1‐6 一刀両断

「ダイキン! 約束通り来たぞ!!」


あの時の荒野、もう数十キロ歩けば砂漠が見える場所でディークは声を張り上げる

砂塵の向こう側におぼろげな夕日が滲み、それが血の色を連想させてしまうようで

彼は不安になった。待ちかねたダイキンが人質を殺してしまってないかと思うと足が震えてしまいそうになる

しかし、萎えそうな決意を辛うじて押さえ込んでいるのは場数を踏んだことと、マスターのレオスへの思慕の情からであった


『…よぉ、遅いじゃねぇか! 待ちくたびれたぜぇ』


不機嫌さの混じったダイキンのエコーがかった声が鼓膜に響き、ディークは不快そうに眉を顰める

同時に薄闇の中砂色の機体が人体の目に当たる赤いセンサーを光らせながらこちらに歩いてくる

ズシン、ズシンと大地そのものが蠕動する…知識だけは聞いた事のある地震のように巨人が現れた

そのマニュピレータには人質として捕らえられていた男。酒場のマスター、レオス・バァイルが生気を失った顔でぐったりしていた


遠目からだがその顔には殴られたような傷があった。ディークは怒りのままに拳を握り締める

この男はいつもそうだ。傲慢さを隠そうともせず腕っ節で他人を従わせようとする単純な気質の馬鹿なのだ。悔しい事にアウターには似たように暴力を振るう事が快楽になっている輩が決して少なくないのだ

そんな彼の本性に気づきつつも、どこかで信じようとしていたディークは自分の愚かさを祟るしかない


『オイ…てめぇ、何のつもりだ? 一人で来いとは言ってなかったはずだよなぁ…?』


エクステンダーのスピーカー越しだが、ねっとりとした声が体中に絡み付いてくるようだった

やはりこの男の本文は復讐に合ったらしい。どうせやるなら自分一人を狙えばいい、マスターは彼に何の危害も加えてないのに

尤も、それがダイキンの狡猾で陰険な仕返しの方法だとしたらこの男も相当な恨みを買っているはずだ


(俺もそうかもしれないが、こいつも碌な死に方をしねぇだろうな…)


胸中で思った愚痴は実際にダイキン本人の乗ったエクステンダーの前で喚きたかった。しかし、今は人質がいる

つまりは、下手にダイキンを挑発する行為というのは軽率なのだ。今は少しでも機嫌を取ってこちらの優位になるように立ち回らなければならない

この男に頭を下げるのは御免だった。こんなことをするくらいなら野犬のクソでも舐めたほうがましだと思う程度には


『俺様の言った条件と違うじゃねぇか! ああァン!?』


「彼女はここには来ない」


『おい、今なんて言った?』


「居場所が掴めないんだ。仕方ないことだろう?」


ディークの言葉の後、目の前のエクステンダーから下品な笑い声が響いてきた


『クヒッ…クハハハハハハハハハハァッ!! 情けねぇなあオイ!

それでもテメェ情報屋の端くれかぁ? 酒場で俺様に切った啖呵は虚仮嚇しだったのかよ?

ククク…こいつは傑作だ! ディーク、お前はトンでもねぇ腰抜け野朗だよ! 

テメェみてぇな玉無しカマ野朗は、ハンターなんざ辞めて貧民街でナヨナヨした男娼にでもなって金持ちの豚にケツ掘られちまいなァ!』


「…ッ!」


ダイキンのあからさまな挑発にディークは言い返したくなる気持ちを抑えた

こいつはこうして煽って来るのだ。相手が挑発に乗って逆上したのを大義名分に暴力を振るう口実を作るのだ

だからこそ、耐えるしかない。彼の油断を誘い隙を作り、そこを突く為に

しかし…こいつもそれを熟知しているのだろう、エクステンダーから出ようとしないのは用心してのことなのか?


「代わりに俺を好きにしろ。だからマスターを返せ」


『…ほう』


先ほどとは打って変わって、低く短い声でこちらの興味を探るダイキン

獲物を目の前に舌なめずりするような様子が厚い装甲越しにも伺えるようだった

屈辱ではある。しかし、あらゆる手を考えては見たが時間が少なくダイキンが何をするか分からない以上

こちらも後手に回らざるを得ないのだ。奴もそれを熟知した上で邪魔の入らないこの不毛な荒野を選んだのだろう


『フン…いいぜ。どうせこいつなんかいらねぇ、テメェに復讐できればそれでよかったんでな!』


「マスター!!」


家の柱ほどありそうな腕が振られ、レオスの体が中に放り投げられた

放られた彼の体はこのままだと岩に激突するだろう、ダイキンがわざとそうしたのだ。ディークは走るが間に合いそうに無い

ダイキンのけたたましいしい笑い声が響く中、時間がゆっくりと進んでいくようだった

ディークも身体能力にはそこそこの自身がある。しかし現地店と岩との距離は優に十メートル

レオスの体を受け止められたとしてもエクステンダーに乗ったダイキンをどう対処するか、見当すらつかない


(すまねぇマスター、俺がふがいないばかりに…)


諦めかけたディークの手前、岩に彼の体が激突する寸前に突如として影が横切った

それは疾風の如く、ディークの失踪を悠々と追い越しレオスの体を受け止めて見せた


『てっ…てめぇはッ!!』


「……」


レオスの命を助けた少女は、傷だらけの彼の体を労わる様にゆっくりと下ろしディークに預けると目の前の巨体に堂々と向き直る

その眼差しは事務所で紅茶を啜っていたときとは違う、冷たく狩を行う野生の肉食変異種のように獲物を見据え自分の五倍近くある砂色のエクステンダーに、全く臆することも無く氷のような殺気を向けていた

ダイキンもカメラ越しに見る少女の迫力に押されたのか、小山のような巨体が一歩だけ引くのをディークは目撃する

有り得なかった。凶暴なジャイアントグリズリーとやりあえる重兵器が、見た目は小柄な少女に気配で圧倒されているなど


「黒い…女…」


ディークは思わず彼女を顕すに尤も相応しい言葉を呻くように漏らしていた






『ようやく現れたようだな…クソガキ』


「…」


巨大な鋼鉄の威容に対して、見上げる女は冷静そのものだ

黒い瞳の奥はまるで静かな湖水の様に揺らぐことはない。傍目から見れば絶体絶命の状況なのに彼女は動じる様子さえ見せなかった。

それに気づいてないのかはたまた委縮したと思い込んでいるのか、ダイキンは相変わらず怒声でスピーカー越しにがなり立てていた


『俺様にはカスタムしたこのビルド1984Dがある。人間なんざあっという間に肉塊に変えちまうコイツがなぁ…この前のようにはいかねぇんだよ!』


外套を羽織った少女を見たときのダイキンの驚いた反応を覆い隠すようにスピーカーからは強気の大声が響いてくる

ディークはその様子をダイキンが焦っていると見た。今の奴は目の前の少女にしか向けられていない

つまり、自分達には注意を払っていないということだ。今ならばレオスを抱えて逃げ切れる

その後に、ハンター評議会に電報を打ちダイキンの悪行を報告する。証言の裏付けはレオスとあの場所にいた客達がしてくれるだろう

ダイキンはギルドから称号を奪われ間違いなく追放されるだろう。ハンターの管理する地区に入られなくなる

しかし…自分達が逃げたとして、目の前で佇んでいる少女はどうなるというのか?


(あいつを見捨てろっていうのかよ!)


ディークの考えた案は至極全うで一般的だ。そしてそれにはダイキンのエクステンダーから無事に逃げ出すことを前提とする

自分とお荷物になったレオス二人だけでは逃げ切れない。誰かが留まってダイキンを引き付けておく必要がある

しかし、今この場所でそれが出来るのはディークの知る限り一人しかいない

その人物に囮の役割を押し付けるのは気が滅入った。彼女がいなければレオスは岩に打ち付けられて死んでいたのだから


「この場を立ち去れ」


意外な事に助け舟は少女のほうから切り出してきた

一瞬頷きそうになるが、首を振ってディークは引き下がろうとする


「しかし…あんたは!」


「居座られると…戦闘の邪魔になる」


少女は一言で彼の反論を封じ込んだ。その声には情報屋としてさまざまな人間に向き直ったディークを黙らせるほどの重みが秘められている

そして、彼女の後姿には決して悲観的なものは見えなかった。勝てる打算があると

外套越しに見える背中は絶対的な確信とそれを押し通すであろう静かな意志が見えない力となってニッ陣でいるように見えた


「信じて、良いんだよな?」


「……」


確認の言葉に少女は無言で頷く。ディークはそれを見て、己の出来ることはもう一つしかないと悟った


「じゃあ…死ぬなよ!」


一言だけ激励を残すと、ディークはレオスの体を背負って走っていく。なるべく背後は振り返らないように全力で岩場を駆けながらも

自分達の窮地を救ってくれた勇敢な少女の無事を祈るしかないのが辛い

情報屋としての自分の力ではエクステンダーという【力】を持ったダイキンに殴り合いのフィールドで勝てるはずがないのだ


(済まねぇ…この借りはいつか必ず返すからな!)


誓いを胸にディークは勇敢な少女が勝つことを祈りつつ、一人の知己であり師匠を救う為に全力で現場から離れていった







『チッ…ディーク共が逃げたか! まぁいい、俺様の主目的はてめぇに復讐することなんだからよォ!!』


言うなり巨大なエクステンダーは直径二メートルほどのある岩をマニュピレータで掴みあげた

元々は土木作業用として開発されたエクステンダーがなせる芸当である。武装を付け足せば兵器にもなる巨大重機は中型の変異種程度ならばねじ伏せる程のパワーを秘めているのだ


『ホラよ、こいつは小手調べだ。簡単にくたばるんじゃねぇぞ!』


ダイキンは言葉の後にエクステンダーに岩を投げさせる。数トンはありそうな巨大な岩塊が圧倒的な質量兵器となって女に迫る

しかし彼女は背後に飛ぶことでそれをかわした。しかし岩は砕け、無数の破片となって四方八方に飛び散った

狡猾なダイキンはわざと罅の入った岩を投げたのだ。彼女が避ける事を見越して

いくつもの破片が少女に襲い来る。ほとんどを回避した彼女だったが左の頬を尖った破片がかすめ、深い切り傷が出来る

どろりと傷口から赤い血が溢れ出した。もう少し右にあたっていたら致命傷になっていたかもしれない


『おうおう…可愛いお顔に傷をつけちまったな。クク…悪いことしちまったな』


謝罪の言葉とは裏腹に残虐に満ちた笑いに連動するように、エクステンダーの頭部センサーが赤く邪悪に光った

彼女の頬から一筋、赤い筋が流れる。その顔には先程までと同じ冷静な表情は崩れていなかった。


『どうだ?謝るなら命だけは助けてやってもいいぜ。その後にターロンの連中に売り飛ばしてやるがなぁ!』


「…」


女は無言でエクステンダーに苛烈な視線を向けていた

痛みに悶える素振りさえ見せないその姿勢は少しも許しを請う様子が見えない


『テメェ! 何か言ったらどうなんだ!!!』


「…うるさい。黙れ」


怯える様子さえ見せない彼女にダイキンの苛立ち紛れの怒声が飛ぶが

当の本人はそれに竦めるどころか、あからさまに軽蔑しきったような口調で黙れと言い返す。

決して大きくない声だったが、無駄に高性能なビルド1984Dの集音スピーカーが彼女の言葉をはっきりと補足していた

そして冷めた敵の反応が、直情的で手が出やすいダイキンの堪忍袋を刺激してしまう


『もういい…オマエは可愛い顔の原型が無いようにグチャグチャの八つ裂きにしてやる

その後はいけすかねぇディークの野朗とレオスのジジイだ!あいつらのせいで俺様のプライドは滅茶苦茶にされたんだからなぁ!』


「……」


激昂したダイキンの暴言にも彼女は無駄と切り捨てんばかりに何も言い返さなかった

だが無言で腰を低く、更に右手を腰に当て左足を二歩ほど後ろに引く妙な体勢をとる。まるで何かのスタイルを取るように

ダイキンはそれを全く警戒しなかった。ただ彼女を叩き潰そうと巨人に右腕を上げさせる

恐らくはそれを振り下ろし、少女の体をミンチのように叩き潰してやろうという魂胆なのだろう

しかし、彼女は避けようとすらしない。何かに意識を集中させるように目を閉じている


『オラァァァッ! ズタズタのミンチ肉にしてやるぜぇぇッ!!』


振り下ろされる鋼鉄の腕。その様はまさに【豪腕】の異名を持つダイキンらしい攻撃だった


「ヤバい!」


ディークは思わず大声を出した。レオスも小さな彼女が叩き潰される光景を幻視した

しかし標的の姿は捉えきれない。機体のモニターに移ったのは鮮血のように鮮やかな深紅の光

それは一瞬紅い閃光のようなものが一陣の線となり機体の側面を横切ったように見えた


『な…なんだとおぉッ!』


ダイキンが驚きの声を漏らしたのも無理はない。敵の姿はいつの間にか自機の背後に移動しており

それだけではなく…振り下ろしたはずのビルド1984Dの右腕が両断され目の前の地面に突き刺さっていたのだ

切断されたエクステンダーの胴から剥き出しになったフレームと、高温に熱された潤滑液が蒸気となって噴出している

意味が分からない。機体の不調は事前のメンテナンスでは見つかっていない

それに相手がどんな小細工を使ったのかダイキンには全く分からなかったのだ


『くっ、こ…子供騙しがぁぁぁッ!!』


湧き上がった得体の知れない恐怖を押さえ込むようにして、ダイキンは左腕のほうも振り上げた

エクステンダーに搭載された優秀なバランサーは、四肢の一つを欠損したくらいで機体の稼動に支障をきたす事がない

彼は機体の性能頼りに女の形をした得体の知れない恐怖を、取り除こうと再び攻撃を仕掛けた

しかし鋼鉄の拳はターゲットの姿を捉えられず。跳躍した彼女はその上を滑るように胴体に駆け上っていく

そして腰の動力部に手に持っていた武器を逆手に突き刺した。それこそが先ほど機体の右腕を切断した武器であったのだ

それは、赤いまるで鮮血のような光の剣。実体を持たない光刃が分厚い装甲を易々と裂いたのか?


「何だあれは…わけがわからねぇ……う、うわああああああああああああっ!?」


少女は機体の中枢部に一突き入れると一瞬で機体から飛び上がり、その場から退避する

一方で動力の冷却機をやられたダイキンのエクステンダーは暴走し、機体の熱が徐々に上昇して燃料に引火した

コクピット周りを覆う局所的な爆発が散る。ちゃんと整備された機体なら主要な冷却装置が破壊されてもすぐに誘爆はしないのだが

自業自得な事に機体の馬力の強化ばかりに改造を加え、ディークの忠告を無視して安全性を軽視したダイキンの決断は命取りであった。

徐々に機体全体を包み込む紅蓮の業火はコクピットを瞬く間に覆いつくした…パイロットは恐らく助からないだろう

すっかり暗くなった砂漠の夜に篝火のように映える赤い紅蓮の炎。連鎖的に巻き起こる爆発が背を向ける少女の髪を揺らす

彼女は一度だけ振り返った。そして濡れた左頬の血を拭うとどういうわけか傷口はすっかり塞がりピンク色の筋が見えるだけだった

炎に包まれるエクステンダーに哀れみを含んだ様々な感情の混じった視線を投げると、そのまま元来た道を帰っていく


「あいつ…一体何者なんだ?」


傷を負ったレオスに方を貸しながら夜の砂漠の向こうに消えていく影をディークは見守ることしか出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る