1‐5 剛腕のダイキン
歪ながらも人の形を象った巨大な鋼鉄の威容。まるで古代から残された神を模した像が神託を受け命を吹き込まれたかのような存在感
しかし目の前の人型重機…エクステンダーはそれそのものが人の意思が動かす搭乗方の巨大な人の形をした作業用ツールなのだ
【エクステンダー】それは前大戦で使われていた兵器の【ギガント・フレーム】…通称GFをカルジェンス工房が簡略化し建造したものが元祖だといわれる
ギガント・フレーム…さながら巨人(ジャイアント)はそれこそ人型の巨大な鎧として嘗ての大戦で運用され恐れられていた。
しかし、コロニー側と結ばれた【条約】によってGFの所有や運用をアウターは禁じられておりその代用品として生まれたのがエクステンダーなのだ。
現在ではGFは航空機同様コロニー側の特殊部隊以外での運用はほぼ禁じられており、アウターは許可を受けた一部の施設や団体以外がパーツの一つでも所持した場合は
即座に査察の対象となり強引に住処を家探しされ、挙句の果てに所持や運用の嫌疑のかかったものは連行される羽目になる。
エクステンダーはコロニー側から提示されたスペックを下回るものしか生産や運用を認められないのだ。
そうだとしてもエクステンダーは巨大変異種から身を守るために欠かせない貴重な戦力である。
だが同時に非合法的な組織に属する者達からはたびたび犯罪の道具として扱われることが多かった。
求めに応じ再び蘇った巨人は持ち主の忠実なしもべとなりその巨大な腕や足で人間では排除し得ない大きな障害を取り除いてきた。
いうなれば主の意向に従う巨大な眷族と評すべき機械の鎧はいかなる命令にも忠実なのだ…それが下種で邪悪な意思を持つ人間であっても
そして生身の人間にエクステンダーに対抗する手段はほとんど無いといっても良い
元々が前時代に生産されていたジャンクパーツなどから、使用に耐えうる部品を選び抜いて継ぎ接ぎされたそれは
過去の【大戦】においても兵器として使われていたGFの血を受け継いだ曰く付きの代物なのだから
「ダイキン…お前」
『こいつは俺様の切り札でビルド1984Dとかいう型を改造したものだ。過去にシベリアに出たという幻のジャイアントグリズリーですら太刀打ちできんぞ!』
エクステンダーの中に納まったダイキンが優越感たっぷりに力説するのを、ディークは不快そうに聞いている
こいつがこうする事を考えていないわけではなかった。復讐するとしたらあの少女か、自分の方に牙が向けられると思っていた
しかし、甘かった。こいつは自分に敵対した盗賊団を皆殺しにしてしまうほどの凶暴性の持ち主なのだ
「逃げろ、ディーク! うわあああああっ!!」
「マスター!」
ダイキンのエクステンダーが家の柱ほども在る巨大な腕を穴に向かって伸ばし、マスターの体を掴んだのだ
『へへっ、荒鷲のスナイパーなんて言われた腕もこうなってしまえば形無しだな、レオスの旦那よォ!』
「く、クソッ…ディーク、逃げろ…」
『おめーへの復讐方法は昨日よーく考えたぜ、ディークよぉ』
再びダイキンの野太い笑い声がスピーカー越しに響く、歪な人型をしたエクステンダーの左手に握られてい居るのは店のマスター
「マスター!」
『こいつを助けたかったら半日後に俺が恥をかいたこの前の場所に来るんだな。勿論、上の人間に連絡するな…わかってるよな?
おっと、忘れるところだった。もう一人ゲストに招いてほしい奴が居たな…ディーク、あの女を連れて来い!
俺様に恥をかかせたあの小娘をなぁ! ケツ出して逃げてもいいが、俺様の機嫌を損ねたら
旦那の奥さんが未亡人になっちまうぜぇ…ククク。そうなってもお前とあの女は草の根分けてもブッ殺す!
ハンターの掟なんか知った事か!こいつさえあれば俺の腕を買ってくれる奴はいるからなぁ…ククク』
「ディーク! 俺の事は見捨てろ、お前は逃げるんだ!」
『うるせぇな、黙ってクソオヤジ!』
マスターを握り締めた左手のマニュピレータに圧力が加えられ、彼は苦悶の声を漏らす
無論、今は殺さないのだろう。人質の価値がある【今】は命の保障はあるはずだ
しかし、あのダイキンの事だ。いつ、気まぐれを起こすか分からない
下手に反抗すると、人質の体を握っている鋼鉄の指が柔らかい人体を握りつぶしてしまうからだ
ディークは歯噛みするしかない。己の愚かさと、見通しの甘さに腹が立ってしょうがない
『じゃあなディーク。夜の荒野で待っているぜ、クハーッハハハハハハッ!!』
ダイキンはエクステンダーを振り向かせ、はるか彼方へと走り去っていった
機体の重量が引き起こす地響きの名残がする間にディークは店の扉を開け、デザートカラーの機影を眼で追ったが影も形も無い
「クソォォッ!」
怒りと悔しさの感情が体の中で暴れまわるのを制御できず、叫びと共にディークは近くの岩に拳を叩きつけていた
乾燥した肌が割れ、傷口から血が噴き出していく。そんな自分の怪我はどうでも良い
それよりも時間通りにダイキンの要求に従わなければ、体中から赤い血を流して死ぬの人間が
世話になった店のマスターのことだとを嫌でも実感するしかなかった
「チクショウ! …どうしたらいいんだ?」
事務所に戻ったディークは悔しさと共に机を叩いた。置きっぱなしだったカップが揺れて乾いた音を立てる
今は何かを飲んで気を紛らわせることも出来ない。先ほどからすでに四時間経過していた、残り時間は約八時間しかない
その間にディークは一応ハンターギルドにダイキンの悪行を報告しようとしたが、そうなればマスターがどんな目にあうかわから無い
情報屋としての武器は備えているつもりで引き際も弁えている筈だったが、こうしている場合どうすればいいか分からなかった
自分の無力さを思い知らされる。それにダイキンが言っていたもうひとつの条件―――黒い外套を着た少女を連れてくる
そんな事は不可能だった。場所が全く掴めず、居場所や情報すらないものを探しようが無い
それに出来る出来ない以前に、自分以外の人間を巻き込みたくは無かった
あれはディーク本人の落ち度だった。必要以上に彼を追い詰めなければ、このような思い切った行動に走らなかったかも知れない
(本当に俺は未熟者の大馬鹿者だ!困っている人間を助けるどころか、身近な人を危険に晒してしまうなんて…)
彼は今猛烈に後悔していた。情報屋という恨みを買いやすい仕事を選んだ事を
情報は確かに人を救う大きな力だ。電波無線以外では有効な通信手段が無いアウターにとってコネクションや独自のルートで仕入れた
生きた情報は莫大な富にも勝るとも劣らない力を秘めている
しかし、その反面で情報は人を破滅させる事ができる事をディークはよく知っている
仮にダイキンがこの前に引き起こした狼藉の一部始終を情報屋であるディークが握って居る事自体、彼にとっての弱点という事になる
もし、あのダイキンがこの事で過剰に考えていた場合…今回のような行動に走っても不思議ではなかった
あの【豪腕のダイキン】が仲間を引き連れてたった一人の少女に敗れ去る…なんていうネタは彼に恨みを持つ人間にとって
十二分に利用できるスキャンダルという事なのだ。それをダイキンは恐れていたために人質を取った
恐らく、ダイキンの主観ではあの時の醜態を使ってディークが自分を貶めようとしていると被害妄想を抱いているのかもしれない
当のディークからすれば、そんなつもりは全くといっていいほど無かったは皮肉だが
(クソッ…ダイキンの野朗)
胸の中で悪態を吐く。彼の命を助けたのは恩を売るためではない、純粋にハンターとしての仲間意識が働いたからだ
ダイキンは確かに山岳地帯に根城を構えているような盗賊に近い乱暴者かもしれない
しかし彼もハンターとしてアウターの治安維持に多少なりとも尽くしてきたのは確かだと思っていた
彼自身の良心を信じていた。しかし、それは甘すぎる見通しだったのだ
裏切りにあったのは初めてではない、情報だけ受け取り金を払わなかった人間もいるし詐欺にディークをはめようとした奴もいる
それでも彼は人を信じないという選択肢は存在しなかった。そうしたら負けのような気がするのだ
自分が裏切られるのはいい。しかし、そ知らぬ顔で自らが他人を切り捨てる事だけは耐えられない
これは彼が巻き込まれたある悲劇にも起因していた。ディークはこの世界で生きていくにはお人よし過ぎた
しかし、そのせいで大切な人間が危険に晒されるのは我慢できない。しかし、タイムリミットは迫っている
「クソッ、クソ…クソおおおおッ!」
苛立ちを隠せずに机を叩き続けるディーク。こうしている間にも残された時間は刻々と減っていく
「……」
その時だ、ガチャンと入り口のドアが開けられそこに取り付けられていた鈴が鳴ったのは
ディークは顔を上げた。今日の仕事は断るつもりだった、客には悪いが今はそんな気分ではなかった
しかし静かに入室した黒い影は、前見たときと変わらないやや釣り目気味の感情を感じさせない眼差しでディークに視線を向ける
「…ディーク・シルヴァの事務所はここかしら?」
「お前は…!」
声に力んだ感情が乗るのも仕方ない。彼の前に現れた【客】とはこの騒動の現況になった人物
闇をそのまま切り取ったような、黒い少女の白い貌を半場睨み付ける様にして、ディークは呻いた
「何の用だ?」
元来は明るい彼の気性から考えられないほど、硬く低い声が喉から漏れる
ディークが客に対して不機嫌さを出すことは、商売作法上ありえなかったが今の彼の心境を思うと仕方の無いことかもしれない
少女はそんな彼の不機嫌さにも頓着しないように、小さな唇から言葉を紡ぐ
多少し日焼けている白みがかった肌とは対照的なまでに紅く、生き血を啜ったかのような唇に少女らしからぬ艶かしい色気があった
「忘れ物…届けにきた」
そう言って、袖からナイフを取り出して丁寧に机の上に置く
ディークは瞬間的に自らの胸ポケットをまさぐった。確かにあの時彼女が自分のナイフを使ったままだった
そして自分の迂闊さに腹を立ててしまう。詰めが甘いからダイキンの様な人間に舐められるのだ
「それ以外の用件は?」
「…別に」
「そうか、なら帰ってくれ。今日の俺は機嫌が悪いんだ」
うざったらしい羽虫を追い払うように片手を振って、出て行くように告げる
しかし少女は出て行かない。まるで何かを見透かすような視線をディークに送っていた
三十秒、一分、三分…互いに視線を交わしたまま時間だけが過ぎていき、どちらも言葉を発しない
本来ならば見知らぬ人間に視線を向けられるのはあまりいい気分ではない。対外のそれは好奇か敵意の二つに分かれるからだ
だが、彼女の送るそれはそのいずれとも違う。まるで風が吹き抜けているように透明な眼差しはどこか温かみを感じさせる
それが、ディークの心を多少なりと落ち着かせた。やりきれない怒りが波を引くように静まっていくような不思議な感覚
「…とりあえず、茶でも飲むか?」
僅かに彼女が頷くのを見て、ディークはコップと水の準備をするために別室に入った
重苦しい雰囲気の中、互いに無言であった。目の前の少女は差し出された紅茶になかなか手を伸ばそうとせずじっと水面を見つめている。ディークは何かまずい対応でもしてしまったかと焦ってしまう
確かに飲食物に睡眠薬などを仕込む人攫いも多い。それを警戒しているのなら仕方がないかもしれない
彼女の小柄な風貌はモンゴロイド系に見える。そもそも東洋人は東の方のさらに汚染された地域に固まっているという
ディークの近くにも東洋人が居ない訳ではないが、もっぱら評判はよくない
物をよく盗んだり徒党を組んで盗賊まがいの事に手を出したり、売春街の半分以上を東洋人マフィア【ターロン】が仕切っていたりと
ハンターギルドさえ手を焼く始末だった。それゆえか東洋人の持つ特徴的な黒髪と黒い瞳はそれだけで忌み嫌われる象徴だった
しかし、目の前の少女からはそういったある種のあつかましさや、下品さは感じられない
だが、ある種の危うさを感じてしまうのは事実だ。抜き身の刃のように触れるもの全てを傷つけてしまうような繊細さと鋭さを内包しているような気がした
それが見た目以上に彼女の存在感に深みを与えていた。もしかしたら外見から想像できないほど年齢を重ねてるのかもしれない…と口には出さないが、そう思った
「……」
ようやく彼女がコップに手を付けた。決していやらしい気持ちは無いが緊張と共にその様子を見守る
朱色の唇が陶器の白いコップの淵を軽く咥え、手に持ったそれを徐々に持ち上げていく
熱のこもった液体を嚥下する白い喉が、まるでコップと同じような色をしていた
バカバカしい。ディークは自分の頭を殴りたくなった、こうしている間にも酒場のマスターは捕らえられているというのに…
「…悪くはない」
「そうかい、それはどうも」
ディークはため息と共に自嘲気味に笑った。恩人が酷い目に有っているのに自分は何をしているのかと考えてしまう
だが、ふと気づいてしまう。もしかしたら自分は幸運なのかもしれないのだと
そして、彼女はダイキンが探したであろう消息不明の少女だった。彼女の召還は奴の要求に叶っている
(こいつなら、事態を解決してくれるかもしれない。だが…)
事態を解決してくれるかもしれないという彼の希望は、ダイキンが持ってきた奥の手の存在で風前の灯になった
いくら彼女の腕っ節が強くても、相手は5メートルほどの巨大変異種と殴り合える人型重機・エクステンダーなのだ
そんな化け物と殴りあわせようなんていくらなんでも無茶がある。木の棒で古城の石壁を打ち崩すのに等しい
部屋に入った後でも外套を脱がずに羽織った少女は、空になったコップを置きじっとディークを見つめていた
水晶のように澄んだ瞳。今の彼女に話せば協力が得られるかもしれない、根拠無き憶測がディークを揺るがす
一人より二人の方が状況の打開が手に届くかもしれない。しかしそれは再び彼女を巻き込むことになる
それもディークの都合で、数年前のあの時のような悲劇を繰り返すことになるかもしれないのだ
「悪いが…おかわりはないんだ。このご時世で水はどこの地域でも貴重でね」
「…」
彼は乾いた唇を舐めた。ここ数年で砂漠地帯はアジアを中心に広がっており、世界各地で乾燥地帯が広がっている
水を求めて争いが起こっている地域も多い。誰も彼もが聞こえているようだった、緩やかな破滅の足音が…
少女は納得したように無言でこくりと頷く。分かっている筈だ、このアウターで生きていくことがどれほどまでに難しいのかは
友人でも客人でもない、見ず知らずの他人に水を使ってもてなすことはよほどの馬鹿か、善人でもなければやらないだろう
「もう帰ってくれ。ナイフの件は礼を言っておくよ…ありがとうな
それと何か情報が欲しい時は俺に言ってくれ。尤も、ここを突き止めたあんたならその必要は無いかもな…」
ディークが促すと黒の外套を着た彼女は意外なほど大人しく出口に歩いていく
彼はほっと胸を撫で下ろした。やはり無関係な他人を巻き込むことは出来ない
彼女がいくら強いといってもそれを免罪符にして、死地へと誘う様な事はしたくなかった
アウターでは貴重な子供を利用して、自分だけ生き延びるような汚い大人にはなりたくない
ディークは少なからずそんな人間を見てきた。食う為に仕方が無い連中のは分かるし納得できる
しかし、中にはそれを快楽としているような下種も存在した。そういった救いようの無い屑は何人か破滅に追いやっている
今、思えばダイキンもそれに当てはまっていた。数回仕事したこともあり、彼の事を過大評価していたのはディークの甘さだ
それは自分で清算しなければいけない彼の罪。命をかけてでも軽薄な行動は償わねばならない
「…あなた、死ぬつもり?」
唐突に少女が振り向いて尋ねた。やけに大人びた声音だったが不思議と疑問に思う気持ちは無い
「ああ、自分ひとりで恩師の命が助かるようなら安いものさ」
覚悟を決めた顔でディークは笑う。美しい顔の黒い来訪者は彼の横顔を一瞥するとすぐに出ていった
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