第10話:(自称)嫁がめっちゃ厳しい

 人が空を駆る……葦原國あしはらのくにではまず経験できない。

 かつてこの話をした時、周りの人間は誰も信じなかった。

 大方夢でも見たのだろう、と揶揄する面々に景信は口を閉ざした。

 妖怪とかがいるのにどうしていないと断言できるのか、その自信はいったいどこから湧いてくるのやら……彼らを説き伏せる気はない、が狭く浅はかな思考は実に惜しいしもったいない。

 クアルドとその愛馬――ペガサスと共に空を雄々しくも優雅に泳ぐ最中、景信はそんなことをふと思う。



「風が気持ちいですね景信さん!」

「あぁ、景色もいいし言うことなしだ」

「大空で誰にも邪魔されることなく、二人っきりの時間……最高です!」

「まぁ、それは確かにそうだな」



 キャロとの警邏が終わった直後、今度はクアルドに付き合わされた。

 景信としては、いい加減この辺りでまともな休息を少し入れたかったが、彼女の前向きかつ強引な性格の前には勝てず、現在に至る。


 とはいえ、空の散歩というものは悪いものではない。

 寧ろ清々しさすらあるし、疲労を訴えていた心も自然と軽くなる。

 もっとも、高所恐怖症の輩は心からこの素晴らしい光景を楽しめないだろう。何せ地面までとの距離はだいたい10町分(およそ1090メートル)、万が一落下しようものなら死は免れない。

 地面へと叩きつけられたら、熟しすぎた柿が潰れるが如く。想像しただけでも背筋がゾッとする結末には、景信もぶるりと身体を震わせる。


 その恐怖さえ乗り越えてしまえば、なかなかに楽しい。

 しばらく空を遊泳していたペガサスが突然その軌道を変える。

 向かった先は山頂で、距離が近付くことで一面美しい花が咲き乱れていると景信は気付く。

 ふわりと降り立った時の風に乗って、甘く優しい香りが鼻腔をくすぐった。



「――、到着しましたよ景信さん! お降りの際は足元に注意してくださいね!」

「これは……ずいぶんときれいな場所だな」

「はい! 私のお気に入りの場所なんです! 辛い時や悲しい時、ここにくることで元気をもらってるんです!」

「なるほど。確かにここならどれだけ心が荒れていても落ち着けそうだ」



 極力花を踏まないように心掛けて、ふと足元にちょこんと鎮座する小さな存在に気付く。

 人間が自力で昇ってくるのは少々……否、かなり骨が折れるような場所にある。

 人間という普段目にしない存在がきっと珍しいのだろう。



「随分と人懐っこいなお前は」



 ふんふんと鼻を鳴らしてこちらを見上げる姿は、とても愛くるしい。

 撫でたいと思うのは必然であるし、小動物の方も受け入れる姿勢を心なしか整えている。



「――、危ない景信様!」



 クアルドが叫んだのは、手を伸ばしたのとほぼ同じタイミング。

 彼女が得意とする得物の直槍ランス――カルバトロスが地面を穿った。

 正確にはさっきの小動物に目掛け、あろうことかこの娘は槍で突いた。



「と、突然何をするんだクアルド!」

「危険です景信様! 私の後ろにお下がりください!」

「そ、そんなに危険なモンスターだったのか!?」



 思わず警戒態勢を整えるが、はて何かがおかしい……景信はふと我に返る。

 危険なモンスターがいるような場所に、わざわざ連れてくるだろうか。

 加えてさっきの小動物に警戒するほどの危険を感じなかった。

 実際クアルドの刺突に驚いて、慌てて逃げている。景信が念のために尋ねた。



「クアルド、さっきのあれはそんなに危険なモンスターだったのか?」

「もちろんです! あの動物……景信さんに色目を使ってました!」

「……は?」



 さも平然と答えるものだから、景信はきょとんとした顔でクアルドを見やる。

 彼女の発言の意味が、ぜんぜんわからない。



「……クアルド? どういう意味か説明してくれるか?」

「さっきのは雌です! 景信さんはモテモテですし、結婚したいって思う雌はたくさんいるんです! だからさっきの雌は景信さんの童貞を狙おうとしていたので追い払いました!」

「……いやいやいや、その理屈はいくらなんでもおかしいだろ! 後その、なんで知ってるんだ!」



 クアルドの説明の後半に、景信は大いに焦った。

 周囲が所帯を持ったり恋人ができる中で、景信はまだそういった経験が一度もない。

 興味は、むろんある。男なのだからそればかりは切っても切れない性だ。


 それはさておき。


 クアルドが女性経験のなさを知っている、これ自体がおかしい。

 あえて自分から周囲に言いふらすような、自虐嗜好はない。

 彼女はどこで情報を仕入れたのか……景信はそのことだけが気になって仕方がなかった。



「臭いです!」

「に、臭い……?」

「景信さんから他の雌の臭いがしないから、きっと私達のためにずっと童貞を守ってくれているとしって、私とっても嬉しいです!」

「うん違うからな。別にお前達のためにとかじゃないからな普通に!」



 まるで猟犬のように……それ以上の嗅覚の良さに、これには景信も驚愕を隠せない。

 そして、こんなにも自分達の都合よい解釈ができるクアルドに恐怖も憶えた。



「それじゃあ景信さん! 邪魔な雌も追い払ったことですし、ここで私と夕食までゆっくりとすごしましょう!」

「え……?」

「まさか……嫌だと言うつもりじゃないですよね? 優しくてかっこいい景信さんですから、そんなこときっと言わないですよね?」

「お、おぉ……当たり前だろ。こんないい場所だ、のんびりするのも悪くない」

「はいっ!」



 ぞくりと全身の肌が粟立つほどの殺気に、ついそう言ってしまった自分が恨めしい。

 しかし、ここで断るのが得策でないことを景信は理解していた。

 ペガサスという移動手段があってこそ、この山頂へ着いた。

 もし彼女の機嫌を損ねて放置されたものなら……彼女の機嫌は損なわない方がいい。景信はそう心掛ける。

 歩いて下山するにはいささか手厳しいし、仮に下山できても【オルトリンデ王国】まで相当な距離がある。

 高い城壁の囲いから一歩でも外に出れば、そこで待つのは無法地帯。

 モンスターはもちろん、野盗などの類と遭遇する可能性は極めて高い。

 無傷で町まで戻れる保証は、例え強者であろうとどこにもないのだ。



「ふふっ、デート楽しいですね景信さん!」

「そ、そうだな……」



 昔はこんな娘じゃなかったはずなのに……3年という月日でこうも人間は変われるのか、と景信は空を仰いだ。



「ねぇ景信さん、腕組んでもいいですか? いいですよね!?」

「お、おぉ……」

「えへへ……それじゃあ失礼します!」



 嬉しそうに微笑むや否や、クアルドは纏っていた鎧を一部外した。

 板金鎧プレートメイルの下に隠された彼女の肉体に、景信は思わず見惚れてしまう。

 3年も経過しているのだ、人間が成長するには十分な時間といえよう。

 ただ以前の慎ましい胸はもうない。とんでもない代物を鎧の下に隠していた。


 ふくよかな双子山が右腕を挟み込む。

 キャロとは違った感触に、景信は焦燥感を拭えない。

 


「な、なぁクアルド。お前といいフレイン達といい……俺のどこがそんなにいいんだ?」



 自分が思うに、この大陸にもいい男ならたくさんいる。

 知人で候補を出すならやはり、身の丈以上の特大剣を軽々と操るグライヴを忘れてはならない。

 品行方正ですべての騎士の模範でもあるかのような優男という外見をしておきながら、いざ戦場に出ればその姿はさながら静止する竜巻のよう苛烈な戦い方をする男だ。

 同じ男からみても、グライヴはよい男であるし実際に数多くの女性が彼に黄色い声をあげているのも景信は何度も目にしている。

 彼では駄目なのか……思い切って景信は、クアルドへ尋ねる。



「グライヴとかはどうなんだ?」

「グライヴさんなら内乱が終わってから1年後に結婚しました」

「え? それは本当か!?」

「はい! 今はたくさんの奥さんと一緒に幸せそうに暮らしています! でもここ最近と言いますか……結婚してからずっとやつれ気味なお姿しかお見かけしなくなりましたね。だけど奥さん達の方はとってもお肌がいつもツヤツヤしてて……」

「あ~……まぁ、とりあえず生きているならそれでいい」

「グライヴさんも景信さんに会いたいって言ってました! あの時つけられなかった決着を今度こそつけたいと」



 それは当分不可能だろう。

 もとより戦う気がない景信であるが、全力を出せない相手と手合わせをして勝利しても嬉しくなどない。

 どうせやるのなら全力で――もっとも、その全力を拝める日は二度と訪れそうにもないが……。



「しかしあのグライヴが結婚してたなんてなぁ。じゃあ他に好きな男っていうか、気になる奴はいないのか?」

「いるわけないじゃないですか! 私もフレイン様達もずっと景信さん一択です!」

「そ、そんなにか……。さっきの質問に戻るけど、どうして俺なんだ?」

「そんなの決まってます! 景信さんが大好きだからです!」

「その気持ちは嬉しいんだがな? どうしてここまで、その……俺みたいな奴を好きになってくれたのかが、俺自身もよくわからないんだよなぁ」



 景信は純粋に己の胸中にある疑問をクアルドに投げる。

 熱烈にアプローチしたのならともかく、景信にはそういった記憶が一切ない。

 せいぜいが日常会話程度ぐらいなもの。顔を合わせればよぉ、と声をかけて時折体調なんかを気遣ったりする――誰もが当たり前としてやっていることだ。

 連携と統率が戦況を大きく左右するから、日々のコミュニケーションを皆欠かさない。

 だからこそ、フレインをはじめとする面子からこうも好かれることが景信は不思議で仕方がない。



「それですよ!」

「え?」

「景信さんは誰よりも優しすぎるんです! 景信さんは特に大したことはしていないって思ってるかもしれないですけど、私もフレイン様も他の皆もそれだけでたくさん助けられたんです!」

「そ、そうなのか? う~ん、自分じゃわからないもんだな……」

「そんな人を好きにならないはずがないじゃないですか……。だから景信さん、私は景信さんとの結婚を心から望みます! 側室でも本当に嬉しいんです!」

「クアルド……」

「――、だから景信さんにちょっかいを出そうとする雌はすべて排除します! なので景信さんは安心して私達だけを愛してください!」



 最後の言葉がなかったらよかったのだが……ふんすと鼻を鳴らして意気込むクアルドに、景信は頬の筋肉をひくりと釣り上げた。

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