1-39 風と氷

 その頃、ミレナは正門付近で孤軍奮闘を続けていた。

「流石に数が多いわね」

 全速力で逃げることに注力すれば、敵の包囲を抜けることは容易だった。しかし、囮の役割を果たすためには、できる限り敵を引きつけて時間を稼ぐ必要があった。そのため、ミレナは杖に乗って空中を飛び回り、追い縋る衛兵たちを牽制しながら、つかず離れずの距離を保ち続ける。

 時折、後ろにいる弟の姿を確認する。彼は生気の抜けた顔で自分に捕まっていた。特に変わった様子はなく、まだしばらくはもってくれそうだった。

「……自分で頼んでおいてなんだけれど、あまり気分のいいものではないわね」

 まるで呆けてしまったかのような弟の姿に、気味悪さを感じてしまう。フードを被せているので、敵には不審に思われていないようだが、近くで見ればその明らかな異様さに気付くはずだ。

 ミレナは改めてあの《創作者》という能力の異常さについて考える。空想を具現化し、生物、ひいては人間をも創り出してしまう能力。それはもはや神に等しい行為ではないか。そんな禁忌に近い行為をいとも簡単に行うエトという少年は、一体何者なのだろう。

「いけない」

 余計なことを考えていたせいか、敵の集団から離れてしまっていた。だいぶ時間は稼いだはずだが、念のためもう少し敵にちょっかいをかけておこうと、不自然にならないように旋回して敵の方へ戻ろうとする。

 ちょうど身体を反転させて体勢を整えようとしたときだった。

 突然頬の当たりを何かがかすり、切り傷に血が滴るのを感じた。

「これは、攻撃……?」

 警戒レベルを上げて周囲を確認するが、敵らしき姿は見当たらない。どこかに潜んでいる気配も感じ取れなかった。

「痛ッ!」

 今度は右腕に切り裂かれたような痛みが走る。服が破れ、先ほどよりも深い傷ができていた。袖口を縛って止血し、一度その場に留まって次の攻撃に備えた。

 しかし、虚を突くように、一撃、また一撃と、身体のあちこちが切り裂かれる。決して隙を見せていないはずなのに、全く防御することができない。辛うじて後ろのオサムを守ることで精いっぱいだった。

 攻撃を受けているのは確かだったが、目視で確認することができなかった。それどころか、魔力などの気配も感じ取れない。まるで吹き抜ける風に身体を切られたような、そんな掴みどころのなさを感じていた。

「このままだといい的ね」

 空中では分が悪いと考え、一旦地上に降りて体勢を立て直す。

「寒いかもしれないけど、我慢してね」

 オサムを茂みの後ろに隠し、敵の攻撃が当たらないように、魔力を注いだ氷の壁で四方を囲う。これである程度意識を目の前の的に集中することができる。

 そうして臨戦態勢を整えたミレナを嘲笑うかのように、ちょうど彼女が杖を握り直したタイミングで再び敵の攻撃が頬をかすめる。それはいつでも一方的に攻撃ができるという挑発に感じられた。

「ずいぶんと舐められているみたいね」

 そんな見えない敵の余裕ぶった態度に、ミレナは苛立ちを覚える。しかし、決して感情を昂らせず、むしろ気を静めることに徹して、冷静に状況を整理する。

 ミレナがいるのは、城の正門から街へと伸びる道を少し外れた森の中だった。鬱蒼と生える木々によって辺りは薄暗く、木の陰や茂みに紛れてしまえば、姿を隠すのは容易に思われた。

 しかし、裏を返すと非常に見通しの悪い場所となっているので、こちらの姿を把握できているということは、敵はそう遠くない場所に隠れていることがわかる。

「……ッ!」

 今度は首元を狙った一撃がミレナを襲う。寸前で微かに気配を感じ取って、咄嗟に身体をのけぞったことで致命傷は避けられたものの、そこにはこれまでの攻撃にはなかった明確な殺意があった。

「遊びは終わり、ということね」

 全神経を集中させて次の一撃に備えながら、敵の攻撃を分析する。

 おそらく敵は風の魔法を使っていると思われた。先ほどの一撃で一瞬だけ敵の魔力を感じ取ることができた。視認できず、魔力感知にも反応しづらいのは、最小限の魔力で圧縮した空気を斬撃のように飛ばしているからだろう。

 だが、魔力を抑えていることで、範囲は狭く、直線的な攻撃しかできないはずだった。見えない位置からの不意打ちだからこそ成立しているが、来る方向さえわかれば避けることは容易い。

 ミレナが受けた攻撃は毎回違う方向から飛んできていた。おそらく敵は身を隠しながら移動して、発射位置を特定できないように立ち回っている。

「まずは顔を見せてもらおうかしら」

 次の攻撃が来る前に、ミレナは反撃の姿勢を取る。練り上げた魔力が青白い光となって空間を支配していく。

 右手に持った杖を振り下ろした瞬間、彼女を取り巻いていた光が弾けるように霧散した。その勢いとともに、彼女の足元を中心に地面が凍りつき、円を描くように大地が白く染まっていく。

 一瞬にして、緑豊かな森が一面銀世界へと変わった。

「そこね」

そして、その氷の大地は姿の見えなかった敵の居場所を炙り出す。

 地面を覆った薄氷は人の体重がかかればすぐにひび割れる。ミレナはその音を決して聞き逃さなかった。背後で鳴った小さな歪みに向かって、素早く攻撃を放つ。

 確実に姿は捉えたが、攻撃の手ごたえはなかった。しかし、身を隠していた草木は衝撃で凍ったままバラバラに砕け散り、もはや再び姿を眩ますは難しいはずだ。

 これ以上は隠れても無駄だと判断したのか、ようやく敵がその姿を現す。

 黒いドレスに身を包み、戦いに似つかわしくない高いヒールで氷を砕きながら歩いてくる。腰まで伸びた長い髪が風になびき、その風貌はこれから社交界に出かけようかといった雰囲気で、およそ戦場には似つかわしくなかった。

「もうかくれんぼは終わり?」

 炙り出されてもなお、余裕の笑みを見せるその女に対して、ミレナはあえて煽るように語りかける。

「そうねえ。もう少し遊んでもよかったのだけど、あなたがせっかくの遊び場を壊してしまうものだから」

「生憎だけれど、趣味の悪い年増に付き合ってる暇はないの」

 そんな安い挑発に、女はこめかみをピクリと動かして反応する。

「その年甲斐もない下品な服、似合ってないわよ」

「ガキがァ!」

 女は怒気を爆発させて声を荒げると、同時に膨大な魔力を一気に放出する。

 無数に放たれた風の斬撃がミレナの全身を切り裂いた。次々に赤い直線が描かれていき、彼女の身体が血に染まっていく。

「生け捕りって言われてるから、これくらいで死なないでよね! 捕まえたあとで、またたっぷり痛めつけてあげるわ」

 反撃の隙も与えないほど激しい攻撃が続く。真っ直ぐにミレナを襲う鋭い風が致命傷を与えるのは時間の問題に思われた。

「……おかしい」

 しかし、そこで女は違和感に気付く。

 致命傷を与えるのは時間の問題。その時間はもうとっくに過ぎているはずだった。

手ごたえは確かにある。確実に百発以上は攻撃がミレナに当たっていた。それなのに、依然として彼女は倒れることなく、目の前に立ちはだかっている。

 少し俯いたミレナの表情を女の位置からは読み取ることができなかった。不気味に立ち続けるミレナに恐怖と焦りを覚え、さらに魔力の出力を上げる。

「これで終わりよ!」

 威力を上げた渾身の一撃がミレナの首元めがけて放たれた。音速を超えるその風はコンマ一秒で彼女の首と胴体を綺麗に分断する。血塗れの彼女で立っているのもやっとなはずの彼女に、避ける術はなかった。

「何故ッ!」

 ところが、確実に真っ直ぐ彼女に向かっていたはずの攻撃は、ほんの数センチずれて首のすぐ横を通り過ぎていった。辛うじてかすめた髪の毛の数本が花びらのよう舞って地面に落ちる。

 慌てて何度も攻撃を繰り出すが、すべてがミレナの身体を避けるように空を切る。もはや女の攻撃は、一歩も動かない彼女の皮膚の薄皮一枚削り取ることができなかった。

「お前、何をしたァ!」

 怒りに満ちた声も、その攻撃と同じように、空気に溶けて虚しく消えていく。

「簡単な話よ」

 嵐の中で静寂を保っていたミレナが一歩前に踏み出す。

「あなたの攻撃は魔法で空気を圧縮して飛ばす風魔法。目視できず、速度もあって、なおかつ連射可能。確かに厄介な攻撃だわ」

 先に出した右足に左足を揃え、ミレナはゆっくりと魔力を練り上げる。

「でも相性が悪かった。風は気圧が高いところに向かって流れていく。だから、身体の周りの温度を下げて、気圧の低い空気をまとっていれば、自然と風の方が私を避けてくれる。少し調整に時間がかかってしまったけれど、もうあなたの攻撃は当たらない」

 ミレナが種明かしを終えた頃には、地面から飛び出した棘のような氷が女の全身を包み込んていた。

「もう十分でしょう。そろそろ退散させてもらうとするわ」

 ミレナはさらなる追手が来ていないことを確認すると、茂みに隠していたオサムを回収し、街の外の集合場所へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る