2‐8 獅子の片割れ
「チッ、何なんだよ!あんな化け物がいるなんて聞いてねぇぞッ!」
焦りと緊張からかマフィアの男は仲間と共に侵入者が居るとされるコンテナの物陰にマシンガンを打ち込む
クム・ジョウグンは巨大なマフィア組織『ターロン』の下部組織だったが、麻薬の栽培と流通を担当しそれなりの利益を上げている
だからこそ、部下達に十分な武装を供給できた。潤沢な資金力と人員は組織の力を意味している
そしてジョウグンはいつか自分達の親玉の喉元を喰らい付き、噛み千切って自分こそが此処一帯を管理しようと企んでいた
その一連の計画…ある組織をバックアップとするためのパイプ構築の為に準備は整えてきたつもりだったが――――
弾幕を切らすわけにはいかない。もし、弾が尽きてしまったとしたら…それは彼等自身の終わりを意味している
人の形をしたあの怪物を止める事が出来ないのなら。自分達はジョウグンに責任を押し付けられて消されるかもしれない
末端の構成員とはそういうものだ。補充が利くゆえにすぐ切り捨てられてしまう、だから彼らも必死なのだった
「おい、弾はもう無いのかよ?」
「クソッ、接近戦で殺(や)るしかねぇ!」
マシンガンの銃声が途切れ、弾雨(だんう)の壁が維持できなくなったとき一人が焦りからナイフを抜いて暗闇の中に突進した
後の数人もナイフを抜いて同じように突貫しようとする。しかし物陰の闇の中から出てきたのは敵の姿ではなく
『先ほど』得物を腰に構えて突貫したばかりの仲間の体だった。想像すらしていなかった事態に思わず足が止まってしまう
そして、それは砂漠を舞う一陣の風のように接近した。一人の視界に闇を舞う外套が一瞬、亡霊のように過ぎった後
彼らの仲間達三人は灰工場のコンクリートの床に崩れ落ちていた。目撃者たる彼も背後に誰かの気配を感知した一瞬に
首筋に手刀を打たれ、忘却の彼方へと意識を散らした
「……」
一瞬にて武装した五人のマフィアを倒した、黒いヴェールを羽織った闇そのものといえる少女は
誇ることも奢ることも無く気絶した彼等の体を端麗な顔に無表情を貼り付けたまま見下ろしていた
いや、天蓋の窓からもれる月明かり映す整った顔は怒っているようにも、哀れんでいるようにも、蔑んでいるようにも見えなくない
いくつかの感情が拮抗しあった末に表情が削げ落ちているように見えるだけなのかもしれない
「!」
乾燥した空気すら割くように飛来した銃弾が、超音速で彼女の小さな顔のすぐ横を通過し髪を数本消し飛ばす
コンマ数秒の差で事前に察知して、体をズラしていなければ弾丸が額のど真ん中に命中し脳を破壊していただろう
さすれば『この肉体ですら』も只では済まなかったかも知れない。そこまで『再生』させた試しは無かったが
(…銃声から割り出すとライフル弾、狙撃位置はせいぜい五十メートル圏内…方角は北西、風の影響は無し……)
生命の危機に気を荒げることも無く倒した男達の体から、ナイフを奪ってメスのように構える
少女の小さい手にそれは大きすぎる得物のような気がしなくも無いが、彼女は刃物に使い慣れているようだった
建物を出ると、すかさず銃撃。今度は動いていたために胴体を狙ってきた狙撃は疾走する彼女の数センチ脇のコンクリートを穿っただけだった
黒い風のように走っていく少女。脇から数人の男達が現れて銃を構えるが、ナイフが振るわれると
彼等は倒れる。その合間に同士討ちを恐れぬかのように放たれる狙撃も同様だ
誰も彼女の疾走を止める事は出来ない。黒き少女はまさに戦場の死神となってそこに在り続けた
北側の棟の屋根に男が見えた。その狙撃手は彼女の姿を認めると、接近される前に重石となったライフルを捨て
素早く拳銃を抜いた。三点発射(トリプル・バースト)の三発の銃弾で構成され、三次元的に面となった銃撃が少女を襲う
あえて彼女は大きく上に跳び、銃撃を回避した。月を背景にして跳ぶ彼女の姿は漆黒の衣を纏った堕天使そのものだった
「…」
無言のまま、宙を舞ったまま投げられたナイフが男の胸に深々と突き立つ
短い悲鳴を挙げて、狙撃手が倒れ斜頚から転がり落ちてゆく
そして無事に着地した少女は始動したばかりのエンジン音を聞きつけ、そちらに足を向けた。探し物を見つける為に
「おい、早くこいつを運び込め!」
「了解いたしました、ボス」
機銃が取り付けられ、装甲板を満遍なく追加した武装トラックの荷台に縛られたディークが乱暴に放り込まれた
堅い荷台の底でかすかに頭を打ち、揺らいでいた意識が更に朦朧となる
彼は人事のように考えていた。せっかくの情報源なのだからもう少し丁寧に扱ってほしいと願う
しかしそれは叶えられない様だった。エンジンが始動し、数秒後に前進するトラック
何が起きたかディークは完全に把握する事とは出来ない。だが、マフィアにとって予想外の出来事が起きたのは確かだった
奴等が仮の本拠地にしていたであろう、廃工場は先ほどの悲鳴を聞く限り何者かの襲撃を受けたのだろう
(クソッ…抜け出してやりてぇが、今の体力じゃできねぇ…それに、縄が固く結ばれている。脱出は…不可能だな)
やはり今日の自分はツイていないとディークは実感せざるを得なかった
せっかく千載一遇のチャンスが巡ってきたと言うのに、自分はぐるぐる巻きにされて情けない
それに運転席の二人とは別に、見張りと護衛を兼ねた筋骨隆々の男が荷台に控えている。脱出の望みは薄い
徐々に速度を上げて荒野を走っていくトラック。その荷台に揺られながらこれも運命かと諦めた時、彼は確かに聞いた
もう一つのエンジンの音を。それはディークが追い詰められた改造型のホバーバイクの駆動音であったのだ
(何だ…このトラックの護衛か?)
ならば、武装トラック発進時に随伴してくるのが当然ではないのか? それか、脱出に遅れた部下が追い付いてきたのか
彼の疑問に答えるかのように操縦席のジョウグンと部下の声が聞こえてきた
「おいっ、何打あのホバーバイクは?」
「あれに乗っているのは女…組織のものではありません!」
(女だと!?もしかして……)
ディークの頭の中にあの少女の姿が蘇って来る。まさか…本当に彼女なのだろうか?
「ええい! 構わんから、打ち落とせッ!!」
荷台に待機していた部下が、取り付けられた機関銃のグリップを太い腕で握り長い銃身を追い付こうとするバイクに向け
トリガーを引き絞る。弾槽ベルトが機関部に吸い込まれ、一分で三百発近くの弾丸を吐き出す銃口が唸りを上げて
銃声の咆哮とともに数十の弾丸で構成された火線を吐き出し、死を撒き散らす無数の鉄獣となって荒野の大地を薙ぎ払った
「……ッ!」
黒い少女のバイクはトラックに取り付こうとするが、弾丸の壁に阻まれて近づくことすら叶わない
それに、マシンのバッテリーも残り少なくいつまでも追っている訳にはいかないのだ
更には武装トラックの方も相当に手が加えられているようで、バイクの速度には及ばないものの中々距離を縮められない
最悪にも荷台には大型の機関銃が備えつけられており、万全の対応である
敵は脱出を想定してこの改造トラックを用意していたのだろう。相手の周到さに舌を巻きそうになる
必死にバイクを駆る少女は歯噛みするしかない。このままだと完全に逃げ切られてしまう
「なんてしぶてぇ奴だぜ、いい加減諦めちまいなッ!!」
尚も喰らい付いてくる少女に護衛の男は獲物を求め黒光りする銃口を向けた
それを見ていたディークは二台の縁に足を掛け、蹴り飛ばす事で男の行動を妨害した
「…この野郎…喰らいやがれっ!」
「ッ! この死に損ないがぁ!!」
「…うぐっ!」
男が怯んだ事により、追跡者を怯ませていた弾幕の壁が止んだ
殴り飛ばされたディークだったが、精一杯の抵抗は功を奏したようで男が再び銃のグリップを握るが時既に遅し
黒い街頭を翼のようにはためかせ、少女が荷台に飛んでくる。彼女の姿を認めたディークは何故か笑ってしまった
まるで昔に見たロストメディアの映像で暴れまわる主人公のようだ。暴風のように暴れまわる
体格でいえば少女より三回りも大きい男が襲い掛かってくる。それでもディークに彼女の体が荷台から振り落とされるビジョンは見えない
「う…ごぉッ!」
逆にそうなったのはさっきまで機関銃を乱射していた護衛の男のほうだ。敵の鉄拳を無駄一つない身のこなしで軽やかに交わした後に
掴み掛かってきた勢いを生かし、男の背後から腰を指先で撫でる様にしてバランスを崩させたのだ
二十年近く修行を積んだ体術のプロ…下手をすればもう、二十年を費やさなければならないような見とれるような技巧を披露しても
彼女の顔には静寂と憂いを秘めた表情だけが浮かび、誇るような仕草は見せなかった
「……」
「で…その後どうするよ?」
弱々しい笑みを浮かべながらディークが皮肉気に聞く、すると
それに答えるように少女は左足を一足間引いた後に右腕を左腰に添えるような仕草をする、体はやや前傾姿勢で首だけ正面を向いている
外套が邪魔をして何を掴んでいるのかは分からない。しかしその構えをディークは知っていた
知り合いからジャパニーズ・ソードの模造品を借りて自分も何回かやったことはあるが、うまく言った試しの無い構え―――居合い抜きの型
「――――砕!」
少女の小さい体から出たとは思えない裂帛の気合の後、ディークには彼女の右腕から一瞬淡い紅光(しゃっこう)が伸びたかのように見えた
それはトラックを縦に分けるように光の線を描く。次の一瞬、まるで猫にされるように彼は少女に首をつかまれ、空を飛んでいた事に驚いた
何しろ自分より頭一つ半程度に背が低くて、華奢な少女が自分を掴んで三メートルほど飛び上がったのだ
前方で赤く溶断した切断線を残してトラックが左右に寸断され、分断された左右は爆発せずに荒野に転がってゆく
その中からジョウグンと部下がそれぞれ這い出し、脱出した部下は怪我をして動けない上司を放って一目散に逃げ出した
原理はよく分からないが、エンジンも人も避けて『斬った』のだろう。ダイキンのエクステンダーを倒した手品がようやく判明したわけである
「うひゃあ…今日は驚きの連続だぜ」
縄を解いてもらいながらディークは今日何度目か分からないほどの溜息を漏らすのであった
助かった。それを実感させた安心感からか、そのまま疲労と困憊が一気に体を苛み、意識が徐々に薄らいでいく
それでも時間をかけて歯を食いしばり、気を失わないように努力する。こんな荒野で変異種に襲われてはひとたまりも無い
とにかく、ふらついた体を酷使して立ち上がろうとする。そして背後から野太い悲鳴が上がりディークは振り返った
ディークを助けた少女は、今まさにトラックの残骸から這い出してきたクム・ジョウグンに歩み寄っていく
一歩づつ一歩づつ、確かな足取りを持って紺屋の荒れた大地を踏みしめるように
滑らかに、そしてしなやかなフォルムでようやくよろよろと立ち上がりかけたジョウグンの前に立つ
「お、お願いだ…見逃してくれ…金はいくらでも出す……」
怯えた声で命乞いをするジョウグンを、少女は冷めた目つきで見下ろしていた
普通ならば十台半ばの少女が持ちえる事が無い、絶対零度の眼差しに射止められたかのようにジョウグンの肥満体が震えだした
「頼む…命だけは…」
マフィアのジョウグンの哀れむ声に堪える様に少女の方が膝を下ろし、右手を差し出した
そのまま大昔の王妃が忠実なる騎士の手を取って労う様に、彼女の繊細な指がジョウグンの肥えたソーセージのような指を摘んだ
「貴方に私の情報を探れと命じたのは…誰?」
澄んだ声だが無機質な少女の言葉に、安堵に緩んだジョウグンの肥えた顔から一気に血の気が引き蒼白に染まる
「え……そ、それは…知らない!」
「………そう」
少女は短く答えた後に、彼女の細い指がジョウグンの小指を思いっきり捻り上げた
「ぎっ! ぎゃああああああああああああああッ!!!!」
男の指があらん方向に折れ曲がっている。街頭を羽織った彼女が
「…何か知っているのでしょう? 答えなさい」
「オ、オレは何も知らないッ! 『獅子の片割れ』と名乗る男がッ、この話を持ちかけてきたんだよォッ!!」
「……」
少女はあっさりと情報を漏らしたジョウグンを解放して荒野から立ち去っていった
ディークは悲鳴を聞きつけ、よろめきながらも泣き喚いているジョウグンの近くまで出向き
そろそろ夜明け色に染まりそうな荒野一面から黒い街頭の影を目で追ったが、少女の姿は何処にも見当たらなかった
「く…クソッ……復讐してやるぞ、小娘と銀狐め………」
朝焼けの太陽が荒野一面を染め上げる時間に砂漠を一人歩いている男の姿があった
彼の名前はクム・ジョウグン。一帯を仕切っているアジアン・マフィアの幹部である
彼のプライドはえらく傷つけられていた。呪詛のこもった恨み言を呟きながら歩いていく
「小娘め…俺をこんな目に遭わせやがって…組織の総力を持って捕え、あらん限りの辱めを受けさせてやる……
…情報屋、貴様もだ……お前に関わったせいで俺はこの様だ。お前も拷問にかけてやる……ククク」
「そいつぁ、出来ねぇ相談だな」
「ヒィッ…!」
ジョウグンは声を聞いて怯えた。その男に見覚えがあったからだ
ある意味では少女やディークよりも恐ろしく。そして…何よりも逆らっては居ない相手
「あなた様は…獅子の片割れ…」
「お!よく覚えてくれたじゃねぇか。自分でつけといて何なんだが気に入ってんだぜ、その通り名はよ」
ジョウグンより二周りほど大きい巨漢の影は、朝日の逆光によってはっきり見えない。
左目に眼帯を付けた大男は片目であるにもかかわらず、鋭い眼光で小さいジョウグンを見下ろしている。
しかし、右腕に装着した異形のシルエットはまるで巨大な義手を装着しているようだ。
それはその男にとって愛する肉親との誓いであり、あるじに対しての主従の証であり男の全てだった。
だが、そんな事情など知らないジョウグンにはそれが男の持つ暴力の象徴に見え、恐怖の対象でしかない。
「お前さん、どうやら喋っちまった様だな。別にかまわねぇが…兄貴の手間を煩わせやがって」
「どうか…どうかもう一度チャンスを与えてくださいませ…今度こそは…今度こそは必ずや、あの女を………」
「そうか、まぁ…考えてやってもいいぜ」
「おお…ありがとうございます……」
ジョウグンは男の慈悲に感涙にむせび泣いた。そしてあの二人をどうやって捕え、どんな屈辱を与えようかと。
いつか来るかもしれない復讐の機会を待つ暗い悦びに胸を奮わせたが、しかし…
「悪ィ…やっぱ止めだ。兄貴に迷惑をかけるわけにはいかねぇよ。すまんが、あの世からもう一度やり直してくれ」
「え…?」
目に見えないスピードで奮われた巨大な爪はあっと言う間にジョウグンの首が両断し、群青色が乳白色に変わり始めた空に血の飛沫が舞う。
空気さえ切り裂く一撃は一陣の烈風のように素早く、鋼鉄さえも砕く重さと破壊力を兼ね揃えている。
奮われた凶器の速度は常人には見る事は出来ない。その速度はあの少女の抜刀に勝るとも劣らない早業だった。
「あばよ…それにしても埃が多いか。だが、やっぱり外に出るのも悪くないよなぁ…さて、帰ったら兄貴に報告だ」
皮肉気に呟いた巨漢が立ち去っていくと、新鮮な血の臭いを嗅ぎ付けた変異種の猛獣達がさっきまで生者だった肥満男の死体に群がってくる
そして、日が完全に昇り始めじりじりと砂漠の砂を焼く温度に達する頃は、ジョウグンの死体は跡形も無く消えていたのだった
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