Nothing But Requiem（ナッシングバットレクイエム）N.B.R.

第４章 微睡みに落ちる朝

第１０話 レイラの過去01

　レイラの父は王侯貴族お抱えの宮廷音楽家の一人で、母もまた貴族たちの集うサロンで美声を披露する有名な歌手だった。レイラは裕福で華やかな家庭に生まれ落ちた。歌声のあふれる生活の中で当然のように音楽を愛し、才能を開花させてゆく。

　しかし……。

　レイラが１０歳の時、父が貴族たちの権力闘争に巻きこまれて宮廷を追放されることになった。人のよい父は贔屓（ひいき）にしてくれた貴族を庇う発言をして宮廷音楽家の職を失ったのだ。『音楽家ごときが政治に口を出すな』と、見せしめにされたのかもしれない。嫉妬と欺瞞（ぎまん）に満ちた宮廷で父はあまりに純朴でお人よし過ぎた。

　もともと恋愛体質だった母はそんな父をあっさりと捨てた。父と別れ、若い貴族の情婦となる道を選ぶ。母は幼いレイラにこう言った。

『レイラ、例え窮地（きゅうち）に立たされても、才能があればなんとかなるものよ。お父さんが没落するのは音楽の才能がなかったから。結局、あの人は哀れなお人よし。破滅につき合う必要はないわ』

　確かに父は、俊英がそろう宮廷音楽家の中では見劣りしたかもしれない。それでも、母にはそんな父と愛し合った事実があるはずだ。

『愛の結晶がわたしではないの？　お母さんはわたしやお父さんとの日々を簡単に捨てられるの？』

　幼いながらも、レイラは事情を察して怒りに震えた。そして、『一緒においで』と言う母の手を払った。ただ、父を選んだのは母が憎いからだけじゃない。あまりにも父が惨（みじ）めだったからだ。

×　　×　　×

　王都を追われた父は、レイラを連れて大陸の各地を彷徨（さまよ）った。安全とは言えない旅路の中でレイラは自分に音楽以外の才能が備わっていることに気づく。それは、『戦闘の才能』だった。

　初めて気づいたのは、父と共に荒野で野宿した時だった。飢えと寒さに震える父娘は３人の夜盗に襲われた。１０歳の少女は涎（よだれ）をたらして迫りくる大男を見て声を失った。

　その時……。

　レイラの中で潜在的に眠っていた類稀（たぐいまれ）な戦闘能力が極度の恐怖で覚醒した。ビクンと身体の中枢で何かが弾けるような感覚がして、押さえこんでいた感情が力となって外へ迸（ほとばし）る。

　レイラは少女とは思えない腕力でナイフを取り上げると、男の背後に回って思いきり喉を切り裂いた。そして、父を襲っていた男たちにも飛びかかり、怒りに任せて切り刻む。気づけば……レイラは大男３人を一方的に惨殺していた。

　すべては一瞬の出来事だった。その戦闘能力は後（のち）にレイラが魔導武装の使い手になれることを十分に証明していた。

×　　×　　×

　幼かったレイラは近接格闘技や護身術について学んだことがない。ましてや、人を殺すなんて想像すらしなかったことだ。我に返ったレイラは自分の所業を見て悲鳴を上げた。ナイフを捨て、血に染まった手で頭を掻きむしる。すると、父は震えながらもレイラを抱きしめた。

『レイラ、わたしたち父娘を哀れんだ神さまが力を貸してくださった。ありがたい、ありがたい、ありがたい……』

　父からは危機を救ったレイラに対して感謝の一言もない。自力で娘を救えなかった後悔もない。ただ、神への感謝をブツブツと唱えている。殺人を犯し、自分の行為に怯えている娘の心すら気にかけていなかった。

　父には理解できないことを、『全ては神さまのおかげ』で済まそうとするところがある。母に対しても『君の美声は神さまのおかげだね』と悪意なく言っていた。母の日ごろの努力を認め、称賛するなんてことはなかった。それは、無自覚な罪だった。

──だから、お母さんに捨てられるんだよ。

　レイラは両手に鮮血を滴（したた）らせたまま、父をどこか冷めた目で見ていた。そして、『才能が窮地を救う』という母の言葉を思い出していた。