5‐12 不安の夜

肌寒く、凍えるような森のなかでいくつかの焚き火が夜の闇を照らしている。

テントの数に比例するように燃える篝火は、彼等を数回に渡って恐怖のどん底に陥れた悪魔の襲来を防ぐためのものであったが、それに如何ほどの効果があるかはわからない。

あの、人知を越えた怪物が火を恐れるという根拠は無い。要は気休めにもならないまじないのようなものだ。

そして、集落のように密集しているテントの数々。しかし規模に比べ、静かすぎるような気がしないでもない。

その橙色の光を受けて、朧気に揺らめく大きめのテントの中では十数人のハンターたちが不安と恐怖で体を震わせていたのだから。

それもそのはず、周辺の村は10メートルを越える超巨大型変異種・ジャイアントグリズリーの襲撃を受け壊滅。

生存者も殆ど発見できないほど悲惨な現場でもあった故に、ある意味で彼等が怖気付き抗うことさえ困難な野生の災害に萎縮するのも仕方がないのだ。


「みんな疲れているかもしれないが、次の対策を立てよう

あいつをどうにかできるのはあたし達だけなんだ! このままだと被害が拡大してしまう。他の村の人たちの安全を一刻も早く…」


反発の声が上げたのはカルス・ハワード。Cクラスにカテゴライズされている少し太り気味の中年男だった。

彼とその取り巻きの男達は、レイノアに殺意に似た眼差しを送っていた。ハンター達は彼等のような荒くれ者が少なくなく、こうして集団的な行動を嫌うものも同じであった。極寒の地に送られて無謀な責務を押し付けられた反発の理由もわからないわけではない。

だが、自分も同調してしまうわけには行かないのだ。今の彼女は一人のハンターではなく、討伐隊を率いるリーダーなのだから…


「いい加減にしろよ!! なんで見ず知らずの連中を俺たちが無理に助けないといけないんだ?

それに、お前みたいなたかが女が仕切っているのも気に食わねぇ!」


「あたしの事はどういわれたって構わない。だけど困っている人たちを悪く言うのは止めてくれないか?」


レイノアも伊達にむさ苦しい男に揉まれてAクラスにまで上り詰めた実力者であった。しかし彼女の得意とする爆発を用いたトラップは雪崩の心配があるこの地域では多様出来なかった。


「うるせぇ! それによ、さんざん鼻息を荒くして息巻いていたあいつらは死んだのを見てきただろ?

生存者は半分以下…救援は望めず…こんな状態でまだ人助けしようってのか?」


「あたしのやり方に不満があるならあんたが仕切ればいい

だからって、困っている人達やヤツを放ってはおけないだろ」


そうは言っているが、レイノアも本気で彼に識見を譲る気は無かった。


「ハッ、俺はリーダーなんざ興味はねぇ。貧乏クジを引かされようなんざゴメンだね!!

クソ真面目に仕事の義理を通そうってか? こんな状況でご立派だねぇあんたも…

成る程なァ…曲がりなりにも女だてらにこんな仕事についていないって訳だ

だがなぁ、この死に体であんな化け物に挑もうなんざ無謀以外の何でもねぇぜ!」


「そうだ、カルスの言う通りだ!」


「俺たちはもうゴメンだぜぇ!」


次々と上がる反発の声。他のハンター達ももう限界だったのだ。

こんな僻地に追いやられ、あの怪物に仲間を殺され、そして今もその悪魔のような生き物の襲撃に神経を磨り減らしている…

如何に、この激変した地球環境の中で様々な形態に進化してきた異形の変異種達を狩ってきた彼等ハンター出会っても、あのジャイアントグリズリーの存在は別格であった。


(いったい、どうすればいいんだい! ちくしょう…)


レイノアはこの最悪な状況に頭を抱えていた。

場の雰囲気は険悪な空気が広まり、生き残ったハンター達も苛立ちに神経を高ぶらせている。

下手をすると、あの巨大なグリズリーに立ち向かうどころかハンター達自信が意見の対立により同士討ちしてしまいかねないのだ。


「みんなが行かないって言うんなら俺が行くよ」


「ディーク…あんた」


しかし、そんな絶望的な状況で名乗りをあげた一人の男がいた。

頭に巻いたハチマキがトレードマークの青年ディーク・シルヴァである。


「ふん、ガキが格好付けやがって…お前一人で何ができるって言うんだ? Cクラスの分際でよぉ!」


先程レイノアに反発の声を上げたカルスが苛立ちも隠さぬまま毒づいた。


「そんなこと、やってみなければわからないだろ」


「自殺したいんならとっととやれ、なんなら手伝ってやってもいいぜ

ただし、俺達を危険な目に巻き込むな。あのニックスとかいう奴みたいに妄想を押し付けるのは大概にしろ!」


「カルス…いくらあんたでも仲間にそれが仲間に言うこと?」


「いいんだ姐さん。俺はあんた達に協力して貰おうなんて思っていない

俺はただ、命を救ってもらったニックスさんの意思を貫きたいんだ」


「ガキがっ、何を粋がってんだか…」


カルスはやに臭い痰の混じった唾をディークの足元に吐きつけた。それにディークは何も言わず意思のこもった目で彼を見る。


「あんた達にどう思われようと構わない。ただ、犠牲になった仲間の仇は討っておきたいんだ」


「うるせぇガキだな、死にたいなら勝手に死ねよ!

俺達ハンターはカネのために此処に来たんだ。命を捨てるためじゃあない」


ディークを取り囲み、威圧するような眼光をハンター達は向ける。

しかし、彼はその一触即発の空気にも臆することはなく一歩も引かぬ決意を示すかのように踏みとどまった。

毅然とした態度を示したことで、逆に臆されたのはカルス達だ。自分より年下の青年の迫力に彼らは圧倒されていた。


「俺には命や金より大切なものがあるんだ。あんた達がどうしようと勝手にだけど、場の空気を乱すことだけは止めてくれ」


カルスは口を震わせるばかりで何も言い返すことが出来なかった。

ディークの言っていることは正論であり、付け入る隙もなく真っ当なものだったのだ。

だからと言って引き下がるわけにはいかない。カルスの反発心に特に必然的な理由はなく、若造に言いくるめらられたという屈辱を認めたくないがためのちっぽけな意地だった。


「お前さぁ、あのレイノアとか言う女とデキているんだろ?

それはそうだろうなぁ…好きな女の前ではいいところ見せたいよなぁ?

ニックスとか言う髭のおっさんや、他の連中を無駄死にさせた無能女を庇いたいんだろ?

男として恥ずかしがることはないぜ、認めやがれよ。女の前でいいカッコしたいから俺達には死んでくれってさ!」


カルスの苦し紛れの挑発。しかしそれはディークにとって許しがたい侮辱の言葉であり、いかが怒りのあまり彼は拳を震わせた。


「カルス…レイノア姐さんを侮辱するな!」


「なんだ。図星かよ…こいつは面白くなってきたぜ!」


ニヤニヤ笑いを浮かべながらカルスはディークを煽っていく。

自分が優位に立った事を意識すると、この状況は愉快でたまらなかった。

この状況で仲間同士のいさかいは御法度なのではあるが、カルスからすればイライラしていた所に思いがけないカモがやって来たので好都合だったのだ。


「お前の言ったことを訂正して謝ってくれ」


そしてディークはレイノアへの面前の侮辱が許せなかった。

自分の事は何を言われても構わないが、身内や世話になった人間に対しての罵倒は彼にとって耐え難い苦痛でもあるのだ。


「イヤだといったらどうするんだ?」


「さっきの言葉を後悔させてやる」


「ケッ、偽善ツラがようやく剥がれたって訳か…いいよ、来い。

俺もちょうどムシャクシャしていたところなんだぜ。やってやろうじゃねぇか!!」


思ったよりも早くディークが挑発に乗ったのは意外だったが、この展開はカルスには好都合である。

ズボンのポケットから素早くナイフを取り出して構える。

チィン、という軽い金属音と共にグリップの内側に畳まれていた刃が飛び出して部屋の明かりを反射し白く光る。


「二人とも止めな!ディーク、あたしの事は気にしなくていいんだ」


「姐さん…」


「なんだ、結局てめぇらデキてんじゃねぇか! レイノアみてぇな脳筋女も旦那を死なせた癖に人並みに色気付いてんだな、ククッ」


「お前…いい加減にしろよ」


ディークは再度カルスの挑発に乗ってしまい、一触即発の空気がテントの中を覆った。

他のハンター達も遠巻きにして状況を見守っているだけだ。レイノアは堪らなくなって両者の間に無理矢理割って入ろうとしたが…


「瞑想の邪魔だ。止めろ」


「あんたは…」


その前に意外な人物が仲裁に入った。その男の顔を見てレイノアは目を丸くする。


「てめぇ、ナヴァルト…なんで此処に居る!?」


「貴様の都合など知らぬ」


驚愕するカルスの言葉を美貌の黒髪の剣士。ナヴァルトが切って捨てた。


「………」


沸き立っていた一連の騒動が、彼の登場で水を打ったように静まり返る。

それもそうだろう、一見物静かに見えるこの男がこういった荒事に口出ししてくること事態が異常であり、『百人斬り』異名を持つナヴァルト・ヨシュアーがここまで干渉してくるなど想像がつかなかったのだから。


「て、てめぇは関係ないだろ! すっこんでろよ!!」


カルスは大声を張り上げてナヴァルトを牽制するが、声はやや裏返り語尾は震えている。

そんな、虚勢混じりの鍍金を張り付けた威圧程度で、女かと見間違うような美貌の剣士が揺らぐことはあり得ない。


「ここ数日、何も斬れず少々虫の居所が悪い。

そろそろ血を吸わせないと剣の切れ味が鈍くなる。お前で試して構わないか?」


鋭く、まるで刃のように整った切れ目の眦がカルスを見据える。

その眼光に囚われた彼はそれまでの虚勢を脱ぎ捨ててあっさり敗北を認めた。


「わ、わかった…」


「小僧、お前はどうする」


戦わずしてカルスを参らせた視線がそっくりそのままディークにも向けられる。

しかし、彼は動揺することは殆ど無かった。ナヴァルト程でないにせよここ数ヵ月で様々な騒動に巻き込まれ、並みのハンターより肝は座っている。


「…俺はもう、カルスともあんたともやる気はないよ」


「……つまらんな」


そして、ナヴァルトは次はレイノアに顔を向けていった。


「再度あれに挑むなら合わせてやってもいい。どうやら、お前たちと動く方が奴に遭遇する確率が高いようだからな」


ナヴァルトは背を向けて立ち去って行く。焚火に照らされた長い髪がさらりと揺れ、靡くのが見えた。ディークはその後ろ姿に怜の影を重ねていた。



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