5‐7 バニッシュ・カルジェント①


「…思った以上に熱による稼働限界時間が早い。寒冷地帯故に熱排出は促進されると思ったけど、計算が甘かったか?

サスペンションの雪の接地圧に早く対応できたのは意外だったがこの辺りはそこまで積もっていないしそこまで平地と変わらない挙動が可能と見るか?

だけどもっとデータが必要だ。それに格闘兵装高振動スパイラル・マグネッサーがジャイアント・グリズリーに有効である事は分かった。適正な角度で急所に当てさえすれば…」


若き天才『テクニカルブレイン』の異名を持つバニッシュは、『ガルガロン』のコクピットを開きハッチに取り付けられたワイヤーを使って降りた。

ヘルメットを脱ぐと、サラッと短く切り揃えたプラチナブロンドの髪をシベリアの外気に晒され微かに揺れる。

当初、彼は駆け寄ったディークに目をくれず、顎に手を当てながら純白の愛機を見上げながらも、なにやら一人で呟きながら、頷いていた。傍目から見ると独り言にしか見えないのだが、研究職に就く人間にはよくある事らしい。

彼はこう見えても名門カルジェント家の当主にして複数の特許を取得している若き発明家でもある。

ディークが使用しているホバーバイクの新型モデルも彼が開発に深く携わっていると聞いた。


礼を言おうとディークは声をかけようとした、自分は窮地を救ってもらったのだから。

しかし、肝心の言葉は喉に固まって出てこない。そして胸の内に湧き上がってくる感情は心地の良いものではなかった。

何か言ってしまえば、バニッシュに対する不満が飛び出してくるかもしれないと思っていた。だから何も言えなかったのだ。

そんなディークの心境など知る由も無く、バニッシュは白いと息を吐きつつ告げる。


「こんな夜中にメンテナンスか。若いのによくやるよ」


「あなたも噂以上にエキセントリックな人だね。自分から囮になるなんて…でも、礼を言うくらいならもう少し行動を自重したまえ」


膝を地面付けた様な降着体勢の『ガルガロン』から振り返ったバニッシュは、ヘルメットを脱ぐなりディークに言い放った。

ナンセンス、と言いたげに首を振った。あからさまに馬鹿にしたような仕草にディークは何も言えなくなった。


「囮になる度胸は買うけど、僕の知らないところで死んでもらっては困るな。

ゲイルもこんな短慮な人間に目を掛けているとか…彼に対する評価を下げる事になってしまったのは悲しいか

それに、有象無象のハンター達から不要な無駄死にが出てしまっては、ガルガロンのデモンストレーションにならないよ。なるべく死なないように身を守ってくれたまえ」


少し残念そうに言うバニッシュ。その言い方は相変わらず傲慢で歯に物着せぬものだったが、彼なりに多少は今回の失態を反省しているようには見える。恐らく、悪気は無いのだろう

多分、バニッシュからすればガルガロンの実践データが全てであり、それ以外はどうでも良い事なのだ。

ハンター達の命を心配しているように見えるのも、彼の作ったエクステンダーの有用性を誇示するためのものであり、

バニッシュ本人は良くも悪くも『ガルガロン』が成果を挙げること意外に興味が湧かないのだろう。

頭の中で何かがぶちり、と音を立てて千切れるのをディークは聞いたような気がした。


「…何だと? ニックスさんが無駄死にしたっていうのか!?」


ディークの眼光に苛烈さが混じるのを見て取ったか、バニッシュは戸惑ったような顔になる。


「そういう訳で言ったわけではないのだが、言葉が過ぎたようだ。すまない」


「…」


「君たちは敵の注意を惹きつけて、後はこのガルガロン任せてくれたまえ

確か…ニックス・ヘイズンだったかな? 彼のことは残念だと思う。

今回は寒冷地での活動にスタッフが慣れていなかったからね。次からは犠牲を出さないと約束する

それでも不安ならばシベリア・ラインに乗って帰るのもいい。乗車賃と装備分の出費は本部に請求すれば出してくれるだろう

ニックスの様になりたくなければ命はなるべく大切にしたほうがいい。今回の任務はこのガルガロン以外での達成は難しいのは君もわかるだろう?」


バニッシュは自分の価値観に沿って、彼なりに誠意を込めた返答をしたのだと思う。

しかし、彼の答えはディークが求めていた返答とは大分かけ離れたものだった。

ディークはただ謝って欲しかったのだ。彼が無駄死にと切り捨てたハンター達の命に対して発言を撤回させたかったのだ。


「てめぇ、言っていい事と悪いことが…」


そのしたり顔を一発殴ってやらない時が済まない。激情に駆られたディークの腕を止めたのは意外にも見知った人間のものだった。

握られた右手を包み込むようにして重ねられた、グローブに覆われた細腕。その人は彼にとって尊敬する人間の一人でもある。


「あんたの気持ちもわかるよ。けど…やめな、ディーク」


「姐さん…どうして此処に?」


驚きを隠せない顔でレイノアに顔を向けるディーク。怒りはまだ残っていたものの気分は大分落ち着いた。

バニッシュは怪訝な顔で二人を眺めながら、ガルガロンに乗り込み着た道を戻ってゆく。

ズシン、ズシン…と大地を揺るがすような機械の歩行が少しずつ遠ざかっていった。


「応援で呼ばれたのさ、奴が現れて以上は範囲が絞りこめた以上は捜索隊を分ける理由が無くなったからね」


「ああ、でも奴は地中の中に消えてしまった」


ディークは悔しそうな顔をして言ったが、レイノアの表情は翳る事は無い。


「それなら大丈夫さ。あいつは一度見つけた獲物は二度と逃がさない習性を持つ熊の変異種なんだよ

あいつはあたし達を狙ってくる、だからそれを予測して網を仕掛けておけばいいのさ。仇を討つんだよ」


「そうだな…ニックスさんの為にも諦める訳にはいかないんだ」


二人は決意を決めると、ガルガロンが消えたキャンプ跡地の救助作業を行うために戻っていった。







そしてここはターロンの武器工場。この場所ではアウターに正規品に混じって流通している銃などの武器を作り出す秘密工場である。

アウターの住民は銃の携帯を基本的に許されている。しかし正規品の銃を手にするにしても認可届けが必要であるし、登録料も払わなくてはならない。だからこそ多少粗悪でも安価で手に入りやすい海賊版の銃は手に入りやすい代物であった。

ターロンはその需要と供給のバランスを読み、利益にするために資金源としているのだろう。

しかしこの工場は少し違っていた。明らかに需要過多なまでの武器を生産しているのだ。

それが、何を意味しているのか? おおよその情報とターロンという組織自体が内戦を繰り返している事を考えれば察しが着くのだが、

今回は少し違っているようだった。あまりにも外的な要素が絡みすぎている。


(シ・ュ・ウ・ゲ・キ・ハ・ナ・ノ・カ・ゴ・ノ・ヨ・ル……

襲撃は一週間後…という意味なのか? リーかシャオ一派は例の兵器を持ち込む気?)


双眼鏡を握った花弁のような少女の唇が動き、言葉を紡ぎ出す。遠目から工場の中にいる人間の口の動きを読み取り

発音して言葉に変換しているのだ。これは、いうなれば読唇術と言うべきものである。

彼女――――甲田怜はチンの武器倉庫を襲撃し、彼から情報を得た後の候補地の一つとして此処にやってきたのだ。


(チンの言っていた事が嘘だとは思えない)


ターロンは規模も大きいがその分内部における抗争の規模も他のマフィア組織と違ってはるかに大きい。

目の前にある工場は運び込まれた『大量の兵器』の手がかりになりうると思って足を運んだのだ。

幹部リー・ファンの仕切る工場の規模は大きい。此処ならば兵器を隠すのにスペースは十分だろう。


『ターロンの幹部の一人にある人間が接触したの。無償で大量の兵器を手土産に持ってきてね…裏にコロニーがいるのは間違いないわ』


怜にこの情報を教えたのは。セルペンテの猛毒で聖地の狭間にあった彼女を救ったあの女であった。

まるで影のように自分に付きまとう女。直接見なかったが、彼女の気配はあのシール・ザ・ゲイトでも感じられた。

敵か味方なのかはわからない。しかし今は、どう動こうにもあの女の情報がなければ効してコロニーの情報が得られなかったのだ。

グローブを嵌めた手に何らかの暗器を仕込んでいるであろう、底知れない危険性を伴った妖艶な美女。

コロニーに関わりがあるであろう彼女も、誰かの指令で動いているのは可能性は濃厚である。

その『誰か』から見れば、不愉快なことではあるが自分が手駒として見られていることに間違いは無いのだろう。

信用できるかどうかは関係が無い。用はどんな手を使ってもコロニーへ潜入できればいいのだ。

そうすればいつかは『あの男』にぶつかるだろう。自分の家族と人生を狂わせ、忌まわしい力を与えたあの男に……


(私は私の目的の為に、何があってもコロニーに向かわなくてはならない。全てはお前を殺すために…)


怜の瞳の中には底知れない闇が宿っていた。ある人間だけを殺すために育てられた怨念の光。

彼女はゆっくりと、闇に熔けるように気配を消してリーの管理する兵器工場の建物へと疾走する。

一陣の影、黒い刃となって乾いた荒野を横切っていく。迷いは無い、自分は生きる屍だ。目的のためにはどんな事だってやる。


そう、全てはあの男の喉笛に復讐の刃を向けるために――――――







「やっぱりさっきので犠牲者が出ちまったんだな…」


「ああ、逃げ帰った奴もいるってさ。まぁ、あんな化け物が出てくるなんて流石に想像してなかったんだろうけどさ…」


ディーク達のキャンプは散々たる有様だった。残った人員が崩れたテントを建て直したり、備品の修復に当たっている。

ディークやレイノアも彼らを手伝った。先ほどの襲撃で逃げてしまったものも多く、今は人手が足りないのだ。

今は作業もひと段落し、二人は昇る日を眺めながら焚き火を囲むようにして座っていた。変異種の脅威もそうだったが寒さも油断できない敵なのである。


「今日のこの日に朝日を拝めるなんて、俺もまだまだ運が強いのかもな」


「済まないねディーク。あんたをこんなことに巻き込んじまうなんて、ノエルに向ける顔が無いよ…」


レイノアは何時もの様な強気な姿勢が少しばかり崩れてしまっていたかのようだった。

それは仕方の無いことなのかもしれない。志望したハンター達のうち数人はレイノアが人脈からかき集めてきた人間だからだ。

彼女はガサツで奔放なように見えて責任感が強い。だからこそ自身が許せない筈なのだ。

その気持ちもディークには痛いほど良く分かる。ニックスは自分を助けるために命を散らしたのだから…

沈んでしまいそうな気持ちを互いに支えあっていた。そうでもしないと気持ちが沈んでしまいそうだったから。


「…なんだ、貴様達まだ死んでいなかったのか?」


「お前は…!」


唐突に声が掛けられ、ディークが振り返るとそこには二振りの剣を腰に下げた美貌の剣士がつまらなそうな顔で二人を見ていた。

その男、此処に相応しくない程線が細いナヴァルトは、相変わらず何も関心が無いような視線を彼等に向けている。

だが、ディークの胸に湧き上がったのは喜びの感情だった。列車では脅し同然の文句を向けられたが、

今のように危機的な状況で旧知の人間と再開できたことは励みになる。たとえそれが多少性格に問題があったとしてもだ。


「ナヴァルト…無事だったか?」


「威勢だけで命が惜しければ帰る事だ。ヤツは俺一人で仕留める…」


それだけ言うと、ナヴァルトは去っていく。二人への関心を急に失ったかのように。

列車で話した時のように寒々とした刃のような雰囲気は少し薄れている。彼なりに二人を励ました…つもりなのかもしれない。

今のディークはそう思いたかった。しかし、彼からすれば邪魔者はとっとと失せろというのが本音なのかもしれない。


「アイツ…何時も通りだね。同じ班だったけど、少しもブレちゃあいないよ」


「ナヴァルトの野郎はあまり好きになれないけど、あいつの平常心は見習うべきかもな…

大丈夫さ、俺達は簡単には死なない。それに、いざとなったら面倒事はあのエクステンダーに任せればいい

あんな化け物相手に正面から殴りあうなんて所業が出来るのは、あいつの機体くらいだろう」


「ああ、バニッシュ坊ちゃんが作った『ガルガロン』とか言うヤツかい?」


レイノアがやや濃い目の眉を寄せるのを見て、ディークは聞いた。


「何か知っているのか? 姐さん」


「・・・・・・」


口数の多い彼女にしては珍しく、レイノアはしばらく沈黙を保っている。

何か含むところがあるのか、それとも話したくない事情でもあるのかディークには分からない。

パチパチと、炎が薪を焦がす音だけがその場の沈黙を埋めた。その間、二人の間に言葉は無い。

ディークは砂糖入りのコーヒーが飲みたくなった。最後に飲んだのはニックスがまだ居た頃であった。


「・・・こっちの情報で仕入れた話だと、バニッシュ達は元々この討伐隊に組み込まれる事に前向きじゃ無かったって話さ。単独で鎮圧に当たりたかったんだと

何か、昔事故を起こしたらしいんだ。ガルガロンの前にボウヤが開発に携わっていたエクステンダーがね・・・

プライドの高い坊ちゃんは一人であの化け物を倒したがっているのさ。らしい話ではあるんだけど」


それを聞いてディークは腑に落ちたような気がした。ならば彼の刺々しい物言いも説明がつくのではないかと。


「ああ、あいつなら考えそうなことだ。

名門バニッシュ家の人間が、卑しい金稼ぎハンターの手を借りるなんて願い下げだろうしな」


彼にしては珍しく、たっぷりと皮肉や揶揄をトッピングしてバニッシュの事を評したディークだったが、

レイノアは細い顎に手を当てて、何か考えているようだった。そのような思慮深い表情になると普段の豪胆な彼女から考えられないような、

知的な印象を受ける。では正反対な印象のノエルが豪胆に振舞ったらどうなるのだろうかとディークは考えたが想像できない。


「ディーク。これはあたしの推測なんだけどあいつと協会の方で何か取引をしたんだと思うんだよ」


「取引…それって?」


「さあね、あたしはその現場を見てきたわけじゃないから分からないよ

でも、ガルガロンがケダモノを退治するって事は大きな宣伝効果にはなるだろ?

ようは名誉挽回ってことさ、それにつながるんだろうとは思うんだけど…」


それを聞いてあまりディークは気乗りしなかった。レイノアの言った事が本当ならば、

自分達はまさに当て馬として扱われたことになるのだろう。政府はウェルナー会長一族の不和もあり、不信感が大きい。

しかし、シベリアで被害に遭っている人たちのことを思えば、あまり関係が無いということだ。

超巨大指定の変異種・ジャイアントグリズリーは一刻も早く駆除すべきなのは当然なのだ。

そのためならば、バニッシュやナヴァルト、補記あのハンターの力を合わせて取り組むべきだとも思っている。

ニックスを始め、死んでしまったもの達の為の残されたものは全力を尽くすのが義務だからだ。


「政治的なあれこれってヤツだろ? そんなの現場の人間には関係ないと思うぜ

俺たちはそんなこと知ったこっちゃねぇ。困難があるなら立ち向かうしかないんだ

あの化け物を倒して、シベリアの人やニックスさん達を安心させてやらないといけないからな」


「ああ、あたしも同感だよ。一刻も早く悪夢は終わらせないといけないからね」


ツンドラの森に朝日が昇る。この今日の始まりがまだ悲劇の序章にしかなっていない事を、神ではないディークは知る由も無かった。

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