2‐7 囚われたディーク

「また会ったな、シルバーフォックス」


とある倉庫の中。暗闇からぬっと出てきた肥えた二十顎を見てディークはやっぱりなと思った

その男の顔はちょっと前に見たばかりだ。人の事を覚えない奴でもここまで小物感溢れる人間の顔は印象に残るだろう

小太りの中年男―――数日前の客だったクム・ジョウグンは、縛られ床に押し倒されたディークの顔を優越感たっぷりに見下ろした


「へっ、やっぱりあんただったか。俺に用があるなら」


ニッ、とディークは思わず笑ってしまった。予想が当たるとは思わなかった

こんな状況なのに何故か嬉しい気分になるのは陽天気な彼の気質か、それとも場馴れしているからか


「ディーク・シルヴァ。貴様が断ったから私がこうしてゲストに招いてやったのだ。感謝しろ」


ありがたく思え。そういわんばかりにクムが鼻を鳴らすのにディークは苦笑しそうになる

以前、牧場で一度だけ見た豚という家畜に男の顔がよく似通っていたからだ


「この前と違って…えらく高圧的だな。それにその服アジアンマフィアのあんたにはお似合いだぜ。大昔の諺で着たきり雀って奴?」


皮肉を言ってやったつもりだったがクムは不愉快そうに眉を顰めただけだった


「…何を言っているのかわからんが、この状況を理解したほうが良い。大人しく要求に応じれば返してやる」


「そりゃあ、有難い事で…」


嘘だな、とディークは思った。秘密を聞きだした後に証拠が残らないよう始末するのは、この手の組織で常套手段なのだ

それが分からない彼ではない。出来るだけ時間を引き延ばして奴らの隙を狙うより他なかった


「質問に答えろ。お前はこの少女を知っているか?」


クムは懐から例のあの写真を取り出してディークの鼻面に突きつけてくる

鮮明に写らず、焦点がぼやけているが夜色の外套を着て後ろに束ねた黒髪の少女は間違いなく彼女だった


「さぁな、見た事はあるかもしれないが人の顔はあんまり覚え辛くってな

相当な美人だったか、あんたほど特徴があったら別かもしれないぜ…」


屁理屈をまくし立てながら、自分を助けてくれた『彼女』の姿をディークは思い出していた

フードの下は確かによく見ると目を引く程顔立ちは整ってはいた。しかし存在が薄い、まるで自分から気配を隠そうとしているように。

それに一見少女のように小柄な見た目だがそのないめっはやけに老成しているように見えた。得体が知れず、不気味でもあった。

ああいった異質さは今までいろいろな人間を見てきたディークにも覚えがない。彼女の正体が知りたいのはこちらもそうだった。


「ガキが、舐めやがって!!」


ディークの思考は激昂したジョウグンの蹴りが顎を突き飛ばした事によって中断された

その一撃そのものに大した威力は無い。しかし靴の爪先で受身も取れない状態を蹴られたのだからとてつもなく痛い


「ぐふッ…!」



「ボス、もっと早く痛めつけて情報を吐かせる手がありますが、どうしますか?」


「今は良い、この生意気な狐男からは私自らの手で聞き出してやるのだからな」


「はっ」


ジョウグンは満悦したような顔で囚われ捕虜に向き直った。暴力を好んで振るう男だとディークは思った

自分の事務所に来た時に見せた紳士的な態度は全てこの男の演技だったのだ

いや…違う、マフィア全体がそうなのだ。弱者を装い甘い顔をして地域を乗っ取り仲間を呼んで数を減らしていく

こいつらは好んで暴力や残虐を好み、そういったアウトローの臭いを日常的に纏った根っからの悪党だった


「くく…中々度胸があるようだが、大人しく喋ったほうがいいぞ」


「だから、写真一枚で何を判断しろって言うんだよ。もっと鮮明な奴を寄越してくれたら別だったんだけどな」


「まだしらばっくれるか?私は別に構わんがな」


「が…はッ…!」


抉る様に脇腹を数回蹴られた後に頭を踏みつけられ、流石のディークは思わず苦悶の表情に悶えてしまう

その様子をねっとりとした視線を馴染ませながら口を笑みの形に歪ませるジョウグン

彼は疑いようも無くこの拷問を楽しんでいた。似たような嗜好の人間をディークは知っているが

人助けに喜びを覚えても、人を傷つけて喜んで下品な笑みを浮かべている野朗のことは理解できない

アウターの人間は助け合うべきだと思っている。しかし、こんな連中が足を引っ張っている


「どうしても吐かない場合はお前たちに任せる。最終的に殺すのは当たり前だが情報を吐くまでは生かしておけ

奴の指令に従うのは癪だが、来るべき将来の為に手を打っとかねばならん。前金の金塊も受け取っている

ああ、それと拷問する時は私に同席させろ。この優男が苦悶に身を捩じらせ命乞いするのを見てみたいからな…くく」


(奴……?)


ディークの頭の中に疑問が生まれた。この一連の騒動はジョウグンの直接な指示ではないとなると

この小太りの男の上位組織なのか、それとも更に大きな権力を持つ強大な何者かの意向なのか?

そうだとしたら外套のようにあの少女を覆う闇は予想以上に深いという事だ。一体どれほどの大物が関わっている?

再び腹に蹴りを入れられ、暴力を振るわれ…意識が朦朧として時間の感覚もなくなりかけた頃に

不意に自分の体が持ち上げられ引きずられるようにして連行されていくのが分かる

とうとうこれから拷問されるのだ。アジアンマフィアのそれは様々な薬物を用いた残虐な手段があると聞いた

麻酔薬で痛みを抹消した後に全身を切り刻んでから、痛覚を戻すという事もやるらしい。彼等の残虐さはアウターに広く知られていた


(ああ、呆気無いな…俺もこれで終わりかよ)


片目が晴れ上がりまともに見えないディークは微かに口元をひくつかせ自嘲の笑みを浮かべる

いろいろな事に手を突っ込みすぎたのかもしれない。特に危険な香りの漂うあの少女の事に手を出したのは愚かだったかもしれない

しかし彼は後悔していなかった。この道を選んだ時から覚悟していた事だ

自分が死んだらレオスやゲイル、そしてリベアやサウロは悲しんでくれるだろうか?それ見た事かと呆れるのだろうか?

だが、一番心残りなのは黒い少女の事だった。彼女は一体何者だったのだろう?


(彼女に死ぬ前に一目だけ会ってから、前の礼が言いたかったな…)


覚悟を決め、安らかな表情になるディーク。既に諦めが付いた足掻こうにも、自殺しようにもこの状況では無茶だ

今まで生きていた中で絶対的にピンチだったが、こればかりはどうしようもなかった

敵の数は多く、孤立無援。それでいてジョウグンの胸糞悪い暴力によって体力も尽きている

だが、これも償いなのかもしれない。あの時、一人だけ生き残った自分に対しての罰――――


「おい! 何だアレはッ!」


そんなディークの意識を微かに呼び覚ましたのは恐怖に怯えるマフィア達の声だった








少し時間を遡る。とある廃工場―――無論この区域のマフィア達の拠点の玄関口


すなわち外部との接触港である入り口、当然ながら武器や小銃を備えた門番達が退屈にヘロインを巻いた葉巻を吸っていた

当然ながらもっと強く手軽に快楽を得るタイプの麻薬もあるのだが、あまり刺激が大きすぎても仕事に支障が出る

他の組織では縄張りで中毒性の高いそういった植物の栽培を進めて売りさばいていても

構成員達には服用を禁じるところもあるにはあった。しかし、ジョウグンはそんな指令は出していなかったので

彼の部下達は基本的には戦闘の起きない好きな時間にヘロインを楽しむ事が出来るのだった


麻薬とマフィアの繋がりは歴史的に見ても深く、切っても切れない関係である

それは砂漠化が進んだ地球全域に乾燥地帯が増加したため、何処でも生命力が高くあっという間に育ち

早いサイクルで市場に流す事が出来るヘロインはアジアンマフィア達の重要な資金源だった

彼等の顧客といえばアウターに非常に多く、需要が高まる事があっても供給が減る事は無い

ハンターでもそういったものを好むのは多く居るし、貧民街の住人も麻薬のために盗みや殺人を侵し

それなりに質の高いものであれば裕福層の中にも葉巻や高級煙草よりも、少し刺激の強い嗜好品として愛用する人間は居るのだ


団員の門番の一人が目の前に現れた黒い影を見た。それは外套を羽織っており黒づくめだった

まるで幽霊のような存在感の小柄な影は一見してひ弱な浮浪者のように見える


「おい、こんな夜中に何ほっつき歩いてんだ? ブチ殺されたいのか!」


ニヤニヤと暴力に染まった表情で少女の肩を掴もうとする。彼女が振り向きその視線を向けられた瞬間に男は飛びのいていた

頭に銃口を向けられたかのような威圧感。それが彼にマフィアの一員としての行動を忘れさせた

仲間の門番達は何をしていたと苛立ち紛れに怒鳴りそうになる、そして首筋に重い衝撃を受け一瞬遅れて視界がブラックアウト

彼が最後に見た光景は同僚の門番二人が似たように地に伏している光景だった。白目を剥き気絶しているようにも見えた

状況を何も理解できないまま、男の意識は闇の中に引きずり込まれてしまう。時間にして五秒足らずの出来事


「……」


少女は無言のまま手刀を打ち込んだ白い手を外套の中に仕舞うと、堂々とした足取りで工場の中に入った








「おい!何が起きているッ!」


車に乗り込む前に連続する銃声を耳にしたジョウグンは、脂肪の固まった二重顎をせわしなく動かして側近を怒鳴りつけた

だが、彼に日頃の鬱憤をぶちまけられても、殆ど動じなかった副長も酷く焦った様子で上司に今しがた起きた近況を報告する


「き、緊急事態です! この場所に侵入者が現れたようで…」


「何だと、数は何人だ? そして何処の組織の人間なのだ!」


「そっ、それが……」


眼鏡の奥の視線は明らかに浮いていて完全に混乱しているようだった

今、この事を言っても良いのか躊躇しているように見える


「…それがたった一人との事です」


「何…? 一人だと。さっさと団員を終結させて始末してしまえ!」


「それがえらく手強い様子で…半数以上が既に倒されてしまったと……」


「ええい! この役立たずが!!」


血管が切れそうな勢いで思わず副官を怒鳴りつけるジョウグン

目の前の部下を思わず殴り倒して憂さ晴らし使用と思った彼だったが、流石に組織の長として思いとどまる

襲撃者の正体が何者か知らないが、部下の半数がやられて勝てるわけがない

此処は一度戦略的に撤退し、なすべき事を成さねばならない。部下が無能すぎて腹が立ってくる


「兎に角、あの男を連れて車を出し本部に連行しろ! 唯一の手掛かりなのだぞッ!」


「はっ、了解いたしました…」


指令を受けて副官の男が無線機で部下に合図を送る


「もし三日以内で少女に関する情報が掴めなかったら…掴めなかったとしたら…私は、あの男に……」


威勢を張って部下に怒鳴りつけたジョウグンだが、呟きを洩らした時に恐怖に歪んだ顔を作った

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る