第6話 戦場を知る者04

「このクサレビッチが!!」


 ピケは渾身の力をこめてカミソリを振り下ろした。


 バサッッッ!!


 日傘とドレスが同時に切り裂かれ、アリオはその場に倒れた。すかさず、ピケはアリオへ馬乗りになる。そして、アリオのはだけた胸元から覗く白い柔肌やわはだを見てゴクリと喉を鳴らした。


「こぉ~れぇ~かぁ~らぁ~。テメェの身体に何本も、何本も、赤い筋がスゥーって入るんだ。ゲ、げ、芸術作品にしてやるからなぁ~アッアッアッ」

 

 ピケはウットリとして白目になり、口の端からよだれを垂らした。


 しかし……。


 兄であるピトーはまったく別の光景を見ていた。


 それは……。


 アリオへ躍りかかったピケはそのまま着地し、あろうことかトレンチコートを脱ぎ捨てて、着ているシャツを切り裂いたのだ。そして、何事かを喚きながら自分の胸にカミソリを当てている。一方のアリオと言えば、そのまま一歩も動いていない。ピトーは異常な事態を目の当たりにして叫んだ。


「ピ、ピケッ!? どうしたんだ!!」

「あれはねぇ~幻視の術だよ。アリオの得意技なんだ♪」


 突然、ピトーの頭上から声がする。驚いて見上げると、壊れかけた看板の上にセーレが腰かけていた。セーレは足をパタパタと動かしながら一方的に語りかけてくる。


「アリオの目を見た瞬間から、アイツは幻覚の中にいるの。思いこみの激しい人間ほどかかりやすいんだ♪」

「お、お前、いつからそこに……」

「え? ボク? ボクならずっとここにいたケド……それより、ホラ、早くアイツを止めないと、解体ショーが始まっちゃうよん♪」


 セーレは八重歯を輝かせて無邪気に笑う。その笑顔を見たピトーは背筋にゾッと悪寒おかんが走った。


──こ、こいつらはただモンじゃねぇ。触れちゃいけねぇ部類の人間だ……。

 

 ピトーは慌ててピケの方を向く。しかし、すでに時は遅かった。



「泣き喚け!! 悲鳴を聞かせろ!!」



 かけ声と共に、ピケは自分の胸部に当てたカミソリを思いきり腹部まで引き下ろした。赤い線ができたかと思うと、次の瞬間にはドバッと大量の血があふれ出る。ピケは恍惚とした表情のまま腹部に左手を突っこみ、はらわたを引きずり出した。



「ホラホラ、ごぼこのばらばだではらわたで……?」



 もはや、言葉も聞き取れない。腹部だけでなく、鼻や口からも血が噴き出ている。血まみれになったピケは握りしめた自らの腸を不思議そうに見つめた。



「ア゛レ゛? コレ、おれのびゃおれのだ……イデェェェ!!!!」



 アリオが幻視の術を解いたのだろう。ピケは絶叫しながら地面に膝をつくと、ガクンと力なく項垂うなだれて絶命した。

 

「ピ、ピケ……」


 凄惨な光景を前にしてピトーは動けなかった。すると、ピケの死体に向かってアリオが右手をかざす。とたんに、ピケの死体は紅蓮の炎に包まれた。炎はまたたく間に死体をずみへと変える。


「音楽祭を血で汚すのは気が引けるわ……」


 淡々とした声が聞こえると、ピトーはひたいに玉の汗を浮かべた。最愛の弟が目の前で死んだのにも関わらず、今ピケを支配しているのは圧倒的な恐怖だった。このままだと、「次は自分の番」という覆すことのできない未来がやってくる。


──に、逃げ……あれ?


 逃げ出そうとしたピトーは足に力が入らないことに気づいた。足だけではない。身体中がすくんでしまって動けない。


「まるで、蛇に睨まれたカエルだね♪」


 再び頭上からセーレの声がする。セーレは焦るピトーを見下ろしながら、さも嬉しそうに続けた。


「暴力を生業なりわいとしているなら、わかるでしょ? 君が相手にしているのは、暴力の最高峰、を知る者なんだ。しかも、アリオは戦局を左右するほどの力を持った戦乙女ワルキューレ。逃げられるわけが無いよ♪」


 セーレが語り終えた時、ピトーの目の前で死を運ぶ足音が止まった。

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