1‐3 黒い刃
「おい、お前!」
「……」
店を出たディークがいの一番に少女に継げた言葉は。挨拶と呼ぶにはあまりにも不躾な呼び声だった。
無論のことだが、外套を着た少女は警戒の眼差しをディークに向ける。その眼光の鋭さに彼も一歩ほど引いてしまう。
今まで、幾つもの修羅場をくぐって来た。そして、幾人ものハンターに逆恨みで殺されかけた事も在る。
まだ二十になったばかりのディークだったが。少し筋肉質な優男にしか見えない外見とは裏腹に人生経験にはそれなりに自身がある。
しかし、やはり自分も若造だと感じさせざるを得ない。此処まで殺意に満ちた少女の視線にはついに当てられた事などなかったから。
目の前に広がる荒涼とした荒野を思わせる少女の瞳の光が、何を宿しているのかディークにすらも解らない。
「お…おい! 俺は敵じゃねぇって!!」
思わず上擦った声を上げてしまい。ディークは自分の情けなさに呆れて来る。
しかし、それで少女は目の前の金髪の青年が脅威で無いと悟ったのか…はたまた別の理由からか殺気を解き、背中を見せた。
だが、それだけだ。背後からも伝わってくるびりびりとした気配はまだ彼女が警戒している事を示している。
「…」
「…あんたに一言言いたい事があってな」
一呼吸息を吐き、心音を落ち着かせる。人と向かい合うときに使う彼なりの自己制御術だった。
この少女と相対するにもよほどに神経を使ってしまう。本当はこんな危ない奴と係わり合いになりたくない。
彼の仲間だって十中八苦そうだろう…いや、一人だけ例外が要るかもしれない。ある男の暑苦しくも陽気な髭面がディークの脳裏に思い浮かぶ。
そしてディーク自身も少女に言いたい事があったのだ。情報屋として本来は報酬を受け取るべきなのだが。
女性や子供に優しいジェントルメンを自称する彼は初回のみ無料で情報を提供している。それが元で痛い目を見た事も何度かあったが…
「おい」
「……」
「ちょっと…」
「……」
「ねぇ…」
「……」
しかし、そんなディークの親切も無視して少女は荒野を歩き続ける。そしてそれを追う若い男。
傍目から見ると痴情の類を連想する人間もいるかもしれない。尤もそんな浮ついた想像が出来る人間はアウターにおいても一握りなのだが、
それにディークはともかく少女はそんな雰囲気に見えない。鉛色の雲が覆う空の下で無表情なままでひたすらに地平線に向かって歩いていく。
……彼女の背後を付いていくディークの存在をまるっきり無視したままで。
そして傍目から見ると珍妙な格好をした年若い少女を追っかけている青年の構図は、ある種の奇妙さと悲しさを思わずにはいられない。
「おい…待ってくれよ!」
「…私に関わらない方がいい」
透き通った声で囁くように少女が言う。決して大きな声ではないものの言葉ははっきりと彼の耳に滑り込んだ。
年齢以上の重みが感じられる台詞にディークの足が止まってしまう。少女の言葉はそれだけの力を秘めていた。
「まぁ、話を聞くくらいいいだろう?」
軟派で軽い口調で話しかけるディーク。声をかけられた彼女の端麗な表情が固くなる。
少女はそれを無視しており、表情の変化もディークのいった言葉の影響ではない。
瞳をナイフのように細め、最小限な眼球の動きで周囲を見渡した。
不毛な荒野といっても、何も無いわけではない。雑に削りだされたような荒々しい岩が周囲に幾つも転がっている。
それはそこそこ大きく、それぞれが人一人くらい隠すのに訳は無い。例えるならば、酒場にいた大男達でも…
「合計…六人。囲まれた?」
「だーかーらっ! 言いたい事がこっちはあるっつーのッ!!」
「…」
ディークの言葉をそよ風のように受け流す少女。不毛な荒野に吹き荒れる風は彼女の短い髪を揺らしたが。
少女の眼光は冷たく、永遠に解けない氷のような冷たい輝きを放っている。
それでも青年は辛抱強く彼女の小さい影を追っていったが、あるとき少女は振り返り静かだが良く聞こえる警告を口にした。
「…逃げなさい」
「何ッ?」
先程に増して固くなった少女の声はディークの鼓膜を打った。彼女は自分に逃げろといったのがわかる。
こんな場所で? いったい誰が? 泡のように浮かび上がった。
その彼の疑問は次の瞬間岩陰に隠れた五人の屈強な男たちが姿を現すことによって氷解される事になった。
集団の頭目であり、見覚えのある男の姿を目にしたディークは思わず声を上げてしまう。
「ダイキン…やっぱりあんたか!」
「ククク…ディークよお。あの安っぽい酒場ではよくも恥をかかせてくれたじゃねぇか! あぁ!?」
色黒の大男は人間一人文ほどの背丈に近いサーベルの刃先を舐めながら、残虐な笑みを浮かべた。
ほかの人間も昆、トンファー、青龍刀…等。思い思いの武器を取り出して暴力の予感に酔う下劣な笑みを一同に貼り付けている。
皆が、ディークの計略で酒場を追い出されたもの達だった。この場面を予想していなかったわけではない。
しかし、まだ日が出ているのにあまりにも行動が早すぎる。夜道に隠れて襲撃してくると思ったのだ。
「てめぇは俺たちに恥をかかせた。そこのお嬢ちゃんもなぁ…この礼は今ここでたっぷり落としてやるぜ」
ディークは自分を落ち着かせようと唇を舐めた。相手は「豪腕のダイキン」であり、己も戦えないわけではないが分が悪すぎる。
第一、彼のフィールドはドンパチじゃないのだ。それに仲間達が四人ほどダイキンに味方しているのだ。
数の上でも不利。彼の前に立つ少女は只者ではない気配がするが、たとえ仮に彼女がダイキンと同等に強かったとしても、
残ったダイキンの仲間達が自分達を叩きのめすだろう。彼女を庇いながら戦うなど不可能…絶体絶命というわけだ。
「ダイキン。恨みを晴らしたいんなら、俺だけ狙いばいいだろう?」
「ククク…そうはいかねぇなぁ! そこのお嬢ちゃんは俺様に暴言を吐いたんだ
命を懸けてアウターを守るハンターに、その言い分は流石にねぇよなぁ! てめぇをいたぶった後で
お嬢ちゃんはきっちりと俺様が教育してやるぜ…クハハハハハハハ!!」
ディークは目の前の男に見下すような眼光を送った。この男は正真正銘、暴力だけのクズでしかない。
そしてこのような男の力すら借りてしまうようなハンター評議会の人手不足と、安易に暴力に訴える人間が多い世界の不条理に腹を立てた。
「お前、本当に噂通りの男なんだな。ダイキン!」
「ほざけ!てめぇは同業者のよしみで生かしてやるが。口も利けないほどに痛めつけてやる
おい野朗共、ディークの野朗をぶちのめしてやれ! 女は俺様がやる。なぁに…後でお前達にも好きにさせてやるぜぇ!!」
高々にダイキンが声を上げると、取り巻き達が大声を上げながら殺到してくる。
どれもハンターとしての腕はダイキンに劣るが、それでもディーク以上に強い相手なのは確かだった。
「了解したぜぇ…ダイキン」
「クソ生意気な若造、テメェのスカした面には前々からムカついていた所だったんだ!」
「野朗…岩肌に叩き付けて全身の骨を砕いてやる!」
迫り来る大男達の影。絶体絶命かと思われた時にディークの前に外套を着た少女が立つ。
まるで彼を守るような仕草に、ディークは驚く。あまりにも無謀が過ぎるようにしか見えなかったのだ。
やめろ。俺が囮になるから君は逃げろ!と、言おうとした時だった。少女がこちらを振り返ったのは、
ナイフのように細められた瞳の奥に暗い輝きが宿っている。それは無言のままに彼に安心しろといっているような気がする。
しかしディークはそう思えなかった。一瞬、目の前の少女の気配が膨れ上がり巨大な何かにしか思えなかったからだ。
「…借りるわ」
「何ッ!?」
少女は一瞬振り返るとディークの腰から護身用の短剣を抜き放った。一瞬目が合う。
彼女の目は湖水のように静かだった。今は生命の危機に晒されているのに、そんな自分を客観的に見つめているような光。
例え、次の瞬間に男達の拳によって彼女の細い首が捻じ切られようとも、死の寸前まで表情は変えることがないのだろうか?
そう思わせてしまうような絶対零度の光。…だが、その更に奥には深遠のような光が宿っている。
何か目的があるのだろう、それも彼女の生き方すら固定してしまうような衝撃的な出来事があったのだろうとディークは推測する。
情報屋を営む、彼の洞察眼であった。ディークはまだ二十歳になったばかりだが、仕事柄ゆえそこそこの数の人間と会ったことがあった。
(こいつ…本当にガキなのか?)
目の前の少女は十代後半に見える。しかし、洗練された雰囲気と気配は歴戦の戦士そのものだ。
こうした重々しい気配を纏うハンターと言うのは、あの店のマスターのように往年の勇者達ばかりなのであった。
無論、彼女の年でハンターをやっている人間も見たことがある。
しかしここまで研ぎ澄まされた抜き身の刃のような人間を自分は知っていただろうか?
「…」
「なんだァ…こいつ、かなり強いぞ!」
そして、信じられない事に彼女はナイフ一本で四人の男達と互角に渡り合っており、しかも押していた。
腕を振るたびに煌めく銀光の軌跡は、一撃一撃が必殺のそれとなっていて大男達は手持ちの武器で防ぐのに手一杯に見える。
ディークは信じられなかった。彼女は自分の得物ではなく彼自身の護身具であったナイフを使って圧倒しているのだ。
安物でもないが高価でもない。顔見知りの骨董屋で買った古いナイフだったが見事に使いこなしている。
それでも散発気味に男達は反撃を加えようとするが、霞のようにとらえどころの無い少女の動きについていけない。
中には彼女への攻撃を諦めて、ディークを人質に取ろうと動く者も居るにはいた。
しかし、そうすると行動に隙が出来る。守りが甘くなった男の鳩尾に閃光のような手刀が入り崩れ落ちる
一人脱落した事で、情勢は一気に変わった。少女の攻勢が濃厚になり男達は武器を叩き落され呻き声を残し次々に崩れ落ちていく。
一分も経たない内に四人を先頭不能。そしてどういうわけか殺した様子にみえない。
あの鋭い動きはすべてけん制だったのか?これまでに何度か今の状況と同等の修羅場はくぐってきた事はあるが、
ここまで圧倒的かつ一方的な戦闘をディークは今まで見た事が無かった。
「な、なんだ! おい、早すぎるじゃねぇかよッ!!」
驚愕しているのはあのダイキンも同じようだった。ディークは始めて彼に同情した。
それはそうだろう。瞬く間に自分の仲間が瞬殺されてしまったのだから、誰だって動揺する。
そもそも今の自分もダイキンと同じ気持ちなのだ。目の前に起きた出来事が信じられないほどには。
「クソッ…どうせ虚仮脅しよ! 叩き潰してくれるわあッ!!!」
普通のハンターなら、尻尾を巻いて逃げる所だ。それでも流石に【豪腕】の異名を抱くダイキンは、
少女の背よりも大きいワイドブレードを振りかぶって突進してくる。その迫力は流石に仲間達とは違っていた。
彼の前に立つディークなら、避ける間も無く上半身と下半身を肉厚の刃に両断されて終わっていただろう。
しかし目の前に居るのは得体の知れない、夜色の外套を羽織った死神のような存在なのだ。
それを差し引いてもダイキンの戦意は他を圧倒させる迫力と雄たけびを上げて敵に襲い掛かる。
対する少女は、静まり返った荒野のように荒涼とした眼差しで自分に向けられた殺意に相対していた。
大地すら割り一刀両断するような一撃は、縦一文字の破壊の嵐となって叩き潰すように外套を薙ぎ払った。
「クハハハハハ!! 呆気無ェなぁ…さて、次はテメェの番………何だと!?」
「それで…終わり?」
振り下ろされたワイドブレードの刃の上には、外套を脱ぎ捨て身軽になった少女が冷たい眼差しでダイキンを見下ろしていた。
ダイキンの行動は早かった。得物の柄から手を離し、即座に間合いを取り次の攻撃に備える。
それだけの判断が無意識に出来たのも彼に戦士の素質があったからに他ならない。
巨体に似合わず素早いバックステップで大きく距離を取り、腰から予備のナイフを抜き放とうとした一連の動きは流石にごろつきと一線を画していた。
しかし、相手が悪い。悪すぎた…黒髪を揺らし一陣の風となった少女は、
即座にダイキンの懐に潜り込み、彼の喉にナイフの刃先を突きつけていた。そこだけはどうしても防御しきれない人間の弱点である。
「こ、殺すのか? この俺を!?た、頼む…どうか命だけは…金も出す…」
すっかり恐怖に怯えたダイキンは、命乞いをするが少女には冷めた目つきで見上げている。
「貴方は仲間と違って、ここで諦める様な人間じゃない…今ここで禍根を断ち切る」
ゆっくりとナイフが突き出され、黒い肌に血の玉が噴出すのを見て思わずディークは叫んでしまった。
「頼む! ダイキンを助けてやってくれ」
「…どうして?」
少女の表情は相変わらず変わらない。ナイフを微動だにさせないまま、背後のディークに視線を向ける。
「こんな奴でもハンターなんだ。アウターには今、人手が足りない…それに俺なんかのために後味の悪いまねは出来るだけ避けたい
どうしても無理だって言うんなら仕方が無い。だが頼む、借りとしてこの男を助けてやってくれないか?」
「……」
何故、そんな事を言うのかディークには分からなかった。
ダイキンは少女に絡んできた。結果的に撃退されたとしても、彼に恥を書かせたのは自分にも原因があるのだ。
人殺しがいけないとか、人間全てが博愛主義者で無ければならないとか傲慢な考えは彼も持っていない。
それに…自分なんかの為に年端の行かない少女が人殺しをするなんて後味が悪すぎる。
理想主義者であることは自覚している。それを何度か笑われた事もある、口の悪い仲間から陰口を叩かれている事も知っている。
この事も只の自己満足でしかない。しかしダイキンであっても顔なじみの仲なのだ。知り合いが死んでしまう事は何よりも辛い。
そして何より無闇人が死ぬことを「彼女」が望む筈も無い。悪党でも助けられる命があれば、手は差し伸べたかった。
「そう…わかったわ」
無表情のままそう言って女は刃を納めた。ディークはふう、と溜息を吐く。
汗と砂で体の中がぐちょぐちょに濡れて気持ちが悪い。一ヶ月びりに緊張した出来事だ。
流石に尻餅は付かなかったが、大金を払ってでもろ過した水で数週間ぶりにシャワーを浴びたい気分になった。
(あいつ、ターロンの人間なのか?)
非合法組織ターロン。麻薬や売春、そして土地や重火器の売買で巨額の富を築いているアジアンマフィアである。
強大な武力と支配地域を持つ彼等の力はこのヨーロッパ付近でも多数の中華街が拠点として機能していた。
アウターはそんなターロンと力関係こそやや上回っていたものの迂闊に手を出せずにいた。
しかも彼等は東方の北京コロニーとの繋がりもあってか治安を乱す存在でありながら容易に取り締まれないのだ。
(だが、あいつらのような冷たい暴力の感じはない…それに俺を助けてくれた)
去っていく女の背が砂漠の陽炎の向こうに消えるまで彼は見守っていた。
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