5‐8 バニッシュ・カルジェント②


生まれてから自分の人生は定められた道に沿っていたと、自覚はしてはいた。

そのことに対してあまり不満に思ったことは無い。家柄、資産、教育、環境、人脈、容姿・・・大衆を導くべき人間に求められた要素の殆どを、彼は生まれながらにして会得していた。

自分は選ばれた人間である。昔から自覚していたし、それをおかしいとは思わなかった。

自らが先導となって、愚かな大衆を導いていく。歪んではいるがそれは彼なりに抱いていた信念の形であるのだ。

いつの日か聞き飽きた賛辞に飽き飽きして、政治家の道を進むより家業の手伝いをすることになったのはまだ彼が七歳の頃に人が着用するパワードスーツの設計図を書き上げて、工房にあった廃材をかき集め自ら手を動かして製作した経験もあるかもしれない。

天才とは常に自分の指し示す方向に向かうものだった。


だがたった一度きりの事故が彼の人生に大きく暗い影を落としてしまう。幸いにして怪我人は最小限に食い止められたが、死者を出してしまった。

たったそれだけで約束された筈のの栄光の道がガラガラと、世界が崩れ落ちていく音が聞こえたほどだ。


完璧な実験だったはずだ。そう、天才と評された自分の頭脳に狂いは無い。

物心付いた昔から才能を誉めそやされ、周囲から賞賛と賛辞を、そうでない者から嫉妬と憎しみを当たり前のように引き受けていた彼は、天才と呼ばれるに相応しいさまざまな功績を挙げていき、成功の経験と実績を以ってして様々なプランを立案し消化していく。

ホバーバイクを改良し移動距離、稼働時間を延ばし、ビルドタイプの改良によってエクステンダーを従来の性能を維持したままの低価格化にも貢献。

そして、新型のエクステンダー『ノヴァ』の試験運用。それも、何時ものように今回の実験を兼ねた運用テストは成功すると思っていた。


自分が設計に携わったエクステンダーのフレームに致命的な欠陥が見つかり、それが悲劇を生んだことなど。

犠牲になったそのパイロットは彼の幼馴染であり。カルジェント家には及ばないものの数百年以上の歴史を誇る欧州貴族の流れを継ぐ名家の令嬢だった。

彼女もまたダンスやレッスンよりも汗と油まみれになってスパナを握っている方が性に合っている性質で容姿、性格ともにバニッシュとはお似合いのパートナーであった。

そして・・・許婚の間で結ばれた将来の夫婦であり、政略結婚だったにしても傍目から見て関係は良好であるといえた。

この失敗は彼を妬み陥れようとする人間からすれば格好のスキャンダルと化した。

一族の中で良くも悪くも彼は敵が多かったのだ。

だが、それ以上に彼女の事をバニッシュは…母代わりだった姉と同じくらいにまで愛していたのである。


バニッシュ・カルジェントはその事を多く語ろうとはせず、姉に心境を少し語っただけで彼女も弟の心情を顧みたのか生涯その事を口にすることはなかったとされる。

彼が死んだ許婚の名誉を守るためなのか、事件の影を忌々しく思っていたのかは、真相を知る各々の解釈に任せるしかない。

しかし、その事件以降に彼が力と名声を求めるになったのは言うまでも無い事であった。




現場の指揮を執るアイエン・ワイザードが緊急会を開いて呼びかけた言葉はハンター達を愕然とさせた。


「私はこれから用事があるので、部下と共にベルリンの本部に帰還する

以降の指揮はレイノア・ミアス他数名が引き継いでくれたまえ」


「ちょっと待てよ、作戦を提示しておいてあんただけ逃げ帰るのか?」


「機密ゆえに此処では話せないが、緊急の事例が発生した。その対応に当たらなければならない故に現場を離れる事になるが、後は現場で適切な者に裁量を与え任せるのが適任だろう」


アイエンの言葉にハンター達が激高した。


「機密、機密ってふざけるな! ちゃんと納得の行く説明をしろ!」


「アタイ達を置いて一人だけ逃げようってのかよ!」


「オレ達をこんな地獄に引っ張り出しておきながらそれはねぇだろうが!」


いきり立つ十数人の怒号や罵声を浴びてもアイエンの傲慢な顔が揺れる事はなかった。

そうでないハンター達も憤りと怒りを滲ませて壇上のアイエンを睨み付けている。

荒くれ者が多いハンター他の誰かが未だに反発から暴れたりしないのは、ナヴァルトやバニッシュ、レイノアのようなAクラスの人間が沈黙を通し、場の雰囲気を押さえているからなのであろうがいくら評判が芳しくないとしても、

ハンター評議会直属の人間が指揮を離れる意味は現場の人間からすると見捨てられたと思われても仕方ないのだ。


「諸君らに通常のおおよそ三倍の前金をハンター本部が支払ったのを覚えているか?

それとも、文句を言うためだけにここに来たわけではないだろうな? シベリアの人間もあの変異種の影に怯えて過ごしている

無力な一般市民を守るために、我々に仇なす変異種を狩る事こそがハンターの本分だろう?」


「………」


それを聞いてガヤが少し静まったが、アイエンに向けられる非難の眼差しは未だに鋭さを失っていない。

当たり前の事なのだろう。ジャイアント・グリズリーによる前回の襲撃で、何十数名ものハンター達が命を落とし仲間や知人を失ったものは多い。

理屈だけを押し付けられて納得できるような我の弱い人間は、まずハンターになろうなんて考えない故にこの場所に存在しないのだ。


「評議会の予算は無限ではない。それに此方にはジャイアント・グリズリーと同等を誇るエクステンダーがガルガロン含めて三体居るのだ。変異種の生態の多くが謎に包まれていたため前回の襲撃では多数の犠牲者を出したが、データも徐々に揃って来てはいる。次は不覚を取ることなく最小限の犠牲で仕留められると信じている」


その理屈は当てはまっており。罵声はある程度止んだが、それでも怒りの声が収まるはずもない。

金で動く人間も多いだろう。しかし彼らは多少なりとも修羅場を潜り抜け、命のチップ賭けるフィールドで変異種達を狩ってきたハンターなのである。

現にこのシベリア、あの怪獣まがいの巨大変異種の狩場となっている。経験を積んだハンターなら分かる勘というものがある。

そして、壇上に立ち大勢のハンターを冷ややかに見下ろしているアイエンにも、いきり立つ聴衆を沈める気は無いようだった。


「では、ハンター諸君の検討を祈っておこうか…」


アイエンはそう言って髭を生やした口元を僅かに歪めた様な気がした。前にも見たことがあるその表情にディークは違和感を覚えずにいられない。

危機的な状況でも崩さない余裕、それは上に立つものとして必要な資質の一つだ。

冷静かつ的確な判断を下せる頭こそ、集団で動くにしては適切なのだろうがその本人が現場を離れる、というのは話にならない。

ならばこそ緊急にベルリンに帰還する、というのならば代理の者を置くか納得のいく説明が必要になってくる。

しかし、いかにハンターの纏め役としてレイノアやバニッシュが適任だとしても、孤高を気取るナヴァルトが協力するはずもないし、今まで個々に獲物を狩ってきた、金で集められた彼等に今更協調性など求められるはずもない。

正直、丸投げもいいところである。あまり評判の良くない評議会だが、属する人間がここまで無責任だとは流石に考えもしなかった。


「いくらなんでも無責任じゃないか?向こうで何が起きたかくらいは説明すべきだと思うんだが」


アイエンが去った後にディークはレイノアに話した。


「あいつはあまり信用できない。なにせ代表の息子さんが死んだ事故に絡んでいたって噂もあるしね」


「それは俺も聞いたことがある。表向きは事故だがかなり不審な点があったらしいって」


「それを抜いてもアタシはあいつが嫌いでね。セルペンテっていうハンターがいたんだけど、そいつが追放された件にも絡んでいたって噂だ

他にもいろいろ胡散臭い噂があってウェルナー代表を引きずり出そうとしているとか」


ディークは実は一度だけ面識がある。セルパンと名乗る人物こそがセルペンテであった。


「セルペンテは確か変異種の蛇や蠍から抽出した毒を研究していたって聞いているけど」


「真相は分からないけど、あいつはそう簡単に仲間を裏切るような人間じゃないよ

アイエンが何か絡んでいるとしたら嵌められたんだね」


(アイエンは、何か隠している…?)


味方を鼓舞するためのその言葉がやけに白々しく響いたのは自分だけであると信じたかった。







「へい、オジョウちゃん。ここ薬いっぱいあるネ、病気治すヤツだけじゃないアルよ!

どれにするアルか? 男落とすクスリ、エッチの時にに気持ちヨクなれるクスリ、いいユメが見れるクスリいっぱいあるネ!」


訛りの混じった英語を話しながら、無駄にキラキラした赤色のアジア服を着た男が、袖を合わせて怜に近づいてきた。

長い髭を生やし潰れた魚のような顔を連想させるその男は胡散臭さ全快で、あまり関わりたいタイプではない。

店内の中の煙の臭いがやけに『鼻』に付く。ここは暗黒街、アウターでは違法とされる薬物が売ってあっても不思議ではないだろう。

そして彼女の嗅覚は、その中に潜むある物の匂いを嗅ぎ取っていた。


「ええ、取って置きのものを隠しているのはわかってる」


「グヘヘ…オジョウちゃん目が高いネ。実はつい最近、イイモノが入っ・・・」


だが、彼女は男の言葉を聞かずに遮る様にして突きつける。


「シャオ・キンペの武器倉庫。この地下にあるんでしょ?」


「てめぇ・・・何処でその情報を?」


男の様子が豹変した。人を小ばかにした表情から一瞬で裏の世界に潜む者のそれに摩り替わる。

外向けの仮面を剥ぎ取った男は、見た目から想像も付かない敏捷さで袖からナイフを取り出し怜に飛び掛ろうとした。

十二分に訓練された者の動き。訛りの混じった言葉と、鈍重そうな見た目は相手を油断させるためのフェイクだった。

しかし、彼女の動きはそれより早かった。手刀で得物が振るわれるより早く手首を打ちナイフを叩き落し、

驚愕で硬直する男の背後に回りこみ、腕を回して締め上げる。蛙が潰れたような悲鳴を上げて男は膝を折った。


「ぐぁぁぁっ・・・!」


「・・・・・・」


気にせず怜はぎりぎりと力を加えていく。男の顔がさらに苦悶へと歪んでいく。

それでも彼女は力を緩めなかったが、腕が折れる寸前にまで力を加えるとようやく手を離した。

解放された男は顔が青ざめていた。抵抗する期は全く起きないようで床のナイフを拾う素振りも無い。

そもそも拾って反撃したとしても、素手の怜に完封された時点で無駄な抵抗だと分かっているのだが。


「あなたが鍵を握っているのでしょう?」


「素直に話すと思うか?」


「ならば、選択肢を選んでる余裕は無いわね・・・」


怜の瞳に冷たい光が宿るのを見て、薬屋の主人が戦慄した。

この女は自分から秘密を吐かせるまで『何でも』する気だ。シャオの残酷な拷問の手口を知っているからこそ彼には逆らえなかったが、命の危機が目前に迫っている今こそ選択の余地などあるのだろうか?


「・・・・・・店の奥に来い。話してやってもいいが、約束しろ。俺だけは見逃せ

シャオの奴にブツ用の隠し倉庫を貸してやっただけだ。ヤツが何を企んで何を隠したのかは知らねぇ

俺は何も見てない。他のヤツからあんたに情報が伝わった、そういう事にしておいてくれ」


「・・・わかったわ」


表情を全く変えずに約束する怜に、薬屋の男は戦慄を覚えざるを得なかった。

彼の知っている『ガキ』はみな従順で大人しかった。町から子供を誘拐して薬漬けにした後に、暗黒街の娼館か競りにかけて金持ちの変態に売り飛ばす。

それはかつて小遣い稼ぎに彼もやっていた手法であり、そのことでシャオとは知り合ったのだ。

しかし、目の前の黒髪の少女は違う。こんなに鋭い氷の刃のような雰囲気を持つ人間にはついぞであったことは無い。

生きるために悪事に染めたガキとも違う得体の知れない不気味な奴だと思った。





「みんな、わたし達の話を聞いて欲しい」


アイエンが去り、レイノアがハンター達を集めて広場の前で集会を行ったのである。

バニッシュは渋々参加、そしてナヴァルトは予想通りというか姿は見えなかった。

しかしながら彼女たちの前に集まったハンター達は彼女の知己ばかりで二十名も居ない。馬鹿らしくなって逃げたものが多いか、

はたまた、自分の力だけであの巨大変異種を倒そうと考えているのか分からない。

それでも彼女は集まって来てくれたハンター達に感謝していた。あのバニッシュですらスタッフを引き連れてきたという事は、

最低限の協調性はあるのだろう。それでも彼の性格からしてハンターたちには快く思われていないようだが。


「あのジャイアント・グリズリーを撃退するのはガルガロンの力を借りる必要があるんだ

だから、今後の作戦にはエクステンダーによる力押しが必要になると思う。」


「ふん、当然の事だね。君たちがいくら束になってかかろうが、あいつを倒す事なんてできないよ」


「……」


整えられたプラチナブロンドの髪を揺らすバニッシュに、視線が集中する。

その中の多数に好意的な感情を向ける人間は居らず、中には今にも暴れだしそうな者も居た。

雰囲気の悪くなる場を見かねたのか、レイノアはバニッシュを庇う様に前に出て言った。


「すまないけど。バニッシュに何か言われた人間も居るかもしれないが、ここは我慢して欲しい

今は一丸となって、共通の敵に立ち向かうべきだと思う。個人的な感情はあいつを倒してからにしてくれないか?」


夜の闇に映える焚き火の光がゆらゆらと揺れる。場は静まり、ようやく落ち着きを見せたようだ。

指揮官がベルリンに帰還し、現場の判断がハンター達に丸投げになるという最悪の状況。

何時、あのジャイアント・グリズリーが襲ってくるかもしれないのに仲間どうして確執を深めている場合ではない。


「これから夜が来る。交代で睡眠をとりつつ哨戒しつつ警戒を怠らないようにして欲しい

ホバーバイクや旧式のジープで見回って、ツーマンセルでチームを組んで指定のエリアを見回る役割さ

異常が見つかったら報告して貰いたいけど誰かやってくれないかい?」


場は沈黙に包まれた。これからの時間帯、そして北半球に位置するシベリアでの夜は長いのだ。

あの熊はまた夜間に襲撃してくる可能性がある。そんな中で単独での偵察は孤立を招く事と同義で自殺行動に等しい。

そんな中で単独で見回りなんて三人居たとしても不安すぎる。しばらくの間いやな沈黙が場を支配した。

レイノアが諦め掛けて自分が出ようと思っていた時、一人の青年が手を上げる。それは彼女も良く知る顔の青年だった。


「俺が出るよ」


真っ直ぐと手を上げるディーク、その瞳には迷いが見えない。


「ディーク!? あんた…」


「俺の事なら心配するなよ。それに皆だって命賭けてんだ、あの人だってそうしたさ」


あの人、とは数時間前に彼を庇って命を落としたニックスという中年ハンターの事だろう。

彼の事はレイノアも小耳に挟んでいた。何でも気のいい人柄で他のハンターにも好かれていたと聞いている。


「…わかった。あんたに頼むよ」


こうなったら梃子でもディークが譲らない事をレイノアは承知していた。そういう頑固さはノエルから受け継いでいるのかもしれないと彼女は思う。

ノエルも町外れの一軒家で孤児たちを養っている。レイノアも稼いだ金の幾分かは彼女に渡して子供たちの養育費に当てていた。

親友であるノエルの行動が理解できなかった時期がある。このアウターで他者を庇ったとしても自分が生き延びられる保証は無いのだから。

そんなドライだった自分の心を溶かしてくれたのが、ノエルの優しさだったことをレイノアは思い出していた。

だからこそディークの危なっかしさを放っておけないのかもしれない。彼もまた立派な青年に成長しているというのに。


「そいつが行くんなら俺だって行くぜ。伊達に修羅場は潜ってないからな」


「若造ばっかに美味しいところ足られてたまるかよ。こういう役回りは年長者に譲るってモンだ」


「みんな…」


ディークに影響されたのか、一人、また一人と手を上げるものが増えていく。

最終的には部屋に居る三分の一ほどが挙手していた。レイノアが想定していた数の倍以上だ。

レイノアは弟を見るような視線でディークを見る。昔見たときよりも彼はずっと大きく逞しくなっている様な気がしたから。

昔はもっと小さくてやんちゃで、それで居て喧しい少年だった彼はすっかり大人になっている。


(ホント…この子は人を変えていく力を持っているよ。ノエル、これもあんたの教育の賜物かい?)


「まぁ、雑魚は雑魚で頑張ってくれよ。メンテナンスが終わり次第、僕もガルガロンで参加してやっても良い

奴を見つけたら無線で連絡をよこして尻尾巻いて逃げ帰る事だ。命が惜しいのならばね…」


水を差すようにバニッシュが皆をせせら笑ったが、前向きに結束を固めたハンター達の雰囲気を壊すには至らなかった。


夜は、また来るはずだ。あの巨大熊もその時を待っている筈だ。

自分を滅ぼそうとする者達を返り討ちにせんが為に、着々と牙を研ぎ澄ませているのだろう。

しかし、ハンター達も一方的にやられてばかりではない。危機を転じて心機一転、士気は十二分に盛り上がっている。

人類と野生。自然の生み出し二つの勢力が再び激突する時間が刻々と迫っていた…

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