2‐6 激走カーチェイス

月明かりに照らされ銀に染まる夜の荒野を失踪する三つの影

それらは環境の変貌によって、急激な進歩を遂げた変異種のハイエナ達ではなかった

確かに夜に群れを成して徘徊するコヨーテは恐ろしい。しかしそれらは対処法を知っていればある程度はいなせる

尤も恐ろしいのは大戦以前も今も変わらず、組織力を持った人間ということだ

野生動物は強靭な瞬発力と鋭い牙を持つが、所詮はそれだけであり道具や焚き火の準備で容易く対処可能ではあるのだ


しかし。人員と物資をしっかり運用可能な組織ならば、統制さえ壊滅的でなければいかなる事態にも対応できる

環境がすっかり変異しあらゆる場所が毒素によって汚染されたアウターですらも、ハンター達の庇護を受け住民は生活できるのだ

だが、ハンターギルドが最大勢力といえど、残念なことにアウターの住民は一枚岩ではない

特に東から流れてきたアジア系の一族は地域に馴染もうとせず、自分達のコミュニティを形成し一族を呼び寄せる

行く手は犯罪組織の温床となる中華街を形成し元居た住人を追い出してしまうのだ

あの男、クム・ジョウグンもそうした数多くの犯罪組織に属する一員なのかもしれない

付近にマフィアの支配する地域は点在しているので奴であると断言できないのは確かではあるが


(あの少女もその一員なのだろうか? だが…)


ディークは思った。しかし、引っかかる所がどうしてもある

外套を着た艶やかな黒髪を持つアジア人の少女は、確かにこちらの地域に住んでいる人間には見えない

そして彼女が時折見せる冷たい眼差しは、どう見ても堅気の人間が纏うそれでないことは分かる

子供を暗殺者に仕立て上げ、売春宿や他の施設に送り込み敵対組織の幹部に近づいて暗殺するなんていう手法はお馴染みの手段だ

だが、あの少女は違う。ダイキンに追い詰められていたレオスと自分を助けたのだ

果たして、意思を持たず組織の暗殺道具であるはずの少女がそんな事をするのだろうか…?


(くっ…余計な事を考えている余裕は、無いようだな!)


背後から連続した発砲音が聞こえ、ディークのバイクの眼前に銃撃が着弾。幾つもの小さい煙を巻き上げる

カウルのスリットから黒光りする二門の銃口がせり出ている。あまり狙いが付けられない固定武装のせいか

今現在必死にハンドルを切っているディークのマシンには、一発たりとも命中しては居ない

しかし詰め手を打たれたのは確かなのだ。振り切るなり手を打つなりしなければ、このままじりじりと追い詰められることになる


(あんな装備を持ち出すとは…厄介な連中だ。だが、これで敵の正体がはっきりしたな)


機銃はなおも断続的に銃声を響かせてはいるが、当たる様子は無くけん制なのは明らかだった

けん制であるということはディークを殺したくないということ。それはつまり自分を捕えて何かさせようという腹積もりなのか

最近の出来事で思い当たるのは。あの男、クム・ジョウグンの訪問だった

彼は大金を出してまでディークから情報を引き出そうとしていたが、何も教えなかった為に実力行使に出た可能性が高い

あの男をディークは警戒していた。太った中年のようななりの癖に、眼光は鋭く凍るようだった

例の少女とは違う意味で危険なのかもしれない。ああいった手合いと関わる事は以前にもあったが

マフィアの下っ端は厳格すぎる規律ゆえに、自分の失敗をカバーすることに手段を選ばないのだ

その際に自分達以外の街や、住民に対する配慮などは一切持ち合わせない迷惑な連中。それがアジアンマフィアに共通するディークの見解だ


(しばらく街には帰れないな…だが、俺の方も核心に近づいたって事か!)


飛んできた銃撃をいなすようにハンドルを切りつつ、ディークは思う。敵の目的が分かっている

情報が欲しいのならば相手も命を取る様なことはしないはずだ。それに自分をここまでして追い詰めるのなら

あの少女について何らかの重要性があることを認めることになる。連中の真の目的が分かれば、核心に近づけるかもしれない

黒い外套を羽織った冷たい目をした少女の事についてもだ。期待外れもあるかもしれないが、自分より多くの情報を握っている可能性がある


乾燥した唇を舌で舐めて湿らせる。危険に合えて手を突っ込む感触がゾクゾクと背中に伝わってくる

ディークはたまに考えることがある。自分がハンターをやっているのは情報屋でアウターの手助けになるよりも

今、風の感触と共にこのスリルを味わうために手を染めているのかもしれないのだと

ディーク・シルヴァという存在の本質そのものが危険という麻薬に侵されているのかもしれないと…

だが、今のところ連中の存在は一つの手がかりになることは間違いない

黒の少女からはどうも危険な香りがする。関わってはいけない類の禁断の果実の芳香が漂ってくる

アウターのルールの存在が頭の中をよぎったが、今の彼は彼女に関ってきた末に危険な目に遭っている。無関係ではありえない


しかし、危険から逃げるような事をしたくはない。それに仕事の信条もある

危ない橋を渡らずに得た情報など、何の価値が見出せるというのだろうか?

少なくともディークは仕事に手を抜くということはしたくなかった。酒場でぐうたれて人口アルコールをあおりつつ

気分次第で周囲に暴力を振るうあのダイキンみたいな存在がハンターの評判を落とす人間にはなりたくなかった

それにあの少女の存在はなにやら良くない匂いがする。間違いなく災いを呼ぶと彼の中の深い部分が警告していた


(俺にだってこの気持ちが正しいのかどうか分からねぇ、ただ――)


関わっていいのか分からないある種の美しさを秘めた黒い美貌を持つ少女

しかし、今ここで行動しなければ将来的に必ず後悔するかも知れないと思ったのだ

何のことも無い、不安定で揺らいでいる確信めいたもの。強いて言えば勘に近い当てになるようなならないような感覚

今は、それに従うことが自分の進むべき道であるとディークは既に決めた


(…まずはこの場を乗り切らねぇとな)


ハンドル中央のシールを剥がすと、赤色のボタンが見えた。短時間にここまで改造するゲイルの熱意に思わず苦笑が零れる

準備が整うと右手のグリップを勢いよく回しアクセルをかけ――――例のスイッチを勢いよく押し込んだ

フィルタが備え付けられたエアダクトから大量の空気が取り込まれ


瞬間。――――ディークのバイク後方で何かが一気に爆発し、マシンのフロントが雄叫びを上げるようにウィーリーする

そのまま一気に加速。景気を流し見すると優に最高速度の二倍を超えて猛烈な加速の反動に歯を食いしばり耐えた

彼は馬には乗ったことが無いが、暴れ馬というのはこういうものなのかとも思う

腹が圧迫されつつ、マシンがバラバラになりそうなほどの衝撃を押えるどころか振り落とされないようにするので必死だった


後方の追跡者から見ると彼のマシンが砂と一緒にいきなり破裂して四散したと思うかもしれないが、真相は違う

大量の空気を取り込んだジェットエンジンが爆発的な推進力と加速を生み、その勢いで巻き上げられた砂が砂塵となり大気中に巻き上げられたのだ。当然ながら二機は獲物を視界から失ってしまい、加速によって大きく引き離される


『念のために新機能を付けてやったぞ!』


自信ありげなおやっさん…ゲイルのいかつい笑顔を思い出す


『また…俺をトンデモ発明品の実験材料にするつもりかよ……』


『ち、違うぞ? 最近たまたまジェットエンジン…に似た加速装置を資料、資材をかき集めて作ってみたんだが

お前さんのマシンに取り付けたのは改良済みの二号機だ。爆発することは多分…皆無だ

それに初速が出やすいようになるだけで大した事は無いぞ……多分!』


2号機…ということは1号機は派手な花火になったのだろうとディークは予測しておぞけが走ったのを覚えている


『あんた…いつか評議会からの命令でガサ入れされてリベアを泣かせるなよ?』


『ガ、ガハハ! あいつはオレの娘だ、ンな事で泣きやしねぇよ』


『それもそうだな…って、条約破ってる自覚あんのかよッ!』


(ありがとよおやっさん。今日は、中々ツイてるぜ俺)


ディークはゲイルに心の中で例を言いつつも、加速して暴れる愛機をハンドルという手綱で押さえ込むのに精一杯であった

三十秒ほど立って背後を一瞬だけ見やると、あの追跡者達の黒い影は見当たらない

ようやく振り切ったらしい。ディークは安心しながら加速が収束し始めたマシンで砂漠を横切らせた


しかし、砂漠の向こう側に見える丘に複数の影が見えた。目視で十…十五の黒い影が月明かりの光をバックにして影を伸ばす

あそこに居るのは変異種のハイエナかとディークは考えた。ならば恐れる事はない

このホバーバイクなら凶暴な猛獣のスピードでも優に振り切れてしまうだろう。先ほどのオーバーブーストを使うまでもない

尤も…後付でこしらえた外部機関を乱用してマシンを酷使した場合、本当に機体がバラバラになってしまうかもしれないのだ

先程の加速で分解しなかったのは恐らく、ゲイルの改良が行き届いているのだろう

ゲイルが好意で金額以上の仕事を行ってくれたのは嬉しいがほんの少しエンジンの調子が悪かっただけなのをここまで改造されて、嘆くべきなのか喜ぶべきなのかディークは迷った

そのまま通り過ぎようと彼は思った。まだ追跡が切れていない可能性を考えて、ルートを偽装しつつ遠回りで町に戻る


(こちらに向かってくる? 最近の変異種はおっかねぇなぁ…)


だが、丘の上の影達はさっと散ってディークを包囲するように向かってきた

まるでよく訓練された集団のように統制の取れた行動。そして微かに聞こえてきたエンジン音を聞いてディークは青ざめた


(マズイ! 奴ら追っ手の増援か!?)


自分を追ってきたマフィアの新手。それに気付いて休息にマシンをUターンさせ、もと来た道を戻ろうとする

しかし、エンジンの調子が悪い。グリップを回しても全く速度が出ないのだ

恐らく、先程のブーストで負担がかかり不調に陥ったのかもしれない

前言撤回、今日は最悪の運勢だ。情況が好転したと思ったら足を掬われてしまう、まさに悪夢でしかなかった

数台のホバーマシンがディークを取り囲む。数人がバイクから降り、銃口を構えた

同士討ちにならないように斜線の角度を計算して弾丸がディークのみに命中するように向けている

それだけではなく、三節金、青龍刀、トンファーを持った屈強の男達が今にも飛びかかろうと構えている

その雰囲気で分かった。武器を持っただけの只のごろつきではない、こいつらは殺しのプロだった


「チッ」


ディークは舌打ちしつつも両手を挙げて、自分のマシンから降りた。少なくともすぐには殺さないはずだ、今すぐには


「ディーク・シルヴァ。ボスがお待ちだ、我々と来て貰おうか」


遮光用のサングラスをかけたクムの腹心らしき、アジア人の男が高圧的な口調で告げた




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