第5話 影03

 いつだって裏社会の人間はお金と快楽、そして甘美な言葉で少年たちを誘惑する。だが、それは自分たちにとって都合の良い人間を獲得、育成するためだ。そのことを痛いほど知っているレイラは、ネイトたちの目の輝きに危険を感じた。


 レイラはネイトたちに『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』へ入って欲しくない。もっと言えば、ニコラとも接点を持って欲しくなかった。ネイトたちにはまっとうな人生を歩んで欲しいと切実に願っていた。そうでなければ、なぜ自分が『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』へ入ったのかわからなくなる。


「さっさと消えて。目障りなの」


 レイラはネイトたちを強く拒絶することで彼らをこの場から遠ざけようとした。


「なんだよ、ソレ……」


 ネイトは両手をギュッと握りしめてレイラを睨んだ。ずっと慕ってきたレイラに裏切られたようで心の奥底から怒りが湧いてくる。自然と乱暴な言葉づかいになった。


「クソが。レイラ、もうの世話にはならねぇよ。おいみんな、行こうぜ!!」


 吐き捨てるように言うと、ネイトはニコラに黙礼し、みんなを引きつれて裏路地から去っていった。13歳の子供だけは名残惜しそうに何度も振り返っていたが、やがてみんなを追いかけて夜の闇に消えてゆく。


──みんな……。


 どれだけ「待って!!」と叫びたかったか……レイラはそのたびに下唇を噛んで言葉を飲みこんだ。



×  ×  ×



「君は優しいね……」


 辺りが静かになるとニコラがレイラに並び立った。ニコラはレイラの足元に転がる花束へ視線を落とす。


「優しいけれど、不器用だ。他にもやり方があっただろうに……」

「な、なんのこと?」


 ニコラはレイラの真意に気づいているのだろうか? レイラは動揺を押し殺してニコラを見た。ニコラは相変わらず口元に笑みをたたえている。ただ、踏みつけられた花束を見る目はどこか寂しそうだった。 


「レイラ、真意が必ず伝わるとは限らない。ましてや、彼らは『なぜ自分たちの街が突然平和になったのか?』なんて考えもしない。漠然と『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインが守ってくれている』と結論付けるだけだ。本当は……の上に成り立っている平和なのにね……」


 まるで他人事のように呟くとニコラは眼鏡をかけ直してレイラの方を向く。視線が合うとレイラは思わず俯いた。ニコラに見つめられると心の中を見透かされるようで怖くなる。緊張しているといつも通り温和な声が聞こえてきた。


「僕の正体を彼らに明かしたこと、別に咎めはしない」

「あ、ありがとうございます、ドン・ニコラ」

「……」


 ニコラは畏まるレイラの髪にそっと手を伸ばした。そして、感触を確かめるように指先をサラサラとした前髪に絡ませる。レイラは思わず身体をビクッと強張こわばらせた。すると、その反応を見てニコラが面白そうにクスクスと笑う。


「僕は君にとって最大の理解者であり、支援者だ。君の望まない形であっても、それは変わらない」

「はい……」


 ニコラの冷たく筋張った手がレイラの頬から顎へと移る。レイラはされるがまま、ゆっくりと顔を上げた。すると、ニコラがおもむろに唇を重ねてくる。ニコラの体温を感じて、レイラは瞼を閉じた。


──ああ、きっとこの人も不器用なんだ……。


 レイラはニコラから僅かに残された人間味を感じて複雑な心情になった。しかし、それも一瞬のことで、唇が離れるとすぐにニコラが囁きかけてくる。


「もうすぐ……」

「え?」

「もうすぐヴィネアの全てが手に入る。そうなったら、次は王都だ。王都に『ネオ・カサブラン』をかまえて、君を音楽界どころか、社交界の寵児にする」

「……」


 ニコラの目は見たこともないほど輝いていた。嬉々とした表情は「君も嬉しいだろ?」と言っている。レイラは戸惑った。きっと、「だから……」と続くのだ。彼の言動は常に交換条件となっている。案の定……。


「だから、今度の戦争……君も家族ファミリーのために協力してくれ」

「……はい」


 『家族ファミリー』とは都合の良い言葉だ。解釈する人間によって、いくらでも意味が変わる。


 レイラは知っている……。


 ニコラはレイラやダヴィデ……『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』を家族ファミリーだとは思っていない。ニコラにとって家族ファミリーとは、『欲しいものを手に入れるための道具』のことだ。


──そうと知ってて付き合うわたしも大概か……。


「そろそろ戻ろう。ヴィネアの夜風は喉に毒だ」


 複雑な心情のレイラをよそにニコラは優しく微笑んで裏口へと向かう。ニコラが去るとレイラは空を仰いだ。巨大な建造物や猥雑な看板に囲まれた狭い夜空は、見ているだけで息が詰まりそうになる。


──どんなに足掻あがいたって、この空の下がわたしの居場所。でも、それは自分で選んだ道……挫けるな。戦え、歌え、そして笑え!!


 星のない四角い夜空を見上げながらレイラは無理に笑顔を作る。そうでもしないと、心が深い闇に飲まれ、全てを諦めてしまいそうだった。

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