第9話:嫉妬も度がすぎれば恐怖となる。

 わいわいと賑やかな町中をのんびりとした足取りで歩く。

 平和の二字を体現したかのような光景には、自然と心も弾み頬も緩くなる。

 3年前は屍山血河しざんけつががそこらじゅうに広がっていたとは、到底思えまい。

 やはりフレインこそ王として相応しく、一介の鍛冶師では荷が務まらない……そのことを踏まえて思考を巡らす景信の意識を、隣を歩くキャロが強制的に現世に連れ戻した。



「ちょっと景信! アタシとデートしてるんだから余所見ばっかりしないで!」

「……さっき警邏けいらだって言ってなかったか?」

「警邏という名のデートよ! アタシがするのはたまにで、後は他の兵士達が欠かさずやってくれてるわ。それよりもホ~ラ、ちゃんと手も繋いで!」

「わ、わかったからそう急かすなキャロ……!」



 すっかりキョロのペースに乗せられてしまっている。

 互いの指を絡め合うようなこの独特な繋ぎ方を、大陸では恋人繋ぎというらしい。

 葦原國あしはらのくににはない文化をまた1つ学んだ一方で、恋人同士でないものが果たしてよいものか……景信はそこがわからなかった。

 後この繋ぎ方はなんだか歩きにくい。



「なぁキャロ、普通に歩かないか?」

「なんでよ」

「だってこの繋ぎ方は歩きにくいぞ。それに俺達はまだ――」

「えぇ、まだ正式な夫婦じゃない。だけどいずれそうなるから問題ないわよ」

「いやいやいや……」

「何よ? 何が不服なのよ」

「不服というか、なんというか……」

「――、まさか景信! アタシ達以外に女ができたんじゃないでしょうね!」

「何故そうなる!?」



 キャロの発言に、景信は思わず叫んだ。

 いくらなんでも曲解のしすぎだ。

 もし本当にいたのだとしたら、再会を果たしたその時点できちんと告げている。

 ありのままの事実を告げるが、キャロの瞳はまるでこちらの話を信じていない。

 強い疑いの眼差しに、さてどうしたものかと景信が少しでも口を閉ざせば、それ見たことかとキャロの追及が間髪入れずに始まる。



「嘘よ……だってアタシ達、結婚するのよ? それなのにフレイン様やクアルドやラニアでもない、他の女と付き合ってるだなんて……!」

「おい落ち着けキャロ! さっきから言ってるけど俺にはそんな相手はいないからな!?」

「……本当に?」

「お前に嘘言って俺に徳があると思うか?」

「……わかったわ。ごめんなさい、見苦しいところ見せちゃって」

「い、いやいい。気にするな」



 辛うじて危機は去った。

 キャロが追及してきた時、彼女からは明らかに殺気がほとばしっていた。

 鋭利な刃物のように鋭く、獅子を彷彿とする猛々しい殺気に憐れにも免疫のない一般市民が次々と卒倒していく。

 兵士ですらも卒倒している者とそうでない者とであれている。

 被害が拡大する、その前にキャロの機嫌を取れた景信は安堵の息をホッともらした。


 後で始末書だろうが、そこはきちんと責任を取ってもらいたい。

 景信は街中を物色して回る。隣では――まだ不安があるのだろう、表情かおをわずかに曇らせたキャロが恋人繋ぎに加えてより身体を密着させた。

 柔らかな二つの山に右腕が挟まれる。はっきりと言って大変心地良い感触だ。


 大陸に赴いた景信がまず最初に抱いた疑問は、彼女らの恰好であった。

 場所は異なれど、女人が戦場に出ることも確かにある。

 愛する者を護るため、国のため――その想いに性別による価値観など路傍の石に等しい。

 だが一騎当千の兵……キャロやフレインらのように真の強者であればあるほどに、その出で立ちは傾奇者かぶきだ、と景信はそう言わずにはいられない。


 朱色の美しい光沢を持つ軽鎧――それがキャロの恰好なのだが、形状はまるで防具としての役目を果たしていない。

 腹部や二の腕、太腿は完全に素肌を晒しているし生地の部分が圧倒的に多く占めている。

 唯一堅牢な守りを誇る胸当てでさえも、時には布のように柔らかくなるからもう訳がわからない。

 この鎧を考案した作成者もそうだが、なんの違和感も疑問なく完璧に着こなしている彼女達に景信は毎度ながら疑問を抱く。


 こんなもので敵の攻撃から身を守れるはずなどない……そう思ってはいるものの、実際に彼女らはこの鎧の甲斐あってこれまでに数多くの難を逃れている。

 不思議なことに敵の攻撃はまるで吸い寄せられるように、唯一の金属部に直撃している。

 何か特殊な能力が付与されているのか、だとしたら自分にもほしいぐらいだ……キャロ達を見る度に、景信はいつもそう思っていた。


 それはさておき。



「キャロ……さすがにくっつきすぎやしないか?」

「別に、いいじゃない。減るもんじゃないンだから」

「ただでさえ歩きにくかったのに、余計に歩きにくくなったぞ」

「夫婦になればこれが普通なんだから。景信の故郷は違うの?」

「いやそんなことはない、はず。だけど少なくとも俺の周りでこう、露骨にくっついていた夫婦はいなかったかもなぁ」

「そう。まぁいいわ」

「えっ? このまま歩くのかよ……」

「当然じゃない! か、景信がアタシを不安にさせたのが悪いンだからね!」



 そっちが勝手に妄想したくせに……今すぐにでも言ってやりたい気持ちをぐっと堪えて、渋々景信はこの状況を受け入れることに務めた。

 またさっきのように殺気を迸らされては、堪ったものではない。

 

 ちょっとした不祥事があったものの、城下町の雰囲気は依然として平穏のまま。

 この時が恒久であることを切に祈る景信に、たったったっ、と1人の女性が駆け寄る。

 あの女性は、はて誰だろう……いざ対面した女性に景信はまったく憶えない。

 しかし女性の方はどうやら違うらしい。

 ようやく見つけた、とそう言わんばかりの眼差しに景信は小首をひねる。



「ま、まさかこうしてまたお逢いできるなんて……!」

「あの、失礼ですがどこかでお逢いしたことがあったでしょうか?」

「はい! あの内乱の時、逆賊バンディッシュとその配下であったモンスターの大群に襲われていた時にあなたに命を救っていただいた……!」

「……あ~、あの時の」



 この女性に対しては、やはりというか記憶にない。

 だが内乱のことは昨日のことのように鮮明に思い出せる。

 コルパトルの戦い――後にこう呼ばれたこの戦いで数多くの牙なき者が命を失った。

 フレインの兄にして、次兄であるバンディッシュとその副官サイガンによるモンスターの大侵攻を、景信はまるで津波のようだと記憶している。

 当時の生存者とこうして再会を果たせたのは、景信としても嬉しかった。



「あの時は本当にありがとうございました! フレイン様や、バンディッシュを討伐してくださった景信様のおかげで私はこうして生きております」

「いやいや、お気になさらずに。私はただ、自分ができることをしたまでですので」

「それでも、助けていただいた事実は変わりません。どうかお礼をさせていただきたいのですが!」

「いやそれには及びませんよ。お礼なら義勇兵として働いていた時にちゃんと報酬はいただいていたので」

「それでは私が納得できません! そうだ、せめてお食事だけでも――」

「ちょっといい加減に死なさいよ」



 不意にキャロが会話に割って入った。

 途端に女性の顔からは、子犬のような人懐っこい笑顔がすんと消える。

 やがてガタガタと震えて顔からの血の気が引いている。

 明確な恐怖を示す女性にキャロは淡々と言葉を紡ぐ。



「分をわきまえなさい。アタシと景信は今は警邏をしている最中なの。それに……将来アタシ達は結婚することも約束してるわ」



 いやそんな約束してないだろうに……そうツッコミを入れる雰囲気ではないと察して、景信はこの場は黙ることにした。



「わわわ、私何も知らずにぶぶ、無礼なことを……ももも、申し訳ありません!」

「いい? 二度とアタシの景信に色目使わないでちょうだい? 次やったら……殺すわよ?」

「はいぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」



 脱兎の如く逃げ出した女性。

 ふんと忌々し気に鼻を鳴らすキャロに、さしもの景信も咎める。



「おいいくらなんでもやりすぎだろう。相手は一般市民だぞ?」

「そんなの関係ないわ。あの女……アタシの景信に色目使ったのよ?」

「だからって……」

「誰にも渡さないわ……絶対に。景信と幸せになるのはアタシ達だけでいいんだから。そのためだったら例え自分の国の女でもアタシは……」

「……最後の発言は、聞かなかったことにしてやる。だけど二度と言うなよ」

「わかってるわよ」



 こんな顔は戦場でも一度として見たことがない。

 ラニアが鉄仮面だというが、あれはよくよく観察すれば自ずと理解できるようになる。

 一点――とっくに見えない女性の背中をジッと凝視するキャロのその横顔からは、まるで感情が読めない。

 嫉妬か、はたまた殺気か――いずれにしてもどす黒く濁らせた瞳から察するに、きっとロクなことを考えていないのだけは相違あるまい……そんなキャロに景信は不覚にも恐怖を憶えた。

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