5‐13 カルスの罠

翌朝、昨日の広場にあったテントの集落は撤去されこの場にはなかった。

ジャイアントグリズリーを迎え撃つ罠を張るために別の場所に移動したのだ。


「エクステンダーの準備は終わったのかい?」


「それが…今現在進めておりますが、まだ寒冷地用の換装が終わっておらず…」


レイノアは呆れた。機体の準備など現地入り前の列車の中でやっておくべきだろうと。

あのバニッシュですら早々に機体の調整に取り組んで、シベリアの奥地に到着する前に完了させていたのだ。

尤も、技術屋の名門たるカルジェント家の御曹司が油を売っているようでは全く話にならない以前の問題なのだが、


「あんた達それでもハンターかい? あの坊やの事を馬鹿にできないよ。今まで何をやっていたのか…」


「実は…前の指揮官が、ガルガロンがあるから余計なことをする必要がないと…」


申し訳なさそうにいう整備士。彼はただアイエンの指示に従っていただけかも知れない。

しかし、そんな覚悟でここにこられても困るのだ。こちらは命を彼らに預けるしかなく、今回の作戦に二体のエクステンダーは不可欠なのだから。


「現場をほっぽり出して逃げた奴の言うことなんて聞く必要はなかったんだよ。状況に応じて対応ができないんじゃプロ失格じゃないか」


「ええ、わかっています。だから今出来る最善を尽くして次こそはお役に立とうと思っています」


整備士の言葉には熱意が込められていた。今度こそ雪辱を果たしてみせると…

その思いはレイノアにも伝わり、彼女は必要以上に彼等を責めた事を恥じ、頭を下げる。


(少し妙だとは思っていたが、そんな事情があったとはねぇ…

まぁ、あの坊やがあいつを仕留めていればそれで良かったのかもしれないけど)


何処か政治的な力が裏で動いている、とレイノアは感じた。


あるいは、この騒動自体が何者かによって仕組まれたものだとしたら…?


「…すまないね、少しカリカリしていたようだ。謝るよ」


「美人の貴女にそこまで言われると、私達も奮起するしか無いでしょうね」


やや中年に差し掛かった整備士は厳つい顔を少し綻ばせて笑う。

レイノアもそれに満足気に頷くが、その横顔には疲労の色が少なからずとも浮き出ていた。

事実、彼女はここ三日間殆ど食事をとっていないのだ。気持ちから余裕がなくなっていた。

今考えた事も杞憂だろう。バニッシュがアイエンに頼んだに違いない。


「姐さん、食事を持ってきたぜ」


「ディーク…」


「ここのところずっと働きっぱなしだろ。このままじゃぶっ倒れるぜ

昨日の内に襲撃されなくてよかったな、姐さん」


「ああ、人間だったら戦力、体力的に疲弊している昨日の夜を狙うだろうからね

凶暴で強大だけど、野生の猛獣ってのは気紛れなもんさ

お陰でこうしてお客さんを迎え入れるための準備ができるんだからね」


傍らのディークに向かって強気に笑うレイノア。

しかし、彼女が無理していることをディークは知っていた。


「だが、今度は大丈夫なのか? ハワード達のように反発を持ち始めている連中も多い

俺にも、気持ちは解るんだ。だからこそあいつらを非難することはできない」


「ああ、みんなが纏まれるのは今回が限界だろうね…あたしがもっと上手く纏め上げられていれば…」


レイノアは自嘲するように唇を歪めた。やや癖が強いが整った美貌にも陰りが見られディークは少し心配になった。


「だから、今度は命を懸けるつもりでやるよ。」


昔から見た力強く不適な笑み。それは昔からディークを安心させてきた彼女の顔である。

だが、今の彼はそれに不安を感じてしまった。ノエルの親友であり彼がハンターになるに当たって色々と助けてくれたレイノアに不吉を感じてしまう。


「ああ、わかったけどあまり無茶はしないでくれ

あんたに何かあるとノエル姉さんが悲しむ。二人とも俺の大事な恩人だからな」


「そのノエルの事なんだけど、あいつはあんたが…」


「ノエル姉さんがどうかしたのか?」


「いや…何でもないよ。ささ、ディークも早く手伝いに行ってきな」


「わかった。生きて一緒に帰ろうぜ」


「…そうだね」


レイノアは笑って見せたが、どこか不安になる表情だとディークは感じた。






夜になっても一部の人間によって作業は続いていた。なにしろ命が掛かっている。

ハンター達は決して一枚岩の集団ではなく、利害で動く者が多いのだがレイノアの知己や先程の一件によって彼女たちに反発しようとする動きも少なくなり、

仮初で脆弱ながらも彼等の間にはようやく連帯感というものが生まれ始めていたのだった。

しかし、残念な事にすべての人間がそのように物分りが言い訳ではなく…それどころか彼等に憎悪を抱く者も居たのは確かであった。


(くそう…あの連中。俺をコケにしやがって……)


カルス・ハワードは恥辱と憎しみに震えた顔である場所に向かっていた。

そこはホバーバイクやジープが安置されている、仮の駐車場であった。

その内の一体…特徴的な流線型のカウルを持つディークのホバーバイクにカルスは手を伸ばす。


(そんなにあの化け物とやり合いたいんなら、俺様が手を貸してやるぜ…ククク)


邪悪な笑みを浮かべるカルス。彼はホバーバイクの電気系統を接続して使い物にならなくなるようにしようと考えていた。

それにディークだけではない。他の連中の乗り物にも同じ事をするつもりだったのだ。


(クク…逃げられなくなれば、お前等の大好きな仇討ちや人助けとやらも好きなだけ出来るだろう?)


討伐隊の多くを死に追いやった黒い怪物・ジャイアントグリズリー…

最初のカルスは奴の事を普通の変異種より大きいだけのケダモノだと思い込んでいた。此処にきたのも高い報酬に釣られてのことだ。

彼自身、ずっと後方で引き篭もっているつもりだったのに、規格外の化け物と遣り合って死ぬのは御免であった。

自らの命という名のチップをかけて博打をし続けるのは馬鹿のやる事だ。本当に賢いのはおこぼれに預かって利益の上前を頂戴する事。

それがカルス・ハワードという男の人生哲学でもあったのだ。今やっている討伐隊の背信行為もその一環であるだけのこと。

過酷なアウターでは責められるものは誰もいないであろう。むしろディークやレイノアの方が異端と言えば異端であるとも呼べる。

そもそも家族や恋人でもないたかが他人の為に命を張る人間は少ないのが現実だ。

つまりはレイノアやディークその他大勢のお人よし共には、死ぬまでこの極寒の地で留まって貰い自分は一足早くに離脱するのだ。


口裏合わせの筋書きはすでに用意してある。ある村を助ける為に仲間達数人と救援に向かったが、あのジャイアント・グリズリーの襲撃にあって仲間とも本体とも離れ離れになってしまい、仕方なく離脱してきたのだと。

同じようにキャンプから抜け出したハンター達も結構な数で存在している。今留まってレイノアに従っているのは、周囲に流され決断力の無い臆病者か、命知らずの馬鹿くらいなものであろう。そんな連中と相乗りする気はカルスにはさらさら無いのだ。


「…そこで何をしている?」


「!?」


冷気さえ伴うような無感情な声にカルスはびくりと身体を震わせていた。

そくりと背筋にナイフの切っ先を押し当てられたような気がする。彼とその男とは数メートル以上距離が開いているというのに…

そう、その声には聞き覚えがあった。抜き身の刃のように鋭さを宿した雰囲気は彼の持つ得物にも良く似ていて――――


「ナ、ナヴァルト……」


背後に立つ長身の美丈夫。女かと見惚れるほどの艶やかで長い黒髪…

そしてぞっとするような灰色の眼差しが、シベリアの寒さと相俟ってカルスの心臓を凍りつかせていた。


「お、お、お前が…ど、どうしてこんな場所に?」


「貴様みたいな卑屈な奴が次にどんな行動を取るのか、すぐに判るからな…

大方、事故を見込んで連中の足に細工でもしようと考えていたのだろう?」


「み、見逃してくれ…頼む!」


カルスはみっともなく雪の上で土下座した。今回の行為がレイノア達の耳に入れば彼は終わりだ。

それどころか今後は同業者に仲間を売った目の仇にされ、命さえ危うくなるかもしれない。


「…ひっ」


「俺はあいつらが死のうが生きようがどうでもいい。だが…夜の散歩中に目障りな鼠にうろつかれて少々気が立っている」


「あ、ああ…」


カルスは自分の下着が妙に暖かい事に気づいた。それは人として屈辱的なものである。

そして自分は今此処で死ぬのだとほとんど確信してしまっている。それほどまでにナヴァルトという男には死の気配がこびり付いている。

眼光だけで此処まで圧倒されてしまうのかと、カルスは思ってしまう。

目の前の男は得物さえ抜いていないのに、この威圧感…同じ人間のものとは思えなかった。

恐らく、ナヴァルトは気が変われば刀を抜いてカルスを斬り捨てるのだろう。

他人の命を奪うことに全く躊躇を見せない男だと判る。この男は仲間を殺した咎めを別に気にするような性分ではない。


「…失せろ、俺の気が変わらんうちにな…そして目の前に二度と現れるな」


カルスは走り出した。走らないと、すぐにでも駆け出してしまわないとあの死神のような男が斬りかかってくるような錯覚を覚えたのだ。

それほどまでにナヴァルトは冷たい雰囲気を纏っていた。あれは何十人も…いや百人以上も殺めた人斬りの気配だった。

何処まで走ったのか判らない。そして疲れて雪の上に座り込んだときにそれと遭遇してしまったのだ。


「あぁ…」


カルスは小山のように聳え立つそれを見て座り込んでみっともなく失禁し、震える事しかできなかった。







(仲間意識か…)


下らない、とナヴァルトは思った。そんな物は弱い人間が群れる際の大義名分に綺麗事をまぶしたようなものであると。

このような事をしたのも、単なる気まぐれに過ぎない。運の無い奴と弱い奴は死ぬ、それがナヴァルトが持つ哲学であった。

だが、彼の介入が無ければディーク・シルヴァが命を落とす可能性は大きかった。そして、自分がそうする動機も無かったのだ。

しかしながら奴の人望は馬鹿に出来ない。崩壊寸前の討伐隊を繋ぎ止めているのはディークとレイノアの存在が大きいのだ。

今、部隊に瓦解されてしまうのは任務遂行のファクターとしてあまり好ましい状況ではない。

尤も、彼からすればグリズリー討伐の難度が上昇するだけであり、仮に一人生き残ったになったとしてもあまり関係の無いことだったのだが…






彼が見たもの…それは更なる悪夢の始まりであり、その事に気付いたカルスはみっともなく甲高い悲鳴を挙げた。

黒い小山のような巨体がゆっくりと動く、それに呼応するかの如く大地そのものが震えるように静かに蠕動し、揺れる。

一抱えもあるようなボール大程度の眼球がギロリ、と中年男を見下ろした。その右目に付けられた傷跡はまだ完治しておらず生々しい傷を残している。



ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーん



森の奥で黒き巨獣の雄叫びが響き渡る。それは次なる狩りの始まりの合図でもあったのだ。

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