第9話 予兆04

 レイラの家は貧民街から少し離れた小高い丘の上にあった。頑丈そうなログハウスで、リビングからは夜のヴィネア湾が一望できる。静寂を愛するように、海面には柔らかな月光の筋が浮かび上がっていた。ゆらゆら、ゆらゆら。遠くには波間に揺れる小舟も見える。


「素敵な所ね。それに、静かだわ」


 アリオが思わず呟くと、慌ただしくソファーの上を片づけていたレイラが顔を上げた。


「そうかな? 静かなだけで何もない所だよ……」


 レイラもアリオの隣に立って夜の海へと視線を向ける。


「この辺りは治安が悪いから市民も観光客も近寄らない。ヴィネアの音楽祭も関係ないんだ。いつも

「こんな感じ?」

「うん。塩辛い磯の匂いと潮風ばかり……身体が全部びてしまいそうになる」


 レイラはどこか忌々しそうに答えた。しかし、すぐに気を取り直してアリオとセーレへ語りかける。


「変なこと言ってごめん。散らかってるけど、二人とも適当に腰をかけて。今、何か食べる物を用意するから……と言っても、大したものは作れないけど」

「ありがとう、レイラ」


 アリオとセーレはうながされるまま、リビングの中央に置かれた革製のソファーに腰を下ろした。



×  ×  ×



 焼き過ぎたラムレーズン入りのパウンドケーキ。そして、香りのしないハーブティーがテーブルに並んだ。レイラは困り顔でアリオとセーレの顔を覗きこむ。


「ごめん、料理は苦手で……た、食べてみて」

「レイラお姉さまありがとう!! いっただっきまーす♪」

 

 レイラが言い終わるとすぐにセーレがフォークを握る。セーレは添えられた生クリームをいっぱいにつけて頬張った。すると、見る間に顔が明るくなる。


「レイラお姉さま、すっっっごく美味しいです!!」 

「セーレ、落ち着いて食べなさい」


 アリオもセーレをたしなめながらパウンドケーキを口へ運ぶ。しっとりとした触感とラムレーズンの上品な甘みが口の中へ広がった。


「とても美味しいわ」

「本当!?」


 アリオが感想を言うとレイラは身を乗り出して確認する。


「ええ、本当よ。レイラ、ありがとう」

「よかった~」


 よほど自信がなかったのだろう。レイラは胸に手を当ててホッと息をついた。


「アリオとセーレって貴族でしょ? だから、ちゃんと口に合うかどうか不安だったんだ」

「レイラお姉さま、ボクたち主従をもてなしてくれてありがとうございます。旅の疲れも癒されます♪」


 セーレが嬉しそうに微笑むとレイラは不思議そうに首を傾げた。


「ねえ、二人はどこから来たの? 海を渡った大陸から?」

「……」


 レイラが質問すると同時にセーレは困り顔になった。そして、そっと隣のアリオを見上げる。その仕草に意図を感じてレイラは慌てた。


「詮索するつもりじゃなかったんだ。答えづらいなら答えなくても……」

「フェルヘイム帝国よ」


──フェルヘイム帝国……?


 聞いたことのない国名だった。いや、幼いころ読んだ絵本にそんな名前の国が出てきたかもしれない。レイラが戸惑っているとセーレが補足する。


「海を越えて、山脈を踏破して、大陸を横断して……気が遠くなるほど遠方にある国なんです。魔導力学を応用した飛空船でも簡単にたどり着けません。それこそ、世界の果て。レイラお姉さまが知らないのも無理からぬことです……」

「そんな遠くの国から……二人は何をしにヴィネアへ来たの?」

「「……」」


 二人は答えようとしない。アリオはティーカップに視線を落としたままだ。それに、今度はセーレも押し黙っている。


──立ち入ったことを聞いたかな……。


 レイラが質問を後悔したころ、おもむろにアリオが顔を上げた。


「人を探しているの……」

「人を?」

「ええ」

「そっか……」


 短く答えるアリオはこの会話を嫌っている様子だった。レイラは『人探しなら協力するよ』という言葉を飲みこんだ。いらないお節介をしてアリオに嫌われるのを恐れていた。


──どうしてわたしはアリオの感情が気になるのかな……。


 友人らしい友人のいないレイラは自分の感情に戸惑うばかりだった。



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