第9話 予兆03

 アリオ、セーレ、レイラは夜の海辺を歩いた。悪魔としての才能なのか、セーレはすでにレイラと打ち解けている。嬉しそうにレイラと手を繋いでいるかと思えば、思い出したかのようにアリオの方を向いた。


「泊めてくださるなんて、良かったですねアリオお嬢さま!!」

「え、ええ」

「レイラお姉さまがいなければ、危なく野宿するところでした」

「そうね……」


 アリオは少し返答に困った。アリオにしてみれば、野宿なんて何ら驚くようなことではない。戦乙女ワルキューレとして戦場を駆け巡る時には寝るなんて当たり前だった。それも銃弾の飛び交う中で。襲ってくる身の程知らずがいるのなら無慈悲に灰にする。それだけだ。


「ボク、この街のことがあんまりよくわからないから……とても怖かったんです」


 アリオの心情をよそにセーレはレイラを見上げて不安げに眉を寄せ、繋いだ手をギュッと握る。レイラは幼い少年従者の恐怖を取り除くように微笑んでみせた。


「セーレ、安心して。それに……」


 レイラはアリオにも笑顔を向ける。


「アリオも遠慮しなくていいからね!!」

「あ、ありがとうレイラ……」


 アリオは戸惑っていた。


──どうして、わたしは……。


 今まで、アリオは人の好意に甘えることが皆無だった。もっと言えば人の善意が苦手だった。『わたしは何も報いることができない』と知らず知らずのうちに考えて苦しくなってしまうからだ。相手が対価を求めていないとわかっていてもそれは変わらない。


──どうしてわたしはレイラと一緒に居ようとするの?


 アリオもレイラと同様に自分の中で沸き起こる感情が不思議だった。ただ、セーレと親しげに会話するレイラを見ていると思い出すことがある。それは、双子の姉の言葉だった。



『アリオ、友人とは知り合った年月の多寡で決まるものではいわ。気づいたら隣にいる。それが友人というものよ』



 人々に『冷諦れいていアリー』と呼ばれ、絶大な魔力を持った宮廷魔術師。姉のアリアは常々、そう言っていた。それはもしかすると、戦乙女ワルキューレとして孤独になりがちなアリオを心配してのことだったかもしれない。



『今度、アリオもお友達を家に連れてきなさい。一緒にグレーディン産の紅茶を飲みながら読書会をしましょう』



 姉のアリアはいつも優しくそう締めくくった。



──アリアお姉さまがレイラを見たら何て言うのかしら……。



 アリオはレイラの背中を見つめながら、遠い記憶にアリアの面影を探した。



×  ×  ×



 レイラが説明した通り、少し進むと半壊した家屋かおく天幕テントが並ぶ貧民街が見えてきた。周辺の海岸ではいかにもゴロツキといった風貌の男女が焚火を囲っている。


「よお、レイラじゃねぇか!! 音楽祭の間は家に戻らねぇと思ってたぜ!!」


 夜目にもわかるほど日焼けした大男が近づいてくる。大男は肩から二の腕にかけてドラゴンの刺青タトゥーを入れていた。


「やあ、リッキー。元気そうだね」


 レイラは大男をリッキーと呼んでグータッチを交わす。リッキーはすぐにアリオとセーレに気づいた。


「アリャ? 見ねぇ顔だな……」


 リッキーだけではなく、他の男女もゾロゾロと集まってくる。レイラはみんなに向かってアリオとセーレを紹介した。


「リッキー、それにみんな。二人はアリオにセーレ、わたしのお客さんなんだ」

「へぇ~。二人とも別嬪さんじゃねぇか……」


 リッキーたちは物珍しそうにアリオとセーレを取り囲んだ。その中には二人の身体を舐め回すように見つめ、髪に触れようとするヤツまでいる。普通なら恐怖で顔色を変えそうなものだが、アリオとセーレに動じる様子はなく微動だにしない。


──リッキーたちに囲まれても動揺しないなんて……。


 レイラは感心した。従者としての覚悟が定まっているのか、セーレにいたっては口元に笑みすら浮かべている。さっきまでの怖がる姿がまるで嘘のようだ。この状況を楽しんでいるかのようにも見える。


──アリオとセーレっていったい何者なの?


 レイラは疑問に思いながらも、まずはリッキーを見上げた。


「ねぇ、リッキー。二人はわたしのお客さんだって言ってるだろ?」

「う……」


 レイラの目つきが一瞬だけ鋭くなる。リッキーはレイラの雰囲気が険しくなったのを感じてひたいに冷や汗を浮かべた。レイラは言外に「無礼を働いたら許さない」と言っている。レイラの裏の顔を知るリッキーは慌てた。


「わ、わかってるよレイラ。おい、お前ら!! この二人はレイラの客人だ。何もするんじゃねぇぞ!!」

「「「ハイ!!」」」


 リッキーが呼びかけると男女はアリオとセーレから離れてゆく。レイラは少しホッとした様子でため息をついた。


「アリオ、セーレ、ごめんね。もう行こう」


 アリオとセーレが頷いて歩き始めた瞬間だった。リッキーがレイラを呼び止めて耳元へ顔を近づける。


「なあレイラ、ネイトを知らねぇか?」

「え……?」


 レイラが顔を上げるとリッキーは困り顔で続けた。


「昨日から帰ってねぇんだ。オフクロさんに探してくれって頼まれてんだよ」

「……」

「もしかして、ニコラさんの所かと思ってな……」


 リッキーはアリオとセーレの方へチラチラと視線を送りながら小声で告げる。レイラも声をひそめて答えた。


「わかった。『ネオ・カサブラン』に戻ったら探してみる。見つけたら、すぐ帰るように伝えるよ」

「そうか、ありがとよ。頼んだぜ、レイラ」


 リッキーは再びレイラとグータッチを交わして去ってゆく。すると、二人のやり取りを見ていたアリオがそれとなく声をかけた。


「レイラ、大丈夫なの?」

「え!?」

「余計な詮索をするつもりはないのだけれど……だいぶ顔色が悪いわ……」

「そ、そうかな?? 大丈夫だよ。それより、早く行こう。家はすぐそこなんだ!!」


 レイラは気丈に答えて明るく振る舞う。しかし、心の奥底では言い知れない胸騒ぎを感じていた。

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