第10話 レイラの過去02

 レイラが10歳の時、大陸各地を彷徨っていた父娘はヴィネアへとやって来た。父親は市街、貧民街で音楽を教え、時にはイベントに楽曲を提供した。自然と、人々は父を尊敬し、生活も落ち着いてゆく。やがて貧民街に家を構え、レイラも学校へと通い、それなりに友人もできた。


 しかし……。


 いつの間にかレイラは愛する音楽よりも戦闘の才能を求めらるようになっていた。それは、治安の悪い貧民街にレイラが一定の秩序をもたらしたからだ。レイラは貧民街のために惜しみなく戦闘の才能をふるうようになっていた。


『レイラは俺たちを守ってくれる貧民街の顔役だ!!』


 望んでもいない称賛を受けながらレイラの存在は大きくなってゆく。そして……レイラが17歳になったころ、顔役の宿命とも言える抗争に巻きこまれた。それは、貧民街で禁止薬物を売り捌こうとする王都のギャングとの抗争だった。


 レイラはリッキーや街のギャングたちと一緒になって戦った。それこそ、恋も青春も捨て去り、先頭に立って戦った。しかし、名の知れたギャングたちを相手にだんだんと劣勢になってゆく。レイラの心と身体は傷つき、疲弊していった。そして、ある日の午後、ついに子供たちを庇って腹部に重傷を負った。


『もうダメかもしれない……』


 海辺へと追い詰められたレイラは死を覚悟した。王都のギャングが雇った殺し屋たちは誰もが魔導武装の使い手で、レイラに勝ち目はない。それでも……。


『一人でも多く道連れにしてやる……』 


 どれだけ傷ついても、レイラの心は折れていなかった。それどころか、死を間際ににして笑みすら浮かべていた。


『~♪』


 気づけば、レイラは鼻歌を口ずさんでいた。それは、父と大陸を彷徨う中で、寂しさを紛らわせるために作った歌。父は褒めてくれなかったが、レイラにとっては初めて作った思い出深い歌だった。


 17歳の女の子が歌を歌いながら死地へと向かっていく……それは狂気じみた光景に見えた。レイラを取り囲んだ殺し屋たちは意表を突かれて互いに顔を見合わせる。それでも、すぐに冷徹な殺意を取り戻してレイラへとにじり寄った。その時……。


 突然、グキッという音がしたかと思うと、殺し屋の一人が首を失って倒れた。気づくと、他の殺し屋たちも顔がひしゃげ、強い力でねじ切られたように空中へ首が飛ぶ。


『……』


 あまりのことに、レイラは両目を見開いたまま茫然と立ち尽くした。いつしか歌声もやんでいた。



×  ×  ×



 パチ、パチ、パチ。


 海辺に乾いた拍手が響いた。レイラが慌てて振り返るとそこには爽やかな笑みを浮かべた青年が立っている。細身で背が高く、オーダーメイドの白いスーツを着ていた。


『素敵な歌だね。どこか悲しげで、とても切ない気持ちになるよ』


 青年は死体が転がり、鮮血にまみれた砂浜を顔色一つ変えずに歩いてくる。レイラは先ほどの仕業がこの青年によるものだと瞬時に理解した。


『驚かせてごめん。僕は狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインのニコラ・サリンジャー。初めまして、レイラ・モーガン』


 ニコラと名乗る青年はレイラの名前を知っていた。そして、レイラもまた『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』の名前を知っている。ヴィネアの暗黒街で猛威をふるう新興勢力だ。


『王都のギャングを相手に一歩も引かない……そんな君があまりにも健気に思えてね。勝手だとは思ったけれど助太刀すけだちさせてもらったよ』

『あ、ありがとうございます。ニコラ・サリンジャーさん』


 重傷を負っているレイラはお礼を言うので精一杯だった。ニコラは腹部を押さえながら必死に立ち続けるレイラを見て頷いた。


『一人で戦うなんてたいしたものだ。そこで、相談なんだけれど……君も狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインに入らないかな? 無理にとは言わないけれどね』

『……』


 レイラは戸惑った。どれだけ深手を負っていても、助かりたいがためにギャングになるつもりなんて、これっぽちもない。すると、そんなレイラの心情を見透かすようにニコラが続けた。


『確かに、僕たちギャングは法なんかに縛られない。野蛮に思えるかもかもしれない。でも、法が君たちを守ってくれたかい? 法は弱者のためにあるんじゃない。貴族や富裕層を守るためにあるのさ。時に法は暴力よりも野蛮で残酷だ』

『……』

『僕たちを縛るものはただ一つ。血よりも濃い絆だよ。この絆は法よりも厳格で崇高だ。誰も見捨てたりなんかしない』

『……』


 レイラはニコラに窮地を救ってもらった。つまり、ニコラに対してすでにがある。その事実がレイラに重くのしかかった。


『二度は言わないよ。この手を握るかどうかは君しだいだ』


 ニコラはそう言って右手を差し出した。その目は糸のように細く、レイラの反応を観察している。返答によっては、このままレイラを見捨てるだろう。そして、今度は『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』が貧民街の敵となる。


『……よ、よろしくお願いします。


 全てを悟ったレイラは青ざめた顔でニコラの手を握った。その瞬間、緊張の糸が切れて膝から崩れ落ちる。腹部からはドクドクと血があふれ出ていた。ニコラはそんなレイラを抱きかかえると、微笑みながらレイラの耳元へ口を近づけた。


『これで君も僕の家族ファミリーだ。君の父親も、そして街のみんなも、これからは安全だよ。だから安心して、僕のレイラ』

『……』


 レイラは気を失ったままで何も答えない。それでも、ニコラはどこか満足そうだった。


『さあ、行こう』


 ニコラは恋人をいざなうように優しく語りかけて歩き始める。この日からレイラはニコラの所有物となった。それは、のちにレイラがアリオと出会う海辺でのできごとだった……。

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