第9話 予兆02

「わたしはアリオ。アリオ・トーマ・クルス。以後、お見知りおきを」


 アリオはわずかに片足を引き、スカートの端をつまんで一礼した。よどみのない流れるような仕草はやはり気品にあふれている。レイラは少し気圧けおされながら尋ねた。


「よろしくね、アリオ。……で? アリオはここで何をしているの?」

「……人を待っているわ」

「人を? こんな所で?」

「ええ」

「……」


 レイラは首をかしげた。この辺りは貧民街スラムも近く、ヴィネアを知る人間なら近寄らない。アリオのような上流貴族を連想させる人物ならなおさらだ。


──もしかして、アリオは誰かとはぐれちゃったのかな?


 音楽祭でヴィネアを訪れた人が迷子になる。それはよくあることだった。見回してみても、夕暮れの防波堤には二人以外に人の気配がない。


──一人にしておくわけにもいかないか……。


 そう思った瞬間、レイラの口は動いていた。


「じゃあ、待ち合わせの相手が来るまでわたしも一緒にいるよ」

「え?」


 アリオは意外そうに眉を上げて目を丸くする。透き通るような榛色はしばみいろの瞳に見つめられてレイラは少しだけ頬を紅潮させた。


「え、えっと。さっきも言ったけど、ここで夜を迎えるのは危ないから……」

「レイラはとても親切なのですね」


 疑うことを知らないのか、アリオは嬉しそうに微笑む。無邪気な笑顔を見ているとレイラの沈んでいた心も明るくなる。自然と、饒舌になっていた。


「ねえ、アリオはヴィネアに来るのが初めて?」

「ええ、そうよ」

「そっか。ヴィネアは港町だから街の路地が入り組んでいるんだ。それに、今は音楽祭の真っ最中だから街の様子も変わってて……」


 レイラはアリオを迷子になった貴族令嬢だと思いこんで話し続ける。アリオはそんなレイラの話しに黙って耳を傾けていた。やがて……。


「ご、ごめん。わたしばかり話しちゃって……」

「そんなことないわ。レイラのお話を聞いていると楽しいですもの」

「そう言ってくれると嬉しいけど……」


 初対面だというのに無遠慮に話し続ける。レイラはそんな自分を恥ずかしく思った。でも、どうしてだろうか……アリオといるとまるで旧知の友人のように思えてしまう。


──どうしてわたしは……こんなにもアリオに親しみを感じるの?


 レイラは自分の心がわからなくなった。気恥ずかしさを隠すようにアリオから視線を外して海を眺める。太陽はもうすでに水平線の彼方へと沈み、いつの間にか海岸には夜のとばりが下りていた。


「アリオの待ち人っていつ来るのかな?」

「……」


 アリオの待つ人は家族だろうか? それとも恋人だろうか? レイラがそれとなく尋ねるとアリオは微かに笑みをこぼす。


「きっと、もう着いてるわ」

「え?」

「少し悪趣味なところがあって、わたしたちの会話を盗み聞きしているかもしれないわ」

「それって……?」


 レイラは言葉の意味がわからずに首をかしげる。するとその時、背後から突然声がかけられた。



「悪趣味とは酷いじゃないですか。アリオ



 レイラが驚いて振り返るとそこには黒い執事服を着た少年が立っている。月明りに照らされた銀髪を夜風になびかせ、涼しげな目元は真っすぐにこちらへと向けられていた。


──い、いつからそこにいたの!? 気配を感じなかった??


 レイラは思わずゾッとした。少年はまるで暗闇から湧き出たように唐突に現れたのだ。それに、アリオは驚く様子でもなく口元に笑みをたたえている。振り返りすらしない。レイラが戸惑っていると少年は一歩前へ進み出た。


「アリオお嬢様、お待たせして申し訳ございません。ですが、ヴィネアの宿はどこも空きがなくて取れませんでした。ボクの不手際をどうかお許しください」

 

 少年は防波堤に佇むアリオへと向かって許しを請うように告げる。その姿は無垢な少年従者そのものだった。


「いいのよ、セーレ。音楽祭ですもの、仕方がないわ」


 ようやく振り向いたアリオはストンと防波堤から飛び降りる。レイラはアリオの軽快な動作に驚きつつもあとに続いた。すると、二人の顔を交互に見つめながらセーレが話し始める。


「あのね、アリオお嬢様……街中はとてもいて、でした。今日はどうされますか?」

「どうもこうもないわ。このまま夜明けを待つだけよ」

「え!? ちょっと待って!! 二人ともここで野宿でもするつもりなの!?」

「そうなるわね」

 

 平然と答えるアリオを見てレイラは慌てた。いたいけな貴族の主従が無事に朝を迎えられるほど、この辺は安全じゃない。必ず襲われる。


──せっかく忠告してるのに……。


 レイラは深いため息をついた。アリオにとって治安の良し悪しは問題じゃないらしい。


「ねえ、アリオ。もし良かったら……わたしの家に来ない?」


 二人を放っておけないと感じたレイラは思い切って自宅へと誘った。すると、真っ先に答えたのはセーレだった。


「それは本当ですか!? とても困っていたところなんです!! あ、申し遅れました。ボクはセーレ。セーレ・アデュキュリオス・ジュニアと申します!!」


 セーレは嬉しそうに八重歯を覗かせて捲し立てた。そして、アリオへと向かって『いいでしょ、アリオ』という懇願の視線を送る。アリオはセーレの小悪魔的な仕草に眉をひそめつつ、困惑した様子でレイラの方を向いた。


「レイラ、ご好意は嬉しいのですけれど、本当に良いのですか?」

「うん。わたしの家は他に誰も住んでないし……賑やかになるとわたしも嬉しい。よろしくね、セーレ」

「こちらこそ、よろしくお願いします。レイラお姉様♪」


 セーレが人懐っこい無邪気な笑顔をみせると、レイラも微笑み返しながらセーレの柔らかな髪をなでる。今のレイラはギャングとしての警戒心を忘れていた。それほどまでにアリオとセーレは親しみやすく、魅力的だった

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