第8話 輪転03

「ずいぶんと挑戦的な女じゃない」


 ダヴィデは吐き捨てるように言ってソファーに深く寄りかかる。


「ねえ、ニコラ……『世界時計エディン欠片かけら』って何?」

「……これのことだよ」


 ニコラは耳元の『髑髏のピアス』を指さした。ダヴィデは鈍い輝きを放つ緑色の髑髏をマジマジと見つめる。


「それって、ニコラの魔導武装でしょ?」

「そうだよ。ダヴィデも世界時計エディンのおとぎ話くらい、知っているだろ?」

「ええ。神が造った時計で、時針と分針が12時をさすと世界が終末を迎える。確か、天使と悪魔の戦争で破壊されてしまったのよね? ……子供だましの絵空事よ」

「それが、そうでもないんだ」

「??」

「絵本や伝奇じゃ語られないけど、物語には続きがあってね……」


 ニコラはゆっくりと足を組みなおす。


世界時計エディンが壊れた時、12個の部品が世界中に飛び散った。それらは『世界時計エディン欠片かけら』と呼ばれ、持ち主に絶大な力を与えてくれるんだ。事実、僕はケタ外れに強いだろ? でも、これを持つまで魔導武装はおろか、簡単な魔法だって使えなかった」

「じゃあ、ニコラはある日突然、無敵の力を手にしたって言うの? それじゃあ、おとぎ話の主人公じゃない。次は王子さまにでもなってくれるのかしら?」


 ダヴィデは茶化すように言ってウイスキーを口へ運ぶ。どうやら、全く信じていない様子だった。ニコラは苦笑しながら続ける。


「『世界時計エディン欠片かけら』を全て集めると世界時計エディンを復活させることができる。ただ、時計の針が零時をさすと……世界が終末を迎えるのではなくて、『元始の風景アルトラル』が見えるんだ」

「やけに仰々しい名前ね。『元始の風景アルトラル』って?」

「神、天使、悪魔が存在する神話の時代よりも遥かな昔……太古の風景だよ。その景色を見た者は世界のことわりくつがえすことができる」

ことわりがひっくり返るなら、物が下から上に落ちるの? そうなったらギャングは真面目な優等生ね」


 ダヴィデは笑いながら空になったグラスへウイスキーを注ぐ。そして、愉快そうに巨体をソファーへ傾けた。


「ニコラって、まるで空想にひたる少年。誰に聞いたの? 夢想家の古本屋の主人? それとも、酒浸りの吟遊詩人?」

「……」


 ニコラは少し沈黙していたが、やがて静かに口の端を上げる。


「彼に……いや、彼女かな?」


 ニコラはトントンと髑髏のピアスを叩く。口元には笑みをたたえているが、眼鏡の奥の目は笑っていない。


「この髑髏は自分の意思を持っているんだ。自分で持ち主を選び、語りかけてくる」

「魔女の呪いがかかった呪物じゃない……」

「そんな生易なまやさしい代物しろものじゃないよ。言葉を使って会話ができるわけじゃない。時々、たちの悪い白昼夢でも見ている感覚になるんだ。気づくと、いつの間にか色んなことを。知りたくもないことまで……」

「……」


 ニコラを妄信するダヴィデでも、にわかには信じられない話だ。ダヴィデは困り顔で身を乗り出す。


「とにかく、ニコラが最強ってことには変わりがないでしょ?」

「最強? 僕が?」


 ニコラはさも面白そうに笑う。そして、ダヴィデを教え諭すように続けた。


「あの女は僕のことを『雷雨の夜の来訪者』って言ってただろ? 雷は天使や悪魔の軍勢が鳴らす陣太鼓や進軍ラッパ、雨は戦場に降りそそぐ血……つまり、僕は光のささない戦場へ向かうってことなのさ。戦ったらどちらが生き残るかわからない。最強なんて言葉は軽薄なだけだよ」


 ニコラの声はどこまでも陰気で、事態の深刻さを物語っている。ダヴィデの背中を嫌な汗が伝った。


──それほどまでに、あの女が脅威だと言うの?


 ダヴィデはアリオの実力を認めることができなかった。それに、『ニコラの脅威はわたしが取り除く』という自負心もある。嫌な気配を振り払うようにウイスキーを一気に煽り、勢いよく立ち上がった。


「ニコラ、見ててちょうだい!! ターニャの次はあの女を血祭りにあげてみせるわ!! 戦争の景気づけよ!!」


 ダヴィデは勢いそのままに部屋を出ていく。後ろ姿を見送るニコラの目は生気を感じさせないほどくらかった。



×  ×  ×



「この女を見つけたヤツには賞金を弾むわ!! 死体袋へ叩きこんだら『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』の幹部よ!!」


 VIPルームを出たダヴィデはアリオの顔写真を印刷させて部下たちへ配った。部下たちは目の前にぶら下げられた人参に目の色を変える。クラッチ兄弟が殺されたことなんて、もはや誰も気にしていない。


「あ、あの。ダヴィデさん……」


 部下たちの中から金髪の少年が進み出る。少年はレイラの弟分であるネイトだった。


「本当にコイツを殺したら幹部になれるんですか?」


 ネイトは自分の倍はあろうかというダヴィデを見上げる。ダヴィデは見慣れない顔に少し驚いた様子だった。


「アンタ、見ない顔ね。名前は?」

「俺、ネイトって言います!! 貧民街から来ました!! ニコラさんに憧れて……今日から『ネオ・カサブラン』に出入りさせてもらってます!! いずれは『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』に入りたいんです!!」


 ネイトが威勢よく答えるとダヴィデは嬉しそうに目を細めた。


「この女をバラしたら、『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』に入れるどころか、すぐに幹部よ」


 ダヴィデはゴツゴツとした手でネイトの頭をなでながら部下たちを見回す。


「アンタら、新顔に手柄を取られるんじゃないわよ!! 張り切りなさい!!」

「「「オオー!!」」」


 部下たちはアリオの顔写真を片手に次々と『ネオ・カサブラン』を出ていく。その中には意気揚々と駆けてゆくネイトの姿もある。


 『ネイトをギャングにしたくない』というレイラの願いもむなしく、ネイトは殺伐としたギャングの世界へと足を踏み入れていた。

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