心地よかった。


──ギャングたちに恐れられる僕も、今はレイラにベッドを支配されて困っている。ドン・ニコラの名前も形無かたなしだな。


 ニコラは苦笑しながら眼鏡を眉間でクイッと上げた。


『コーヒーを淹れてくる。それに、食事も用意させる。レイラが食べ終わったら部下にちゃんと家まで送らせるよ』


 そう言い残すとニコラは部屋をあとにした。その背中を見つめるレイラはニコラに少年のような純粋さを感じていた。

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