第5話 影02

「バカな野良犬だって!?」

「ああ。誰彼かまわず噛みついて恐れを知らない。バカな野良犬じゃなきゃ、何だ?」

「こ、この……!!」


 ネイトはニコラを見て歯ぎしりした。レイラの前で恥をかかされて、黙っているわけにはいかない。野蛮な矜持プライドがネイトを暴力へと駆り立てる。


 ガッ!!


 ネイトのこぶしがニコラの顔面をとらえ、眼鏡が吹き飛んだ。とたんに、レイラが血相を変えて止めに入る。


「ちょっと、ネイト!! やめて!!」


 レイラは全身から血の気が引いていくのを感じた。ネイトは誰に手を出したのかわかっていない。このままだとネイトが無事に朝陽を見ることはないだろう。下手をすれば殺されてしまう。


 先に手を出したネイトが悪いとわかってはいても、レイラにとっては大事な弟分だ。レイラは必死になってネイトを守ろうとした。


「ネイト、この方がドン・ニコラなの!!」


 仕方なくレイラはニコラの正体を告げた。それは、『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』の幹部としてあり得ないことだった。他組織から守るためにも、ニコラの素性は秘密にされている。レイラはその絶対的な約束事を破ったのだ。ニコラは少し驚いた様子だが、それよりも驚いたのはネイトだった。


「え!? あ、あなたがニコラですか!!??」


 ネイトは自分がしでかした過ちの大きさに気づき、ひたいに大量の汗を浮かべる。仲間の少年たちも狼狽ろうばいして顔を見合わせた。


 貧民街の少年たちにとって、『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』は恐怖と憧れの対象だった。それは、彼らが強盗や強姦の蔓延はびこる貧民街に圧倒的な暴力で秩序をもたらしてくれたからだ。事実、ネイトたちの英雄であるレイラも『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』の一員となっている。


「拾ってくれるかな?」


 ニコラは静かに乱れた胸元を直す。その何事もなかったような態度に、ネイトは得体えたいの知れない恐怖を感じた。まるで、『お前など、いつでも、どうにでもできる』と言われているかのようだ。ネイトは慌てて地面に落ちた眼鏡を拾い、震える手でニコラへ差し出した。


「も、申し訳ありませんでした!! ニ、ニコラさんとは知らなくて……お、俺、とんでもないことを……」

「そんなに怯えないで。君たちはレイラの家族ファミリーなんだろ? だったら、僕にとっても大切な家族ファミリーだ。もう、許してるよ……」


 ニコラは怒るどころか、内ポケットからマネークリップに挟まった札束を取り出した。ネイトたちは見たこともない金額に思わず息を飲む。


「ほら、これで音楽祭を楽しんで。無くなったら、また『ネオ・カサブラン』に来るといいよ。これを見せれば、ダヴィデが好きなだけお金を用意してくれる」


 よく見ると銀色のマネークリップには『ニコラ・サリンジャー』と名前が彫りこまれてある。それを持つネイトは『ドン・ニコラの知り合い』ということになり、そこら辺のチンピラやギャングなら、もうネイトに頭が上がらないだろう。


「い、いいんですか!?」

「言っただろ、レイラの家族ファミリーは僕の家族ファミリー。何も遠慮する必要はないよ」

「ニ、ニコラさん……」


 ネイトは大金の挟まったマネークリップを見つめていたが、やがて意を決した表情になり、ニコラへ返した。


「俺たち……お金よりも『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』に入りたいんです!! どうか、俺たちを『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』に入れてください!! お願いします!!」

「「「お、お願いします!!」」」


 他の少年たちも、13歳の子供までもが頭を下げた。そんな少年たちを見て、ニコラは目を糸のように細める。


「そうか。君たちは若くして大志を抱き、野望に燃えているんだね。素晴らしい……君たち、家族ファミリーのために血を流す覚悟はあるかな?」

「もちろんです!! 俺たち、何でもします!!」


 ネイトが頬を紅潮させて答えるとニコラの口の端が上がった。


「それじゃあ、ダヴィデを訪ねてみるといいよ。ちょうど今、新しい仕事のために人員を探して……」

「ちょっと、冗談でしょ!?」


 突然、レイラがニコラとネイトの間に割って入った。そして、人を見下すような冷笑をネイトたち全員に向ける。


「こんなお金も持ってない、薄汚い子供ガキが『狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタイン』に入る? ありえないわ!!」

「「「レ、レイラ?」」」


 ネイトたちはレイラの変わりように驚いて言葉を失った。そこに彼らの知っている優しいレイラはいない。困惑する少年たちに向かってレイラは畳みかけた。

 

「正直、ずっと迷惑に思ってたのよね。知り合いっていうだけで楽屋に来るし、こんな花まで用意して……貧乏人が恩着せがましいのよ」


 レイラはネイトたちからもらった花束を足元に捨てて踏みつける。グシャッという音がして赤い花びらが散った。

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